ツンデレさんの正体
私の夫は少々面倒臭いかまってちゃん……いわゆるツンデレさんである。
貴族には当たり前の政略結婚で結ばれた私達、これまたよくある話で初夜の際、きっぱりはっきり愛しません宣言をされました。それは私も同じ気持ちだったので子種と立場さえ頂ければ愛人を作ろうと、連日夜遊びしようと全然構わなかったのです。実際結婚当初から派手に遊び歩き散々それを私に見せつけていた夫ですが、相手をせずにいるとこれまた怒り……と本当に鬱陶しい方なのです。しかも大抵その晩は激しく責め立てられるので、身体的にも辛い。確かに私は彼を愛してはおりません。ですが体を交えていれば少なからず情は湧きますし、貴族の娘としての矜持だってあるのです。社交界で堂々と浮気され、挙句嘲笑される身にもなってください。幾ら鋼の心と言われる私だって傷つく心はちゃんとあるのですよ。
ですから妊娠の報せはまさに渡りに船でした。これ幸いと領主館に引きこもった私。田舎育ちには華やかな王都よりも地方の素朴な空気の方が合います。それはもうのびのびと、馬を走らせたり(侍女長が卒倒し侍従長にはしこたま怒られました)、街へ働きに出たり(護衛に一人で行動しないよう泣きつかれました)、とても楽しい毎日を送っていました。
勿論、貴族夫人としての役割を怠ってはいません。あれで夫は官位を賜っており出仕する身、忙しい分領地に関する多くの采配は私に任されており、代理領主のようなものをしています。そういった意味でも、私は王都にいるより領主館にいる方が都合が良いのです。社交での同伴は夫婦が理想ですが、国王主催のものでもなければ別に愛人や恋人が務めても問題はありません。いっそ、このまま別居に雪崩れ込み、生まれた子供が大きくなったら定期的に王都と領地を往復させれば良いのではないでしょうか。
そういった類の手紙を認めた2日後、何故か夫が血走った目をしてやって来ました。そのまま寝台へ……と、待ってください、私は妊婦なのですが。関係ない?いえいえ、大ありですよ。
「私を捨てて他の男を囲う気か?」
いやいや、意味わかりませんから。捨てるも何も拾った覚えはないといいますか、どう飛躍したら愛人の話になるのか全くの不明です。大体。
「既に囲っている方には言われたくありませんわ」
当家の不自然な資金の流れを見ればあからさまに分かろうというもの。それで無くとも体を重ねる毎に愛人の存在をこれでもかと主張されていたので、別に今更ですが。優れた身体の持ち主であろう愛人と一々比較されるのはあまり気分の良いものではありません。どうしてこんなデリカシーの欠ける男が持て囃されるのか、世の不思議なところです。
「なんだ。妬いてたのか?」
「はい?」
正気でしょうか、この男?目を見張る私を余所に、そうかと勝手に納得している夫。それまでの不機嫌から一転して、にまにまと笑みを浮かべる夫に、開いた口が塞がりません。
「そんなに言うなら、仕方ないな。暫くはお前のそばにいてやるよ。嬉しいだろう?」
「いえ全く嬉しくありませんお仕事もお有りでしょうどうかお帰りください」
「拗ねてるのか?ここまで譲歩してやってるんだ。いい加減機嫌直せよ」
急にべたべたとしてくる夫が気持ち悪……ではなくうざ……ああ、とにかく鬱陶しい!
「譲歩も何も結構です。それよりも胎教によくありませんので出て行ってください」
「な……!?」
「貴方が行かないのであれば私が出て行きますわ」
邪魔な身体を押し退けて、足早に廊下を歩いて行きます。途中、侍女に馬車の用意を言い付け、簡単な荷作りを命じました。後はと、ぐるりと首を巡らせていると、血相を変えた侍従長がやって来ます。
「何方へ行かれるのですか、奥様」
「ランディアール離宮に滞在中の友人の所にでもお邪魔するわ」
静養中の友人から度々誘われていたのですが、忙しいからと断っていたのです。ですが、丁度いい機会なので訪ねようかと思い立ちました。あそこでしたら夫もやっては来ないでしょうし、出産まで穏やかに過ごせるでしょう。
「ランディアール離宮といえば確か第3王子殿下が滞在中と」
「ええ。マティスとは幼馴染ですの」
数年前にあった国境沿いの小競り合いの最中に怪我をして以来、冬になると傷が痛むそうで湯治をしに離宮へとやって来るのです。毎年のように誘われてはよく遊びに行っていたので、離宮の人々とも面識があり気兼ねする必要もありません。マティスが隣国との合同演習に行っている最中に結婚をしたので報告も出来ていませんので、純粋に幼馴染と会いたい気持ちもあるのです。
「どうかそれだけはお待ちを!」
「まあどうして?ちゃんと産み月には帰ってきますわ」
「旦那様を見捨てないでやってください!」
だから何故そうなるのでしょう。地に伏して懇願する侍従長にどん引きです。
「ええ!?ちょ、やめてちょうだい侍従長」
「奥様が行かないと仰るまではこの老骨も引けませぬ」
騒ぎを聞きつけて人が集まってきています。誰かが旦那様をお呼びしてと叫ぶのが聞こえました。ああ、このままではまた面倒くさい夫に捕まってしまいます。強行突破しようとしますが、侍従補佐やら侍女までが一丸となって廊下を塞いでいて出来ません。友人宅へ遊びに行くだけでなんという騒動でしょうか。
「皆さん落ち着いてくださいな」
「お願いします。どうか旦那様を見捨てないでください」
「坊ちゃまは照れていらっしゃるだけなんです」
「素直になれない人なんですよ」
と、夫を庇う内容の言葉が使用人達口々について出ます。愛されていることと思いながらも、どうしてこんな大事になっているのか理解出来ません。そうしているうちにとうとう夫に捕まってしまいました。
「私が悪かった!だから頼むから行かないでくれ」
く、苦しい。手を叩いて訴えると、少しだけ力を緩めてくれました。
「先程から大袈裟過ぎますわ。いつも通り友人を訪うだけではありませんか」
「そうして帰って来ないつもりだろう」
「産み月には戻ります」
「……嘘だ」
「本当です」
「根拠は?」
「自分の家へ帰るのに理由が要りますの?」
それともここが私の家だと思うことすら許されないのでしょうか。妻は夫に従うものですが、だからといって不遇に甘んじる気は毛頭ありません。こうなったら全面対決も厭わないつもりで睨みつけると、なんとも形容し難い表情を浮かべる夫がいました。
「貴女はここが自分の家だと本気で思っているのか?」
いつもの乱暴な口調とは違う昔と同じような丁寧な応答に、すっと頭が冷めました。突き放した物言いに一線を引かれた気がして、胸が苦しくなります。ああ、だから夫と居たくないのです。いつもいつも、彼は私を惨めにさせるのですから。
「そうだと言えば貴女はさぞご不快でしょうね。ですがお生憎様、私が貴方の妻である限り、ここは私のお家でもありますの。ですから、」
高ぶった感情が決壊して涙が出ると思った瞬間、言葉の続きごとぱくりと夫に食べられてしまいました。呼吸が満足に出来ないのに絡ませてくる舌は執拗で、生理的な意味で苦しくて仕方ありません。意識が遠のきこのまま酸欠で死ぬかもと、間抜けな死に方を想像したところで漸く解放されました。
「す、すまない。大丈夫か」
崩折れて咳き込む私に、同じく廊下の絨毯に座り込んだ旦那様が背中を優しく叩いてくれます。その優しさはもう少し前に発揮して欲しかったですが。
「……幾ら腹立たしいからと酷いです。あんまりです」
「すまない。本当に悪かった」
おや?何時もなら言い返してくる夫があまりにも殊勝なので、なんだか気が削がれてしまいました。いつの間にやら壁も無くなっていることですし、さっさと行ってしまいましょう。ということで、その手を離してくださいな。
「愛してるんだ」
そうですか。いいからその手を放して……ってええっ!?いえ、この人は突然何を言っているのでしょう。冗談、にしてはやけに真剣ですが。これは如何すれば良いのでしょうか。いきなりの告白に固まる私に夫は苦笑し、下ろしていた髪の一房に口付けました。
「貴女の気持ちが最初から私に無いことは、いや、私の事を憎んでいるのは分かっているんだ」
ずっと避けていただろう?と言われ、私は頷くしかありません。ですが待ってください。私は初対面の人相手に憎むほどの感情は持ち合わせていませんよ。
「慰めはいらない。私はマティス殿下不在を狙って強引に貴女を奪ったのだから」
「何故マティスが出てくるのです?彼はただの友人ですよ」
「友人?恋人の間違いだろう?貴女が殿下と恋仲なのは周知の事実だ」
「やめてください。あんな乙女だn、いえマティスとだけはあり得ませんから、絶対!」
外見こそ軍人らしい巌のような人ですが、中身は女よりも乙女らしいのがマティスです。殿下の武器庫と言われている秘密の間は、実はフリルやレースだらけのピンクな乙女空間であり、ぬいぐるみやら人形、果ては人を着飾らせて遊ぶのが奴の趣味なのです。ところがマティスの趣味を知るのは家族と私くらいなので、夜会の度に彼の作ったドレスや小物がよく送られてきていましたが(因みに結婚後もしょっちゅう送られてきます)……まさかそのせい?
「本当に?」
「本当です!」
「そうだったのか……」
力強い否定が届いたのか漸く納得していただけたようで何よりです。
「ところで旦那様。貴方の本来の一人称は何方なのですか?」
「一人称?あ、いや。その私は……いや俺はっ」
いつになくあたふたする夫はとても面白くてつい笑ってしまう。ずっと不思議だったんです。結婚前に聞いていた夫の人となりがあまりにも違っていたから。そう、私の予想が当たっていれば夫はきっと。
「笑わないで聞いてほしい」
耳まで真っ赤にした夫は、とうとう白状しました。
「其方の旦那様の方が好きになれそうですわ」
!ネタバレという名のキャラクター紹介!
主人公:
某公爵家の令嬢。普段は所領に引きこもって好き勝手生活している自由人。元々冷めた性格なので、ツンデレを目指す旦那を悉く相手にせず放置。そのため旦那は毎晩涙で枕を濡らす羽目に。いじられるより苛めたい派。旦那の本性を知ってからは上手く尻に敷いている。
夫:
某伯爵。有能な美男子だが、肝心の嫁からは全く相手にされていない不憫な人。たまたま王宮(第三王子の元)にやってきていた主人公を見て一目惚れ。第三王子の噂を聞きつけ、彼のように振る舞えば好かれるかと思い婚約期間中に頑張ってキャラ作りした。本当はかなり真面目で、かなりのへたれ。使用人達は主人の気持ちを知っているので応援しているが、嫁には見事にあしらわれている。和解?し合ってからは重い愛を寄せながら幸せに暮らしている。
マティス:
第三王子。表向きは超クール、主人公の前ではそっけない口調ながらも表情筋がかなり緩むために、某伯爵からツンデレと思われた。因みに周囲に誰もいないときにはオネエ言葉である。筋肉むきむきの雄々しい外見と乙女な中身のギャップが激しい。将軍職に就いており、その実力は肉体に比例してかなり高く部下からは慕われている。数々の名品が眠るとされている”殿下の武器庫”だが、花柄の壁紙に可愛らしい椅子や机、手作り感満載のぬいぐるみや人形達が鎮座する乙女趣味満載の部屋である。夜な夜なドレスや小物を作っては、妹や主人公に送りつけている。行事があるたびに主人公を同伴者に選ぶのも自分で着飾らせて遊べるから。乙女な愛読書だけは主人公と気が合う。作中唯一名前がある人。