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風伯恋歌  作者: 琳谷 陸
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風伯恋歌 ―― ストーカー陰陽師は風を追う ――




 君は唯一無二。私の最愛を捧げる(ひと)

 だから――


「一生、道連れにして差し上げます」







 冴え冴えと青白い月が、碁盤の目のような規則正しい町並みを蒼く染め上げている。

 望月には未だ至らず、雪の面影残る早春の都に夜風が冷気を纏って吹きぬけ、夜を支配する。

 こんな夜に主人の供を申し付けられた牛飼い(わらわ)などは、己の運の無さを恨めしく思いつつ、早く屋敷へ戻ろうと牛を少しだけ急かす。

 迷惑そうな牛の鳴き声が余計に人気のなさを煽り、侘しさが募ってしまう結果となる。

 そして、極力揺れを押さえた漆塗りの牛車の中、主人である貴族の男は牛飼い童の心境など考えもしない。

 彼が想うのは今しがた別れてきたばかりのさる姫君のことだけである。

 文を交わし、今夜は直接声も聴いた。中々に良い雰囲気も作れただろう、と。

 満足げに車内で脇息に持たれて口許に笑みを浮かべていた。

 この分で行けば、直接顔を見る日も遠くないだろう。

 心を躍らせ、さて次の手はどう打つかと、物思いに沈みかけた所で、車が大きく揺れて止まった。

 思考を強制的に打ち切られた事に気分を害しつつも、常ならばない牛飼い童の失態に訝しく思い、どうしたのかと声を掛ける。

 ご主人様、と呼ぶ声にこれはいよいよおかしいぞと御簾を軽く上げて見た。

 その牛飼い童が示す先に、女がいた。

 何もかも蒼く染めた月下の大路、旅の途中なのか市女笠を手にして佇んでいる白い着物の女だ。

「なんと……」

 思わず感嘆交じりの声が零れた。その女があまりにも美しかったからだ。

 流れるような黒髪、市女笠を手にしているから顔は露わになっており、その淡雪のような肌や赤い唇、通った鼻梁まで余すところ無く見て取れる。

 男の頭からは最早先程まで思い描いていた姫の事は消えていた。声を掛けようと身を乗り出すと、主人の様子に気づいた牛飼い童が慌てて止めようとする。

 その制止を片手で押しのけ、男は車を降り、佇む女へ声を掛けた。

 男の呼びかけに、女はそちらを見て、ツゥッと。

 雪のように白く冷たく、怜悧なほど美しく、微笑んだ。





 ハルトという真円に近い形をした大陸の東域に、占唐(せんとう)という名の国がある。

 碁という白黒の玉石を打つ遊戯盤のように、縦横の通りが作る町並みが特徴で、大陸のどの地域よりも春が美しいと言われる地でもある。

 そんな占唐の都、都の中であるにも関わらず寂れた気配が濃厚な、とある一画。

 十年来の友人に、妻が出来たので紹介したい、と招かれた瑞穂(みずほ)は、早春のまだ少し寒さの残る昼時少し前、その友人の屋敷を訪れていた。

 この地域では一般的な板張りの床に、簡単な衝立で区切られたその一室で、こう思う。

 吉野(よしのの)ついな。十六才。黒髪黒目で陰陽の名家出身。

 性格は兎も角、見目だけはそれなりの所為かそれとも有能さ故か、一部の姫君たちにはわりと引きもきらぬ辺り世も末だ。

 そんな、目の前に座るにこにこ笑顔の狩衣(かりぎぬ)姿に烏帽子(えぼし)を被ったこの友人は、いつか何かやる、とは思っていた。

 だが、まさか本当にやるとは……。

「ついな……」

 瑞穂は薄茶色をした自身の短い髪を、ぐしゃりと掴んで呻くように友人の名を呼んだ。

「はい。ふふ、どうです。瑞穂。まさしく天女の美しさと愛らしさでしょう」

「その天女が眼光だけで射殺しそうな目を、お前に向けているが」

 水端鳴木神(みずはなきのかみ)を祀る社の禰宜(ねぎ)である瑞穂は、友人の隣で、今にもその友人を殺しそうなくらいに緑の目を鋭く光らせている女性を見遣った。

「嗚呼。こういう顔はこれで力強くて美しいですよね」

 そう、ついなが口にすると同時に晴れた外から部屋の衝立(ついたて)を揺らし、風が吹き込んでくる。

 その風が、女性の腰を越すくらい長い浅葱色(あさぎいろ)の髪をふわりと舞い上げた。

 どう見ても怒りに震えているそのままを表している。

 瑞穂の背中に冷たいものが滑り落ちたのだが、その怒りを向けられている筈の友人は嬉しそうに頬を染めて、女性に見惚れている。

 そう。頭大丈夫かこいつ。と思うほどに笑み崩れながら。

 陰陽寮(おんみょうりょう)の期待の星だとか、名家の名に恥じぬ実力だとか、内裏(だいり)で囁かれる事もある友人だが、今は率直に言ってバカ面だ。

 それを射殺しそうな目で見ているのは、ついなが長年文字通り追いかけて捕まえた『風の精霊(カミ)』で、名を東雲(しののめ)と言うらしい。




 何がどうなってこうなった。そう思うことは人間なら誰しも一度くらい、またはそれ以上あるだろう。無いという者もそれはそれで結構。

 東の空を主に飛び回っていた東雲も、何がどうなってと思った事など、今までは一度とてなかった。

(―― どうしてこんな事になったの?)

 風精霊の一人である自分が、何故、このバカみたいに笑み崩れている人間の隣に座っているのかと、何度思い返してみてもわからない。どうしてこうなった。

 板の間で円座(わろうだ)という藺草(いぐさ)を縄にし渦巻状に編んだ丸い敷物の上、正座をして同じように隣で座る陰陽師を、晴れた日の深い森の緑を宿した瞳で睨みつける。

(そう。森……。明らかに、故意)

 自分がどうしてこんな場所にいる破目になったのか。

 事の発端はいつものようにこの都を少し外れた森を気ままに飛び回っていた時。

 初めに感じたのは、

(悪寒だったわね……)

 早春の山端や都には梅の香りに、芽吹き始めの薄緑。

 花が先に開く樹木が多いこの地域ではまだ茶色や雪の白が目立つ。

 それでも澄んだ空気は駆け出したくなるには十分な理由で、気の向くままひらひらとした衣の袖や裾を翻して赴き、宙を駆けていた。

 心踊りもっと駆けようとしたその時、人間と違い実体などないのに、首の後ろから背筋にかけてゾゾッと気持ち悪い感覚を覚え、次の瞬間には視界が回って、落ちた。

「きゃっ!」

 空から落ちるなんて有り得ない。

 有り得ない筈なのに、現実は地面の上に実体を伴って座り込んでいる今がある。

「何よ、どうなって」

「嗚呼、お怪我はありませんか?」

 人間。若い男とも呼べない、(わらべ)を少し過ぎたくらいの人物。それが歓喜と狂喜を織り上げたような声音でそう言った。

 黒曜石のような黒い瞳と、(からす)の翼みたいな黒く長い髪は後頭部あたりで一つにまとめている。動きやすく(わき)の開いた狩衣と呼ばれる薄香色(うすこういろ)の衣と黒い(くつ)

「立てますか?」

 差し出された手と、まるで眩しいものでも見るような表情に、わけもわからず混乱して固まった。

「誰」

 誰何(すいか)した自分の声が、思えばその気味悪さに既に震えていたかも知れない。

「~~っ!」

「え。何」

 しかも、いきなりその人間が目の前で悶え始めたら、ドン引きしても仕方ないと思う。

 思わず、東雲は座ったまま後退りして身を引いた。

「…………ついな」

「は?」

「私の名は、ついな、と呼んで下さい」

「つい、な? ――――っ?」

 その名を呼んだ瞬間、周囲が眩しく光った。堪らず瞳を閉じて、開けた時、そこに見えたのは。

「この(とき)をどれほど待ったか。……やっと、(つか)まえた。私の愛しいヒト」

 ついなと名乗った人間が、自分の手を両手で包むように握っていて。

最期(さいご)まで道連れにして差し上げます。だから、私の妻になって下さい」

「気安く触るんじゃないわよ! この変質者っ!」

 今、心底思うことは一つ。

(見た瞬間に殺しておけば良かった……)

 東雲は笑み崩れるついなと、自身の右手首に極々薄く浮かび上がり透ける光の唐草紋様に歯噛みする。

 森のお気に入りの通り道、仕掛けられていた人ならぬものを捕らえる結界。

 そこにまんまと嵌って囚われた。とどめはついなの『名』を呼んだ事。

 こうして欲しいという願いを受けて、名を呼ぶことでその願いを叶えた。

 了承したと、捉えられたのだ。

(だまし討ちと同じじゃない!)

 それに応じて結界に予め仕込まれていたらしき術式が発動し、それは東雲の手首へと薄く光る透明な腕輪になり現れ、解呪する間もなく証となって手首へと薄い紋様になって定着してしまった。

貴女(あなた)は私のもの。けれど、貴女は貴女のままで」

「ふざけるんじゃないわよ! この変質者! さっさと解きなさい!」

「嗚呼、夢のようです。貴女と一緒に居られるなんて」

 駄目だ。話が通じない。未だかつてこれ程までに気力を消耗した事の無い東雲は、絶望と疲労を滲ませた緑の瞳で、その変質者で夫宣言した人間の男を、睨み付ける。

 口惜しい。人間のこんな年若い自分から見たら雛でさえない卵状態のものに、力を封じられ落とされるなど恥じ以外の何ものでもない。

 差し伸べられた手を、手首に紋様が浮かぶ方の手で叩き返す。自力で立ち上がり、自身と同じような高さにあるその顔を改めて睨み付けた。

「もう一度言うわ。さっさとこの戒めを解きなさい」

 叩き返した方の手、甲を上にして突き出し怒りを抑えつつきっぱりとそう言う東雲を、ついなは眩しそうに瞳を細め見つめてから静かに(うやうや)しくその手を取って。

 ―――― 口付けた。

「なっっっにすんのよこの変態っ!」

 べしっ! と小気味良い音と共に見事な平手打ちがついなの頬へ決まる。

 それでも嬉しそうに笑顔で立ち上がるついなに、東雲は改めてぞわりと背筋に悪寒を感じてしまった。

 まるで生きる屍のように、いくら叩いても蹴倒してもきっと笑顔で立ち上がるだろう相手を目の前にすれば、さもありなん。

 ついなは引っ叩かれて少し赤くなった頬をものともせず、懲りずに東雲の手を握って言う。

「怒った顔も可愛い」

「黙りなさい」

「貴女の声はどんな名器も及ばぬ妙なる調べ」

「耳が聞こえないわけではないでしょう。―― 黙れ」

 誰が聞いても氷点下の吹雪めいた声音でついなにそう言うも、言われたついなは、じっと真っ直ぐに東雲を見つめ、そして微笑んだ。

「好きです」

「っ!」

 何故か、東雲は息が詰まった。虫唾の走る甘い言葉は聞き流せても、何故かその言葉だけは耳の奥にこびりつく。

(何よ、コレ)

 人間と違って自然の気が(こご)って生じた精霊には、肉と骨の器はない。上位精霊である東雲達くらいともなれば肉体を作り出して仮初めの器を得ることは出来るけれど、東雲は今、そんな事はしていない。

 なのに、息が詰まる。

(気持ち悪い! 何よ、コレ!)

 息の根を止められるような閉塞感。ありもしない体温を感じて、気持ち悪い。

「貴女が……君が、好きです」

「だ、黙りなさい!」

(おかしい。おかしいわよ! 何、このぞわぞわする感じっ)

 落ち着かない。胸の奥がざわめく。不快。意味不明。

 わけもなく心が揺れる。しっかりと握られた手を振り払うことも、もう一発平手を見舞う余裕もどういうわけか無くなって、ただただ狼狽してしまう自分に気づいて東雲は愕然(がくぜん)とする。

 こんなのは、今まで感じたことも無い。

「君の名を、教えて頂けませんか?」

「う、うるさい。言うわけないでしょ。いいから、もういい加減黙りなさいよ!」

「では、君が教えてくれるまでの間。君に私から名を贈ります」

「そ、んなもの」

 要らない。けれど、真名を教えるのなんて論外。

 言葉に東雲が詰まった間に、ついなはにっこりと笑顔で言う。

「東雲」

 その名を呼ぶ声に、込められた熱に、東雲は思わずついなを真正面から見た。

「好きです」

(悪夢よ。……この私がこんな変質者に)

 強制的に結ばれた(えにし)に囚われ、ついなが良いと許可を出さない限り一定の距離以上に離れられない。

 よりにもよってこんな変態に好かれるなんて、と東雲は心の中で頭を抱える。

「……それ殺されても致し方ないというか、殺されると思わなかったのか?」

 東雲とついなの『馴れ初め』を聞いた瑞穂がぽつりと、そう呟くような声音でついなに問う。

 ついなは相変わらず笑み崩れたままきっぱりとこう言った。

「それはそれで構わないと思っていました」

「聞いたのが間違いだった……」

 瑞穂の深い、首を垂れるほどの溜め息と、東雲は打ち上げられた魚のように、はくはくと開いた口が塞がらない。そんな無音の叫びを物ともせず、さらについなはこうも続けた。

「最愛の方によって幕を閉じられるなら、本望でしょう?」

(―― こっちはちっとも本望じゃないわよ!)

 心の中で切に魂切(たまぎ)る叫びを上げようとも、笑み崩れるついなにそれが通じるとは思えない。瑞穂は罠にかけた陰陽師(ついな)と、罠にかかった(しの)精霊(のめ)を交互に見て、そっと東雲に気の毒そうな表情を向けた。

(そんな顔するくらいなら、どうにかして!)

 何はともあれ、東雲の叫びは届きそうになかった。

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