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風伯恋歌  作者: 琳谷 陸
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 吉野。

 (うじ)とは、その血族がどこで生まれ育ったかを表す。そしてついなの氏である吉野とは都から成人の足で東に三日ほど行った、貴族までならず皇族も訪れ、幾千万の桜が謳歌する春の別荘地として必ず名の挙がる風光明媚な場所だった。

(何故、自分では何もしない(やから)の為に力を尽くさなければならないのでしょう?)

 そんな人の心浮き立つ景色に囲まれた麗らかな春の陽光が降る日。

 ついなはようやく十二才となり元服(げんぷく)した事を喜ぶ親族たちの宴を見ながら、心の中で景色と正反対の冷えた事を呟いていた。

 何もしないだけならまだしも、自分たちが困れば助けてくれと言うくせに、普段は心の中で見下してくる輩などさらに助ける価値が見出せない。

 隠したとしても、目を見ればわかる。そもそも、上手く隠していると思っている者の目ほどバレバレだというのに、それに気づかない者のなんと多いことか。

 はっきり言って笑う気も起こらない。

 しかもその見下す視線の中に、嫉妬がいつも混じっているのも解せなかった。

 自分たちに出来ない事をする力。それが羨ましいらしい。

 だからこそわからない。

「異質なものを嫌うくせに、羨むなんて」

 結局、異質を嫌う根っこはそれなのかもしれない。

 人は自分の手が届かないものに焦がれ、そしてそれが行き過ぎ煮詰まって、嫌悪や憎しみに変わるのだろう。

 行き過ぎる前に諦めるか別の道を取れば、また違った所に行き着くのだろうけれど。

「くだらないですね」

 ついなは物音も立てずにただ呟きだけを残して宴を抜け出した。

 主役のはずの長男がいなくなっても、誰一人として気に留めない。

 元々ついなは妙に冷めていると実の両親や兄弟からも言われ思われ、言動もしっかりしているのも相まって子供らしさとは無縁の所謂(いわゆる)、可愛くない子供だった。

 ともすれば大人よりも冷静冷徹とも言える判断をする事もしばしばで、だから姿が見えなくなっても心配する必要などない。

 いつの間にかそれが大人達の中に根付いたついなへの認識だった。

 大騒ぎして探したら本人に「馬鹿ですか?」という目で見られればさもありなん。

 それが子供に対する親の当然の反応だとしても、吉野の家でついなにだけは適応されるものではなくなっていた。

 祝いに来ている客人達とて、目当ては元服した主役ではない。その家の現当主に、祝いを言うのが肝心なのであって、いくら長男でいずれは代替わりすると言ってもまだ元服したてのひよっこなどに用はないのだ。

 吉野の郷には春に花を咲かせる草木が沢山自生する山がある。

 ついなは屋敷を抜け出し歩きやすい草鞋に履き替えるとその足で山へと入った。

 天狗が出るとか妖樹(ようじゅ)(うごめ)くとかそういう話も絶えない山であるが、ついなには慣れ親しんだ庭だ。

 その山にある(やしろ)には、数少ない友人もいる。

「瑞穂」

 吉野郷を守護すると言われている山の中腹、ひっそりと建つ古い社の朱塗り鳥居を潜り、友人が居る神本殿へ顔を出し呼び掛ける。

「うるさい。今日は忙しい」

 呼びかけたは良いが、友人はそう言って本当に忙しそうに掃除や雑務に動き回っていて、当然面白くは無かったが、それで邪魔するほど子供でもない。

 つまらなそうな顔をしたものの、ついなはそれならと諦めて踵を返した。

 そこかしこから視線を感じる。馴染みの妖たちのものもあれば、他所から流れてきたらしいものの視線も感じた。

「ねえ、誰か遊ぶ?」

 この場合の『遊ぶ』は勿論、喧嘩売ってみる? なのだが。

 途端に周囲から一斉に(あやかし)の気配が散っていく。その事についなは小さく舌打ちした。

「意気地が無い」

 自分の命が掛かっている彼らにしてみれば、相手と自分の力量を比べて判断するのは重要だ。意気地とかそういう問題じゃない。

「別に滅するまでやらないのに」

 そうじゃなくても、喜んで怪我を負うものなんて早々いないないだろうに。

 つまらなそうに溜息をついて、ついなは適当な大岩を見つけると腰を降ろして蒼く透き通った空を見上げた。

「都でもここでも、どちらでも同じだけど、面倒ですね」

 どころか都の方が窮屈さは増しそうだ。

 両親は元服を機に本格的なついなの陰陽寮への入寮話を進めるだろう。それを考えると何もかもが面倒だ。

 唯でさえ友人が居ないのに、たった一人の友人とも離れなければならなくなる。

 ついなは自分が周囲からどう見られているか、そして自分の気性や性格が決して人好きのするものではないと、はっきり自覚している。

 都で友人が出来る可能性は限りなく低い。

「面倒だし、今更学ぶ事なんてない上」

 子供に似つかわしくない重みの溜め息をついて考える。

 家は陰陽の名家と呼ばれるもの。その蔵書は既に一部はそらんじることの出来るほど読み込んであるのだ。

 今更、自分よりも進捗の遅い他者に合わせて学生として陰陽寮に入る事になんの意味があるのだろうか。

「どうせ、適当な時期に適当な女性と(めあわ)わせられるでしょうし」

 (おおやけ)に勤める場所での名家とはいえ、所詮は一部署でのトップ。

 世間一般で言う『貴族』などでは間違いなくない家。

 だからこそ、気を抜けばすぐに没落してしまうのが、自分の家だけではなく『貴族』未満の家全部の現状だ。

 没落を防ぐには、道は二つ。

 一つは、力。

 能力でも財力でも権力でも何でも良いから力でもってのし上がり、困難とか障害とか自分の邪魔のなるものをねじ伏せ、安寧を掴む方法。

 もう一つは、自分のよりも家の格が上の妻を娶る事。

 この国では妻の実家に婿が養ってもらうのが一般的だ。

 ただし、娶った後は自分の力で家を養っていかなくてはならない。

 最初だけは妻の実家に世話をしてもらえるが、そこから先は夫の甲斐性というわけである。

 だから、一夫多妻が認められているとはいえ、幾人も妻を娶る事が出来るのは娶った後に今度は自分が養っていける者のみ。それこそ貴族だけとなる。

 一般的には貴族とはいかずとも、やはり貴族に近いような家柄の妻を娶り、地道に家の格を上げていくのが安定した生活の第一歩なのだ。

「馬鹿としか」

 しかしついなにはそれも気に入らない。

 そんな事の為にどうして、顔も何も知らない相手と『恋愛ごっこ』などしなければならないのか。

「時間の無駄ですね」

 女性はむやみやたらに人前に顔をさらすものではないとか、歌を送りあって駆け引きだの、果てはどう言い方を変えても覗きだろうに、『垣間見』するとか。

 やってられるか。

 見合いで決められた相手ならば少しは手順も半強制だから簡略化されるだろうが、何が悲しくて興味の欠片もない見合い相手と文通して、気が合っても合わなくても、結局は娶わせられなければいけないのだ。

 書物を紐解くほうが余程、有意義な時間を過ごせるというもの。

「好き好んで私と娶わせられるものも居ないでしょうに」

 自分の家は、常人には見えぬものを祓う職にある。

 人間は本能的に自分たちと異質なものが居れば排除しようとするのだから、異能も当然歓迎などされない。

 現に自分の母親は、本人は気づかれていないつもりだろうが、ついなや他の異能を扱う者を、時折見ては瞳の奥に気味悪く思う色を浮かべている。

 実の親子でさえ、異質なものや理解できないものは恐ろしいのだ。

 どんな姫と娶わせられても、相手にとっては自分は異質で、自分にとってみたらそんな視線とそれから一生付き合っていかなければならない。

 冗談も大概にして欲しいものである。

「せめて次男か、それ以降に生まれたかった」

 長男でさえなければ別に無理に娶わせられなくて済むのだが、非常に不運な事についなは長男だった。

 さらに、恐らく極めつけに一番の不幸は、ついなが『本物』だった事だろう。

「……嗚呼、丁度良かった。そう、あなたのような方を待っていたんですよ。最近ではあなたが一番、骨があって感心します」

 不意に落ちた自分を飲み込む巨影に、ついなは座ったままその主を見上げてにっこりと笑った。

 ―― キャシャアアアアアアアアアアアアッ!

 暗く淀んだ瘴気を身に纏い、人の頭など一噛みで粉々にする牙を見せ付けて怒りを表す、虎や蛇の混ぜ合わされた生き物が、ついな目掛けて飛び掛る。

「ふふっ」

 可愛い。とでも言いたげに、ついなが突進を避けながら笑い、物の怪の背を蹴ってその背後に降り立つ。

 尾にある蛇頭が甲高い声を上げながら毒液を飛ばし、ついなはそれを一歩だけ下がり、じゅわっと音を立てて草が黒く焼かれるのを見る。

「使役主が愚かだと、あなたも苦労が絶えないね」

 目の前に居る物の怪は人為的に作り出されたもの。『(しき)』と呼ばれる使い魔の一種だ。

 その性質や性能は人為的なものなら創造主の技量に依るものとなる。

 だからこそ、ついなは哀れむ。

「あなたが最も殺したい相手の命令を聞いて、勝ち目のない相手に無理やり挑まされるなんて、お気の毒です」

 目の前のこの式の作り方はとても古典的で、ついなは(ふところ)から一枚の符を引き出し、微笑む。

「だから、あなたに最後の贈り物を差し上げましょう」

 最近では一番遊び相手になってくれたその式へ、それが自分にしてやれる唯一のお礼だとでも言うようについなは手を伸ばし、符を『式の中』へ押し込んだ。

 断末魔。森の木立がその咆哮に一斉に揺れ、身体を休めていた鳥も地を這う獣も全てがすわ何事かと飛び立ち跳ね上がり、逃げ出す。

 後に残ったのは、ついなと咆哮を上げ倒れ伏した式のみ。

「さあ。あなたの最後の刻。お好きになさい」

 苦しげにもがき、のたうつ蛇尾と断末魔を発して息も絶え絶えの虎頭をもった式は、ついなの言葉に血混じりの泡を吹きながら、―― 狂喜していた。

 蠱毒という呪法により作られた獣にとって、本来一番噛み殺したい相手とは創造主。自分たちを互いに殺し合わせ作り上げ使役する相手。

 本来はどう足掻いても一矢報いる機会など得られぬ相手に、今この時、一矢報いる機会が与えられた。

 ふらつく身体を起こし、式は立ち上がって駆け出した。

 それまでの標的(ついな)などに目もくれず。

「本願、果たせると良いですね」

 それを見送り、ついなは微笑む。

 他人の作った呪詛(じゅそ)を返す事はある程度の者なら出来る初歩とも言えるが、ついながやったのは他人の呪詛への『介入』と『改竄(かいざん)』だ。

 返すだけでは差し向けてきた使役主に跳ね返るだけで、色々と策を講じておけるものならば対処する事が出来るだろう。

 しかし、ついなのした事はその講じてある『安全策』をぶち壊す。

 式を構成する決まり事の一つ『使役主への危害を加えることを禁ず』を『自由意志で行動する事を許可す』に書き換えた。

 それ以外には何も手を加えていないから、思いを果たした後にあの式は消滅するだろう。

「それでやっと、解放される」

 誰かに、望まぬ相手に拘束され何一つ自身の意思で行えないそんな生き地獄から、それでやっと解放されるだろう。

 そこまで考えて、嗚呼、と。

「これは同情ですね」

 多少自由だけれど、恐らくこれは自身とあの式を重ねた結果の行動なのだろうと、ついなはそう思った。

(彼らにしてみれば、一緒にするなと思うことでしょうけれど)

 自身はその気になれば家を出ることも出来るし、何を強制されているわけでもない。

 少なくとも、まだ今は。

 ある意味で飼い殺しのような状況でも、現在の衣食住等を捨ててそれを実行したとして、意味はあるかと考える。

 答えは否。着る物も食べる物も住む場所もある。書物を紐解き術や知識を蓄える場所も時間もある。

 それを放棄する価値のある目的があるかと自問すれば自ずとその答えが出て。

 自分のやりたいことは、そのままでも出来る。役目さえ果たせばあとは自由。

 それだけ保障されている生活。多少意に染まない姫と娶わせられる事になったとしても、家の為だと世間体やら何やら面倒な枷を嵌められたとしても、対価だと思えば仕方ない。

 ついなはそう結論を出してふと、視線を一本の桜の木へと向ける。

 先程飛び立った鳥たちの羽ばたきに叩かれ花を散らしていたが、本来桜は時が来るまで風ごときでは散らない、意外にしぶとい花だ。

 その白と薄紅の中に色が見えた。

「風のカミ」

 淡色の中に若葉のような緑。空を抱き締めるように伸ばされた白く細い腕。

 声の届かない位置にいるのに、花の中から寝起きだというように背伸びして見えたその顔は今にも笑い声が聞こえそうな、楽しそうな笑顔だった。

 姿は女性で、物語の中の天女のようなひらひらした衣を身に纏っていて。

 浅葱色の長い髪と桜の花弁が歌う様な風に踊り、その女性は空へと舞い上がる。

 刹那、本当に偶然。女性と目が合った。

 その瞳の色まではわからない。けれど、ついなは息を止めた。

 楽しそうに、本当に楽しそうに、彼女は笑った。

 それは生命の輝きそのもの。吹いた風は少しだけ強く、けれど春の優しさをそのまま伝えるようなもので。

 吸い込まれるようにその笑顔から目が離せなくて、彼女が飛び立った後もその方向を見つめ続けた。




 ついなの数少ない、というか現時点では唯一の『人間の』友人である瑞穂は忙しさも一段落して、数刻前に追い払った友人を思い出し、眉をしかめていた。

「本当に忙しかった。忙しかったけど……ちょっと言い方、きつかった、か?」

 あの友人に限ってあれで傷つくなんて有り得ないけれど、少々余裕が無くて自分の言い方も無愛想過ぎたのではないか。

 ついなの友人、瑞穂はそう考えて溜息をつく。

「また来たら、餅と茶でも出そうか」

 そういえば、あれはようやく元服の儀を済ませたと聞いた様な気がする。

 曲がりなりにもその挨拶に来てくれたのかもしれないと思い返し、少し悪かったなと思った。

 思った矢先、山を揺らすような咆哮が社へと届き、瑞穂は何事かと本殿を出て周囲を見回す。

「あの馬鹿……」

 この山で、あんな騒々しい音が発生する事態を引き起こし、それが許可される人物の心当たりは(くだん)の友人くらいしかいない。

 今度は何をやった? そう思って頭を抱える。

「追い払ったから? それでか?」

 とりあえず、確かめなくては。その一心で瑞穂は咆哮がした場所を目指し駆け出した。

 幸いな事にそう離れていない場所で桜を見上げて立ち尽くす友人を発見した瑞穂は、友人の名を呼んで無事を確かめようとした。

 のだが。

「―――― 瑞穂っ!」

 がばっ! と。飛び掛るような勢いで振り返った友人(ついな)は瑞穂の両肩を掴んだ。

 常のどこか厭世的な彼とは違う様子に、ぶっちゃけ軽く引きそうになった瑞穂だったが、追い払った為に先ほどの咆哮事件があったかも知れない、と思うと正直にそれを言うのも躊躇われ、結果そこはスルーして話し掛けようとした。

「ついな。さっきは悪か」

「私は彼女を妻にします!」

「…………は?」

 誰が、誰を?

 瑞穂はまた突拍子も無い事を言い出した友人へと胡乱げな視線を投げる。

 かれこれ六年の付き合いになる友人だが、ついに誰かこの友人へ呪詛を掛けるのに成功して頭を壊したのだろうか。そう思うくらい、友人の様子はおかしかった。

 いつも冷めて子供らしくも無いその顔を珍しくも輝かせ、まるで恋する乙女のように頬を染めてやけに力強く宣言した。

「彼女が私の妻になる(ひと)です」

 それから四年。今、友人は有言実行してその『妻になる女性』の隣を多少……いやわりと無理やりな感は否めないが、獲得した。

 執念とはげに恐ろしいものだと言わざる負えない。

(それにしても、誰か呪詛に成功して、頭壊れたんじゃないか?)

 彼の隣に座る風の精霊は、物凄く彼を殺したそうな顔だ。まぁ、無理も無い。

 片やついなはその事が至上の喜びだというように、笑み崩れていて。

(本当に気の毒だ。けど、まあ、友人だから)

 申し訳ない。けれど自分は『ついな』の友人。

(離れる手助けは出来ないな)

 瑞穂は東雲に向けて心の中で手を合わせて呟いた。「ご愁傷様」と。

「……そろそろ帰る」

「別に気を遣っているなら無用ですよ?」

「遣ってない。気を遣うような甘い雰囲気なんて欠片も無い現実を見ろ」

「? おかしなことを。こんなに相思(ラブ)相愛(ラブ)なのに」

 ガタガタと風が怒りに震えるかのように音を立てて衝立のみならず家全体を揺らした。

 瑞穂は本日何度目かの溜め息をついて立ち上がる。

「帰る」

 東域の都での一般的な家屋は周りを囲う築地(ついじ)(べい)、庭、母屋で構成されている。

 貴族ともなればその元々の規模や車宿りなど様々な拡張(オプ)機能(ション)が付くけれど、基本的な構成は変わらない。

 ついなの屋敷……と言っても都に来た際に色々といわくがあり投売り状態だったこの屋敷は、貴族のそれには大分及ばないながらもそこそこの庭があり、小さな池と井戸が存在している。

 瑞穂は居間を出て(ひさし)と呼ばれる廊下へ、そして履物を引っ掛けて雑草が顔を出す庭へ降り立つと井戸の傍らに立ち、木の葉などの異物が入らないようにと被せられている蓋を取って、懐から白い懐紙を取り出す。

 中には数枚の淡い色の花びらが仕舞われていて、それをそっと井戸へ落とした。

「瑞木にも、元気だったと伝えておく」

 井戸の縁に手を掛けて振り返りつつ、ついなとその後に続いて庭へ出てきた東雲へ瑞穂はそう言って。

「ええ。よろしく」

 ついなの応えと同時にひらりと、井戸の中へ飛び込んだ。

 東雲の(りょく)(どう)が訝しげに歪む。

「ちょっと。井戸に飛び込んだわよ」

「ふふ。東雲は優しいですね」

「……。井戸というのは、深いんじゃないの?」

「深いですよ。普通、落ちたら這い上がれなくて溺れ死にます」

 あっさりと友人が目の前でその井戸に飛び込んだにも関わらず、ついなは頷く。

「瑞穂は私の故郷、吉野にある古い社の禰宜です」

 ついなは井戸に近づき蓋を手にして言う。

「そこに祀られているカミはそれなりに力があるので、彼女に愛され、かつ私の友人である瑞穂には、こんな芸当も可能というわけです」

 東雲が井戸の中をちらりと覗く。そこにあるべき人間(みずほ)の姿はなく、深い井戸の水面に小さな花びらが漂っているだけだった。

「もしかして、龍脈(りゅうみゃく)を通ったの?」

「ええ。その通り」

 龍脈とは大地の気の流れの事。様々な場所に流れる気は時に合流し時に分かれ、けれど互いにどこかで繋がっている。

「向こうのカミとここで直通の特別経路を作ってあるので、資格と証を持っている者ならここを通って一足飛びに移動する事が出来ます。中々、人間でも便利でしょう?」

「…………普通、そんな事できないんじゃないの」

「嗚呼。そこらの凡庸には無理ですね」

「……」

「私は希代の逸材陰陽師ですから」

 自分で言いやがった、と東雲は思ったものの、何となくそういう性格なのだろうと諦めもしていた。

 それに、言うだけの実力があるのも、また事実だと身に染みてわかっているだけに、忌々しくて自分の手首を見遣る。

「あ。忘れないうちに」

 東雲の視線の先を追ったついながそんな声を漏らし、何気ない動作で紋様の浮かぶ手首へ触れた。

「っ! どういうつもり」

「どうって……解いて欲しいと言っていたじゃないですか」

 勿論、全部解いたわけではありませんが。そう言いながら、きょとんとした面持ちでついなは小首を傾げる。それからまるで出会いの再現のように微笑を浮かべ言った。

 軽く薄氷の割れるような音を立てて、東雲の手首に浮かんでいた紋様は消え、戒めの許可なくば離れられないというものも解かれる。

「君は私のもの。けれど、君は君のままで」

「あの時は解かなかった癖に!」

「舞い上がってしまって。うっかり聞き逃しました」

「なっ」

 東雲は絶句して思わずついなの顔を凝視してしまう。

 いい笑顔で「ごめんなさい」というそれは、確信犯の顔だ。

「自由に。けれど、出来れば一日一回は君の顔が見たいです」

「顔を見せに来ると思っているの?」

「見せてくれたら嬉しいと思っています。君は私の好きな人ですから」

 その言葉を聴いて、東雲はきりりと眉を吊り上げ、頬を赤く染めた。

(何よコレ! わけわかんないじゃない!)

 首から上、頬が熱い。わけがわからなくて、東雲は思わず顔を背けて地を蹴った。

 ふわりと浮き上がり、ついなを上から睨みつける。

「馬鹿じゃないの!」

(イライラする。……何よ、あの馬鹿面!)

 見上げて黒い瞳を愛しそうに細めて東雲を見るついなに、わけのわからない感情が吹き荒れる。

「いってらっしゃい」

 まるで帰って来る事を確信しているかのように、ついなはそう言って東雲を見送る。

 それがまた面白くなくて、東雲は返事もせず空を駆けた。

(わけがわからない。何なのよ、これ。意味わかんない!)

 いつもは心地良い筈の風音がうるさく思える。わけがわからない感情に思考も何も纏まらない。

 そんな東雲が目指すのは大陸の中心。狭間と呼ばれる地。

 全てが交わるそこに、風の精霊、その長が住んでいる。




「その人間、今すぐ引き裂いてばら撒いてやる!」

 誰が聞いても何事かと思う台詞を吐いたのは、一人の風の精霊。

「えぇ~……。物騒だねぇん。ノースさんやぁ。ちょぉっと落ち着こうよぉん?」

 そしてそれを取り成すのは、どう見ても薄茶色の布の塊にしか見えない、一応、人物である。

 二人が居るのは大陸の中心。狭間と呼ばれる東西南北どこから見ても横たわる狭間峰を越えた所にある場所。

 物騒な事を布の塊に言い募るのは、空色の短髪に白い肌、切れ長の怜悧な紺藍色をした瞳を持つ長身の青年。

 冷たくも整った容貌をした北の地域を主に飛び回る風の精霊だった。身体の線に沿った動きやすくも露出の少ない衣装は白と空色を基調とし、風を表すには少しストイックとも言える。

 常ならばその風貌に違わぬ冷静冷徹なその精霊は、現在絶賛激昂中だった。

「エスティが人間の男の手に落ちるなど、あって良い事ではない!」

「そんな事言ってもねぇ。私達にはぁ、どうしようもないよぉ?」

「そんな事はない! その人間の男を八つ裂きにして葬り去るだけの簡単な仕事ではないですか!」

「いやいやいや、落ち着こうよぉん……」

 布の塊の唯一とも言える露出部分、口許を袖で隠す。

 良い天気だなぁと暢気に家の前に広がる森を眺めて、寒さも薄れ始めた空を見上げていたら、まさしく鬼の形相で「(おさ)あああああああああああああああ!」と叫び空から降り立った青年に胸倉掴まれてガクガク揺さぶられ言われた先の言葉。

「長! これは風の精霊にとっての一大事です!」

「あのねぇ……」

 こんななりでも、この布の塊は風精霊をまとめる長だった。

「ちょぉーっとお嫁に行くだけでなんでそんな事になるのぉ」

「ちょっと? 人間の伴侶などにされる事が『ちょっと』ですかっ」

「あー……。もう。ノースさんや、本当にちょっと冷静になって落ち着いてよぉん」

 とりあえず、この手を放してねぇん?

 そう言って、布の塊はやんわりと自分のローブから青年の手を剥がす。

「別にぃ、何も問題はないでしょぉ? 女の子なんだからぁお嫁に行くことだってあるよぉん」

「そ・れ・は、人間や妖の女の事でしょう! 私達は精霊です」

「精霊だって婚姻を結ぶことくらいあるよぉ?」

「エスティに限ってはない、あってはいけない!」

 えー……何その理論……。と思ったものの、それを返しても堂々巡りの感が物凄くする。だから布の塊は次の事実を言ってみる事にした。

「そぉんなに嫌だったらぁ、あの子自身が片をつけて帰って来るでしょぉ? そうしないって事はぁ、あの子の意思でそこに留まっているって事ぉん。ならぁ、私達が口出す権利なんてないよぉ」

「ぐ……。しかし」

「しかしも案山子(かかし)もないのぉん。あの子の心も生き方もあの子のものだよぉ」

 昔から、この北風は東風に対して執着にも似た感情を抱いている。

(同時期に発生してぇ、やっぱり同時期に域をまとめる立場になったからねぇん)

 発生が同時期なのは人間で言うところの双子や兄妹のような感覚に近いかもしれない。だから気になるのだとしたら、それはわかるけれど。

(危ういんだよねぇ……)

 それも、互いがそうならば釣り合いが取れる。だが、片方だけの一方通行では破綻するだろう。

(何も起こさないと良いけどぉ)

 目の前で不穏な色が消えない紺藍の瞳を見つめ、風精霊の長である布の塊はそっと心の中で呟いた。

(それにしても……あの子にぃ、求婚者って聞いたら、スイさんはどうするのかねぇ)

 当の東雲本人が自分の次に報告もとい愚痴りに向かっている先、狭間の姫と呼ばれる女性を思い浮かべ、布の塊はそっと狭間峰の緑へと目を向けた。




「求婚者?」

 狭間の姫、狭間の薬師。

 そんな呼び名を持つ東雲の友人、スイと彼女に呼ばれている二十歳くらいの女性は、常であれば鈴を転がすような美しい声をやけに平坦な調子に変えてそう呟いた。

 光の加減で青みを帯びる艶やかな、腰を超える長い黒髪。

 新雪のような肌。大きな(アー)()(ンド)型をした瞳は透き通った湖面の水色で、縁取るのは髪と同色の弓形の眉と長い睫。

 瑞々しく形の良い唇は花そのものの様に色づき、見るからに柔らかそうである。

 顔と繊手以外に露出はないものの、比較的体にぴったりと合わせた黒衣(ドレス)の上からでもわかる身体の凹凸は、まさに黄金比。

 一言で表すなら、絶世の美女。それに尽きる女性だった。

 神秘的を通り越して恐ろしいくらいの美貌を持つその女性は、友人である東雲に告げられた言葉を理解しようと胸中でもう一度繰り返し呟く。求婚者? と。

 スイの住居である狭間峰中腹に位置する場所、漆喰と木で造られたその小屋は平屋建て。

 まず扉を開けた場所が居間となっている。部屋の壁には吊るされ干された薬草の束、刀剣類。天井から吊るされたオイルランプ。漂うどこか茫洋とした不思議な香り。

 ここに大釜でもあれば魔女の家と呼ばれるだろう。

 そろそろ出番も少なくなってきた暖炉にはまだ薪がくべられ、程好く室内を暖めている。

 部屋の窓際には物入れ兼長椅子となっている箱型の腰掛けがあり、部屋の中央には長方形の木製テーブルと揃いの椅子が四脚。

 その一対にそれぞれ東雲とスイが腰掛けていた。

「東域の都を知っているわよね?」

 東雲の問いかけにスイは頷く。

「ええ。貴女が担当している地域の首都でしょう? 確か(せん)(とう)という名だったかしら。町並みが西域の(れい)(りょう)と似通っている碁盤の目状で、春は桜という樹木花が美しいと言っていたわね」

「そう。もうすぐ満開になる景色を楽しみにして、いつものように巡っていたのよ。そうしたら……あの変質者!」

「変質者……」

 求婚者なの? 変質者なの? どっちなの? と整った柳眉を潜めるスイに、東雲はどちらもと答えて続ける。

「あの変態陰陽師!」

「陰陽師、とは確か東域の魔術師を指す言葉よね」

「そうよ! あの変態、私の通り道に結界を仕掛けてだまし討ちしたのよ!」

「…………。何をされたの?」

 だまし討ちって具体的に何? とスイが問う。

 その声がやけに静かで、まるで氷のような冷たさだと、頭にきているらしい東雲は気づかない。

 気づいていれば、スイの湖面の瞳まで凍てついた色に染まっていると見て取れただろう。

「飛んでいたら、急に身体が重くなって、落とされたの。しかも、あれの許可なく離れられない(しゅ)まで掛けて!」

「……」

 スイの瞳が物騒な光を宿す。

 手近にあった調合しかけの乳鉢と怪しい色の試験管を引き寄せ、試験管の中身を乳鉢に投入して乳棒を突き立てるとゴリゴリと押し潰しながら混ぜ始めた。

「まぁ、離れられない呪は……解除させたけど」

 でも、と。東雲は怒りが収まらないらしい様子で続ける。

「この私に、仮名(かりな)をつけたのよ。そりゃ、真名を教えるわけないしごめんだけど」

 本来、名前というのは軽々しく他者に教えるものではない。

 名前は、その人を指すもの。名は体をあらわすと言われる事もある。

 東雲のような精霊にとっては、その存在自体を特定するものであり、それを知られるのは魂を握られる事にも等しい。

「真名ではない仮名でも、私には」

「何て言うの?」

「え?」

 スイの問いかけに、東雲が目を瞬く。

「その仮名」

「…………東雲」

 東の空を表す色、言葉。夜が明けて染まる空の色。

 それを聞いて、スイは少し考え、やがて溜め息をついて怪しい薬を調合する手を止めた。

「一応、目はついているみたいね。その変態」

 名はそのものを表す。本来のものからかけ離れたものを付けられれば、精霊は歪んでしまう。

 その点で言えば、東の空を表す『東雲』というのは十分すぎるほどこの友人に似合う名だと、スイは認めざるおえなかった。

 そしてそれは東雲自身も同じで、だからこそ余計にもやもやとしたものが胸中に渦巻いているのだろうと想像に難くない。

(どうしたものかしら?)

 とりあえず始末しようかと薬を作ってみたけれど、話を聴く限り少し微妙だ。

(東雲、ね。感性(センス)はまぁ、良いとして)

 ちらりと東雲を見遣る。確かに、腹立たしく思っているらしい。

 眉根を寄せて、森の緑を切り取ったような深く美しい瞳に薄っすらと涙を浮かべている。

(ああ、こういう顔もするのね。可愛い……じゃなくて)

 自分の初めて見る友人の表情。そして、これが一番大事な事だが。

「東雲。その変態、殺したい?」

「え」

 虚を()かれたように東雲の緑瞳が大きく(みは)られる。

(殺したくはないのね)

 即答が返らず言葉に詰まる。それはどんなに怒っていても殺したいとまでは思っていないという事だろう。

「そ、それは、まぁ、あんな変態に囚われるのは嫌よ」

「そうね。私も東雲がそいつに囚われて逢えないという事なら、即そいつの首を刎ねるわ」

 壁に掛けられている両刃の剣や曲刀は模造品(レプリカ)ではない。正真正銘本物で、スイはそのどれも扱える。口に出している言葉は冗談ではなく、本気だった。

「でも、貴女はそれを望まないようだし、今日のところはこれだけにしてあげる」

 スイはそう言って、東雲に調合していた薬に少しだけ手を加えて差し出す。

 東雲はそれを見て浅葱色の髪を揺らし不思議そうな顔で小首を傾げた。

「これは何?」

「その変態に渡して。これと一緒に」

 添えられた小さな折り畳んだ紙片。畳まれているから中に何が書いてあるかはわからない。

 東雲はスイの手からその二つを受け取り、そっと視線を向ける。

「大丈夫よ。その変態を殺すようなものじゃないわ」

「……わかったわ」

 返事をした東雲は無意識だろう。本人はわかっていないながら、ホッとした表情になった。

 それを見つめながら、スイは少しの微苦笑を浮かべる。

「東雲」

「なぁに?」

「大好きよ。私の一番のお友達」

 だから、貴女を泣かすような男だったらどんな手を使ってでも抹消してあげる。

 スイはまさに大輪の花のような笑みを浮かべながら心の中でそっと、そう呟いた。




 狭間にて交わされていた物騒な会話が届いたのかどうかは定かではないが、東域の都、占唐の仕事場(オフィス)街である大内裏(だいだいり)その一画、天文と暦そして陰陽道をつかさどる部署、陰陽寮の一室にて。

 ついなは文机(ふづくえ)の上で広げていた書き物から不意に顔を上げて、庭、陽の傾き始めた空へ視線を向けた。

「そろそろ帰りましょうか」

 とっくに終わっていた仕事を書簡入れに仕舞い、文机の上に広げた筆や(すずり)を片付けると、ついなは立ち上がって帰路に着くべく寮を出る。

 大内裏は敷地内に幾つもの寮と呼ばれる部署があり、それぞれが別々の建物となっていた。大きな箱の中に小箱が収められているといえばわかりやすいのかもしれない。

 箱と箱の間には隙間があり、それが路になる。

 大内裏を出て露店でにぎわう大路から横の細い路へ。そのままどんどん人気のない界隈にある自宅へと歩みを進めた。

 真っ直ぐに進んでいけば川が見え、一番近い小さな橋のある方へ向かえば程なく我が家が見えてくる。

 と、ついなは家の前に佇む人影に一度歩みを止め、次いで仕方なさそうに息をついてから、その人物の元へと歩み寄る。

()(しょう)。そこで何をしているんですか」

「ついな。待ってたよ」

 壷装束と呼ばれる貴族の姫が出歩く際の標準的装備、丸い縁に半透明の垂れ布を巡らせた笠の下から落ち着いた深い声が紡がれる。

 しゃなりしゃなりと優美な動きで自らも近寄るその人物は、そっと垂れ布を片手で上げて顔を見せた。

 艶やかな長い黒髪はこの地域では美人の必須条件だ。軽く白粉を叩いた肌もきめ細かく、長い睫と切れ長の双眸は涼しげで、紅を差した唇は艶かしい。

「とうとうやらかしたらしいじゃない? 瑞穂から聴いたわよ」

「言い方が悪いですね。念願叶うところまで漕ぎ付けたと言って下さい」

「よく言うわ」

「それで。何の用です」

「ん?」

「それだけじゃないでしょう。わざわざ君が抜け出して来るからには、何かあったんじゃないですか?」

 屋根の付いた木戸を開けて、ついなは花宵に上がるよう勧めた。

 しかし、花宵はどうしたものかという表情でそこから動かない。

「? 何してるんです?」

「いやぁ、私も曲がりなりにも友人として、邪魔するのは気が引けると思ったりするわけよね」

「は?」

「……あ、そうか。まだ気づいてない?」

「何が」

「確認するけど、想い人は浅葱色の髪をした天女? って早!」

 そう花宵が口にした瞬間、ついなはわき目も振らず家の中へ突撃した。

 そう多くない廊下の曲がり角を突っ走り、居間へ転びそうな勢いで駆け込む。

「…………何よ」

「――――っ!」

 仏頂面で出迎えた東雲がぎょっとする。東雲を見て声を詰まらせたと思ったら、いきなり悶えて(うずくま)る変人がいればそれも致し方ないだろう。

 ふるふると悶え、衝動を押さえ込むかのように震えながらもついなが顔を上げ、完全無欠の満面笑顔でこう言った。

「おかえりなさい」

「うっわ。君のそんな顔、初めて見たわ」

 ついなに置き去りにされた花宵がようやく上がり、その場面に遭遇して言った。

「誰?」

「初めまして。ついなの奥方。私は花宵」

「誰が誰の何ですって?」

 森色の瞳が花宵を貫くような眼で見遣る。

「……ついな。物凄く嫌われてるんじゃない?」

「花宵と東雲は初対面でしょう」

「いや、君が」

「花宵、いったいどこに目を付けているのです? こんなに相思相愛の私達に対して」

 ついなの言葉に強い風が家全体に吹き付けてガタガタと揺れる。

「どこに目を付けてんのは、あんたでしょ!」

「勿論ここに。君をしっかり焼き付けておく為に」

「私が火精霊だったらお望みどおり焼き尽くしてやるわよこの変態!」

 堪えきれず東雲が眦をキリリと吊り上げ、ついなの襟を掴んで前後に揺すりそう罵倒した。

 花宵はそんなやり取りから二人の関係を正確に悟ったようで、溜め息一つ。懐から紙扇を取り出し軽く開いて口許を隠す。

「大体、人に妻とか言っておいて他の女連れ込んでるって馬鹿にすんじゃないわよ!」

「他の女性? そんなの今までもこれからもいませんよ」

「じゃあコレは何なのよ!」

 びし! と花宵に指を突きつけ、東雲が言う。それを受けた花宵は切れ長の瞳を丸くし、ついなはきょとんとして、互いに顔を見合わせてから、嗚呼と二人で納得する。

「まぁ、仕方ないか」

「東雲、花宵は男です」

「…………おとこ?」

 若干間を空けてから、東雲は今聴いた言葉を確かめるように花宵へ眼を向けた。

 にっこりと微笑んで東雲に手を振ってみせる花宵は、大輪の花と呼べる華やかな雰囲気と牡丹の様な艶を漂わせている。そもそも、この地域の女性の衣装は重ね着の上で身体の線を出さないから、凹凸がわかりにくい。

「男?」

「君の視界が穢れるのであまり気は進みませんが、なんなら剥いて見せましょうか」

「結構よ」

 東雲は花宵を穴でも開きそうなほど見つめてから、ついなへ冷ややかな表情を向ける。

「そういう趣味なの?」

「東雲、何か物凄い誤解があると思いますが」

「同性同士でそういう関係にある場合、その偽装で女性と付き合っているようにみせたりするのでしょう?」

「違います。私は君一筋です!」

「あー、東雲殿。それはこっちも全力で遠慮するから」

 花宵が微苦笑を浮かべ軽く髪を掻き回す。

「私のコレは、事情があってね」

「唯の女装趣味です」

「違う。いい加減なこと言わないでくれるかな、ついな」

 東雲がまだ疑わしそうな顔でついなと花宵を見た。

「詳しい事は省くとして、これは趣味じゃないよ」

「女装?」

「それとついな。私が女性でも、君は無いね。東雲殿だってそうじゃない?」

「そうね」

「東雲、そんな照れなくても」

「いい加減、吹き飛ばすわよ」

 何を勘違いしたのか照れて頬を染めるついなを、東雲がすっぱり切り捨てる。

「まぁ、一応友人ではあるけどね。その友人が奥方を迎えたって聞いて祝いに来たんだけど……」

 苦笑一つ。花宵はついなを睨んで威嚇する東雲と、睨まれても何故か余計に恥らう乙女と化しているついなを見遣った。

「お祝いはまた日を改めるとして、残った目的だけ果たして帰るかな」

「目的?」

 小首を傾げる東雲に、花宵は表情を引き締め頷く。

「最近、若い男の凍死が増えていてね」

「どうせ夜遊びしたお貴族馬鹿坊(バカぼん)が調子に乗りすぎて凍ったとかでしょう」

「ついな……。まぁ、実際それも一部真実ではあるけど。そうじゃなくて」

「わかってますよ。そこに人以外の関与があるって言うんでしょう」

 つまらなそうについなは言って、冷ややかな光をもった瞳と声音で呟く。

「いっそ十把一絡げでやってくれれば世の中もっとマシになるのに」

「ついな……」

 花宵が額を押さえて唸るように名を呼ぶと、ついなは面白くなさそうな顔でそっぽを向いた。

「はいはい。わかってますよ。言っただけです。君の頼みなら、やりますから」

「この性格破綻者が、あなたの為なら動くの? それって……」

 再び怪しむ目を向けた東雲に、花宵がきっぱり笑顔で言う。

「そのネタ止めてください東雲殿。ただの友人兼上司というだけです」

「上司?」

「ついな……。瑞穂には紹介した癖に、私には連絡どころか、東雲殿への紹介もしないってどういう事かな?」

「わざとじゃありません。機会を逃していただけです」

 うるさそうにそう言いながら、ついなが東雲に笑顔を向ける。

「東雲、これが友人その二です。ある意味上司みたいな感じで」

「まったくわからないんだけど」

「ついな、あんまりだ」

 酷い。その一言に尽きる紹介に、東雲と花宵、双方からそれぞれツッコミが入り、ついなは「冗談ですよ」と笑った。

「花宵。これでも性別は男。裏での直属の上司です」

「……裏?」

「ええ。裏」

 盛大に疑問符が頭上に飛び交う東雲に、花宵が息をついてついなの言葉を引き継ぐ。

「ついなはあくまで陰陽寮の陰陽(おんみょう)得業生(とくぎょうしょう)、つまり見習い陰陽師。でも、時々寮外の人外が関わる事件に限って、手を貸してもらってる」

「私以外ははっきり言って今の陰陽寮使えませんからね。能力的に」

「ついな。君、もう少し謙虚さとか謙遜を身に付ける気はないのかな?」

「無能を無能と言って何か問題でも?」

「……せめて、東雲殿の前くらい性格良くならないかな」

 花宵の言葉に、ついなはニッと笑う。

「いい性格してるでしょう?」

「意味が違う! あー、もう。不毛」

「わかってるなら言わないで下さい」

 しれっと返したついなに、花宵は肩を落とす。

「まったく……。東雲殿、手綱任せます」

「は?」

 唐突な花宵の言葉に東雲の眉が寄る。今、なんと言った?

「花宵、何を言っているんです」

 ついなもやや胡乱気に花宵を見遣り、首を傾げて。

「え? だって、これから東雲殿も一緒に仕事を」

「却下」

 すっぱりと一刀両断したついなは畳み掛けるように言う。

「君、何を血迷っているんです? 東雲を危険な目に合わせるわけないでしょう。そもそも女性に手伝わせようなんて男のする事ではありません」

「え。先日、三条の姫君に迫られて仕事場で一晩過ごせるなら考えますって返してなかった?」

「そう言えば尻尾巻いて退散するでしょう。断るための方便です」

「ほう。じゃあ、やってみると言っていたら?」

「連れて行って言葉が本当か確かめますよ。本当だったとしても結局、お断りしますが」

「鬼より酷いよ、ついな」

 花宵が今度こそがっくりと頭を垂れた。

「私の妻は東雲だけです」

「誰があんたの妻ですって……?」

「君です」

 にっこりと音までしそうな笑顔でついなは東雲の両手をぎゅっと握ろうとして、避けられ、しゅんとする。

(ちょっと。そんな顔したら私が悪いみたいじゃない!)

 騙されるな。相手は罠まで張って自分を嵌めた性悪陰陽師。

 東雲は自分にそう言い聞かせる。

「…………本当に、東雲殿に助力は乞わないの?」

「ええ。必要ありません」

「っ!」

(不快だわ。何で……?)

 胸に(つか)えて、もやもやとした不快感。心が曇るようで、不愉快で、わけがわからない。

(手助けしろって、命令されたわけじゃないのよ? その逆なのに)

 何故、どうして、それらがぐるぐると頭の中で回っている。

「花宵。仕事の話なら、私の部屋でします」

「本当に関わらせる気、ないんだね」

 呆れたような花宵の言葉に、もやもやが募るばかりの東雲が思わず声を上げた。

「ちょっと」

「東雲、後で夕餉を一緒に取りましょう。少し、花宵と話してきますね」

 ついなはそう言って、会話を打ち切るように花宵の背を押してそこから出て行ってしまう。一人残された東雲は、ぽつんと立ち尽くす。

「何なのよ……」

 我知らず、東雲の声音は低くどこか悔しさの滲むものになっていた。

(悔しい……? 私、悔しいの?)

 手伝えと言われたら、身の程を知れと突っぱねてやろうと思っていたのに。

 言われたのは正反対。

(要らない……。何よ、それ)

 胸元を無意識に片手で掴む。今はもやもやよりも圧迫されるような閉塞感が支配する。

(何なのよ、コレ。気持ち悪い。苛々する)

 捕まった時とはまた違う。あの気持ち悪さと、何が違うのかはっきりわからない。

 けど、気持ち悪い。それと、苛々する。

「何よ……」

(要らないなんて、言わなくたって良いじゃない……)




「あのさ、さっきのあれは不味かったんじゃないかな?」

「何がです?」

ついなの自室に場所を移し、花宵は若干心配そうに居間のある方向へ視線を投げた。

だというのに、言った当の本人(ついな)は全然わかっていなそうだ。

「君ね……。好きだ何だと言う割りに、鈍いよねそういう所」

「だから、何がです」

 少し苛立った様子でついなが花宵に問い返す。

 そんなついなの様子に、花宵は微苦笑を浮かべた。

「まだ子供って事だよ」

「失礼ですね。元服はとっくに終えています」

「そういう事じゃなくてね」

 仕方ないなと思いつつ、花宵は腕を組む。

「まぁ、良いか。そのうち、嫌でもわかる」

「花宵」

「あまり長く抜け出していると良くないからね。とりあえず、さっき言った通りの事件が頻発している。陰陽寮にも依頼は出しているけど、多分君まで降りてこないだろうから」

 花宵の言に、ついなは今をときめくと噂される陰陽寮の貴公子『吉野様』の笑顔で返す。

「見る目ないですからね。あのボンクラ共。自分たちより能力がある者への仕事割り振りが出来ないのがボンクラの最たる特徴なので仕方ありませんが」

「本当にその性格少しどうにかすれば、非の打ち所が無いって言えるんだけど世の中うまくいかないね」

「話は以上ですか?」

「ああ。報酬の話はまた明日。宴の松原で待っているよ。仕事帰りにでも寄って」

「わかりました」

 花宵とついなの話も途切れ、さて帰ろうと花宵が廂に踏み出す直前。それは起こった。

「東雲殿?」

「どうし……っ!」

 つかつかと居間から東雲が廂を渡り姿を現し、ついなの顔面に何か白いものを投げつけ言う。

「顔、見せたわ。それじゃ」

「え。ちょ、東雲!」

 慌てて追い縋ろうとするついなを東雲が、きっ! と鋭く睨みつける。

「大っ嫌い!」

「――え」

「あっちゃー……やっぱり」

 放たれた言葉に放心するついなを置き去りにして、東雲は軽く廂を蹴って庭へ。

 そしてそのまま浮き上がり空高く舞い上がると何処かへと行ってしまった。

「……ついな」

 ちろっと花宵は隣のついなを見遣る。

「きらい、って。なんで……」

 茫然自失。まさに真っ白になっている友人がそこにいるわけで。

「……」

 あ。これ面倒くさい事になるかも、とは思った。

「ねぇ! 何でですかっ? 一体何が駄目だって」

「あー、うっさい! 落ち着きなさい」

 予想に違わず『吉野様』とか呼ばれている面影を粉砕して、ついなは花宵に掴みかからん勢いで縋りつく。それを引き剥がし、花宵は溜め息をついた。

 きらい……嫌い……キライ? と打ちひしがれているついなを見て、もう一度溜め息を零す。

「落ち着い……」

「大がついて嫌いって言われっ」

 駄目だ落ち着いてなかった! と花宵が顔を引きつらせたのとほぼ同時。

「落ち着けバカ」

 冷静な声と冷めた瞳で、つい先程顔を合わせた友人がついなの頭に拳と言う鉄槌を振り下ろしていた。

「あら。瑞穂」

「先程ぶりです。花宵」

 痛みに頭を抱えているついなを捨て置き、花宵と瑞穂はほのぼのと挨拶を交わす。

「どうしたの。帰ったと思ったけど」

「はい。そちらに寄った後、忘れ物をした事に気づきました。ので、引き返したんですが……」

「ええ。まぁ、思いっきり想い人に対して失言して逃げられた末路」

「はぁ……。短い一方的な春だったみたいだな」

「君達、労りという言葉はないのっ? あと、末路じゃない! 東雲に嫌われるなんて何かの間違い! そう誤解があっただけ!」

 うっわ。こいつ現実から目を逸らしやがった。とは思ったものの、瑞穂も花宵も言うだけ無駄。猫に小判、豚に真珠。

 言葉と気力が勿体無いという事は既に明白かつ過去から照らし合わせても揺ぎ無かったので、互いに顔を見合わせて溜め息をつく他にない。

「そう。何かの誤解です。荒事に大切な女性を巻き込まないって、当然の配慮で嫌われるなんて」

「ついなから女性を巻き込まないのが当然の配慮とか聴こえた。明日は雷雨だね」

「いや、川の氾濫があるかも知れない。土嚢作りを今夜中に進めるべきだ」

「失礼ですね!」

 ぎろっと恨みがましい二人に向けつつ、ついなは頬を膨らませる。

「いや、失礼なのはついなだよ。東雲殿にあんな事を言うなんて」

「状況がついなが振られたって事しかわからないので、花宵詳しく」

「振られてません!」

「ついなにいつもの仕事持ってきたんだけど」

「嗚呼。お疲れ様です」

「ちょっと! 黙殺するってどういう事ですかっ」

「人外絡みだし、東雲殿って風のカミでしょう? だから一緒に共同作業でもするかと思ったら……」

 この(どん)、事もあろうに要らないって言った。花宵は呆れた眼でついなを指差してそう言おうとして、固まった。

「…………ついな?」

「共同作業……一緒に…………」

 黒瞳を見開き、愕然とした面持ちで何やら呟く様は、不気味である。しかも。

「ふ、ふふ……あは……」

「ついな? え。何か憑かれちゃった?」

「否、単純に壊れただけだろう」

 ついなに憑くとかそんな根性ある奴まだ見た事無い。瑞穂がそう付け足す。

「共同作業! そうだったんですね! ふふ。東雲はやっぱり照れ屋さんですねっ」

「立ち直った……あと、何か私、その理由が」

「皆まで言う必要はありません。わかります」

 何か物凄く勘違いしている。確実に。

 ついなを見る二人の視線は互いに互いの意思を正しく理解していた。

「ふふふっ! そうです。私が東雲に嫌われる筈がありません。嗚呼、やはり東雲は可愛いですね」

 頬を染めてそんな事を声高に叫ぶ年下の友人に、花宵と瑞穂は顔を見合わせ、その想い人である東雲へ向けて心の中で合掌した。

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