#03 兆し
教習もあっという間で、
片手の指では数え切れなくなるくらい
回数は重ねてきたくせに、
自分で想像していた以上に下手くそな私は
カーブも
細い道も
コースを思いっきりはみ出してしまう。
そんな時、
また偶然にもあの人に当たったから、
少し間の抜けたその雰囲気に
不覚にもほっとしてしまった。
結局模範解答ばかりのあの人だったから、
細い道なんて
ちっとも通れるようにならなかった。
「私・・・
まだカーブも出来ないんですけど、
どんどん教習は新しい項目に進んでしまうんですね」
「うちの教習所はそういうシステムなんです」
またまた模範解答が返ってきた。
それでもね、
私が失敗する度に隣で柔らかく微笑んでくれた人。
私との以前の会話を事細かに覚えてくれていた人。
この頃には、
何にも期待なんてしていなかったのに、
なんか騙されているみたいに
教習所に通うのが
すっかり休日の楽しみになっていた。
いつのまにか初夏が近づき始めてて、
ジャケットを脱ぎ
スニーカーもパンプスに変わってた。
日焼けなんてしたくなかった私が
お洒落をいっぱいして、
薄いストッキングの下に
日焼け止めをいっぱい塗っていた。
理由なんて何にもなかったけど、
私の視線の先にはよくあの人が居た。
眼鏡をしていないと
あの人の表情は分からないけど、
私が無意識に視線の中に納めているせいか、
あの人の視線が心に染みたんだ。
だから、
なんだかあの人の姿が見えないと
落ち着かないんだ。
あの人の姿は鮮明なのに、
教習所を離れるとピンぼけしてしまう。
受付の前に立っていると、
横から教習を終えて戻ってきたあの人が
ちょっと疲れた笑顔で流し目する。
教習車に座っていると、
見上げた車のドアガラス越しに
あの人がすぐ横で覗き込むんだ。
慌てて飛び出した入り口の自動ドアで、
すれ違いさまに軽く会釈したら
あの人も軽く返してくれた。
いっぱいかき集めた
映画のワンシーンのようなあの人の視線を
消化しきれず抱えたまま、
この手には仮免許証を受け取っていた。