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風伯恋歌  作者: 琳谷 陸
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「コレでは駄目……」

 ほぅっと。冴え冴えとした月下でその女性は悲しげに溜め息を零す。

 深々と冷え込んだ夜の空気さえ息を呑むほど、その美貌は憂いに染まってもなお翳らぬ美しさに彩られていた。

 ぬばたまの闇を糸にしたらきっとこの女性の髪になる。唇に刷かれた朱よりも濃い紅。物憂げに瞳に影落とす睫は長く、雪そのもののような肌は月光に輝く滑らかさ。

 纏う衣が白い旅装であり、姫君が纏う衣よりも幾分身体に沿ったものであるだけに、その見事な肢体も判り易い。

 間違いなく、供も付けずにあるいはその供が男ならば、夜道や人気のない路地などうっかり足を踏み入れてはいけない類の美女である。

 色香漂う吐息を再び零して、その美女は心細げに月を見上げた。

「どうすれば良いのかしら……」

 もう身を固めるべきと言われ都へ出てきたは良いけれど、里のものと彼女の目に適う婿の当てなど無い。自身の目で見て探し出す事は彼女に課せられた試練だからだ。

 けれど、運命の殿方が誰でも見つけられたなら苦労はしない。闇雲に探してもハズレばかりになるのは仕方ない事。

 でも、それでは困るのだ。何しろこの婿探しには期限があるのだから。

 期限は刻一刻と迫っている。

 女性が三度溜め息をつこうとした時、ひとひらの白い欠片が瞳を閉じるなと言うかのように舞い降りた。

「風花」

 白い天から零れた淡く儚い花へ、手のひらを差し出す。

 月下に零れた花は女性の手の上で静かに咲いていた。

「お前に良い事を教えてやろう」

 不意に響いた声に、女性は掌から顔を上げる。

 月を背に、その男はふわりと空に浮かんでいた。

 冬の空を髪にして、藍色を凍らせて閉じ込めたような瞳。身に纏った衣は長衣とはいえこの域では見かけない、身体の線が見えるもので、薄く青みがかっている。素足は白く形が良い。

 冬の化身。そう呼ぶのが相応しいと、女性は思った。

「貴方は?」

 男はそれに答えず、ただ一方を指し示す。

「お前の探し物に相応しい獲物が、あちらに居る」

 吸い込まれるように女性は指し示された方向を見遣る。

「あちら?」

 今度は、答えが返った。

「陰陽寮という場所に、お前の望む者が居るだろう」

 女性が再び男へと目を戻そうとした時には、既に姿はなかった。

 少しの間、女性は男の居た虚空を見つめていたが、やがて視線を陰陽寮のある大内裏へと移す。

 この東域では術師の事を陰陽師と呼ぶ。

「……そうね。考えてみれば、そうだわ」

 女性は笑った。先程までの物憂げな表情は鳴りを潜め、楽しげに笑う。

 晴れ晴れとした笑顔を浮かべ、女性は止めていた歩みを動かす。

 振った手から零れ落ちた白い花は、路へと落ちて溶けて消えた。後には倒れ伏した若い貴公子の物言わぬ骸だけが朝になり人々が騒ぎ出すまで、残される。







「要らないって言ったのよ! 馬鹿にしてるわ!」

「あらあら。勿体無い事する術師もいたものね」

「なんっなのよ! あの変態!」

 外では梟も鳴く頃、狭間の薬師の家では東雲が優雅に微笑む友人へ、切々というには怒り多めで訴えていた。

「私じゃ役不足って事? ふざけんじゃないわよ!」

「ええ、そうね。ほんと」

 バンバンと卓を叩いて怒りを露わにする東雲を横目に、スイは膝の上に乳鉢を避難させて薬の調合を続ける。半分くらいは聞き流しながら。

「スイ、聞いてる?」

「聞いているわ。半分は」

 それは半分聞いていないという事。東雲がじとっとした目でスイを見る。

 それに気づいたのか、スイは調合の手を止めて東雲へ微笑んだ。

「私としては、そこで嬉々として貴女を利用して手伝わせようとする方が消したくなるから、まだマシだというのが正直な所ね」

「それは……」

「それに、今のを聞いていると、東雲……まるで手伝いたかったって聴こえるわよ?」

「そ、んな、事は」

「なら良いじゃない」

 それはそうだけど、良くない。そんな矛盾する思考に振り回され、東雲はぐぬぬと言葉に詰まった。

(おかしい。おかしいわ。何でこの場にいる訳でもないのに、あの変態の言に弄ばれてるの?)

 悶々とした東雲の様子に、スイが少し考えてから問いかける。

「ねえ、東雲」

「何かしら?」

「貴女、そんな酷い男の所へまた帰るの? それはどうして?」

「え? ええ。だって、そういう約束だもの」

「違うでしょ?」

「何が?」

「術は解かせたって言ったじゃない」

 でも、一日一回顔を。そう言い掛けて、東雲は口をつぐむ。

 それは、解呪の条件ではない。交換条件は何もない。

 ただの『お願い』で、叶える義務なんてないのに。

「……でも」

「行かなきゃ良いわ。そんな男の所なんて」

 強制力の無いただのお願い。叶えなくても、特に約束を破るわけでもない。

(叶えなくたって良い。それは……わかってるのよ)

 けど、何だろう? この感情は。

「落ち着かないのよ」

「うん。どんな風に?」

「あの変態のへらへらした顔に、問答無用で風を叩き付けたい感じ」

「あらあら。どうぞ存分に」

「そうするには、行かなくちゃ」

 会いに行かないと。

 直接会って、変態だと罵りながら叩き付けなくては。そうじゃないと、気が晴れない。

「他の精霊()にやらせれば良いじゃない。貴女、東の風をまとめてるのよ? 下位の精霊にやって貰えば事足りるでしょう」

「駄目。私がやるの」

「そ? なら仕方ないわね」

「そうよ」

「それ、毎日やる気?」

「……え」

「東雲。いくら何でも相手は人間なのよ? 毎日、手加減されても攻撃され続けたらいつか死んじゃうかも」

「!」

 スイの言葉に、東雲は虚を突かれたように瞠目して固まった。

「考えてなかった?」

「手加減……しても?」

「小さな雫でも、年月を掛ければ岩を削れるのよ? 人間の命なんて、岩より脆いわ」

「でも、殺しても死にそうに無いし」

「殺してみた?」

「殺したら生き返らないじゃない」

「でしょうね。じゃあ、私の言った事も本当だとわかるでしょう?」

 スイは形の良い唇に笑みを浮かべ嫣然と微笑んだ。

 その溢れる余裕と迫力を前にして、東雲は唇をふよふよと開けたり閉じたりし、結局は何も言えずに、若干椅子の上で身を小さくした。

 膝の上で細くしなやかな拳を握る。

「……でも」

「?」

 ぽつりと。か細い声が、一度引き結ばれた唇から零れる。

「それ以外に、理由がみつからないんだもの……」

 湖面の色を切り取ったスイの瞳が驚いたように瞠られて、東雲を見ている事に当人だけが気づかない。

 気づかないまま、東雲は言う。

「会いに行くには、理由が必要でしょ」

「…………」

 理由。それがないと。

「スイ?」

 すっかり静かになった友人に、東雲は顔を上げてそちらを見遣った。

 美しい柳眉を最大限しかめて、苦悩する姿もやはり絵姿になりそうな彼女は、何故かとても疲れた気配を纏っていた。

「理由が必要なの?」

「え」

「東雲、貴女……」

「お話中ぅ、ごめんねぇ?」

 二人しか居なかった空間に突然入った中性的な第三者の声と、姿。

「あら。長」

「ビオル」

「うふ。元気ぃ? 東雲さんにぃ、スイさんやぁ」

 部屋の灯りが届かぬ暗がりから姿を現したそれは、いささか年寄りじみた言い方で二人に挨拶をした。

中性的な声に聴こえるのは、布の塊かと思うほど着込んだローブのフードに籠もっている所為か。

 露出は口許とフードから零れた緑青色の一房髪のみ。長身から男性だとわかる。

 でも、的確に表すなら布の塊。それしかない。そんな人物が暗がりから忽然と現れるなど、常人にはぞっとしないものだが、生憎ここに常人はいなかった。

「変わりないわ」

「ビオル、どうにかしなさい。貴方の眷属でしょ」

「……あー。私ぃ、長って言ってもぉ、仮なんだけどねぇん」

 精霊と化け物よりも美しい薬師にそう言われ、布の塊が笑いながらそっと片袖で口許を隠し、首を傾げる。

「それでぇ、多分ぅスイさんのお悩みと重なっていると思うんだけどぉ、東雲さんや」

「何?」

「例の陰陽師さんとはぁ、どんな感じぃ?」

「毎日攻撃しても死なない程度の手加減を考えているわ」

「うん。意味がわからないねぇ」

 心なし、布の塊ことビオルの声音が平坦になった。

「毎日会いに行く理由が思いつかないらしいわ」

「嗚呼……そういう」

「え? 何。何で二人ともそんな遠くを見るような目と声なの?」

 東雲の(しん)(りょく)を映す瞳が不思議そうに揺れる。目の前で友人と上司が深い溜め息をつけば無理も無い。

「東雲さんやぁ」

「何よ?」

「別に攻撃しなくたってぇ、いいじゃあない」

「……だって」

「むかつく以外の理由が見つからないらしいのだけど」

「そ、そう! それ以外無いから」

「ムカつくってぇ……じゃあ、何がそんなに気に入らないのぉ?」

 ビオルのその一言に、東雲が待っていましたとばかりに訴える。それを全て聞き終えたビオルは、再度、深い溜め息をついた。

「だって」

「東雲さんをぉ、ただの女の子として扱っただけでしょぉ? 危ない目に遭わせたくないからってぇ、それのどこが気に入らないのぉん」

「や、役に立たないみたいな感じがするじゃない!」

「そぉ?」

「そうよ!」

「くふ。役に立ちたかったのぉ?」

「違っ、わ、私はただ、侮られるのが屈辱でっ」

「ふぅん。じゃあぁ、そう言えばいいんじゃあないかなぁ?」

「い、言う?」

「そぉぉ。侮るなってぇ、言ってあげればぁ? それでぇ、それを態度で示せば良いじゃあない。例えばぁ、逆にそのついなさんとやらを護るとかぁ」

「護る……」

「ちょっと、ビオル。東雲に変な事吹き込まないで」

「うふ。何がぁ? 攻撃以外の手段だしぃ、役立たずって侮られる事も無い一度で二度美味しい感じだと思うけどぉん」

 この布。スイの顔にはそう書いてあるものの、考え込んだ東雲の視界にはどちらも映っていない。

(そうよ。私がついなを護って、件の妖とやらを倒せば?)

 今度こそ、あの変態も身の程を知るだろうし、侮られる事も無い。

 ニッと子供のような無邪気な笑みが東雲の淡く染まった唇に浮かぶ。

 そんな東雲の変化を見て取り、スイは溜め息をつき、ビオルはくふふと笑った。

「ふふ。見てなさいよ、あの変態陰陽師」

「はぁ……。ああ、そう言えば、ビオルは何か用があったのではなくて?」

「うん? まぁ、そうだねぇ、今の話にも関係があったかなぁん」

 どういう事か? 東雲とスイがそちらを向く。

「あのねぇん……一応止めたんだけどぉ、ノースさんがねぇ」

「ノースが?」

「北風がどうかしたの」

「あは。その、ついなさん殺しに行っちゃう……行っちゃったかも知れないからぁ、気をつけてあげてぇ? って言おうと思ってねぇん……うん」

「…………は?」

 スイは眉を顰め、東雲は聞いた言葉を理解するのに若干の間を空けた後、聞きなおすようにその一言を零した。

「何で、ノースが。それに……何を殺しに行くって言ったの?」

「ついなさんを」

「…………」

 カタカタと家の周りで風が動いた振動が伝わる。外の梢がざわざわと騒がしい。

 それとは正反対に、家の中には緊張と静寂が満ちる。

「許さない」

「……東雲?」

 ゆらりと夏に立つ陽炎のように東雲が立ち上がった。

「どこに行くのぉ?」

「帰るの。……『あれ』は、『私のもの』よ」

(私以外の者が、『私のもの』に手を出すなんて、そんなのは許さない)

 あの変態は、私に自分を捧げると言ったのだから。

 月の光りに透ける浅葱色の髪と淡色の衣を翻して東雲が家を出て行くのを見送って、後に残されたスイとビオルは顔を見合わせる。

「あれ、無自覚よね」

「だねぇ……」

「私のもの、ね」

「言ってたねぇ」

 それって、と。スイはもう一度東雲が出て行った戸口を見遣る。

「独占欲って言うんじゃないの?」

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