15. あたりまえのしあわせ
お互いがお互いを確認しあい、初めて二人は言い合った。
喧嘩なんて一度もしたことはなかったし、こんなに言い合いしたこともなかった。
お互いが弱いところを見せまいと強がってたんだ。
弱いところを隠さなければならないのは、『敵同士』である時だけだ。
信頼しあっている人間は、弱みを互いに知ることで弱みを補うことができる。
個々の弱みを二人の強みに変換できる。
月と太陽は、どちらかが欠けるだけで道連れのように両方見えなくなるだろう。
明かりだって、蝋燭が無ければ灯すことはできない。
それを知った僕らには、誰一人として勝てる者はいなかった。
それからの寿命である2か月間。
僕らほど幸せな人間なんていただろうか。
あれから僕は、アストロノーツになるための訓練を受けた。
…結果から言えば、間に合わなかったんだけど。
何年も訓練してようやく宇宙飛行士になれるのだから、この短期間で成れると思っていたら烏滸がましい。
それでも必要最低限の知識と機械の操作を習い、宇宙空間での過ごし方を頭に精一杯叩き込んだ。
前もって地球から脱出することは叶わなかった…が、この地球にサソリの毒が回る日の前日、宇宙船の調整が終わるという。
僕らは最後の日に地球上で最後の賭けを行うことに決めた。
一方で灯はタレントとして、日本中のスターになった。
世界中のと僕は言ったけど、さすがにこの短期間じゃ世界は無理だった。現実ってのは意外と厳しいものだ。
勿論、そのサポートとして僕は彼女のマネージャーを勤め上げた。彼女は、堂々と僕と交際していることをメディアにぶちまけた。
曰く、こそこそ隠し撮られるより堂々と報道してもらったほうが印象は良いとのこと。
最も幸運だったことは、『この世界が残り2か月しかないこと』だった。
それは、全人類が当てはまることであり交際報道などがあったところで、みんなお幸せにねと言ってくれる。
勿論、そうは思わない過激なファンもいたがそんなものは僕らにとって足枷にもならなかった。
灯は、「私が幸せになることで、皆さんも幸せを掴めたらいいなって。残り少ない人生を共に歩めるパートナーって意外と近くにいるんですよ。」
と言っていた。
さらに、記者には聞こえないような小さな声で
「ここにね。」
と言ったことは、僕は最後まで気づかなかった。
最期の日からちょうど、1週間前。
僕らは仕事の休みを取り、当てのない旅行へ出かけた。
気分だけは、新婚旅行だった。結婚なんておろか、告白すらしていないのにな。
勿論、そんな時期になってまで仕事を淡々とこなす人間のほうが少なかったから、快く所長さんやタレント関係の人たちも了承をくれた。
最期の日の前日には顔を出すことを約束して。
二人でやりたいことリストを決めて、それを徐々に埋めていく。
・水族館巡り
・プラネタリウム巡り
・各地の美味しいもの食べ歩き
・アイスたべたい ←もっと良いこと書けよ!
・延々ドライブ
・よふかし
・ウエディングドレスを灯に着せる
最後の項目は、灯が席を外している間に僕が書いたことなんだけど、恥ずかしくなって消しゴムで消してしまった。
でも灯は僕が席を外している間にそこを鉛筆でこすって、消された文字を解読してしまったんだ。
「ウエディングドレス。」
「――いや、僕の妄想だ、気にしないでくれ。」
顔から火が出るほど恥ずかしかった。
でも灯はそんなこと気にしないで、
「私、断ったお仕事の中に一つだけ心残りがあったんだ。結婚情報雑誌の表紙モデル。」
「…そんな仕事まであったのか。なんで断った?」
「残り少ない寿命を悔いて悔いて仕方なくなって自暴自棄になっちゃいそうだから。今じゃ後悔してるけどね。」
寂しげに笑って言った。
「撮ろう、ウエディングドレスの写真。」
「…でももうお仕事断っちゃったよ?」
「仕事じゃなくてさ。一緒に。」
口を開けてぽかんとしている灯を隣に、僕は地球最後の日と言われている前日に写真を撮る予約を取り付けた。
その日まで、僕らは二人だけで過ごした。
小さなことで喧嘩したり、すぐに仲直りしたり。
当たり前の日を当たり前に過ごす、そのことがどんなに愛おしいことだったのか。どんなに有難かったことなのか。どんなに恵まれたことだったのか。
今までの人生で、考えたこともなかったことが頭をめぐり、一日一日を過ごす重要性を噛み締めて共に生き、共に寝て、共に起きる。
夜が来るのが怖くて。
朝を迎えるのが億劫で。
寝ている時間がもったいなくて。
この大きな星の中で奇跡的にめぐり逢い、ともに過ごせることのできたこの人生に悔いが残らないように精一杯生きた。
その5日間は、僕らの思い出の中だけにとどめておこうと二人で誓った。