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主食はビーフウエリントン

メルヴィル「白鯨」はなぜ世界十大小説か

アクセスありがとうございました。

よろしければ、おすすめ小説もお読みください。


①「Kの冒涜」(SF小説)

https://ncode.syosetu.com/n9707cu/


②「空飛ぶカレー本舗」(ハードボイルド)

https://ncode.syosetu.com/n3310dl/


  昨日、テレビで映画「白鯨」を少し見た。1950年代の古い映画で、原作はもちろんハーマン・メルヴィルの「白鯨」だ。

 私は高校生の頃、新潮文庫の「白鯨」を読もうとしたが、あまりのつまらなさに途中で挫折した。

 サマセット・モームの世界十大小説に「白鯨」は選ばれている。同じ十大小説でもドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」やトルストイの「戦争と平和」ならなるほど傑作だと理解できたが、「白鯨」のどこが面白いのか当時の自分には理解できなかった。


 ところが三十歳を過ぎた頃、ふと図書館から「白鯨」を借りて読んでみると、あまりの面白さに一気に読了した。これぞ文学の醍醐味だ、これぞ小説の中の小説だ、というのがそのときの感想だ。

 今読んだら、もっと違う感想になるかもしれない。

 だがネットを見ると、どうして「白鯨」が名作なのかわからない、という感想が多い。



 なぜ三十過ぎて「白鯨」が面白いと思ったのか。そしてなぜ十代の頃はつまらなかったのか。

 人間として成長したから面白さがわかったというより、三十の頃はSRS速読術を身に着けていたからだろう。速読術により、かったるい長文でも苦労せず短時間で読めて、大長編の全体像を俯瞰できた、という読書力の違いが大きな要因だと思う。



 小説「白鯨」の中には巨大な存在がいくつも登場する。モービー・ディックなる鯨、舞台の大海原はもちろん、主人公イシマエルの周囲にいる登場人物は、みな彼より体が大きく、筋骨隆々とした船乗りだ。

 エイハブ船長が身長が高かったかどうか覚えてないが、船乗りの荒くれ男たちを従える絶対的ボスだから、巨大な存在と言っていいだろう。


 一方、この小説で一番ちっぽけで取るに足らない存在が間違えなくイシマエルだ。彼は中学校の教師を辞めて捕鯨船の船乗りに転職した。同僚の船乗りの中で学歴は一番高いかもしないが、この職場ではそんなものは役に立たない。体も小さく腕力も弱いイシマエルは、ネイディブ・アメリカン出身の学のない船乗りよりも、この職場では落ちこぼれなのだ。

 

 ところが語り手のイシマエルは、同僚の大男たちに負けじと虚勢を張って雄弁にまくしたてる。学のあるところをひけらかすため、小説のプロローグから学術論文的な色彩で物語をはじめ、鯨学の薀蓄を滔々と披露する。

 イシマエルの語りは、ある意味、教師から船乗りへ転職して惨めな思いをしている男のたわごとであり、そのたわごとの膨大な集積が小説「白鯨」の本体なのだ。

 ちりも積もれば山となる。ゴミも積もれば夢の島ができる。たわごとも積もれば、読者を圧倒させる長編小説、それも世界十大小説に選ばれる傑作ができる。

 イシマエルの語りに圧倒された読者は、この小説で一番巨大な存在は、モービー・ディックでも、大海原でもなく、小男イシマエルの語りそのものであることに同意するだろう。

 イシマエルの語りはモービー・ディックよりも、大海原よりも巨大であり、エイハブ船長より強靭なのだ。

 そしてこれこそが小説の醍醐味なのである。

 


 「白鯨」の面白さは夏目漱石の「吾輩は猫である」のそれに似ている。あるいはジョナサン・スイフトの「ガリバー旅行記」や沼正三の「家畜人ヤプー」の面白さに通じるものがある。


 小説は語りによって構成させる宇宙空間である。

 語り手が独特の視点を持っていれば、同じストーリーでも”奇抜な宇宙空間”が出来上がる。

 それが面白いかどうかは読者個人の好き好きで、権威ある評論家の意見に従わなければならないものではないだろう。

 だが「白鯨」が古典的名作とされるのは、その”奇抜な宇宙空間”を面白いと思った読者が少なからずいたはずだからだ。

 イシマエルがこのようなキャラクターでなかったら、ストーリーが同じでも「白鯨」は全く違った世界になっていただろう。


 実はイシマエルという名前は旧約聖書から来ていて、異端者や周囲から浮いている人を意味する。作者が意図的に小説の語り手をイシマエルと命名したのは明らかだ。

 そしてまたエイハブ船長たちはモービー・ディックとの死闘で敗北し、イシマエルだけが生き残るというストーリーも、作者の意図だ。要するにイシマエルは雄弁に語る以外、何もできない無能な鯨オタクであり、だからこそ彼の語りが際立つのだ。


 たかが鯨オタクの戯言。されど鯨オタクの戯言・・・・。

 読者によって好みはあるだろうが、この”されど”に共鳴した読者にとって、「白鯨」は世界十大小説にランクインされる風格を持っているのである。

 そしてまた、畢竟、一人称小説とは語り手がでっち上げる虚妄の体系なのだというメッセージが、作者、ハーマン・メルヴィルの哄笑とともに、「白鯨」読了後に聞こえてくる気がしてならない。


                                        (完)

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。よろしければ、『主食はビーフウエリントン』シリーズの他のエッセーもお読みください。


①スポーツ不要論

②学校不要論

③天皇制に替わる国家元首制の考察


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 学校教師だったのはイシュメイルではなく著者のメルヴィルです。 またメルヴィルは12歳で父を亡くした時にはすでに経済的事情から学校を辞めていました。彼に学歴などありません。 また当時のア…
[良い点]  視点が面白いです。 [気になる点]  特になし。 [一言]  あの映画は好きですね。特に特撮が……。加えて意味的に原作とは違う仕上がりなのに、そう思わせないブラッドベリのシナリオがすごい…
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