第六 唐風蹴鞠
第六 唐風蹴鞠
一郎と次郎は京から帰ってきた。京の源氏の様子は出撃の準備は出来ているものの兵の数では平家の兵力とは比べものにならないぐらい少ない。そのため頼朝は出撃の命令を出せないのだと噂である。
国司や地方の豪族も平家と源氏のどちらに就くか京と福原に探りを入れている。
京においては、源氏への人気が低い、福原と比べても活気がない。京の民衆は、木曽義仲の蛮族のような行動が頭から離れないようで、坂東武者に警戒している。
そのため源範頼と源義経は兵を洛中には入れなかった。人口の少なさが活気のなさと比例していたことは歪めないが、絶対的兵の数は明らかに平家の勝であった。
平家加担には、一郎の色恋も少しはあるが、やはり自分達の運命を決めるものである。鷲ノ谷村の者のことも含めてそれなりに慎重に決めなければ成らない。
今、源氏が兵を動かせば必ず平家が勝つ、しかし関東の頼朝が援軍を送込み兵力が均衡すれば一郎の見た目では源氏に分がありそうである。
播磨の山奥の猟師であるが、人の行き来はそれなりにあり、山賊などの悪党との繋がりも全くないわけではない。そういったところから山の者は山の者でそれなりに情報網を持っている。
今までの平家と源頼朝や木曽義仲との戦い、平家が西国でどれだけの勢力を保持しており、余力はどれだけあるか、全国の国司や豪族はどちらに傾いているかなど色々なことを合わせて考えているのである。
がっぷり四つに組めば平家に勝ち目はないが、西国は完全に平家に傾いており、平家には船団がある。それに比べ源氏は、頼朝を中心にした勢力ではあるが一枚岩ではなく、東国の北には藤原氏があり、頼朝とは一線を引いている。関東から北への備えは、当然必要であった。そのため平家討伐のために東国からの援軍を出す気配がないのではないかと世間では考えられている。
一郎の考えでは、源氏の平家追討は掛け声だけでしばらくないと考えた。
そうなれば、平家の戦準備が整う方が早いのではないか。現に福原の町は兵で溢れかえっており、港には平家の船団もある。海を渡った阿波の国の屋島には平家の船団のための町が出来ていて四国から難波津へ攻めあがる算段をしている。
そうやって考えると、平家に加わることの方が賢明である。
一郎は、鷲ノ谷村に寄って頭であり父である鷲尾武久に報告をした後にこの福原に帰ってきた。村では平家に荷担することに決めたのである。
この時代どちらにも付かず中立を守ることは出来ない。村そのものを焼かれてしまうからである。この後の話しになるが源義経は一の谷へ行く途中の丹波の小野原村が義経に逆らったがため焼討ちにあっている。
三郎は兄達の言うことには逆らうことはない。黙って従うのである。今までもそうであったし、これからもそうしなければならないと思っていた。
そうと決まれば、平家の家中の何処かに兵として入らなければならない。この勝ち軍に乗り遅れれば遅れるほど手柄が取れなくなるように思う。
なんとか考えて入り込まなければならないのである。
一郎は辰夫を連れて平家の屋敷に行くことを考えていたのである。
「源氏に付くときは平家ゆかりの人物を生贄に、平家に付く時は平家にゆかりのありそうなこの人物を利用して」と考えていたのである。
一郎達兄弟と管六は辰夫である平居辰朝を連れて平家の屋敷を回ることにした。
この辺は、世間知らずの猟師といって言い。「平家の屋敷から出てきたゆかりありそうな人物」と言うだけで、役にたつかもと判断してしまう。ということである。
「まあ手ぶらよりましか」の考えがあったのかもしれない。
平家の屋敷を訪ね兵に加えてもらいに行ったが何処も兵部省(兵士を支配する役所)へ行けと言われてしまう。このことは三郎と管六が何度も同じ目に会っているのである。
普通であればとっくの昔に兵部省の門を叩いているのであろうが、一郎たちの父鷲尾武久は、平清盛がこの播磨守に任ぜられた時、この村の長を仰せつかった経緯があり、そこの長として任ぜられた者が一兵隊からなど出来るかとのこだわりが強く、この期に及んでしまったのである。
この期に及んでしまった以上、一郎自身今さら兵部省への仕官など考えられないのである。
一郎達は平家屋敷をあらかた回った。仕官の申し出をする者は多く世間も一郎達と同じように考えている。
平家は、兵としての数は幾らでもほしい、そのため来る者には邪険にはできないものの丁寧に兵部省へ行くように言っているのである。
猟師である一郎は、山での戦を得意とするが戦の場所は京か摂津辺りの平地と考えたおり、特に山戦を考えていない平家にとって一郎達のような品がない戦力は魅力的ではないのである。
一郎達も始めは自分達の猟師のような山に強い戦力を過信し、平家が望む戦力と高をくくっていたがここに来て不安を覚えてきたのである。
その証拠に辰夫程度の者を利用しようと考えてしまったのかもしれない。
平家の屋敷の中で比較的こぢんまりとした屋敷があった。今までは門の前を素通りしていたがそうは言ってられなくなった。その一つ新三位中将資盛の屋敷があった。
平資盛の屋敷に言った時である。平資盛の屋敷は、雪の御所に程近い場所に位置しているが、平宗盛や平忠度の屋敷と異なり商家の屋敷を借受けたものでさほど大きなものではない。そのため、一郎たちも今まで見送ってきていたがここに至っては仕方がないと思ったのか年若い青年武将の平資盛邸に行ったのである。
それでも今までと同じことで、平資盛の屋敷においても兵部省へ行くように言われた。
「またか、」であった。
一郎にとってもう少しうまくいくという算段があったのだろう。平家の家臣になるということにあきらめのようなものを感じ始めており、その責任の矛先は、辰夫に向けられた。
一郎は、自分一人苦労しているとの思いと始めは当てなどすることはないが念のためと思い連れてきた辰夫であったが、こうまで何の役にも立たないと苛ついてくるのである。
「平井辰朝様、お前はなんかの役にたたんのか」と辰夫に向けてはき捨てるように行った。
「辰朝様に言っても仕方がない。会ったときからそう言っとったじゃないか。」
「三郎黙っておれ」と次郎が横から三郎の頭を小突きながら言った。
「ただ飯ぐらいが、おかしな言葉を使うものだから、公家なんか何の役にもたたん。京の町でも公家、町人、百姓と誰もが貧乏しとって、食うに困った様子じゃった。同じようなものか。」
と一郎が言うと次郎も一郎に続けて「山にでも捨てに行こうか」と言った。
辰夫にとって非常に険悪なムードでこのまま猟師の茶店に帰ったとしてもいつものようにはすまないだろうと感じた。
一郎と次郎の会話には、辰夫の存在意義がないと結論つけられており、その会話は、辰夫の聞くところとなっている。
まさか三郎に「助けてくれ」とも言えない。
辰夫は「一郎と次郎は自分を見捨てている。むしろ邪魔になっている。危険なのでは」と感じた。
辰夫はこの世界に来て一つだけ自分に言い聞かせていることがある。
それは「戦う勇気はなくてもいいが逃げる勇気だけは持とう」と言うことである
まさに、この時のためと思った。
あとは、何時逃げるかである。茶屋に帰ってからでは逃げられなくなる。帰り道か、
一郎と次郎の辰夫を見る目つきが段々険しくなっているようである。
辰夫は、平資盛の屋敷を出たらすぐ走ろうと考えた。この辺りは平家の屋敷に囲まれており、流石に刀を振り回すようなことはしないだろう。と思ったからである。
五人は、平資盛の屋敷の門をくぐった。辰夫の心の中で今だ、すぐ走れと言っている。
が、足が動かない。「逃げる勇気、逃げる勇気」と叫んでみるがなかなか体が動かない。自分に「このまま茶屋に帰れば殺されるかも」と言い、門から少し歩いたところで、「ワン・ツウ・スリー」と自分で声を出して走って逃げるきっかけを自分で作った。
ワン・ツウ・スリーの掛け声は一郎などにも聞こえたが、「こいつ、何を言い出したのか」とふっと足を止めて聞いてしまった。
スリーと同時に足を蹴り出し一歩出た時、急に男の声が聞こえた。自分に向かって声を掛けられているようである。
「誰だ、この世界に自分を知っている者など誰一人居ないはず。」
「いや、聞き覚えがある。秦嘉平じゃないか。」
「一気に走れ」の思いが途切れてしまい、駆け足は、わずか3歩で終わった。
一郎たちはこの辰夫の行動を不思議には思ったが逃げようとしたとは思わなかったようで、全く辰夫の方を見ず声のする方を見た。
辰夫も声の主を確かめるため声のした平資盛屋敷の方を見ると、中から秦嘉平がこちらを見ていたのである。
平資盛屋敷の中に秦嘉平の顔が見えたのである。思わず辰夫は「秦様」と大きな声を出してしまった。
辰夫にとって秦嘉平は春一への繋がりであり、春一の事が聞ける唯一の人物である。
辰夫は今まで逃げることのみを考えていたが、秦嘉平の顔を見た瞬間から逃げ出すことは全てが消え、春一のことを聞こうとの思いのみになった。
辰夫は秦嘉平に走りよった。そして、「春一は」の一言を言うと辰夫の目から涙が止めどもなく流れた。
春一のことが頭に浮かび、自分自身の寂しさや、春一に対する厭うしさを思ったり、春一が寂しく苦しんでいることを考えて見たりと、すべての春一を取り巻く事象が頭をめぐり、涙が出てきたのである。
大の大人が路上で鼻水を出し、顔をくちゃにしながら泣く姿は、あまりにみっともない姿であるが辰夫にとっては構うものではなく、また構ったからといって涙が止まるものでもなかった。
秦嘉平は辰夫の姿を見て声をかけては見たがこれと言って用事があったわけではない。
この辰夫という人物が重要な人物でもないので、ただ顔を見たので声をかけただけであるのにこれだけの反応を示されると秦嘉平の方で引けてしまうのである。
秦は、自分から春一の近況を手短に言った。
「六位蔵人の使用人であるにしても心配しすぎじゃ、六位蔵人自身平家の囲いの中で安全にいることに何を心配することがある。」
「そう言えば、この男六位蔵人と分かれる時も大泣きをしていたな。あの時の落胆ぶりから考えると確かに納得する。」と秦嘉平は思い起こした。
秦嘉平に声を掛けられた辰夫を一郎達は別のおもいで見ていた。
「この男は確かに平家の家臣である。その男に声を掛けられた平居辰朝はやはり何らかの繋がりが平家とあるはずだ。」と最後のチャンスとの想いを持っていたのである。
辰夫は、条件反射のように膝まつき言った。
「秦様、春一はどうしていますか、それだけ教えてください。」
「それは言えぬ。ただ元気じゃ」
「どのようにしているのですか」
「おぬし、あまり口が過ぎると身が危なくなるぞ、おぬしだけではない、」
辰夫は、これ以上春一のことは聞けないと思った。春一のことに付いては、平家にとって極秘事項である。「そんなことは分かっていたではないか。」と直ぐ理解できた。
辰夫は、平常心に戻った。
「秦様は確か薩摩守平忠度様の御家臣ではございませんでしたか。ここは平資盛様のお屋敷、何か御用で」
辰夫にしてみれば、秦嘉平と何か少しでも話がしたかっただけで、訪ねたことについてなんら深い意味はなかったが、聞かれた秦は、険しい顔つきになった。
秦は直ぐに話題を変える目的か「お前達は何しにここへ」と聞き返した。
辰夫は、それに応えるため一郎の方を見たら、いつのまにか一郎達は片膝を付いて頭を下げ、秦嘉平に礼を尽くす動作をしていたのである。
突っ立ったままの辰夫は、どうすれば良いかと考えているうちに、一郎が話し出した。
「われわれ、須磨の山の者、須磨の地は平家に恩顧ある地、このたびの源氏との戦、何かとお役に経てればと思い山を降りてまいりました。当平資盛様のお屋敷にその旨伝え、家臣の端くれに連ねていただければと思い、馳せ参じました。」
秦嘉平は何を思ったか、
「お前達は山の者か、須磨や丹波の山は、詳しいか、」
「もちろんで御座います。丹波はおろか備前、美作に至山々はわれらの庭のようなもので御座います。」
秦は、山の者の様子を見て
「お前達、見たとところまだ仕官は出来ておらぬようじゃな、」
一郎「山育ちゆえ、要領が得ぬ結えまだで御座る。」
秦嘉平は一郎達に向かって「就いて参れ」と一言言って平資盛の屋敷の中に入っていった。
一人ぽつんと立ったまま聞いていた辰夫は、一体どうなっているのかと、始めは自分との会話ではなかったのか、何処から話しが一郎の方にいったのか、さっぱり訳がわからなくなったのである。
一郎達は、さっきまで「殺してしまおうか」と思っていた辰夫の伝手で何かしら話しが好転してきたのである。お調子者の次郎は、辰夫の肩をぽんとたたき、「さすが、お公家様」と一言言って一郎の後を付いて行った。
三郎は辰夫に、「知合いか」と一言聞いた。
辰夫は、覚えていることは言った。
「薩摩守平忠度様のお屋敷に連れていかれ、お屋敷で何かと質問されたのがあの方です。それで私をよく覚えておられたのでしょう。」と一応肝心な春一の話しは避けて話した。
三郎は、平家の家臣になれることよりも、兄達の機嫌がすこぶる良くなったことの方が良かったと思っていた。
しかし、心の何処かで兄達にあまり就いているといい様に使われてばかりになってしまう。何処かで離れなければと密かに考えていた。そのことに就いては、辰夫も管六もよく三人で話していたことで、辰夫は兄達と一緒に平家の家臣になることに気になっていた。
三郎と管六が平家方に就くことは今の彼らにとって当然のことと思うが、それにしても兄達に付いていくことは、この戦の結果いかんに係わらず三郎にとって良い事とは思えなかったのである。
三郎は何も言わないが兄弟であるはずの小夏を好いているようである。三郎の口からははっきりとは聞いていないが、一郎達とは本当の兄弟ではないようなものを感じたのである。
この時代の村や集落の家族の仕組みは分からないが、兄弟でないため好きになれるのではと辰夫は思っている。兄弟でないのに兄弟の仕組みに組み込まれ、兄達の言う事を聞かされている。そんな三郎の姿を傍から見ている辰夫は不憫に思っている。
辰夫は、そういったことも含めて、三郎と管六が兄達に就いていく事を良しと思っていない。
しかし、今はついていかざるをえない、選択の余地はないのである。
一郎と次郎は秦嘉平の後ろにしっかり就いて進んでいる。それより少し離れて三郎、管六、辰夫と、今は平居辰朝であるが、就いて歩いている。
皆が揃うのをまって秦嘉平は、「ここで少し待て、」と言って奥へ入っていった。
しばらくして秦嘉平は、平資盛の家臣を連れてきた。
「この方は、平資盛様の家臣、海老名次郎盛方殿じゃ、お前達を雇い入れたいとのこと海老名様の言うことをよく聞いてお役に立つのじゃ」
「そこの者、こちらへ来い」と秦嘉平は辰夫に向かって言い、庭の影の方へ歩き出した。
辰夫は秦嘉平の言う通りに秦の後ろをついて歩き出した。
「お前の知りたいことは、分かっておる。春一と言う小僧なかなかやりよる。幼帝の居られる御所で思う存分遊んでいるぞ。ここのお屋敷の平資盛様の弟ぎみ三人は六位蔵人がお気に入りでいつもつるんで居られる。六位蔵人とは春一という小僧の官位だ。それだけではないぞ、わしとこの屋敷の平内兵衛までもが二九日に借り出される始末じゃ。あの小僧は楽しくやっとるから安心せい。」秦嘉平はそれだけを言い残してこの屋敷を出た。
辰夫にすれば、何をどう安心すればよいかわからなかった。
「春一は、何をしているのですか」が聞けづに秦はそそくさと屋敷を出て行ったが、辰夫は何故かまた会えるような気がした。
辰夫は安心と不安を両方覚えながら直ぐに一郎達の所に戻った。皆武士のように片膝をつき行儀よく海老名の方を向いていたので、辰夫もそれに習って一番後ろに同じようにして控えた。
海老名は、一郎達の山での話を聞いていたようである。多くの平家の家臣は豪傑には見えない者が多いようで、やはり京若しくは平地で生きてきた者の雰囲気を感じる。
海老名も御多分に漏れず豪傑とは見えなかった。しかし、武将としての雰囲気は秦嘉平と同じように主君に仕える実直な武者と見受けられた。
辰夫も、仕方なく後ろで控え海老名の話しを聞いていた。
「京の源氏に動きが見られる。恐らく河内、摂津を通ってから海沿いに福原に向かうだろう。ただ丹波方面も無視できない。当方平家方は今動かずにいるが、当家平資盛様は、平資盛様を総大将として、ご兄弟四人で丹波方面に陣を牽かれる予定である。海を得意とする平家であるが山中は皆目分からぬ。そこで、おぬし達に役にたってもらう。平資盛様は二月一日に当家を出発され、丹波方面に向かわれる。おぬし達には、前触れとして五百の兵が陣取れる場所の確保と本隊の道案内役としての役目を言いつける。我らが付ける家臣と共に働くのじゃ。このこと他言するでないぞ、分かったか」
一郎は、はっきりいって気が抜けた。肩肘張って聞いていたことが馬鹿らしくなったのである。
「丹波方面、京に居る源氏の兵が何でわざわざ遠回りして、しかも丹波からこの福原に抜ける道など我々山の者のような猟師以外分からない。源氏の兵がそんな所を通るなどあり得ない。第一我らのうわさでもそんな話は一度も出ていない。戦は素人のわしでも常識はずれな軍行はないと分かること、何のつもりで、こんな場所に。働いていても手柄は当然無理だ。」と思っていた。しかし、この話しを聞いてしまった以上断ることも今更出来ない。しかも目付け付きで逆らえば殺される。
「戦は長い、先を考えて平家に着いていこう。」と開き直った。
海老名は一郎に「丹波方面に兵が陣取れる場所の心当たりはあるか。」
一郎にとって勝手知った他人の山である。「丹波の手前、播磨との境になだらかな高原になった三草山があり、兵を留めて置くのには格好の場所かと。その向こうには、小野原の村があり、水・食料などの確保もしやすいかと考えます。」
「流石じゃ。これで安心いたした。頼むぞ」と海老名は言った。
「お前達五名の者を兵として加えるが、お前がこの五人の将であるか、鷲尾一郎と申したな。滝口をお前達に就ける。滝口によく相談するのじゃぞ」そう言ってから一言付加えた。「丹波方面の守りは無意味なことではないぞ、」と、この丹波方面へ兵を動かすことの意味は他にあるような物言いで去っていった。
辰夫は、あまりにも簡単に兵に加えられたことが不思議に思った。始めてあった者を100%信用しているのである。
確かにこの時代の戦いでは、敵と対じした時「やーやー、我こそは、」と互いに名乗り合い、矢合わせをしてから戦いに入るらしいが、平家では、戦の中には卑怯なことは絶対にないという前提で物事が進んでいるようである。
平家への士官は、一郎にしてみれば何処か頼りないものを感じていたが、父鷲尾武久に報告が出来ることで安心はしていた。
一郎達は一旦福原の自分達の茶屋に帰った。
茶屋に帰ると、小夏が茶屋の手伝いをしていた。
次郎が、「小夏、来ていたのか、お前の許婚、なかなか頼りになるぞ」と辰夫と絡めて茶化していた。
辰夫は、小夏の顔を見る前に三郎の顔を見た。そこにはうつむき加減の三郎がいた。
「小夏さんは、いつ山から降りて来られたのですか。」と相変わらず丁寧に辰夫が聞いた。
「昼頃」の一言に、少女の快活さとかわいらしさが溢れているのに辰夫は気づいた。
この笑顔は、自分にではなく、誰かに向けられたものであることは分かっていた。
一郎は小夏に直ぐに村へ帰るように言った。「小夏、ちょうどいいところに帰ってきたな、来て直ぐで悪いが三郎と一緒に村へ帰ってくれ。用事は三郎に言いつけておく。」
「三郎、小夏と直ぐに村へ帰れ、帰ったら村の若い者を出来るだけ連れてくるのだ。鷲尾一郎、家来が三人では話にならん。うまく言うのだぞ、それと、頭に平重盛様の嫡男平資盛様の直参に召抱えられたと言え、丹波方面の山戦じゃ、山の者には打ってつけの戦、多くの若い者が来るにきまっている。小夏と一緒に出来るだけ集めて戻って来い。日が無いからな、三日で戻って来るのだぞ、すぐ行け」
一郎はとりあえず一党を組まなければと考えていた。「山戦などあるはずがない、源氏の兵が来るはずがない。」とも。それでもそれなりに数を揃えていけば今後の扱いも変わる。
翌朝、一郎は、今まで横に並び連れもっていた次郎を少し後ろに歩かせ、従わせるような形で茶店を忙しく出て行った。
辰夫と管六だけがぽつんと店に残った形となった。一郎にしてきれば管六は店番的なものであるが、辰夫は完全に忘れ去られた存在であった。
確かに仕官が決まってしまったら後は、何の役にもたたないようである。一郎も分かっていた。後は己の力のみである。
急に管六が話し掛けた。「辰朝さん、戦に行く、俺、三郎らに世話になっているから着いてきたけど、ほんとに戦に行くとなったら怖いよ。どうしよう」
辰夫ははっきり言って驚いた。管六は陽気で少しおどけたところはあるが軽薄な男ではない。辰夫自身話す自然現象の不思議な話や日本の歴史のことなど三郎と一緒に聞いてくれていたし、それを彼なりに理解していたように思った。そんな時、辰夫は三郎と同じように頭の柔軟な賢い男と思っていた。
それに、猟師である管六は、猛者の中でも仕事ができる男である。
辰夫から見て利口で力のある男、管六は、三郎と一緒に平家の屋敷を廻ったときも一郎と廻った時も何も言わずに着いてきたではないか。その行動は、戦準備ではないか。戦を目的として動いている男が「戦に行くのが怖い」と言うとは思っていなかった。
辰夫は、自分の気持ちと相反する行動を取っていた管六に理由を聞いた。
「私は、管六さんも一郎さんとかと同じように平家の家臣になるのを願っていたと思っていました。それに、管六さんとは短い付合いですが四六時中一緒にいて、それなりに武将に向いているように思っていましたから、勝手な思い込みですが」
「戦に行くのが嫌な管六さんが何故平家の家臣になろうとしている鷲尾家と一緒に居るのですか。管六さんは播磨国、安田庄下司と聞きましたが、鷲尾家は同じ播磨でも奥の鷲ノ谷、何かあるのですか。」
管六は、ぼそっと話し出した。
「辰朝さん、初めて会った時、一郎兄貴に小夏の婿になれって言われましたよね。ほら、さっきも次郎兄が茶化して、小夏や三郎はもともと安田庄下司の者なのです。播磨の国は、以前、清盛公が国主になられ、鷲尾家が播磨の山を守るよう言い付かっていたのです。当時この辺はほとんどが平家に組していたのですが安田庄下司は違った。でも昔のことで、村では源氏だの平家だのとこだわりは無く鷲尾家に従うことになった。その時小夏と三郎が半ば人質のように鷲尾家にいった。小夏はおらの妹だ。三郎は庄屋多賀家の息子だ。このことはみんな知っているが口には出さねえ、おらは小夏が心配だ、昔から小夏と三郎は好き同士じゃ。小夏は三郎と一緒にさしてやりてえ、辰朝さんは全くその気がねえからいいけど、次郎は危ねえ、それに、おら、戦は嫌えだ、人の血はよく見れね。昔からつるんでいるけど、兵士になるなんて頭の中にはなかった。まあ、そんな訳だ。」
辰夫は、やっとすっきり分かった。なんとなく兄弟ではないように感じていたし、三郎と小夏が兄弟なのに好き合っているようでもあって不自然さを感じていた。
「何で一郎が異常なまでに平家方に就くことにこだわるのか、何で三郎が一郎たちとなじんでいないのか、何で管六がいつも鷲尾兄弟とつるんでいるのか。」今までの「何でか」が、凡そ判った気がした。
辰夫が判ったからといって、何の手助けにもならないのであるが、ただ、気持的には何とかしてやりたい思いがあった。それと、三郎や管六に対して「敗れる平家側に味方に付くことを阻止すること」である。
それに一番肝心なことである御所の中で六位蔵人として過ごしている春一をどうするかである。
今、雪の御所といわれるところで一応無事に過ごしているようだが、一の谷の合戦のときはどうなるのか、安徳天皇とともに無事に逃げることができるのか。
もし、平家一門として源氏の的にされるようなことになれば大変であるが、これといって良い方策があるわけではない。
三郎と管六に源平のどちらに味方すればよいかを話すだけで、それも露骨に平家が負けるとは言えない。
今は何気なく話しかけるだけである。
「平家の家臣団から抜け出しなさい。どんなことがあっても、平家に就くのは良くありません。」と
当然、管六は聞く。
「平家が負けると言うのか」
辰夫は、それには返事をしなかった。返事をすればその訳も話さなければならないからである。
京の源氏が動き出している。福原の町でも戦が近づいていることは感じているようで、この国にとっては大きな戦である。兵が集まれば噂は直ぐに走る。一の谷の合戦はそう遠くないことが辰夫にもわかる。
「一体何時なのか、一の谷の合戦は」、と辰夫は昔読んだ「平家物語」を思い出そうとしたが何度考えても思い出せない。時代と自分の読んだ物語とをリンクさそうとしても全くリンクしてこない。大まかな時代の流れだけだ。と自分に苛つくのである。
三日経って三郎は帰ってきた。村から若い者を十人ほど連れてきたのである。
一郎はもう少し集まると思っていたようであるが、数人は村で日和見主義を決め込んだようである。
一郎たちが平家の平資盛と一緒に丹波方面に向かってくれば途中で合流するつもりであるらしいと三郎から聞いた。
一郎は「信用してねえようだが、まあ、軍行のときは、一番しんがりを歩かしてやら」といった。
一郎と次郎は何処から出してきたのか、鎧を身に着けていざ出陣に備えていたが、平資盛の家臣滝口様からの連絡はまだ来ていないのである。
一方平資盛の屋敷では、まだ兵を動かす気配が見られない。二十歳そこそこの武将である。平家の中、苦労知らずで育ってきて、源氏との戦の重大さは口だけである。
平重衡や平知盛に戦支度は任せ、自分は指示を待つ者と考えていた。
今、夢中になっていることは、春一が考えた蹴鞠の試合のことで、一月二八日御所の庭において行われる。いつの間にか平重盛の子三人と安徳天皇の四人にゴールを守る海老名の五人で紫組、平宗盛の子平清宗、能宗と平知章、そして春一とで四人とゴールを守るのが秦嘉平で五人の白組とで試合が行われることになったのである。
この試合が終わるまでは丹波への兵は動かしたくないとのんびりした考えであった。
もちろん、平家の重臣からの命があればいつでも動くつもりではあった。
日頃の弟達の動きを見ていると「この試合面白そうである。」との思いがあり、平家の公達と御所内の者達も今一番関心を持って見ている座興である。
平家の軍団が木曽義仲に攻められ、京を出てから今まで座興じみたことは一度たりともなかった。子供達にとっては特にである。今までのたまりにたまったものをぶつけるように、試合に向け子供達は練習を積んでいる。
その姿を見ている建礼門院や二位の尼など御所の者達、平家の武将はいつのまにか二手に分かれ、応援に力が入りだしたのである。
今、福原の街は平家一色となり、兵の数、船団の数は源氏の兵を大きく凌ぐものとなっている。木曽義仲や行家との播磨、摂津、河内での戦は勝ち戦であったことなどから頼朝の援軍を来ないうちに源範頼、源義経が兵を動かしてくることは無いと踏んでいた。
平家の軍団には余裕が感じられ、こういったものに夢中になれるのである。
春一を含め、八人は春一のいう蹴鞠に夢中で、何時からか唐風蹴鞠と名づけられていた。
元々足で鞠を扱うことになれていた者ばかりであったことから春一のいう方法で遊んでいるうちにそれなりにパス回しも上手くなり、チームプレイも出来るようになってきた。
たとえ遊びの中でも勝ちたいとの思いは、帝も平家の若武者も同じである。勝つためにはどうすればよいか、子供たちでも必然的に考えていくのである。
御所の多くの者は、春一のリフティングを始めて見たときは衝撃であったが、自分たちの子供や家族が春一と同じようにリフティングをやって見せるのに感動している。
その感動は、唐風蹴鞠の戦いの中で見たい。
周りの者達のその思いが一月二八日の試合へとなったのである。
一月二六日、右大将平宗盛の屋敷に法皇(後白川法皇)からの和平勧告の静憲法印が届いていた。法皇が平家に対し源氏との和睦を「取持つ」と言って来たのである。このような重要なことを平宗盛一存では決することはもちろん出来ないが、子煩悩で子供が好きで平和で静かに暮らしたいと何時も思っている平宗盛は当然受けたいと思っていた。
基本的には、戦がしたくないとの思いが強い平宗盛、木曽義仲が攻めてきたときも戦を避けて一旦西海に落ちることを決定したのは自分である。その後西国に逃れ、家中には不便を強いることになったが、その後の戦では平家の武者が死んでいくことはなかった。
平家の中で自分の立場が悪くなってしまったが、それはそれで平宗盛自身「よかった」と思っている。
このまま源氏と和睦し、戦わずして京に帰ることが出来れば、自分は髪を下ろしてもいいとまで考えていたのである。
この、後白川法皇の静憲法印が平家の持つ三種の神器の奪取のためのものとは、全く考えないのが、平宗盛の人の良さである。
この白川法皇の静憲法印の知らせは、全ての平家重臣に届いた。
中納言平知盛は軍事面から現在の平家の兵力を持ってすれば「源氏恐れるに足らない」との考え、近衛中将平重衡などは南都焼討ち(奈良の東大寺焼討ち)のこともあり源氏との和睦には異を唱えた。
その他の将は、どちらとも言わず、右大将平宗盛の考えではなく薩摩守平忠度と大納言平時忠の言葉を待っていた。
薩摩守平忠度と大納言平時忠は、法皇が三種の神器を取戻したいことは百も承知であった。
平家側では安徳天皇、京では後鳥羽天皇を有しているが三種の神器が無くては認められない。和睦は即ち三種の神器を法皇に渡すことになる。
だが、それと引換えてよいものなど何もない。たとえ頼朝が命を差し出しても。
実際今度の和睦の静憲法印は、戦いの相手である頼朝の考えなのかがはっきりしないのである。
法皇近辺に置いてきた、平家贔屓の公家の情報を得るために時間が必要なのである。
「返事は急ぐものでもない、暫く焦らしてみよう。法皇の出方を見るのも良いだろう。」薩摩守平忠度が期限を切らずに先延ばしをすることを皆にいった。
「京の南で源氏の兵が終結している。が、頼朝からの援軍が来る気配がない。あの後白河法皇も今のところ我らの力を恐れているようであるのか、このような静憲法印を遣すほどであるからあまり動いてはおられまい。今は我らには、正統な帝がおられる。このことを肝に命じ、じっくり対処しようぞ。」
平忠度の言葉は、右大将平宗盛に言っているように思われた。
平宗盛は、平忠度の言葉をそのまま受取っているようで、「そうじゃな、急ぐことはない。そのとおりじゃ」と相槌を打った。
相槌を打たれた平忠度は、「憎めぬ男よ。」と小さく言って、席をたった。
一月二八日、唐風蹴鞠の試合当日である。
この試合は春一である六位蔵人が行ってきていた方法である。そのためどのように行うのか春一しか分からないが、今や春一以上にと言って良いほど帝や他の平家の六人の若武者もルールは理解しているのである。
それというのも、子供の遊びで良くあることであるが、野球など18人で行うゲームを10人でする時、それなりにルールを変えて合理的に楽しく出来るルールへと変化させる。
それと同じように、子供は遊びの天才といわれるように、いつのまにか春一が話している試合方法を彼らなりに遊びながら自由にルールを変化させ作り上げた。
そんな作業は、大人なら一日掛かることを、子供は一時間でやってのけるものである。
そのため、唐風蹴鞠の段取りは、春一では無く、平家の若武者で段取りされた。
試合方法はいたって簡単、相手ゴールにより多く鞠を入れたら勝である。前半後半と分かれ、時間は砂時計で計る。三回勝負で二勝した方が勝ちとする。
褒美は、「勝ちたいという思いを成し遂げられる」ということである。
着る物は小袖に大口袴、すね当、履物は頬貫、当時の甲冑の下に着ているものである。
ただ、色分けのため小袖は、白と紫に分かれた。
当然高貴な者しか使うことの出来ない色である紫は、帝の組で紫組ある。
紫組は帝いる。平重盛の子三人がいることから、重盛組のように言われた。
もう一方の白組は、平宗盛の子二人が入っていることで宗盛組と言われた。
準備が終わった庭に来た春一は、驚いた。日頃帝と遊んでいる庭が本当にサッカーのピッチのような雰囲気になっているのである。春一からの話しで聞いたことをこの庭に作りたいとの思いが帝にあったのか、綺麗に掃き清められた土のグランドになっていたのである。
当然、五人対五人の試合であり、大きさはフットサル程度のものであったが、春一がいっていたゴールが両サイドに置かれているのを見て、春一自身泣きそうになるぐらい懐かしく感じてしまった。
庭の周囲には、平資盛を始め平家の重臣がずらりと並んでいる。それぞれ応援する方が決まっているようで、世に常で親兄弟日頃の付合いが出ている。見る方も応援する組があるからこそ面白いのである。
一段高いところには、建礼門院、二位の尼と控えられており、安徳天皇の今まで見と事のない姿を眺めておられた。
ここに集まった平家の者達、安徳天皇やその母である建礼門院そして二位の尼、全てが父となり母となり、子となった。
一つの家族
父であること
母であること
子であること
何故今まで感じなかったのか、
弓矢の戦い
流鏑馬
戦いは何度もあった
何故、今まで感じなかったのか
父が父でなかった
母が母でなかった
子が子でなかった
ただそれだけであったのか。
ここに集まった多くの者は気づいていなかった。春一という当たりまえの子供がいたことで、子供が子供に帰ることが出来たのである。子供が子供になったとき、大人は子供を子供として見る。そして、大人が大人になれるのではないかということである。
武者にとって戦いは生きるか死ぬかである。それ以外のものを感じたことがない。
始めて真剣な戦いであるのに平和を感じることが出来ることに気づいていなかった。
感じてはいたのである。
春一は、みんなと違う思いでこの場所を見ていた。
周りのみんなにはそれぞれ自分だけを見てくれる人が居る。帝には建礼門院のように、自分の活躍だけを喜んでくれる人が居る。
ほんの少し前まで自分がそうだった。そして自分の友達も。
サッカーの試合の時、参観日の時、お父さんやお母さんは自分だけを見に来ていた。
今までそのことを深く考えたことがなかった。
サッカーの試合など見に来たら、来たらで、「あそこは、ボーと立っていた。もっと走らなあかん。」、自分は、「もう嫌なことを言う」との思いで聞いていた。でも何故か、家族が見に来ることが嫌とは思わなかった。
春一は、今まで何も深く感じていなかった。今、自分だけが一人である。生まれて始めて心に穴が空いた思いを味わったのである。
この人で賑やかな庭に、ふっと、お父さんを探してみた。何時もサッカーの試合は見に来ていた。だから「今日も何処かで試合があるのを聞いて見に来ていないだろうか」とほんの少しの期待を持って。
さすがに無理なことはわかっている。子供でもそれぐらいは分かる。でも子供だからよけいに寂しく感じ、無駄と分かっていても見渡してしまうのである。
しかし、このコートの中に一人寂しくしている春一を見つめている人が一人だけいた。
その人は、何故かわが子を見る眼差しと同じような眼差しで春一を見ている。
建礼門院である。八人の子供の中に一人静かな子供、わが子安徳天皇と春一を見つめていたのである。
春一は、一段高いところから見られていることになかなか気づかなかったが、安徳天皇が春一に近づき一言。
「二位(二位の尼)が安徳を応援すると言っておった。母君は春一を応援すると、」
そこに割り込むように能宗が話していった。
「春一、帝といえども手加減は無用じゃ思いっきりやろう」
春一は、一段高い所に居る建礼門院の方を見ると、確かにこちらを見ている。目を合わせると優しく微笑んでくれた。
思い出さずにずっとしまい込んでいたものが、よみがえってしまった。「お母さんの姿」である。お母さんと分かれる時の瞬間である。「もしかすると」の思いとお母さんの怖くて優しくて何時も自分を見ている姿が重なった。
春一はこの真中で涙を流すことは出来ないと思った。グット堪えて、上を向き一人「サッカーをやろう」とつぶやき今ここでサッカーが出来ることに対する嬉しさだけを考えて、建礼門院の方を見なおし、少し顔を引き攣りながらそれでも笑顔を出して手を上げた。
建礼門院は春一のことをずっと見ていたのである。子供の心が痛いほど分かるのか建礼門院の方が涙を流してしまったのである。
試合は、始まった。
この試合を見に集まった者達は、勝ち負けがある蹴鞠と聞いていた。ただ、日頃遊んでいる蹴鞠とどう違うのかまでは、知らない。
だから、試合が行われるまでここに集まった多くの者は、「蹴鞠の上手い春一という子の曲芸じみた蹴鞠でも見よう」との想いがあった。建礼門院や二位の尼、それに平資盛など身近な者までもがそう思っていた。
蹴鞠はもともと試合などするものではない。鞠を足でついて遊ぶだけのものである。
鞠のつきあいの試合程度と見ていたのである。
試合の始まる前には大体の試合方法は説明されていたが、見て始めて分かったのである。
始まって直ぐ、周りの観衆である平家の公達や公家、女官達を驚かした。
多くの観衆は、蹴鞠の優雅さとゆったりした動きを想っていたのである。
蹴鞠がコートの中央に置かれ10人が両側に分かれ、笛とともに激しく動き出した。
誰一人、腰に手を当て優しく声を掛け合いながら、鞠を受け渡すような姿は微塵もない、そこには激しく体をぶつけ、大声で見方を呼び合い、激しく鞠が飛び交う光景である。
あの、ひ弱で大声など上げたことのない幼帝安徳天皇が走り大声で鞠を要求するのである。
「へい、こっち、」
その中には身分の違い、年齢の違い、が全くなく、あるのはただ鞠を繋げて相手のゴールに入れることだけである。
初めは、幼帝の小さな体がぶつかり、相手と競り合う。激しく飛ばされながらも鞠を取られずパスを出す姿に、平家の若武者や春一に対する「無礼な、何をするのだ」の声が上がり、どよめいた。
建礼門院と平家の重臣が笑って見ているのを見て、その声は次第に小さくなっていった。
試合の経過と共に顔を歪めていた公家達も、いつのまにか何をしているのかが分かりだし、手に拳を作り応援を始めているのである。
見ていてはっきりするのである。一対一の鞠の取合い、仲間同士で鞠を回し相手を翻弄する。見ていて想わず歓声を上げたくなる技、今までの蹴鞠を一変さす遊びである。
公家の一人から想わず「面白い」の声が出てきたのである。
ゴールを守る秦嘉平と海老名までもが子供になっているのである。
帝の口汚い言葉も気にならず、帝への命令口調も聞き流せるようになって来た時、その御所の庭、その空間は時を越えていたのである。
今も昔もない、サッカーというゲームがそこにあるだけである。
中も外も夢中の世界にいるのである。
試合は進んでいく。
驚かすのは春一の技だけでない、帝も負けていないドリブルで春一の股を抜いたときは圧巻であった。
平有盛の守りの上手さは、春一を苛つかせた。平師盛、平忠房のパスには想わず拍手が起きたほどである。
平清宗の強引な鞠さばき、平能宗の正確なパス、平知章の早さといい、いつのまにか面白いほどサッカーになっていたのである。
春一は始まる時の気の重さもいつのまにか忘れてしまっていた。必死で鞠を追いかけている。
みんな、今日のために相当練習をしていたのが分かる。
六年もやっている春一と互角に遊んでいるのである。
長年蹴鞠をやっていたことに加え、子供が持つ遊びの本能が重なったのである。
試合は、一進一退で進んだ。
始め、試合の流れに乗れない間に春一が一点決めたが、進むに連れ帝の紫組が押しぎみになってきた。攻め込むが秦嘉平の守りの良さにずいぶん助けられていた。
一試合目は、春一の一点と平能宗から足の速い平知章へのパスで二点目を加え二対零で白組の勝であった。
右大将平宗盛の喜び、はしゃぎようは言い表せないほどで、周囲にひんしゅくを買っていたが、お構いなしであった。
当然、平資盛は当代一流の歌人としての面影を失った様相で平有盛達に近づいていき、興奮して、上手く言えないまま、上ずった声で「何が何でも勝つように」といった。
歌人としては、一流であるが、武将としての才が乏しいのが分かる。
この二人を除いて、他の者達は次の試合の予想を話し合うなど、気持ちの高揚を感じながら待っている。利害などまったくない心の高鳴りである。二位の尼などは「これは、楽しいですね、各々の平家の家臣対抗で今度、開催されてはいかがかな。男衆の蹴鞠を見ていても、大内の政所衆(関白など官位の高い者の正妻)にはつまりません。」と言って、もう次のことを考えているのである。
見ている者が面白いと感じているのである。当然やっているものは、もっと楽しんでいる。
周りの雑音など全く耳に入って来ないようで、紫組も白組も五人が頭を合わせ互いに声を出し合って、「次は勝つ」の言葉を確かめ合うように発していた。
二試合目が始まった。
紫の重盛組の怒涛の攻撃が始まった。体力にものを言わせるように、平有盛、平師盛、平忠房と体力には自身があり、帝がゴール前で待つような形で攻撃を仕掛けてきた。
平清宗、平能宗は父である右大将平宗盛の過保護が少し祟っているのか体力不足ぎみで体がついてこなくなるときが出てきた。そこを付くようにゴール前に控えている幼帝に鞠を渡し、再三ゴールに迫ってくるのである。さすがの秦嘉平も数を打たれると、ミスを犯してしまう。
とうとう帝にゴールされた。
帝によるゴールは宮廷全体が大きく盛り上げた。
帝自身始めて味わう喜びであった。
全身で飛び上がり、これでもかと思うほど跳ねまわった。
春一を応援している母の前まで行き、「どうだ、自分が入れた。」と大きく声を出した。
建礼門院は、優しい目で「すごかったですね。ちゃんと見ましたよ」と微笑み返していた。
帝は、母が喜んでいる姿を見て、始めて自分の力で母を心から喜ばしていることに気づいた。
帝は、二位の尼への言葉も忘れずにいた。
この試合を見ている全ての者にとって帝のゴールは、どんなゴールともゴールの持つ意味が異なった。それが「帝」の持つ意味である。
この盛り上がりは、明らかに流れが、紫である重盛組に傾いており、続く試合も一方的で、春一自身守りに必死にならなければならなかった。
春一は、元の時代に戻ったのではないかと勘違いするほど試合が本格的なものになってきた。
夏休み、京都大会に優勝し全国大会で味わった感じと似ている。前半自分達のチームが押し気味で進んでいたがなかなか点が取れず、後半に入ってチームの体力が切れて、一方的に攻められ負けてしまった試合を思い出した。
攻められ防戦一方になっているけど、春一は、何故かうきうきする。体を張ってシュートを防ぐ、それは、体力がぎりぎりのところで仲間が心を一つにして、ただ一つの鞠に集中しているからである。相手も同じように向かってくる。
鞠が外に出て、一瞬時間の空白ができたとき八人が互いの姿を見て、立っているのがやっとのほどしんどくてたまらないのに、何故か微笑んでしまった。
「面白い」
「うん」
春一には、誰の会話か分からなかったけど、はっきり聞こえた。
みんな同じ思いである。
そして、二回戦は、一対零で紫の資盛組の勝利となり、一勝一敗となった。
少し休んで三回戦目である。
紫の資盛組も二回戦の時の運動量の多さが堪えたのか、見た目でも明らかに疲れているのが分かる。
かといって白の宗盛組も休んでいたわけではないので相当疲れているのは同じである。両組とも何故か疲れているから辞めようという思いはまったくないようで、むしろここでは、「絶対にやめられない、決着をつけたい、勝ちたい」の思いが大きく、子供ながらもこんなに気力が充実しているのは初めてのようであった。
だから、「しんどいけど楽しい」である。
冬の寒さは、誰もが忘れ去っている。誰もが目の前の子供たちを見て空を忘れていた。
空気は冷えている。確実に雲は何かを告げているようであった。
三回戦が始まろうとする時である。平家の重臣右大将平宗盛のところに一人の家臣が近づいてきた。直ぐに薩摩守平忠度、大納言平時忠などが顔を集めた。
壇上の平家の重臣が騒がしく、いつのまにかその空間だけが、春一たちの唐風蹴鞠への関心がまったく消えふせ、なにやら違う意味での興奮が見えているのである。
周囲の者もその異変に気づき、唐風蹴鞠への関心から壇上の動きへの関心へと変わっていった。
「あの、狸が」平時忠が一言つぶやいた。
上座の壇上が騒々しくなってきた。人の動きもなにやら喧騒なものになり、試合を始めるための鐘も突くものがいなくなった。
今まで、大人も子供も夢中になっていたが、そこは、やはり大人にとって唐風蹴鞠は子供の遊びである。他に何か事あると興味は直ぐに移るのである。当然重大事項であればなおさらであるが。
その場は完全に何か重大なこと、つまり、「平家のとって重大のことである。源氏との戦が始まるのか」ということをみなが察知したのである。
当然、平家の武将である平清宗、平知章、重盛の子平有盛、平師盛の兄弟もいつの間にか武将に戻っていた。その場の雰囲気を即座に察知したのである。
平能宗と平忠房は、兄達が顔色を変えて険しい表情に変わったため、何かあることを感じたが、興味はまだ、唐風蹴鞠にいっており、試合が始まるのを待っているのであった。
薩摩守平忠度が急に壇上に立ち上がり、「たった今、京を探らせていた者から知らせが来た。正月二十六日、法王から源範頼と源義経に平家追討の院宣が下された。源氏は直ぐにでも京を発ちこの福原に向かってこよう。」
その言葉で屋敷内は一斉にざわめき出した。平忠度の次の言葉が「何か」に関心事が集まりざわめきは収まらなかった。
話しが上手く出来ない右大将平宗盛は、後ろに控え、平清盛の義理の兄に当たる大納言平時忠が口を開いた。
その瞬間、静まりかえったのである。
大納言平時忠は、、「平家にあらざれば人にあらじ」と豪語したとも伝えられ、平関白と呼ばれ、京では恐れられていた。
威圧を持った言動は、衆を黙らせ衆の中で彼が口を開くとおのずと静まる。当然と言えば当然である。
「先日、二六日に京におわす後白川法皇から静憲法印が届いていた。源氏との和睦を法皇自らが取持つとの事であった。が、しかし、今申した通り、二六日法皇自ら今度は源氏に平家追討の院宣を降された。わが方が、油断することを誘うためかどうかは判らない。」
平家は、戦に対し心積もりをしていたが、急に目の前に現実としての「戦」が迫れば、無条件で不安が迫る。それを払拭するために大納言平時忠の演説は続く。
「源氏はこの福原に今にでも戦を仕掛けに来るであろう。直ちに、迎え撃つ準備をする。今我が方は、二万の兵を有し、海上には五百隻の船を浮かべ、屋島の本営においても兵は備えている。それに比べ、源氏の兵の数は、東国からの兵は来ておらず、義仲追討の兵、一万程の兵が京に居るのみ、我が方の勢い、負けることは万に一つもない、かといって油断するものではない、直ちに戦の準備に掛かる。
今から、この雪の御所は一の谷の城として扱う、帝や公家衆は、沖の御座船に避難していただくこととし、船上からこの平家の活躍でも見物していただくこととする。
主だった将は、軍議に集まるよう。以上である。」
公家衆や女官は、今にも攻めてこられるのではないかと恐怖におののき、ざわめきたった。
武将の不安は、大納言平時忠の言葉に力強さを感じたのか、こんどは、体の底から何やら燃え滾るものを感じ、興奮してしまっていた。
そんな中、右大将平宗盛は、一人違うことを考えていたのである。
「早く、平資盛達を安全な戦場に行かせ、我が子達も幼帝警備と称して御座船に乗せなければ、と」と子供たちの安全のみを一人考えていたのである。
多くの平家や源氏の武将の中でこのような考え、視点に立ってものごとを考えているのは恐らくこの男だけであろう。
春一はと言えば、大分この世界になれてきたのか、黙って庭の隅でおとなしくしていた。聞いても分からないので、砂いじりをしながら、誰にも分からず遊んでいたのである。
春一の関心事は、この後試合をするのかしないのかであり、どうなるかである。
「取合えず砂遊びでもしてじっと待っていよう」ということである。
春一が砂いじりに少し夢中になっていた瞬間、いつのまにか回りから人が消えてしまっているのである。
やはり、今まで多くの人が集っていた場所が急に誰も居なくなってしまい自分一人になってしまうと急に寂しくなるものである。
全く誰も居なくなってしまったわけではなく、話す人が誰も居なくなってしまったということである。
小学六年生の春一にとっては、話しの内容はなんとなくわかるものの、事の重大さは分からないというより、感じないのである。
その辺、幼帝や平家の者達との違いである。
みんな言葉を交わすことなくいつのまにか居なくなってしまった。
庭に残っているのは、春一とこの屋敷で働く庭師や御所内を警備する役人が数人いるのみである。宮廷内では今にも源氏が攻めてくるのではないかとの思いが広がり、女官などが早く御所から退去しなければと考え慌ただしく動き回っている。
春一は、何か取残されているようで不安な想いと、中途半端に終わってしまった試合に対しやり残してしまった想いとかが重なり、うな垂れてしまうのである。
普通なら誰かにこの想いを打明けて、それなりに気を取りなおすことも出来るのだが、この世界では誰もいない。一人で立ち直らなければならないのである。
春一は何もすることはない。一人自分の小屋に戻ろうと歩き出した。
歩きながら何故こんなに寂しいのか、悲しいのか考えると。
春一の心の想いは、試合が中途半端に終わったことでも、一人取残されたことでもない。
心から話しが出きる友が居なくなる事、そのことに春一は一番悲しんだのである。
一人、半べそになりながらぽつぽつと小屋へ戻っていくしかないのである。
小屋に戻ってしまうとよけいに寂しくなる。自分はここでは一人ぼっちだと言う事を思い知らされるからである。
もう、誰一人として訪ねて来る者がいない。今まで師盛が何時も遊びに来ていた。叱られても屋敷を抜け出し春一の小屋に遊びに来ていた。これからは誰も来てくれないだろうと思うのである。
毎日来る師盛、喧嘩をして別れても、また明日には、やって来る。
春一も密かに自分の事を打明けるが、何時も御伽噺を聞くように笑っている師盛は戦に行ってしまう。
昼間の楽しさと今の状況とに差があり、小さな子供にはそのギャップの大きさがよけに応えるのである。
屋敷内の騒がしさとは裏腹に、春一の小屋の中だけは静かだった。
雪の御所の中、今は一の谷の城と化したが、その一室で軍議が開かれていた。
平知章の父新中納言平知盛を中心とした軍議である。
平家一門では智謀の将として自他ともに認められており、こういった場所での中心はおのずから、平知盛が中心となってしまうのである。
若干三三歳の若さであるが、理路整然とした作戦の組み立ては皆が納得するものであった。そのため、右大将平宗盛、薩摩守平忠度、大納言平時忠などが全く口を挟まず平知盛の指図に従うことから、誰も口を挟むものはいないのである。
今回の源氏を迎え撃つための兵の配置であるが、当然、生田の森が主流となることは承知のことである。考えられることは、反対側の一の谷の西の手の明石口の防御である。
福原での戦となれば、生田の森から明石に掛けての東西に一里ほど長く伸びる戦場である。その辺のことを考えての兵の配置を決めなければならないとしている。
「もし、西の手の明石口からの攻撃があるとしても、そう大人数になることはあるまい。源氏軍には船がない致命的な欠陥がある。船を持っていれば、海を回り込むといった策も考え出せそうだが、それはないと考えて良いだろう。丹波方面から回り込むのは行くには行けるが、この冬山大人数ではあまりにも厳し過ぎる。さりとて、兵の配置をせずに置くわけにも行くまい。弐千ほどの兵を配置し、残り一万五千の兵を生田の森へ移し、それと同時に本営を一の谷の城から生田の森に移す。」「中央付近は、北側が須磨の崖、兵馬が責めて来ようにも降りて来られまい、まずは、本営の生田の森で勝つことである。」
右大将平宗盛は、少し心配そうな声で「平資盛、平有盛、平師盛の者が丹波方面へ五百名の兵を引き連れるが、五百では、不安ではないか」
「今も申し上げたように、丹波方面から源氏の兵が押し寄せてくる事はまずない。来るとしても、せいぜい五百程度と考えて良いのではありませんか。不安であれば後五百名程の兵を付け丹波方面の防御と致しましょう。」
平知盛の増兵の言葉に安心したように、平宗盛は頷いた。
他の家臣は、何故丹波方面に千の兵をつけるのか、それならば始めから明石口に千名の兵を増やしておけばよいものをと疑問視していた。
ただ、平知盛の言葉であるため、誰も口には出さなかった。
「詳細は、追って沙汰を出す。各々方、準備は怠らずお願いも申す。」
の右大将平宗盛の言葉で終わった。
倍の兵力を持つ平家の者としては心に余裕があった。そのため少しの疑問もさほど問題とせずに終わったのである。
源平の時代までの戦には、奇襲というものを用いて戦うという概念があまりなかった。
この時代、戦の始まる前に互いに向い合い「やあ、やあ、我こそは、何処の何々」と言って、堂々と向い合ってするものと考えられていた。知盛も当然奇襲というものはないという前提で作戦を立てていた。
にもかかわらず、丹波方面に兵を置くことは、他に意味がある。
まず、丹波に兵を出す。その訳を知っていたのは、平知盛の他、平宗盛、平忠度、平時忠の四名のみであった。
平時忠は、「右大将殿には困ったものじゃ、子供に甘過ぎる、年若であっても有盛も師盛も平家の武将じゃ、我が子だけでなく、平家の若者を大事にしすぎなのじゃ。」
平忠度は、「確かに、丹波では戦はなかろう。もし福原での戦いが不利になれば平内兵衛清家に、丹波から明石の口へ出て、船で屋島に行くよう言いつけてある。準備万端じゃ、そこまでして、子供達に戦をさせずにおこうとはのう。平家の将来のためと宗盛殿は言うが、子供が可愛くて仕方ないのじゃろ。」と言って時忠に返事を求めた。
「あのお方は、心よい人よの、だから憎めぬし、皆から憎まれぬのじゃ。しかし、武将としては失格じゃ、京におる時ならいざ知らず、今は戦いのときであるのに武将にはなれぬお方、その優しさが平家の統領としての尊厳を失わなければよいが、それが心配じゃ。」
「そのとおり」
と平時忠が応え、平忠度が同じ考えであるのを確かめたかたちとなった。
二九日の朝、春一が目覚めたとき雪の御所は確実に城へと様相を変えていた。馬が庭にひしめき合って、気の早い鎧を着た武将が行き交うのである。
春一は行き場を失った形となりどうしてよいかわからない。日頃春一の世話をしてくれる楓と言う女官も朝から姿をあらわさない。小屋でじっとしているしかないがどうも落ち着かないのである。
春一は、どうしようもないが小屋から出ては部屋に入り、出ては入りしていた。
小屋にいるときである、表で馬の泣き声が聞こえ、馬の蹄の音が扉の前で止まった。一頭だけではないようだ、数頭の馬のようであった。
春一は、表に飛び出した。
そこには、美しい鎧姿の平有盛、平師盛、平忠房の三人が馬上の上の人となり並んで立っていた。
まるで、五月人形そのものであった。
平有盛が
「よお、春一、私と師盛はこれから戦に出かける。忠房は帝と共に御座船に乗込み帝の警護になるが、しばらくの別れじゃ、昨日までお前と遊んでいる時は楽しかった。あんなに何もかも忘れ遊んだことなど今まで一度もなかった。お前のおかげだ。お前との蹴鞠勝負は暫くお預けとなったが、次は必ず勝つからな、」
有盛と始めてあった時、春一より年長でしかも平家の少年武将の中でも実質大将として扱われるにもかかわらず、春一と安徳天皇が遊んでいる中に寄って来た。始めてあった時からあまり奢らず控えめで、優しい兄のように春一はずっと感じていたのである。
平師盛は、春一と一番気が合った友達であった。年齢も同じぐらいで、お互い「我」をあまり張らないのが、お互いをひきつけあった。春一の小屋に毎日遊びに来てくれたのも師盛で、二人だけの時は、お互い「春一」、「もろ」と呼び合っていた。
黙って春一の小屋に泊まったときは、二人して兄の平資盛に叱られたが、そのときは、以前のときのように黙らずに、師盛自身自分が勝手にしたことと言い張り、春一には一切責任を負わせなかった。
師盛は、春一の不思議な知識に感心し、身分とかにあまり気が回らない師盛には何やら春一がこの地に祭られている住吉の神の化身か何かに思えてしまうときがあった。
平師盛は言った「春一、私達は戦に行くが、おそらく敵とは会わないだろうとのことだ。
我々の総大将は兄の中将平資盛で、兄の言うには、「源氏は戦力が不足している。恐らく生田の森で槍合わせをして、すぐに引き上げるだろう。」とのこと。法皇の院宣が出たために仕方なく兵力不足で戦いに挑んでくるのではないかといっている。春一、戦に勝って早く京の我が家六波羅に連れて行ってやりたいよ、京は良いところだぞ。」
春一は、「僕もみんなを僕の住んでいる所に連れていってあげたい」
「楽しみにしているよ」
「それと、本当にこの地べた丸いのか、月も、太陽も」と平師盛が聞いたとき。
遠くで、平資盛が、「おい、急ぐぞ早くしろ、」と声が聞こえた。
「蹴鞠も楽しかったけど、春一の小屋で寝た時が一番面白かったぞ、お前の話は、次から次へと聞いたことも考えたこともない不思議な話ばかりだ。宇宙とか言うこの空の話、また聞かせてくれ、春一、お前に会えたことで、これから楽しいことがいっぱいありそうな気になる。次は、我が屋敷で一日中話そう。」
平有盛が「春一、泣きそうな顔をするな、分かりやすい性格だ、心配はいらぬは、船に乗って海から我々平家の強さを見ておけ、」
もう一度「行くぞ」の声がしたので、急いで平資盛と平師盛は馬の腹を蹴って、「春一、直ぐ遊べるから、…実は俺達行きたくないのが本当のところだ。本当の戦などしたことない、大きな声では言えないけど敵に会ったら怖いのだ、お前だから言えるど、・・・・さらばじゃ」と平師盛が最後は悲しそうな顔でいった一言「さらばじゃ」が妙に春一の心に残った。
春一は、もう師盛に声は届かないのは分かっていたが、「師、待っているから、もっと面白い話し、してやるから、やっぱり行くなよ、」と、声が小さくなりながら、何故か涙がこぼれてしまった。
「もろ」の姿は、鎧兜に刀を携えていたのである。春一にでも、刀の意味は分かる。
あんなのを振り回して戦う怖さを、
平忠房が一人残っていたのに気づき、春一は涙を拭いて平忠房に言った。
「忠房、お前戦に行かなくていいのか、小さい者な、良かったな」
平忠房には、役目があった。春一をつれて平清宗のところに連れて行くことである。
平清宗は、右衛門督として安徳天皇の警備のお役があり、平能宗とともに安徳天皇と一緒に御座船に乗り込んでいるのである。
この辺りは父、右大将平宗盛の計らいであり、平家の若年のものは、何らかの形で福原の戦場から遠ざけられていた。
春一についても始めは、平宗盛の計らいで安徳天皇と同じ御座船に乗る予定であったが、藤原隆盛と二位の尼の進言で別の唐船に乗ることになった。
その進言とは、もともと春一は、安徳天皇の影武者として宮中に置いている者、海の上では、影武者は要らないのではないか、もし、必要ならば、別の船に乗せ、あたかも春一の乗った船が御座船として、源氏の的になるように仕掛ければよいのではないかというものであった。
この案に平宗盛は了承した。現在の源氏の戦力を見ると海上での行動はないと考えてよかった。源氏は、船を持っていないからである。それともう一つ、息子平清宗は、右兵衛の督として平能宗と共に帝の護衛として船に乗る予定である。帝と息子の安全のためにも偽の御座船をこしらえることは上策と考えたのである。
偽帝である春一の警備に平忠房が当たっているのである。
春一はもちろんそんな段取りになっていることなど全く分かっていない。もちろん知らされるものではないが、ただ、平忠房に就いて宮中に行き、雑袍(普段着)から綾羅錦繍(りょうらきんしゅう・絹織りの高級な衣類)に着替えさせられるのを黙って従っていた。
春一自身そうすることに慣れていたのである。
福原の街で商いなどしている者の多くは店を閉めてはいるが、平家との繋がりのあり、商家は家の中での退避している。小間物屋などは店をたたんで何処かに避難しているのだろうが、街そのものには人気が少なくなったということはない。むしろ、戦の見物でもする気かどうか、雑兵に混じって百姓・町人も見え、雑多な雰囲気の街になっている。
人は居るが店は何処も開けていない、当然人は何処かに集まるのだが、集まると、戦のの話しが飛び交う。
そんな中、牛車を護衛する形で平忠房を先頭に煌びやかな隊が一の谷の城から須磨の浜に向かって福原の街を練り歩いた。ひっそりとではなく、なるべく目立つようにである。
牛車には、春一が乗っており、街では、暇を持て余している兵や野次馬根性で戦を見ようと町に居る百姓・町人がその列に集まってきた。
平家のねらいもそこにある。その牛車の者、それは春一であるが、その春一が乗込む唐船をこの群集の中に必ず居るであろう源氏の間者に判らせるものである。
春一にとってこの世界に入り込んで、宮中からほぼ出たことがなかったのである。宮中の中で色々なことが多過ぎて外の世界のことまで気が回らなかったのか、今まで御所の中から外に出たいと余り思わなかった。
それでも外を全く意識しなかったかと言うとそうでもない。父辰夫がきっと外で待っていると思ったからである。春一自身御所内での生活が安全であった事、サッカー(蹴鞠)等してそれなりに楽しかった事で父辰夫への想いを紛らわしてくれたのである。
牛車の中であっても外をこうして練り歩くこと、外の景色より、父を探してしまう。もし父がこの行列のことを知っていたならば必ず見に来てくれると思った。だから、目を凝らすように人の顔ばかりを見ているのである。
牛車の中からの景色は、簾越しのもので遠くがほとんど見えない。一月の寒い日である。この行列を見に来ているものは、そうみすぼらしく見えない。春一にはこの時代の生活が不便そうには全く見えなかった。ただ子供が全く居ないのには不思議に思った。
戦時下の街であるから当然ではあるが、春一にはそんなことまで頭が回るはずがない。
人ごみの中、列を成して進んで行く。須磨の海岸には日の丸を掲げた唐船が停泊している。春一達は、須磨の海岸で小船に移り、唐船へと乗込んでいった。
牛車から降りた春一を見て誰もが、「あれが、天皇かと見て居たのである。それなりの煌びやかな服装で、年恰好も同じ位の男子であったなら、みんな信じるのは当前であった。
春一は、落ち込んでしまった。父の顔を見ることが出来なかった。「何故居なかったのか、居たけど見つけられなかったのか、牛車の中で一人、父は居ないか探していると余計に父のことばかりを思い出し、雪だるまのように父への思いが膨らんでくるのである。
牛車から降りて、周囲を見渡しても見つけられない。小船へ乗込む時何度も何度も振向いて、いつのまにか涙がこぼれてしまっているのに、それも気づかず見渡していた。
今日から春一専属に就けられた女官は、春一の顔の白粉が取れ、みっともなくなることを恐れ、春一を早く小船に乗るように急かした。
小船は、日の丸を掲げた唐船に横付けされ、いかにも「この船に帝が乗っている」と見せかけた。
春一は停泊している船の上からこれから始まる悲惨な一の谷の戦いを見ることになるのである。
平家では、源氏の兵を迎えるための兵の配置はほぼ出来あがっており、ほとんどが生田の森に集結していた。
第六 三草山の戦い
辰夫と管六は、一郎に言われ、鷲ノ谷村に向かって歩いていた。
一郎の言うには、「どう見ても、辰朝さんは戦にゃ向いていねえ、かといってこのままこの福原に居たんじゃ、嫌がおうでも戦に巻き込まれる。辰朝さんは、わし等が京へ上ったときには、もう一働きも二働きもしてもらわなければならね。この戦が終わるまで一つ村で休んでいてもらうことにする。」と言うことである。
一働きも二働きも出来るはずがないのである。ここでいちいち否定するのは、面倒であるから、その部分は黙って流した。辰夫にしてみればこの福原の街を離れるわけにはいかないのである。息子の春一が居る限り、自分が巻き込まれなくても春一が巻き込まれてしまっては同じである。確かに辰夫が居たからといってどうしようもないが、それでも春一の居るこの場所を離れるわけにはいかない。
かといって訳もなく渋っていることも出来ない。
自分の主人の子供である春一が薩摩守平忠度の屋敷に入ったままであること一郎に話し、行方を確かめたいと言い、ぐずぐずしていた。
辰夫自身鷲ノ谷村へ行く事を渋っていると、帝が御座船に乗込むという噂が流れてきた。
辰夫は、二月一日にここを出発するという約束を一郎として、一郎達と分かれた。
一郎達は、平資盛の家臣として、丹波方面へ行った。山中での軍行であることから、道案内も含め、一郎立ち猟師隊が先頭としんがりを勤めることになった。
先頭を行くのは、もちろん一郎を頭とする鷲尾村の数名のもので、次郎も一郎に追従した。
先頭であることから、丹波方面の平家軍の総大将である平資盛の目にも止まるであろうとの考えもある。それなりに気合が入ったものであった。
しんがりには、三郎が当てられ、ほぼ千の兵が山道を縦に軍行する。しんがりの三郎は、当然先頭の声も聞こえないほどの距離である。
一郎は、辰朝が一日には鷲ノ谷村へ向かうとの約束を違えることがないよう、管六を辰夫の目付けとして付けた。一郎にすれば管六は自分の言うことを聞くものと確信していたからである。
辰夫にすれば、二月一日帝が船に乗るところを見て鷲の谷村に向かおうと考えていたのである。
辰夫は、春一が影武者として宮中の中に居ること、秦嘉平の話しから、春一は安全であることを聞いている。当然帝と一緒にその船に乗ることになるのだろうと思った。そして、船にさえ乗れば安全であることも分かった。
源氏が一の谷の戦いで船は一隻も持っていなかったことは、この福原の港の状況と平家物語の中と一致しており、春一が安全のところにさえ行けば今は良しとしなければならないと思ったのである。
辰夫自身この時代に来て約二週間が経った。自分自身が代わってきた、というより順応してきたことに自分でも気づいていた。
変わった部分とまだ順応しきれていない部分とがある。
例えば、人の死に対する考え方である。
この時代、人の死は雑把に受け止められている。生まれてもこの時代直ぐに死んでしまうことも、勿論病気でや戦の巻き添え、強盗の類といったいくつ者命を落とす危険がある。
それらを前提とした考えで人の死は受け止められている。
辰夫にしてみればまさに戦というものに順応できていないしこれから先も違和感を持って向かい合うことになる。
話を戻す。
自分は、絶対「戦」の中に入れない人間で、どちらかというと「なあ、なあで物事を収めたい」とするところがあった。もちろん勇気もない事は自分が一番知っているつもりである。
しかし、今は違う。春一を助けるためなら戦の中に飛び込める。絶対に飛び込んでいくだろうと思っている。
それと自分自身が不安全な位置に居るこの環境に慣れたのか、常に神経を尖らせているようなことである。そのことから、用心深くなって物事を考えて行動するようになってきたのである。
平資盛の屋敷の前でやったような「勢いで逃げてしまえ」とした自分が可笑しく思えるほどである。
今、辰夫は、自分が生きてきて得た知識と経験をフルに使って春一を助け出すことだけを考えようとしていた。そのためには今何をしなければならないかを考えなければならないと思った。
辰夫自身、これから始まる一の谷の戦の結果は分かっている。平家物語の通りであればおおよその戦の流れは知っているつもりである。その中で何時春一を助け出すかが肝心なことである。
単純に考えて、船の上に居る春一を助け出すことは出来ない。「幼帝と一緒に船に乗る」とするならば、船に乗り込むまでの間に助け出さなければならない。
船に乗ってしまえば、次の機会を伺わなければならない。
春一が船に乗ること自体は戦場から離れ安全の海上に行くことで、海上は危険なところではないのであるから、無理して助け出さなければならないのではない。
もし、春一が帝の御座船に乗り込むための行列に並んでいたなら、そして、その行列の端にでも歩いていたなら、助け出せるのではないかと考えていた。
何故なら、重要なのは牛車に乗っている帝とその近辺の供の者だけだろうし、後ろの方で物持ち程度に付いて来ている者など何かの騒ぎで居なくなっても、この有事の際であることから探し回ることはないだろうと考えた。
辰夫は、帝が須磨の港で牛車から降りて小船に乗るときに騒ぎを起こし、帝達が慌てて船に乗り込む時を狙って春一を助け出そうと考えた。
その騒ぎを起こすことであるが、危険なものであっては行けない、自然現象の中で偶然起こることでなければならない。そうでなければ、騒ぎを起こした自分は直ぐに捕まってしまう。捕まってしまっては、元も子もない。
辰夫が考え出した答えは、この冬場、六甲の山から吹く北風を利用しようとのことである。ありったけの紙や布を少しの風で舞上がる用にして、風上から一斉に飛ばすのである。
そういった光景は、辰夫ならばパレードなどの行事でよく見るが、この時代の者では異様に見える。その紙吹雪が多ければ多いほど騒ぎが大きくなるはずである。
当然、その紙吹雪を起こした者は捕らまる恐れがあるが、紙吹雪自体危険は感じないもので、言い訳次第ではその場で終わる。
今日決めて、明日決行となれば、準備を考えてもこれぐらいのものしか考えつかないのが残念に感じてはいたが、それでも辰夫は春一を助け出すための手段として必死であった。
辰夫は、夜通しで準備に取り掛かった。管六には手伝ってくれとは言えなかったが、一郎達から辰朝の供を言いつけられ、鷲ノ谷村へ行くことになった管六は戦に行かなくてよいことが、相当気分よくなったのか、辰夫のしていることを訳も聞かず、おどけて手伝ってくれた。
明くる日の朝、辰夫は帝が船に乗り込むのを見ようと徹夜で作った紙吹雪を山ほど抱えて須磨の港へ出てきていた。牛車の列の先頭を行くのは、年端もない子供の武将である。この列の何処かに春一がいるのではないかと目を凝らして探していた。
辰夫は猟師の格好をして隅で見ている。今、春一と顔を合わすわけには行かない。それが辰夫の出した結論である。今春一と顔を合わせても互いに抱き合うことも、手を繋ぐことも出来ないのである。何も出来ない、むしろ春一を危険な目に合わすだけである。
春一を助け出すことが出来て初めて出来ることで、今は目立たぬようにそっと隅で春一を見つけ、予定通りであれば、自分が考えた作戦通りにするだけである。
行列の中から春一を見つけられなかったら、じっとしなければならない。
辰夫は、帝の行列を隅から隅まで目を凝らして見ていた。一人一人顔を確認した。何度も何度も、春一が居ない、この行列に居ないということは、まだ何処かの屋敷に残っていることになる。
源氏の軍は、京を立ちこちらに向かっている。
行列に居ないことで春一の危険が増すことになる。
辰夫は、いつのまにか春一が必ず船に乗ると考えていた。よく考えると船に乗るということに対して何の保証もないのである。平家にとって春一は、どうでもいい少年である。
そう考えると辰夫はだんだん不安になり、その行列を何度も何度も見つめ、その中にいることだけを願うようになっていた。どんな形でもいい、召使のように扱われてもいいから、船に乗って欲しいと思った。そして、今、生きているという証拠である、顔が見たいと願ったのである。
「必ず居る、必ず居る、」と心で願い探しているうち、帝の牛車は、港の小船近くまで着いたのである。
馬上の平忠房が供の者に馬から下ろしてもらい。牛車の横まで来て幼帝が牛車から降りてくるのを待った。
群集は、幼帝を一目見ようとその付近に集まって来ていた。
辰夫は、帝のことはどうでもよい、春一は何処に居るのか、絶対に見落としているはず、と行列の一番後ろから、もう一度順番に一人一人、丁寧に見て回った。
笠をかぶる者は下から覗くように、老若男女を問わず一人一人確かめたのである。
「居ない、居ない。」と辰夫の不安が膨らんでいる時、横で管六がふっと一言呟いた。
「天皇て、子供と聞いていたけど、あの子見たことあるような気がするな」
辰夫の頭に「影武者」の言葉がよぎった。
辰夫は、始めて帝の方に目をやった。小船に乗り込んだところの幼帝の顔を見て、涙が止めど無く出てきたのである。
「春一・・」と小さく呟いて、小船をじっと見つめた。瞬きもせずじっと、もしかすれば「もう、二度と見られないのでは」の想いが頭をよぎったが、直ぐに打ち消し、「必ず、必ず助ける。」と心で叫び、涙で顔をくちゃくちゃにしながらその場に立ち尽くしていたのである。
昨日から考えていた「春一救出作戦」であったが、今袋いっぱいに持っている紙吹雪の紙が何と空しく感じることか、「でも、いいか」と心の何処かで安心もしていたのである。
春一が安全に船に乗り込むところは見ておきたい。春一さえ安全ならば、と今は思ってしまった。
春一は、帝の影武者として海上に浮かんでいる唐船に乗り込んだ。辰夫は恐らく安徳天皇は先に別の唐船に乗っているのだろう。今回の戦は、平家が負けて、本陣である屋島に逃げていくが、安徳天皇はもしかしてもう、屋島に避難しているのかもしれない。そのカモフラージュとして、春一を帝に仕立て唐船を沖に浮かべておくのだろう。ある意味、安徳天皇は、平家の旗印としての役目も負っている。天皇がいる限り平家が官軍として見られ、諸国の国司の中には、源氏、平家のどちらに就くか日和見をしているものには官軍を意味する安徳天皇がこの福原にいることは有効である。
旗印にされた春一は、ある意味危険であることは分かるが、史籍では、安徳天皇の危機は伝えられておらず、この須磨の港での海戦はない。
結果がわかっているため、辰夫は、絶対はないにしろ安心はしている。
辰夫は、春一が一先ず船に乗ったことに安心して、管六と一緒に鷲ノ谷村に向かった。
鷲ノ谷村は、有馬を抜けると尾根沿いに一山越えた所にあった。
辰夫は山男ではないが、警察の仕事の中にも山歩きの捜査もあることから、非番に同僚達と京都東山の修学院下のきらら坂から比叡山山頂にある消防高所カメラ、無線基地を越え、比叡平を回って大文字山に下りてくるコースを一日掛りで行ったことがあった。
そのとき、相当きつく感じたが限界ではなかった。時間は掛かったが、日の暮れまでに帰ればの気持ちがあったことと、比叡山山頂といい、比叡平といい、路線バスが走っているところを要所、要所通過していたため、安心感もあり、歩けた。
明くる日、市内から、東山を眺め、「よう、あれだけ歩けたな」と一人感心していたのを思い出された。
今回の鷲ノ谷村への道のりは、それよりも楽に感じられたのは、猟師の管六の道程が良かったのが原因だと思われた。
鷲ノ谷村につく頃には完全に日は沈んでしまっていた。冬の透き通った空気の中での月明かりがこれほど明るいものと辰夫は始めて知った。時間的には早く日が沈んだものの、夕方六時頃だろうと感じた。山の頂きから、村の明かりが見えたのを見て、管六が「あれが鷲ノ谷村じゃ」と指を指した。
ずっと歩いていたせいか、辰夫は寒さを感じなかったが、村に着く頃には、気温の下がり具合がはっきり感じられ、辰夫にも雪の匂いがした。
管六は、「今晩から雪が降りそうじゃ、積もるかな、」と独り言を言ったのを聞いて、
辰夫は、「野宿は寒いだろうな、未だ野宿はしたことないから」と辰夫も独り言で返した。
野宿とは、一郎達のことで、雪の中でよく休めるなと思ったのである。
それには、管六がはっきり応えた。「猟師でも火もない雪の中では止まれねえ、三草山までには、幾つか村がある。何処かの村で止まっている。」と言った。
集落に入ると、意外とざわめいていた。失礼ではあるが、こういった村では、日が落ちると皆寝てしまうと辰夫は思っていた。
村に入ってからは、村人が管六に声を掛けながら、辰夫の方を必ず足の先から頭の天辺までしっかり見ていた。
辰夫は、村人が、スノーボードの板のようなものを足にした台車を手入れしているのが気に掛かった。
辰夫は、管六にあれは何をしているのかを聞いた。
「雪用のそりじゃ、この辺り、冬場は雪が積もったら溶けない。雪の中で物を運ぶのに荷車の足に使ったり、馬でひっぱらしたりと重宝しておる。そりの部分だけがよく壊れるので、付け変えられるようになっている。」
辰夫は、足の部分のそりが気になっていた。スノーボードの板と同じ形状であったからで、夏は、ウインドサーフィン、風が止まれば、スケートボード、冬はスノーボードと板物のスポーツには目がない辰夫にすれば「久しぶりの遊び道具」に見えたのである。
「管六さん、あのそりの部分だけ貰えませんか。」と辰夫が管六に珍しくねだった。
「雪が降りそうだ」との言葉は、直ぐに当たった。さらさらの粉雪が透き通った星空から落ちてきたのである。雲一つないのに、
「雪の匂いがする」辰夫には雪のにおいが分かるようで、鼻の奥が「つん」として、「何もない匂い」を感じるのである。「無臭の匂い」全ての空気から臭気を取り除いた匂いのように感じるのである。
「辰朝さん、鷲尾の家に行けばきっと余分に幾つかある。それを貰えばいい、でもそりだけ貰ってどうするの」
「私の遊び道具です。」と辰夫は答えた。
「遊び道具、偉い人のことはわからねえ、丸い玉を蹴ったり、こんなそりで遊んだりと」と、管六にとってどうでも良いことなのであった。
鷲尾家は、村の入り口付近か一番奥に入っていかなければならない。それでも山間の村で、所々民家が途切れてはまた集落があったりする。最初に家並みを見つけてから15分程歩いた村の一番奥に鷲尾家があった。
鷲尾家についた頃には、さっきまで透き通った空気の中の星空であったが、今は星が全く見えず、押し迫るような曇空へと変貌し、勢いよく雪を降らせていた。
管六は、鷲尾家の門を潜った。この辺で門を構えているのは鷲尾家ぐらいのもので、これだけでもこの村の長だとわかる。
門を入ると、小夏が飛び出してきた。
「いらっしゃい、お公家さん寒かろう、中で温まれ、みんな待っているぞ」とまるで今着くのを知っていたようなので、辰夫は、「小夏さん、今着くのを知っていたのですか、」と聞いた。
小夏は、辰夫達が村に入った頃にはこの鷲尾家に連絡が入っていたと言った。
辰夫はこんな時代だからと言って、情報力は馬鹿に出来ないと思った。
鷲尾家では、辰夫はほぼ歓迎されていたと言っていい。
鷲尾家頭首鷲尾庄司は、「お公家さん」と少し馬鹿にしたところはあるが、もてなしてはくれた。歳は、五十前に見え、いかにも山の者の体型で、背は低くやっぱり獣の毛皮を羽織っていた。テレビで出てくる役者と同じ格好には、辰夫自身驚いた。
この鷲尾家頭首が、辰夫の顔を見るなり挨拶どころか自己紹介なしにいきなり質問を浴びせた。
「お公家さん、小夏の話では、不思議なことをよく話されるようですね。一つ聞きたいことがあるんですけどね、今から十四・五日ほど前のことですがね、福原の方角だと思うんですけど、真っ暗な朝、空から虹のようなものが降ってきたんですよ。あれ見られました。ちょうど、一郎達とお公家さんが会った日の朝ぐらいの時じゃないですかね。
いやね、この鷲ノ谷村でも今度の戦のことを考えていたときのことでもあり、岩神社の宮司の言うには、「不吉なことが起きる予兆だ」と言うですよ。今度の源氏と平家の戦は、この村の位置からしてもどちらにも加担しないと言うわけにはいかない。以前管六の村では、平家に取り潰されている。ここは思案が必要、平家に加担して、平家が負ければ源氏の兵にやられる。それの逆もまた同じ、村では、ここは一つ勢いに乗る源氏への加担と決まっていたときのことで、宮司の「不吉な予兆」で平家に加担することに変わった。ほんとに「不吉な予兆」ですかね。」
辰夫は、話し口調からして鷲尾庄司はこの平家に味方する決定自体余り気にしていないようである。
自分の息子一郎がすでに平家の家臣として動き出しているのである。必然的に平家に味方するのは当たり前である。
ただ、知識人である公家の辰夫から肯定するような意見が聞き出せれば、自分が下した判断が正しく、村人を納得させられる。と思っているのである。
宮司の「不吉な予兆」も庄司が言わせたものではないか、鷲尾庄司自身平家に加担したかったのであろう。しかし、村の雰囲気からして源氏に傾いている意見をひっくり返すにはそれなりの理由が必要で、そんな時真っ暗な朝の空に虹のようなものが降ってきたのを利用したと辰夫は思った。
辰夫は、福原で一郎達から、「頭は、平家贔屓」と聞いていた。それに平家の家臣になるよう一郎達に平家の屋敷を回らせていたのも知っているのである。
辰夫は、「虹のようなものが振ってきた」とは、恐らくオーロラのことだろうと思った。
庄司にオーロラの説明は出来るが、それを理解できるかと言うと疑問である。
辰夫は、オーロラのことを自然現象の一つで、吉でも凶でもないと説明した。
ただ、オーロラが何故、福原である神戸の上空に見えたのか、その事のほうが不思議であった。
辰夫の説明に庄司は、それなりの解釈を自分でつけて、平家に加担することに納得していた。
辰夫はここに着いた時から気になっていたそりの脚の部分、スノーボードの板のようなものを貰えないか頼んでみた。
庄司は二つ返事で了承し、真新しい、手入れがされたものをくれた。
辰夫にしてみれば、暫くこの山の中で暮らす事になりそうで、外は雪が積もり出している。手持ち無沙汰を解消するための道具の一つぐらいは確保しなければとの思いがあったのである。
辰夫は、直ぐにその板を持ち、小道具で自分の足が乗せられるように作り直した。
鹿の皮で作った靴のようなものの底に藁草履をあてがい、板にくっつけたのである。
意外と簡単に作れたことと、面白そうなこととで、一人うきうきしていた。
庄司達は、囲炉裏を囲んで戦談義に花を咲かせていた。
庄司が「鷲尾一郎、がこの播磨の国司となって帰ってくることになると、鷲尾次郎、はどうじゃ、……そうじゃ鷲尾三郎……・」
「鷲尾三郎」の言葉が辰夫の耳に入った。
その瞬間、辰夫は思わず大きな声で「あっ」と思わず声を出した。
みんなが一斉に辰夫の方を見たが、辰夫は何もなかったように首を振ったが、辰夫の顔色は、完全に蒼白で大変な事を忘れてしまっていた。間違いをやらかしてしまった時のように、自分の足が浮いている。まさに、浮き足立っている。
今、自分が手にしている遊び道具も「どうでも言い」取合えず三郎に会わなければ、今すぐ、「今日は何日、三郎が丹波に向かって何日目、」自分たちより、一日早く出ただけなのに、思考回路も身体の動きもちぐはぐで、右手と右足が同時に動くが、それも目的がなく、ただうろたえているだけであった。
鷲尾庄司は、そんな辰夫には気も止めず仲間と話し込んでいた。
管六は、小夏と何やら相談事をしているようである。この家での辰夫に対する関心ごとは、ここに着いたときだけで、後は余り存在感は感じていなく、辰夫のことを構うことはない。
辰夫は、何をどうすればよいのかわからない。「鷲尾三郎義久」と言う名を思い出した。
今、話しをして助けてもらえるのは管六だけである。
辰夫は、じっとしていられない。何か身体を動かしていなければ落ち着かないのである。要するに「落ち着かない」の一言である。
「管六は、今何処にいるのか、さっきまで小夏と話していたはずである。」と周囲を見渡す。
何故か「今、一分一秒が大事で、少しの無駄な時間も過ごしたくない。」身体が極端に何かに向かっているのである。
辰夫のそわそわした態度は、さすがの鷲尾庄司も気がつき、「お公家さん、どうかなさいましたか、お休みでしたら、部屋に案内致しましょう。」と声を掛けた。要は、「じっとしていないこのお公家さんが邪魔で早く部屋に行って休んでくれ」ということである。
誰かが「管六に辰夫を部屋に連れていくよう」話しにいっていたのか、少し間が空いて辰夫の所に管六がやって来た。
辰夫は何を思ったのか、そりの板を持ったまま管六と供に部屋を出ていった。自分の部屋に通されたとき、辰夫は、管六を部屋に連れこみ「大事な話しがある。」と言った。
その時には、辰夫も少し落ち着いてきてきたが、それでも何処かに焦りが残っていて、管六にいきなり、「今から直ぐに出かけたら、三郎に何時頃会うことが出来る。」と聞いたのである。
管六にしてみれば、いきなり出来もしないことを聞かれても困る、と言う顔をして、「どうしたのですか」と聞いた。
辰夫は少しずつ自分を取戻してきていた。今、いきなり管六に「自分が三郎と会わなければ、源氏が負けてしまうかもしれない。歴史が変わってしまう。」などと説明しても信じてもらえない。そのことに気づいたことは、、辰夫自身落ち着いた証拠である。
辰夫は、暫く考えた。どのように説明すれば、明日、自分を三郎のところに連れていってもらえるのか。
史実ならば鷲尾三郎は、源義経の一の谷の合戦で奇襲攻撃をする。その鵯越をするために必要な道案内人である。その奇襲攻撃の成功で源氏は勝利し、三郎は源義経から鷲尾三郎義久という名を貰うことになるのである。
今までその名前は全く出てかなかったが、鷲尾庄司が「鷲尾三郎」と声を上げて言ったことで思い出したのである。今までみんなが「三郎」か「鷲ノ谷村の三郎」しか言わなかったから気づかなかったのである。
辰夫が管六に「結果、こうなるから直ぐに会わせろ」と言っても信じるはずがない。
辰夫が考えたのは、結果を元にした作り話をでっち上げようと考えた。
作り話であるが、結果から嘘にならないから大丈夫と考えていい。
「さっき急に思い出したことがある。私達は平家屋敷に行く前、源九郎義経様の御家来の一人、武蔵坊弁慶という御仁と会いました。たまたまのことですが、大柄のお坊さんですが、京の東山、叡山の延暦寺のお坊さんだった人です。その時のお話で、九郎義経様は、必ず平家の福原を攻める時は、丹波から山を抜け須磨の口から攻め込むというお話しをしておられたのを聞いています。表の口生田方面は兄の源範頼が本隊をもって攻め、裏口から源義経様が攻め込む、挟み撃ちは戦の常套手段、このことを三郎さんに知らせなければ、急に合戦となれば道案内役の鷲尾家の家臣団は殺されます。だから急いでいます。」
管六は、何故今まで思い出さなかったのか、こんな大事なことを何故辰朝が知っているのか、不思議に感じたが、「辰朝が三郎のためにならないようなことをわざわざ言うはずがない。ましてや、この雪の中、苦労して三郎に会いたいなどと言うはずがない。」そう考えたら、辰朝を信じるかと思ったが、あまりにも何故の疑問視が多いため、暫く辰朝の顔を見つめていた。
管六は、「ほんとの事は、」辰朝の話しが全部嘘とは思わなかったが、やっぱり問い掛けてみた。
辰夫は、「今の話には無理がある。とやっぱり思った。でも本当のことを言えない、本当のことは管六には信じられないから。」
「どうしよう」と辰夫は、黙り込んだ。その黙り込んだことで管六は、「三郎を助けたいんだ」と言った。
辰夫は、「どうしても助けなければならない。」と返した。
管六は、「明日の朝一番にここを立つ、雪の中を歩くことになりますが大丈夫ですか」
辰夫は、「ん」と頷いたが、心は不安でいっぱいであった。
それを見透かしたように管六が「大丈夫ですよ。道は分かっていますから、それでは、明日の朝起こしに来ます。」と言って部屋を出ていった。
辰夫は、その夜スノーボードの板を抱きながら寝床に入った。
辰夫は寝ながら色々考えた。「自分は、京都の千本丸太町の大極殿跡発掘現場で地震に合いこの世界にやって来た。来る前に「歴史を取戻すのじゃ」と占い婆さんに言われて来た。
来た場所は、京都ではなく、神戸がある場所で今の時代では福原の街である。
見たところ歴史は順調に推移しているようだが、今このまま自分が何もしなければ、三郎は源義経の軍にやられてしまうかもしれない。やられなくても源義経の家来になることはないだろう。鷲尾三郎義久がいなければ、源義経は鵯越が出来ない事になる。兵の数から言えば圧倒的に平家の方が多く、例え須磨の口から挟み撃ちと言って攻めたてても、兵力に余裕がある平家では両面での戦闘は可能である。むしろ源氏の方が兵力の分散で余計不利になると考えるのが常套である。
源義経の鵯越では、生田の森と須磨の口の中間点に一の谷城を襲撃し炎を上げることによって、かり武者が多い平家の軍が挟み撃ちにされたと思い崩れだし、平家が敗走するのである。それがないということは、平家の勝利が濃厚と考えてよい。
この戦で、もし平家が勝利すれば、今まで日和見をしていた地方の国司は一気に平家に流れる。当然木曽義仲が収めた越中方面は、頼朝の敵となる。伊勢は平家の膝元、平泉の藤原氏も頼朝の見方にならないだろう。
歴史というものは、例え鷲尾三郎が源義経に鵯越を案内しなくてもその代わりが出てきて、きちんと決められた線路を走るように繋がって行くのかもしれない、ただ、自分達がこの時代に来たことは、歴史が線路から脱線してしまうのではないか。
歴史の線路から逸脱している事実がここに在る以上、一の谷の合戦で源氏が敗れると言う事実も可能かと考えざるを得ない。
歴史の本線と自分が思っている歴史は、守らなければならないのだろうか、それとも本線から逸脱した線路もまたよしと考えて言いのだろうか、ここまで考えるとあまりにも複雑で、もちろん結論も出ない。だが、春一と自分の二人は、何故この時代に来たのかを考えると、自分は鷲尾三郎を源義経に会わさなければならないと思った。
そのようなことを何時までも繰返し考えているうちに眠ってしまった。
辰夫は、管六が起こしに来てくれる前には起きて、出発する用意をしていた。
ひょうきんなところがある管六であるが、ごまかしの理由など語った自分を責める事もせず、自分を信じてくれた。
何なのだろう。今まで生きてきた人生の中で家族以外のものに心の底から信じて、「こいつのためなら」と心の中で思うことはなかった。
今は、「管六や三郎のためなら」との思いがはっきりある。涙が出るほど「好いやつ」で自分を心の底から信じてくれていると感じる。
三郎や管六と会ってから二週間ほどである。自分と自分の歳の半分ほどの歳のものと何故こんなに判り合えるのか、自分でも不思議である。
自分自身絶対に戦場に行くことはない、もし行かなければならないとすれば、「春一を助ける時だけである。」と思っていた。でも今から戦場に行くことになった。春一のためではない、何か自分に課せられた使命のように思う。そのために無い勇気を奮いたたさなければならない。
管六という友がいることで、その戦場へ行くことへの恐怖があるのに何故か戦えるような気になるのである。もちろん管六が自分を守ってくれるとは思っていない。ただ「一人じゃない、自分だけではない」と感じるのである。
自分でも思っていなかった戦場に出かけなければならない。
朝、まだ暗い中そっと鷲尾家を出た。鷲尾家では戦が始まるとの事で今は猟に出ていない、もちろん一郎や次郎のことも気になることも一つの理由であるが、そのため何時もより朝が遅いのである。
辰夫は、昨夜から身支度をしていた。昨日手入れを終わって何時でも使えるようにした「そり」で辰夫にとっては、自家製スノーボード風スケボーである。それを背中に背負えるようにしておいた。雪の中を歩いていくのであるから役に立つ事もあるだろうとの思いである。毛皮を纏い、足にはカンジキを履き管六と歩き出した。
昨夜からの雪はほぼ止んで、ちらつくほどのものである。一面真っ白にしてはいるが積雪そのものは、30センチほどで所々、普通の履物では少し無理がある所があり、カンジキを履くことにした。
管六が言うには、「鷲ノ谷村は山の谷にあるのはあるが、低い位置ではない。山の丘の上の平な部分でもある。鷲ノ谷村から出ると、北を目指す以外はそこから上りになることは余りなく、ほとんどが下っていくことになる。
今回三草山に向かうことになるが、始めは山の尾根に向かって、上っていくがその後は尾根伝いに歩くため、比較的楽な行程である。雪が降り出す前の昨日のうち鷲ノ谷村まで来ていたことは、幸運であった。行程が楽だと言ってもやはり雪の中を歩くことは、大変である。普通に歩くことから比べ倍以上の時間と労力が掛かる。
山歩きに就いては熟練している管六である。管六はペースを落として歩いているが、辰夫にとってはぎりぎりの所で付いて行っているのである。しかし辰夫自身何故か「へこたれる」ということは自分自身思わなかった。
管六が案内する山道も木々の間を抜けていくというものではなく比較的、道とした形のもので、歩くことに技術を必要としなかったことが辰夫の山歩きが「へこたれず」にすんだのである。
二人の会話は、平坦な場所だけである。
「なあ、辰朝さん、着いたらどうする。」
「私は、今のところ名案はありません」
「今日は二日だ、雪の中を歩いていくのだから今日中には着かねえ、途中に猟師篭りの建物がある。そこで泊まるぞ。」
「分かりました。その猟師篭りって何ですか、」
管六「猟師は山の所々に小屋を建てている。山でも嵐や大風の日はあるし、遠出の途中で泊まらなければならないときもある。今日みたいに雪の日などは、夜外で過ごせねえ、そのために、所々に小屋を置いて一夜を過ごすことが出来るようになっている。快適じゃないけど、暖も取れるし、飯もゆっくり食える。」
「その小屋から三草山までどれくらい掛かりますか」
「直ぐですよ、朝のうちに着きます。」
「今日は二日、三日か」
「三日がどうかしました。」
「いや、源氏の兵が何時攻めて来るか、思い出せなくて」
「思い出す?」
「…・分からなくて」
辰夫は、管六に言葉を濁したが、こんな良い奴に、本当のことを言わず言葉を濁してばかりいる自分が辛かった。
言えば、どうなるか想像がつかない、今、管六は、「友として」だけでなく、この時代で生きていくための相棒としての役目もあり、自分から管六が離れてしまうようなことは言えないのである。
辰夫は、歩きながら話しの話題を変えた。自分が背負っているスノーボードについて話し出した。
「このそりは、人を乗せて滑っていくことが出来る。もちろん下っていくときだけであるけど、乗れるようになるまで相当鍛錬が必要なのです。猟師篭りの小屋に近づいたら一度乗ってみせます。
辰夫自身、自分が作ったこのスノーボードを早く乗って見たかった。自信は、あった。形といい、大きさといい本物と変わりないのである。ただビンディングのところで固定できないのが不安である。スケートボードなら足を固定しなくても乗ることは出来る。このボードは足とボードをくっつけるために、ボードに履物をくっつけてあるのでそのへんは心配ない。
「取合えず、乗って確かめる。論より証拠である。」と辰夫は思った。
ちらついていた雪は、ほぼ止んで、時々青空が見える。山で見る青空は変わらない。自分が雪山で見る青空と変わらない、清清しさである。
青空を見てから周囲の景色が見に入るようになってきた。
木に積もった雪、ウサギの足跡などゲレンデのリフトから眺めるものと一緒である。あっちこっちと飛び回った跡は、千年の時を刻んでいない。「あそこの頂きを越えると、広いゲレンデが広がり、その向こうにはホテルやペンションが並んでいて、…」と何かウサギの足跡だけで、前の時代を思い出してしまった。「完全にホームシック状態だな」と自分で苦笑いをしてしまった。
ホームシックになっても自分で苦笑いが出来るのは、自分よりもっと絶えている春一のことがあるからである。
苦笑いをした後、自分の姿を見てもう一度苦笑いをした。
獣の皮を纏い、雪山を歩いている姿は、何処から見てもゲレンデファッションではない、猟師の姿である。
猟師篭りの小屋には日がまだ出ている間に着いた。雪は完全に止み、青空が少し広がってきて、「明日は晴れですよ」という空模様である。
辰夫は早速スノーボードを試してみることにした。横で興味深く見るのではなく、完全に茶化して見ている管六がいた。
「どの木を狙って、ぶつかりにいくのだ。こけても助けねえぞ、自分で這い上がって来いよ、まあ上から雪ぐらいお見舞いしてやるから、戦の訓練にもって来い」と、一人陽気になっていた。何か辰夫がボードを履くのに手間取っているのが面白くてしかたがないようで、次から次へと茶化して来た。
辰夫は、辰夫で「待っていろ、今に驚くから、華麗な技を見せてやるから」取合えず言い返したが、準備をしながら不安になってきた。
「エッジが利かなかったら、だめかな、手作りだもんな」と心の中で不安がっていたのである。
準備が出来て、「よし、行くぞ」と一言言って滑る。エッジが利きにくいとの意識から最初にエッジを利かしてみたとたん、前のめりに飛んでしまった。
完全に管六の思う壺で、管六は、腹がよじれるほど大笑いをした。
まさか、こんなに吹っ飛ぶとは思わなかったのである。
雪まみれの辰夫を見て、「華麗なる技、見せてもらいました。」と一言、
辰夫は、ボードを引きずりながらもう一度這い上がってきて、再度挑戦したが、またもや転げ落ちる羽目に、「こんなはずではない、」と繰返し練習を続けた。
管六は、見ているのが飽きてしまい、いつのまにか一人小屋に入って行った。
辰夫は、それからそのボードとずっと戯れていた。
完全に日が沈み、万点の星空になった頃、小屋に帰ってきた辰夫は、管六に「すまない、一人でさして、何も手伝わず、すみませんでした。」と頭を下げて、その後、「明日、華麗なる技を見せます。」と言った。
小屋は、雑に作られているもので壁と屋根だけで、床など無く、地べたに寝るものと思っていた辰夫は、以外にしっかりした床があり、殺風景ではあったが薪と火打石にわら縄それと鍋らしきものが置いてあった。鍋らしきものとは黒く土をかぶった鍋が裏返しに土間に当たる部分に置いてあったのである。
管六は、先にこの小屋に入って、火を熾し、床など片付けて寝られるようにしていてくれた。
「辰朝さん、その鍋、雪で洗ってきてくれ、その後雪を山盛り入れてきてくれ、粥を作る。」と管六が言った。
さすが山男、慣れたものである。辰夫は、なかなか自分勝手なことをしたことに反省していた。罰が悪そうに管六の手伝いをしていると、管六が「そんなに気にしなくていい、何か動いていなければ、落ち着かない。」
管六はあまり気にしていないようで黙々と夕食の準備に忙しく動いていた。
辰夫は、思い出していた。管六が「戦に行くのが怖い」と言っていたことが、もちろん自分も恐ろしいのだが、管六のそれとは異なるようである。
もちろん、戦場での行動は勇気あるものかどうかは別として、今、戦場に行くことに対しては、自分自身臆するものではない。
辰夫が何故「臆する」こともなく戦場に向かえるのか自分自身でもわかっていないのである。
辰夫自身が生きてきた前の時代だったら恐らく管六以上に怖がったであろうと思う。自分がこの時代に来て時代の雰囲気に慣れたのではなく、自分に科せられた一つの使命感が心を麻痺させているのである。
例えば、辰夫は警察官である。制服を着て町を歩いているとき、誰かに助けを求められたとする。その時勇気を持って事に当たるのではなく、警察官としての使命感が自分を動かすことになるのである。
もちろん警察官であると言うことによる使命感はあるものの、それまで受けてきた訓練などの経験もある。そういったものを除いても、勇気を持って事に当たるのではない。
管六は、ついて来てくれたものの、戦場が近づき現実味が帯びてくると気持ちが萎縮しているのがわかる。今の管六に使命感はない。ただ辰夫が三郎を助けたいというのを信じてついて来たのである。
辰夫自身何故臆することなく戦場に向かえるか分からないが、管六が臆する気持ちはわかるのである。辰夫は、何とかしたいと考えた。辰夫もいざとなれば戦場に行くつもりはあるが、戦場そのものに行きたくはない。出来れば合戦に至る場所のその手前で三郎を捕まえ連れ戻すつもりなのである。
辰夫はひょうきんで繊細で気持ちの優しい、そして、強がりであっても強くはない管六が好きである。
辰夫は、管六と明日、三郎をどのようにして、平資盛の隊から連れ出すか相談した。
相談したといっても辰夫が考え決めたことを管六に了解を得る形であった。
基本的に夕方ぐらいから行動を起こすことに決めた。夜の方が、逃げ易く安全ではある。昼では近づきにくいのである。怪しいものとして捕まってしまう訳には行かない。一郎がいるので捕まっても後で言い訳をして仲間であると言い通せば何とかなると思うが、時間がない。そのまま仲間になってしまえば逃げられなくなるし、完全に源氏方の敵になってしまうのである。
三郎を源義経の味方とし、鵯越の案内人にするためにはそれではだめである。
そうなると、夕方、日が落ちる少し前で明かりがまだあり、三郎に近づき易く、逃げる時は暗くなっているのが良いのではと考えた。
時間は決まった。次は、どのようにして近づき三郎を連れ出すかである。三郎は、都合よく殿を歩いている。一郎と次郎は平資盛の道案内として先頭であり、隊列は山道であることから細長くなっているだろう。もし、三草山の集落に入ってしまっていれば三郎を見つけ出すことは困難になってしまう。
辰夫はそれより、三草山の集落で平資盛の隊は源義経に奇襲を掛けられ敗走する。要するに三草山の集落に入ってからでは遅いのである。そのことは管六には当然言わずにいた。
鷲ノ谷村での話では、平資盛の兵はまだ須磨山を越えた辺りで兵を休めていた。三草山へは、まだ着いていないはずである。
恐らく三草山の手前辺りで待っていれば、出くわすことが出来る。
隊に合えば、後は出たとこ勝負である。
辰夫は、一応鷲ノ谷村の者は平家の味方として参加しているので近づくことにあまり怖がることもないと考えていた。
肝心なのは、逃げる段取りである。これに付いては管六に任せることにした。平資盛の兵から逃げるには、山を下るのか上るのか、辰夫にはさっぱり分からない。
辰夫は、管六に「自分が三郎を隊列から連れ出す。闇夜に乗じて逃げるので何処か離れた場所から自分を見ていて下さい。連れ出したら、一気に逃げますのでそれを案内してください。」
辰夫は、管六にその部分のみを頼んだ。
もちろん、逃げることが一番大事なことで、それまでに三郎を連れ出すことは、あまり危険がなく、一番大事なのは、逃げ道だ、そこのところを管六に任してすまないと言ったような事を管六に話していた。
管六自身「それだけで良いのか」と感じたようだが、顔が少し安心しているように見えた。辰夫は、管六をあまり傷つけずに済んでいるこの方法を選んだ。
辰夫は三草山の戦いが必ずあり、平資盛軍が敗走することになっているが、800年も前から語り継がれてきた物語をそのまま信じている自分に少し不安はあったが、事実として歴史が流れて来たならば、その流れを乱さないようにしなければならないと感じていた。
一方、新三位中将資盛の兵は、丹波方面への進行を遅らしていた。平家の本陣からの伝令では、源氏は、二日の日に源範頼を総大将として京を発ったと言う。全軍が京から摂津を通りこの福原に向かっているとの情報で、平資盛自身自分達の兵が今度の戦に乗遅れてしまうのではないかとの心配から有馬の村から動こうとしないのである。
有馬からでは、直ぐに福原に取って返すことが出来る。そのためにこの有馬の村から丹波方面への進行を止めているのである。
右大将平宗盛から平資盛などの平家の若武者を戦から遠ざけるように申し付かっている平内兵衛清家は、「この有馬の地に長居をすることは得策ではない。平知盛様から丹波方面の防御を言い付かって下ります。この地にいることは平知盛様の御命令に背く事になり、また我が平家の策を乱すことにもなり如何なものかと」と平宗盛の名を出さず戦に付いては信頼されている平知盛の名を出し、丹波方面への行動を促した。
それでも、平資盛は腰を上げようとしなかったが、四日の夜、源氏の一部、九郎義経が源範頼の本隊とは別行動をしているようで、本隊には加わっていないようであるとの知らせが、平資盛の陣に届いた。
その知らせは、平資盛にとっても驚きで、資盛自身源氏の兵が丹波を回ってくるとは思ってもいなかったのである。
この時代、戦に卑怯があってはならない。資盛は生田の森で大将同士が向かい合って戦うものと考えていた。
しかし、源氏の主力ではないが、戦巧者の義経が丹波に廻って来ているのは確かな用である。
資盛は、怯えを見せづに指図できるのは、これが精一杯であった。
「義経は、何処へ行ったか分からぬのじゃな、鷲尾一郎を呼べ、」
「一郎、そちの手のものに斥侯として丹波方面を探らしに行け、源義経を大将とする源氏の兵が丹波回りでこちらに向かっているようじゃ、義経の兵の数、道筋を探って参れ、我々も直ぐ、丹波方面へ向かう」
「清家、源氏はいつ京を発った。」
「四日の朝とのこと」
「一郎、京から丹波まで兵を進めるとすれば、幾日掛かる。」
「兵の数にもよりますが、恐らく三日ほどは、」
「我々が三草山に着くのは、」
「明日の朝、出発しまして、夜には着けると」一郎にとって丹波の山のことなら迷うことなく答えられる。
「我々は、五日の夜、義経は六日に到着することになるな」資盛にとって簡単な足し算であるが、そんな簡単に計算通りにことが進むと思うほど単純とは思っていない。
「一郎、直ぐに斥侯を出し、明日中にはわしのところまで知らせを持って来さすのじゃ」
一郎も丹波方面での戦はないと思って、この隊列に加わっていたのであるが、何やら戦の匂いがするように感じた。取合えず、鷲ノ谷村でも足の速い左右吉を選んで丹波方面へ斥侯に出した。
平資盛は、五日の朝一番に有馬を出発、千の兵を従え三草山に向かった。
三郎は、相変わらずしんがりで付いて行っている。三日も有馬で泊まっていたため戦に出ていると言う緊張感はすっかり薄れてしまい、取合えず付いていっていると言う感じである。
千の兵のほとんどが摂津辺りのかり武者で、一郎達とは異なり平家によって戦に借り出された者である。指揮をする武将も地方の国司で自ら従えてきた兵は少なく、その中にかり武者を加えた形で構成されていた。
地方の小さな国司には、戦の方針や状況が知らされず、この三日間の有馬での滞在で三郎と一緒で、緊張感をなくしてしまっている。
多くの兵は、この場所で源氏の兵を迎え打つものと思っていたのである。それが急にまた動き出すことになり、気分が乗らないまま隊が動き出したため、平資盛の隊全体の士気が落ちていた。
それには、平資盛も気がつかずいたのである。
隊の列は、福原を出発した時と異なり、縦に長くなり、前を進む総大将の平資盛としんがりの三郎との距離が相当広がってしまっていた。
三草山の手前で平資盛の軍が通るのを丸一日待っていた。辰夫と管六は不安のままじっと待っていると、鷲ノ谷村の左右吉が一人歩いて来たのである。管六は、顔見知りの左右吉を掴まえ、「左右吉、お前、一郎さんに誘われて平資盛様の軍に入ったのじゃねえのか。何でこんなところを歩いているんだ。」と声を掛けた。
急に声を掛けられた左右吉は声を掛けた方も驚くほどびっくりして振向いた。
「管六か、びっくりしたぞ、声を掛けられた時は、「もう源氏の兵がこんなところまで来ているのか」と思ったぞ。あまりの驚きに死んだ振りでもして倒れていようかと思ったぐらいだ。
お前な、おらは、一郎に斥侯だといって源氏の兵の様子を見て来いと言われた。本当に怖くてびっくりした。こんなことでこんなに怖い思いをするとは思わなかった。この仕事終わったら村に帰るわ。こうやって様子を見に行くだけでもおら、ドキドキだ。戦は猟師にゃ向いてね。
お前は何している。後ろの人は知合いか。」と左右吉は聞いた。
管六は、聞かれた事には答えず、「平資盛様は何処に居られる。何で丹波に来られないのだ。」と聞いた。
左右吉は、有馬に三日間滞在していただけで、五日の朝、平資盛の兵と友に一郎達がこっちに向かっていることを管六に教えた。
管六は、「おら達は、一郎に手伝うことはないか聞こうと思いここで待っているんだ。戦は出来ねえけどな」と答えた。適当な理由であったが左右吉は何の疑問も持たず一人先に進んだ。
管六は辰夫に説明した。「左右吉は、足が速いので一郎が選んだのだろう。それと三郎がここに向かっているみたいだ。」と管六が言うと辰夫が「もう一つ、源氏の兵もこっちに向かっているみたいだ」と付け足した。
辰夫と管六は二日間ここで待ちぼうけをしていたが、その間本当に平資盛の軍が来るのか辰夫は不安で仕方なかった。管六は辰夫には何も言わず黙っていたが心の中では辰夫に「本当に来るのか」聞きたくて仕方がなかったと思う。管六の性格か聞けば辰夫が困ることは分かっているので聞かずにいようとする優しさか、この二日間黙っていた。
今は、先が見えている。三郎が向かってきており、源氏も来るようである。辰夫と管六は手はず通りにするのみである。
日が少し傾き出した頃、平資盛の軍の先頭が見えてきた。道案内役であるにしろ先方として馬上にいる一郎はそれなりに武将の格好をしている。多くの者が徒歩であるにもかかわらず、一軍の将とも言えない一郎が馬上にいることは、傍から見て滑稽に見えたが、一郎本人はどこで手に入れたのか鎧兜で体裁をつけ、まんざらでもないようである。
辰夫は、一郎が過ぎて三郎が来るのを待っていた。千ほどの兵であるので、普通であれば先方が過ぎてから殿が通るまでさほど時を要することはないはずであるが、一向に殿が見えてこないのである。
隊列は、途切れ途切れとなり、格好は兵隊を成しているが、兵としての機能は全く働いていないのが辰夫のような素人目でもはっきり分かった。
全体に覇気がなく、疲れきって、目的なく、ただ移動しているだけである。
千の兵がいるようであるが、今なら百の兵で倒せそうな雰囲気である。
隊列の先頭は三草山の集落に入っている。大将達は村の家々に入って休息しているようであるが、後から来る兵達は、村の小屋やお堂に好き勝手に入って休み出したのである。
猟師の格好をした辰夫が、集落の中を歩き出しても誰も不信に思うものがいない。
村の者は、この平家の兵の一人と思い、兵は村の者と思っているようである。
辰夫は兵から声を掛けられると「御ゆっくり、休んでください」と一言言うのみである。
村の者は、ほとんど表には出ておらず、女、子供は影一つ見ない。当たり前と言えば当たり前であるが、こんな時代劇を絵に描いたような風景の中に自分が居ることじたい不思議な気持ちになった。
辰夫は、あまりに怪しまれずに歩けることに少し調子に乗りすぎたようである。
気を止めることなく歩いていると馬上の何某かの者から声を掛けられ、適当に「御ゆっくり、休んでください」と答えたのである。
すると、「おかしな言葉使いじゃ、村のものか」と問われてしまった。
「しまった。少し大胆に歩きすぎた。」と思ったが何とかしなければならない。始めに決めていたとおり、「道案内役鷲尾一郎の使いのもので、殿を歩く鷲尾三郎様へ到着を言いに行くところです。」と言うと、
この男、全く辰夫の言い訳を聞いておらず、直ぐに「分かった、行け」と言った。
要するに、自分の周囲の者に自分は、「偉いのだ」という事を示したかっただけのようであった。
先方を歩いている一郎と同じような輩の者と思われ、確かに義経に攻められればひとたまりもなく敗退するであろう。
辰夫は辰夫であまり調子に乗って大胆に探し回らないようにしなければとの教訓となったのである。
辰夫は、隊列がこの辺りで終わるであろうとの思いで来たのであるが、暫くしてまた兵が連なって村に入ってきた。これで終わりかと思い三郎を探すとまた、ぞろぞろと兵が入ってくる。これが一軍かと疑いたくなるようである。
そのようなことが、二・三度続き、辰夫がまだだろうと思って歩いていると「辰朝さん」と声がした。自分より先に三郎が自分を見つけてくれたのである。
辰夫は、思わず「おうー」と声を張り上げたいような気持ちで三郎に走り寄った。
「三郎さん、探しました。」と辰夫が寄っていくと、三郎が「辰朝さんどうしてここに、」
と直ぐに聞き返した。
西日が差す中、周囲の者の顔がはっきりわかる。今、ここで連れ出すことは出来ないし、いくら何でも、ここで逃げ出せば直ぐにばれる。辰夫は、あまり調子に乗って大胆に行動することは控え、じっと三郎の横を歩きながらたわいもなく、何か手伝うことがないかのらりくらりと話したのである。
三郎は、何か気づいたようで、何も話さず黙って辰夫のどうでも言い話しを聞いていた。
三郎は、辰夫と供に村のお堂の影で休むように座り込んだ。
殿で歩いて来た三郎の後には誰もいない。人間の心理か、後ろの方の兵は村の中心へと少しずつ移動している。始め、三郎と同じお堂に居た者達も少し休み、日が落ち暗くなりだすと腰を上げ人が集まっている所へと移動しだすのである。
端にいれば、飯も当たりにくいと考える。それに人恋しさと集団の安全を求めるのか、いつのまにか三郎と辰夫の周りに人が居なくなっていた。
辰夫は、それでも注意に注意を重ね、立ち上がりお堂の中と周囲を見て回った。
三郎は、その様子を見て辰夫が何か重要なことを話しに来たと思った。
そして、辰夫は、二人っきりになったのを確認して話し出そうとしたとき、先に三郎が口を開いた。。
「辰朝さん、もう誰もいませんよ、何か大事なことでも。」
「三郎さん、これから直ぐ私と一緒に逃げてください。ここに居ると殺されます。管六さんも来られています。ここからの逃げ道も見つけてありますので、」
「何故、殺される。」怪訝な顔で辰夫を見つめた。
「理由は、今言っても信じてもらえません。ただもうじき源氏が攻めて来ると思います。この平家の兵は直ぐに負け、敗走します。馬上の者は逃げることが出来るでしょうが、徒歩のものは危険です。」
「そんなことが分かっているのなら、一郎兄さんに言って」
「大将の居られる前で、負けるので直ぐに逃げましょうは言えません。」
「一郎兄さん達が危ないのでは、」
「一郎さんのことは分かりませんが、猟師ですから山に逃げ込めば大丈夫でしょ、それより、鷲ノ谷村を守ることが出来るのは、三郎さんだけです。小夏さんも居られるし、」三郎は、辰夫の一郎への態度が、冷たく感じたが、だからといって一郎に対して特段の思い入れが自分にもないのは判ってる。それに、一郎が必ず死ぬわけではない。
辰夫は3人で逃げる「暗くなれば、逃げる段取りが出来ています。上では管六さんが待っています。もう少し経って、暗闇に乗じて逃げますので、お願いします。私を信じてください。」
三郎は、辰朝が「私を信じてください。」と言う言葉を言うとは思わなかった。切羽詰まったものを感じただけでなく、何かに急かされているようで、自分の考えを述べる余地がなかった。ただ、「判った」と返答してしまったことに、若干のわだかまりと自責の念が心に漂った。
完全に暗くなるまでまだ時間がある。少し悩んでいるようであったが、気持ちは決まっていた。
三郎は、やることは決まったが目的が判らない。
「逃げてどうする」と聞くしかなかった。
「三郎さんは、一の谷のお城へ抜ける山道を知っておられますね」
「知っている。」
「今ははっきりと言えないのですが重要なことです。」辰夫は、確かめたが、三郎に対して答えにならない返答ばかりしか言えなかった。
三郎にしてみれば、
「そんなことが」である。
「三郎さん、三郎さんは、どうしても平家が加担したいと言うことはありませんよね、以前管六さんに三郎さんと小夏さんは、安田庄下司から鷲尾家にいかれたと聞いたのですが、鷲尾家と違って安田庄下司は、平家との繋がりはないと、むしろ源氏との繋がりがあるのでは、」
「その通り、平家との繋がりはないし、あまり好きではない。管六はしゃべりだ」
「恐らく、この戦、源氏が勝ちます。鷲ノ谷村は平家に加担しています。平家が負ければ村は危ないと思います。村には小夏さんが居られます。」
「俺に源氏につくように言っているのか」
「その通りです。」
「辰朝さんはひ弱に見えてすごいことを言う。何者ですか」
「何となく先が見えるのです。暗くなりました。管六さんが待っています。」
辰夫は、もう三郎に逃げるかどうかを聞くことなく、周囲を見渡し三郎を連れ出した。
三郎もそれ以上何も言わず辰夫に着いて山道を登っていった。
登って直ぐのところに管六が待っていた。辰夫は、後は管六に任せると言った。
三郎は、戻るのなら平資盛の軍が通って来た道があるがそこを通らないのかを聞いた。
源氏が攻め上ってくる道であるため他の道を選んだことを辰夫が言った。
管六は、向かいの山の頂きまで登り、尾根沿いに鷲ノ谷村に向かう道を選んだ。月夜であり、月明かりで夜道を行くには頂きから尾根沿いの方が歩き易い。
二時間ほど掛かり兀山(ごつやま・回りの山より一つ高くなった山)に着いた。頂で三人は一休みをした。満天の星空の中、休みながら、「誰も追ってきませんね」と管六が言った。
「自分が抜け出したことすらまだ知らないのではないか。第一自分を平家の兵の一人とは見ていないようだ。ただの道案内人ぐらいにしか思っていないのだろうから追っ手など来ることはない。」と言った。
そう言われてもやはり、辰夫と管六は不安であった。
「それはそうと、辰朝さんが背中に背負っている「そりの足」なんでそんなのを持って歩いているのだ。」と三郎が聞いた。
「私の秘密の武具です。」と辰夫は簡単に答えた。「それより、あそこの山明るくないですか」と指を指して遠くの山を見た。
「小野原の方だ」と三郎が言った。
その明かりは、次第に大きくなってきて、管六が「燃えている。源氏がそこまで来ている。」と怯えた声で言った。
月明かりの世界で管六の怯えた声は、やけに甲高く、見えない顔色さえも想像がつくほどであった。
この暗闇で管六と三郎には気づかれずにはいたが、辰夫自身も自分が震えていることにはじめは、気づいていなかった。しかし、しばらくして寒さで震えているのではなく恐怖のせいで震えていることが自分でわかった。
辰夫は、管六が戦に怯えていることに対して偉そうに言えたものではなく、遠くの山であるにもかかわらず、戦が確実に迫ってきたものを感じ、現実がそこにあることで足が震えていた。
辰夫は、この満天の冬空に炎の明かりを見て、五山の送り火を思い出した。辰夫の家からは、いつも遠くかすかに見える船形の炎が好きであった。
船型は、船であるがゆえに船底の部分の炎は、見せない。船というものは、底が見えるときは転覆のときである。そのため波の下であり、手前の山並で船をかたどられた底に当る部分が見えなくして灯火されていることの奥深さに一人ひそかに感動しながら眺めていたのを思い出した。小野原のその横に広がった炎は船底を隠した船形の炎に似ているが、そこは、まさに戦の炎である。
小野原の炎から遠く離れているにもかかわらず、時とともに明るくなって迫ってきた。
その迫り来るものが、管六は戦の恐怖と受け止めた。辰夫は、管六と同じように戦の恐怖を確かに感じていたが、それと供に歴史を動かす炎と感じていた。
三人は、小野原の方角をじっと見つめていた。暫く言葉を発する者はいなかった。
辰夫と管六は炎が大きくなるにつれ次第に恐怖も大きくなり、誰にもまだ追われていないのに、「そこから逃げなければ、」「遠くへ行かなければ」と何かに襲われる様な、逃げ場のない、追い詰められた気持ちになっていた。
ただ、三郎だけは違った。辰夫と管六は、三郎の今まで見たこともない形相に言葉を掛けられなかった。三郎があの炎に何を感じ、何を思っているのか、少しだが分かった。
三郎は戦の匂いを嗅いで、鬼になっていく自分を押さえられないようであった。
辰夫は、初めて人は、2種類ある、命を掛けて戦える人間と戦えない人間と確実に別れる。
三郎は、平資盛の軍では道案内役としての殿で同行し、だらだらした軍行に緊張感をなくしただ山歩きをしていただけであったが、今、目前で戦が始まろうとしている。自分が辰朝や管六の誘いを断り、あの平資盛の軍に居たならば、戦に参加するために動き回っている事であろうと考えていた。しかし、今は、その場所から逃げ、離れた所から眺める形となっている。その場所から離れた自分に対して、何処か後ろめたさを感じたが、管六や辰夫のように戦に対する恐怖は感じていない。
辰夫は、三郎の後ろからそっと「三郎さん、あなたの力を源氏の御曹司源義経様が必要としておられます。」と言った。それに付加え「私は源氏の回し者ではありません。ただ大きな時代の流れを知っているのです。ただそれだけのことです。」とも言った。
三郎は、辰夫の言葉に何を感じ、どう思ったかは何も言わず、ただ黙って炎を睨んでいだ。
辰夫は、自分の行動が歴史の流れを本当に正しい方向へ導いているのか、不安であったがここまで来た以上自分を信じるしかないと思った。
三人は夜の山の中、月明かりを頼りに一の谷に向かった。
新三位中将平資盛を総大将とする千の兵は、左右吉の連絡を受け三草山で戦の準備をしていた。
斥侯に行った左右吉の話では、源氏の兵は五百程でやたら馬が多く皆、馬を引っ張って山を登ってきている。五日の朝には小野原付近に集まっている。との連絡を受けた。
平資盛を総大将とし主だった武将が頭を集め軍議をするが、戦経験が少ない者が多く、また、福原からの出だしそのものが、「丹波方面から源氏の兵は来ることがないだろう」との前提での人選であったのである。
資盛は、若さ結え源氏と正々堂々真っ向勝負をすることを主張、兵の数から言って当方が不利とは言えないと言い、戦準備に掛かるよう命令を出した。
平資盛は戦に対する恐怖と戦をせずに逃げた場合、後々言われ続けるかもしれない恥辱とを天秤に掛けて物事を計っている。資盛自身物心がついたときには、平家の天下で何不自由なく我が世の春を謳歌していた。平家の武将にとっては、名誉を守ることと公家としての教養を身につけることのみが教育であった。
武将としての教育はなされていなかったと言うより、必要がなかったのである。「平家に逆らう者が出てくる」と言う前提がなかったからである。
弟達の平有盛、平師盛は、軍議で兄に従うのみであったが、平家の武将としての名誉より、戦に対する恐怖が上回って顔色が蒼ざめていた。子供なのだから当たり前である。身近に感じる恐怖に打ち勝つほどの年齢ではない。
有盛・師盛は、武将として名誉を守るという教育については、発展途上であったようで資盛のようにはいかず、弱腰状態であった。
平家の若武者は、木曽義仲が京に上ってくるまで戦をすることがなかったし、世間で言う過保護の中で育ってきたのである。平資盛などもほぼ同様で敵と対じして戦をしたことがない。総大将でかつ有盛や師盛を従えているために、男として、兄として武将としての立場がやっとのことで堪えているのである。
平内兵衛清家は、平宗盛からの情報とは異なる状況になってしまったと思った。
「この状況では例え兵の数が上回っても勝つことは出来ない」と思っていた。兵の士気、質、将足るもの士気に味方として贔屓目に見ても劣ると見ている。
今、敵を前にしての状況で、兵を引くようなことは出来ないことは当たり前であるが、平資盛以下平家の若武者を死なすようなことになっては困る。自分がやらなければならないことは、本隊は直ぐに逃げられる体制を取る。矢合わせのみで本隊を逃がす段取りをしなければならないと思っていた。それが平宗盛から自分に命ぜられたことである。
平資盛は、若さと戦経験のなさからか、兵の数を拠所にして千対五百の算数をやっている。ある意味勝つつもりでいるのである。しかし、現実はまず負けるだろう。
平内兵衛清家は平資盛の名誉を守りながら逃がす口実を考えなければならない。どれだけ素直に自分の言う事を聞いてくれるかが問題である。
平資盛、有盛、師盛の兄弟三人は、庄屋宅で顔をつき合わせ話し込んでいる。
庄屋宅は、さほど大きな屋敷ではないが三草山の村ではほぼ村の中央に位置し、目立つ建物である。その村には他に門を構えた家はない。
「戦はいつ頃始まる。」師盛の問いかけに、大将である資盛は何でもよい、しかし何か答えなければとおもった。
「明日の朝、日の出と共にと考えていいかと思う。清平(江見太郎清平)が戦準備に掛かっている。兵でも山に強い丹波で集めたかり武者と弓の者を山手に配置し、この道を攻め上がって来た源氏の兵を横から攻め落とす算段をしている。この冷え込みよう、山の中で一夜を過ごすことは出来ないためその者を一箇所に集めて空が明るむ前に配置するつもりだ。村の中の配置はすでに終わっているとのことである。」
有盛は、自分に言い聞かせるように「我が方は、向こうの倍の兵じゃ、心配ない。」と弟より少しだけ強がりを言っていた。
師盛も少しだけ勇気を奮い「清平がここは、山といっても谷間になっている。向こうの兵とは細い道で対面することになる。そうなれば数に勝る我が方が有利になるのじゃ。地の利も我が方に有利、攻めあがってくる源氏にとっては不利と言っておった。」
資盛も似たり寄ったりであるが「師盛、木曾との戦で近江への出陣したわれわれは戦わずして京へ戻った。あの時は、兵の数もそうであったが、みなの者が浮き足だっておった。もちろんわれわれもであった。歳若い師盛にはただわれわれに従うのみであったが、それでも一度は戦場を経験している。お前はいざとなれば働ける。平家の者は皆そうじゃ」と一応年長らしい言葉を発した。
有盛、師盛には気休めにしか聞こえていなかった。戦が近づき恐ろしく感じているのを一番知っているのは自分達である。多くの家臣に囲まれていて、兵の数、地理的有利だと言われても安心するどころか、全く心が落ち着かなくむしろ、敵の鬨の声だけで飛んで逃げてしまいそうである。
師盛は、木曾義仲が攻め上がってきたときは、近江へ出陣した。そのとき自分達は、戦わずして京へ逃げ戻ったのを思い出していた。
「そうか、春一と約束したからな、京で続きをすること、何故源氏はこんなに急いで攻め上がってくるのじゃ。」幼い師盛は、武将になれていなかった。ただ子供が鎧兜の姿をして武将の格好をしているだけであった。当然といえば当然である。その点若干年長である有盛の方が少しだけ武将に近い。
近いが、やはり武将とはいえない。言動は資盛の相手になっている。しかし、それだけで、心持は、やはり師盛とさほど変わらない。戦の怖さを感じているのである。
師盛は、春一と会ってから今まで以上に子供っぽくなった。
京を出て、これといって子供として楽しい日々を過ごしたことがなかった。それが春一と会って、何もかも忘れて遊んだことが、源氏との戦いのこと、官位や武芸のことを忘れ一日中春一と話したことが師盛をよけいに子供らしくしてしまったのである。
「忠房はいいよな、春一と船の中で遊んでいるのだろうな、私も帝の警護に回してもらえばよかった」ぽつんとつぶやくように師盛が言った。
「それを言うな。恐ろしいのは私もだ。」春一の話が出て資盛も声を上ずらせた。
その言葉を聞いて、有盛は、涙を流していた。
そして、「逃げたい、」と有盛が言ってしまった。
師盛より年上ということのみが気持ちの張りとして自分を支えていたのに、資盛がほんの少し弱音を吐いたことで、一気に気持ちの支えが外れてしまった。
有盛が涙を流し、「逃げたい」の言葉を吐いたことは、資盛や師盛を驚かした。兄弟の中で一番の強がりで、「いつでも負けを認めない意地っ張りの有盛が、」との思いからである。
有盛もまた、師盛が話す「春一」のことを想っていた。
言葉が言葉を刺激し、連鎖反応のように資盛以下兄弟三人を弱腰にしていったのである。
資盛ももう、強がりを言うことはなかった。言葉では、何も言わないが源氏の兵と間近に対じしていることで、戦を覚悟していたのに、その覚悟が鈍ってきている自分がわかるのである。
その時である。
平内兵衛清家が入ってきて、資盛たちの背中を「ポン」と押したのである。
「資盛様、小野原の方で火の手が上がっております。源氏の兵の仕業と考えてよろしいかと、本陣をもそっと後方へ御移し願いますか。」と言った。
資盛以下三人は、一斉に腰を上げ無言のまま平内兵衛清家の指示に従った。
清家は、あまりにあっさりと資盛が従ったのには少し驚いたが、何故あっさり従ったのかを考えている時ではないように思った。何か胸騒ぎがするのである。武将としての感のようなものである。
それまでの兄弟の会話を知らない清家にとっては、直ぐに従ってくれたことは、取合えず好都合である。
清家は、直ぐに鷲尾一郎を呼びにやった。
「一郎、資盛殿達の本陣を後方に下げる。それについては、山中になることも考えなければならない。敵の出方次第で本陣が動く、一郎、山中であることからお前達山の者が頼りとなる。指示に従い道案内をせい。」
一郎は、不可思議に思った。前に進む案内ではなく、退く道案内をしろと言われているように感じたのである。取合えず
「分かりました。」と答えた。
一郎が下がろうとした時、清家は一郎を隅へ呼寄せ耳元で静かに話した。
「もし、源氏の兵が攻寄せて来たならば、直ぐに資盛様ご兄弟三人を福原まで引き上げてもらう。そのためのお前じゃ、戦は我々だけで十分じゃ、資盛様方はこれからの時代において大事なお身体、ご兄弟三人を無事に福原まで道案内するのじゃ。このことは、他言するでないぞ。頼む。」
一郎にとって、戦が始まって直ぐに総大将の新三位中将資盛が戦場を離れる。しかもご兄弟の平有盛、平師盛様もである。「いくら大事な身体だ」といってもおかしい。確かに「他言」出来ないと思った。分かったようで分からない話であるが、取合えず平資盛様と同行すると言うことは、一番身の危険が少ないし、一番、目に止まる仕事であるので喜んで引き受けた。
本陣は、村に入ったところにあったお堂にすることに決まり、最後尾を歩いていた三郎を呼びにやった。一郎は、三郎に先頭を歩かすことにした。自分が居た持場に行くように指示するつもりであった。
しかし、三郎が見当たらないとのことで、「もしや、逃げたのか」と考えた。
これから、三郎が居たお堂に向かうので、自分で探せばよい、もし、居なければ逃げたと考えればよいと思った。
平資盛に同行する一郎、村の中といっても夜道、平家の武将達はそんな処でも一郎を頼りにする。平資盛と資盛を護衛する武将五十名程の者が村外れのお堂に着いたときである。前方で大きな声がした。馬上のまま有盛と師盛の身体は、凍りついた。戦が始まったのである。
新三位中将資盛は、馬を戦場に向け走らそうとしたが、馬持ちは手綱を離さなかった。
平資盛の馬の前に警護の者がふさがり行く手を遮った。
有盛と師盛は足が震え今にも馬から落ちそうであった。それを見た家臣が「有盛様、師盛様、しっかりなされませ、戦はこれからです。福原でこの借りを返せます。」
二人は、手綱を握り締め少しではあるが武将の顔つきになった。
家臣の一人が、「一郎、直ぐに福原への道、案内せい。」と言い。
一郎は、平内兵衛清家に言い含められていた通り、福原への道を歩き出した。
一郎の頭の中から三郎のことは忘れさられていた。要するに一郎自身も戦は怖いものであった。