プロローグ 観光バスに乗る愚か者二人
初めてのちゃんとした中編で、プロットを書いて、序盤の本文も書き進めていました。
ところが、大幅な方針転換を行うこととなり、作業はかつてない難航を極めました。
初稿とは全く違う内容となり、四苦八苦している状態です。
自己評価としても、あまり納得が行っておりませんが、読んでいただけると嬉しいです。
なぜ、人は旅をするのだろう。
何の変哲もない観光バスの中に、二人の愚か者がいた。一人は、山根隆。もう一人は、冴木裕也。
この二人は旅は意味のないものだと思いながら、自ら否定する旅人になっていた。旅というものにすがっていた。これは、この矛盾する行為は、愚か者にほかならない。
山根と冴木は、特別親しい間柄ではなく、付き合いもなかった。なのにいま、二人は一緒の座席に座っている。
「僕が旅行するなんて思ってなかったです。アウトドアの良さが全くわからないので」
冴木が、メガネに手をやって言う。
「わざわざ休みの日に、遠出をして、疲れて帰ってくる。っていうのが理解できません。楽しいことなら、家の中や近場にたくさんありますよね」
山根は何も言わなかったが、その意見に同意だった。同時に、山根の脳裏には、懐かしい記憶が蘇っていた。
子供の頃。小さかった頃。自分の通う学校の校区外に出ることを禁じられていた。その本当の理由は、校区の外には世界なんて広がってなくて、世界の果てを子供に見せないようにするためだと本気で思っていた。
テレビに映る東京とか大都市なんて幻。自分の住む生活圏が世界の全て。自分以外の人間は自分をだますためのロボットか何か得体のしれない存在。そういう不思議な空間で生かされている、それが自分。
そんな、漫画や映画みたいな夢物語の世界が真実だと言う価値観で支配されていた子供時代。物心付くかつかないか、それぐらい幼い時から、マンガやゲーム、パソコンみたいなものに毒されていたのが悪いのか。馬鹿馬鹿しい思考性に取り憑かれていたのは、生い立ちが良くなかったからなのかと未だに自分を責めたりする。一方で、そんな自分を冷静に客観的に見て、普通の人はそんなおかしな考えを持ったりしないと思ってたりしてた。
しかしいい歳になっても、この考えを捨て去ることが出来なかった。
山根は一人、東京に出てきた時、自分の目で見て、足で感じて、初めてそれがあることを実感した。やはり自分の目で見て、感じないことには本当に信用出来ないのが人間という生き物の性ではないのか。
だから、生活圏内から脱出して旅行をするのかもしれない。人間誰しもが、見えない牢獄にとらわれている。いつも同じ場所で、同じ景色で、同じことをして生きていく人間社会。気がついていないだけで、ふとした瞬間に、そのルーチンワークから逃げ出したくなるんじゃないか。
人間という生き物は不思議なもので、70年80年の長寿だというに、その大半を同じことをして潰していく。俯瞰的に人間を見ると、じつにおかしな習性を持っていると感じる。
今の山根は、人間という個から脱皮して、まるで神にでも昇華したかのような高揚感を得ていた。その達観した考えは、全知全能の神たりうる存在こそが到達できる境地とまで思った。
そしてこの神々しい悟りを真っ先に誰かに伝えたかった。その矛先は、山根のすぐ隣りにいる冴木へと向けられた。
「……ハハ。だからみんな旅行で現実逃避してるんでしょうね。さあ、もっと飲んでください」
それを聞いた冴木の対応は、泥酔状態のオヤジをあしらうそれに酷似していた。山根は、すっかり酔いつぶれていた。やけ酒だった。酔った勢いで興奮していたが、次第に強い眠気に襲われて、静かになっていく。
眠りに落ちる寸前、山根は窓ガラスに映った自分の姿を見た。いつの間にか増えた白髪に、くたびれて生気のない顔。――まるでそれは、ゾンビや幽霊のように見えた。その姿に恐怖しながらも、深い眠りにまどろんでいった。
観光バスは順調に目的地へと走り続ける。愚か者二人を乗せて。その先に待っているのは、儚くも楽しい世界か、それとも……。
続きは間を開けずやりたいと思っております。
気長にお付き合いいただければと思います。