日常
コーヒー、淹れるのめんどくさくなったので最近は紅茶飲んでます。
日常 田島圭吾
ベッドの上で目が覚める。強めの風が頬をなぞる。健やかに二度寝を決めようと窓を閉めようと思ったが、窓はすでにしまっていた。何の風だろうかと風が吹く方を見ると、ふっくらとした桃色の唇と目が合った。起こしてはいけないと思い、ゆっくりとベッドから降りる。一階に降りてお湯を沸かす。お湯が沸くのを待っている間にコーヒーミルで豆を挽き、ドリッパーにフィルターをセットし、豆を入れる。やかんから甲高い音が鳴り、IHの過熱をオフにする。マグカップにドリッパーをセットし、やかんのお湯を円を描くように三回にわけて入れる。以前働いていたカフェの先輩から教わったやり方だ。そうこうしているうちに愛理が階段を降りてくる音がした。冷蔵庫から八枚切りの食パンを二枚トースターに入れ、焼き上がりを待つ。
「私より早く起きるなんて珍しいですね、おはようございます」
「疲れてても寝れない日もおじさんになるとたまにあるんだよ。若いうちだけだよ、ぐっすり眠れるのは」
はいはい、と冗談を受け流し、テーブルに座る彼女の前にコーヒーを置き、自分の分のコーヒーも同じ流れで作り始める。自分の分を淹れ終えたと同時にトースターから音が鳴る。薄い皿を二枚だし、一枚ずつパンを乗せる。
「蜂蜜、イチゴジャム、マーガリン、プレーン。どれがいい?」
「じゃあイチゴジャムでお願いします」
イチゴジャムとスプーン、そして自分用の蜂蜜を取り出し机の上に並べる。
「お赤飯でも炊けたらよかったんだけどね」
「あんまり昨日のこと蒸し返さないでもらえます?」
「後悔しないって言ったじゃん…まあいいや。質素な食事でごめんね」
「いえ、いつもより数億倍いい食事です。それに、何を食べるかより誰と食べるかじゃないですか?」
「嬉しいこと言ってくれるね、俺も同じ考えだよ」
彼女は少し頬を紅潮させた。自分の言ったことが今更恥ずかしくなったのだろうか。
そうして食事を終え、皿を洗い終えると、また提案をした。
「ここは安全じゃないことが昨日立証されたね。どこか行きたい場所とかある?」
「そうですね、ここは確かに安全ではないですし…かといって移動したい場所も思い浮かびませんし…あ、そうだ。小倉に戻りませんか?」
「たしかに、そうしようか。よし、荷物まとめようか」
荷物をまとめ、父の車に乗り込む。忘れ物がないことを確認し、エンジンをかけ、出発した。道中学校の前を通りかかったところで何かが飛び出した。急いでブレーキをかけ、何が飛び出したか確認すると、元カノさんこと花京だった。
「死にたいならまた別の方法を取ってもらってもいいかい?それじゃあ、もう出るから」
「待って、確認したいことがある。時間は取らない」
「…まあ、いいけど」
「女の子も降ろして」
そういわれたので愛理に車から降りるよう促した。
「それで、聞きたいことって?」
「まず一つ、ツタに覆われた日、その前日の記憶はある?」
言われてみれば、考えてもみなかったことだ。ツタに覆われた日、その前日は十二月二日のことだろう。バイトが終わって、そのあとは…
「そういえば、思い出せないな。学校に行って、バイトもして、そこから記憶がない」
そのときふと愛理が日記をつけていることを思い出した。
「愛理ちゃん、日記書いてたよね。十二月二日のこと、何か書いてたりしない?」
「ちょっと待ってくださいね、一二月二日…だめです、パスワードをかけていて開きません」
「自分のつけたパスワードなら、わかるんじゃないの?」
花京が語気を強めてそう言った。
「お前もしょっちゅうパスワード忘れてただろ」
「今は緊急事態なの、そんなことはどうでもいい」
うんざりする言い分だ。何か言い返そうかと思ったが、どうでもよくなってやめた。
「だめです、私が作りそうなパスワードは全て開きませんでした。ほかにもAAAやABCとかの適当なものも入れてみたのですが、開きません」
「そっか、じゃあそれはいい。二つ目、あんたが言ってたこと思い出したんだけど、自殺ってどういうこと?」
「聞く気があるのならもちろん、教える。前みたいにまた自分の意見を押し付けるなら…」
「いいから話して」
「わかったよ、話す。まず、世界がツタに覆われてから今日で四日目だ。だが、お前からしてみれば、まだ二日目だ。なぜか、死んだら記憶がリセットされて、その場で翌朝に復活する仕組みになっているからだ。お前は世界がツタに覆われてから二日目の時点でなぜか飛び降り自殺を謀った。これで問題ないか?」
「そう…わかった、問題ない。それと、もう一つ。昨日家に帰ったんでしょ?私の親父に合わなかった?」
「残念ながら、生きているよ。昨日遭遇して、彼女が襲われかけた」
「あんたのその体格であの人に勝てたの?」
「人間は自分よりも大きい動物に勝つとき、何を使う?」
「…道具だろうね。ナイフでも持ちあるいてるの?」
「正解は銃。警察官の抜け殻を漁ったら比較的簡単に入手できる」
カバンを漁り、リボルバーを花京に手渡す。
「どうせ遭遇するだろうから、使うといい。俺は、人を殺した道具を持ち歩きたくはない」
「…そう、ありがとう。聞きたいことはもう終わり。足止めして悪かったね、愛理さん」
「あ、いえ。全然大丈夫です」
「それじゃあ行こうか」
車に乗り込み、エンジンをかける。リボルバーをいじくりまわしている花京はこちらには目もくれていない。もちろん、目を合わせたくもないのだが。
「私たち、思ったよりもこの世界について知らないのかもしれませんね」
山口市を抜け、山陽小野田市に差し掛かったところで不意に愛理の口から出た言葉には激しく同意した。
「たしかに、そうだね。今わかっているのは…ツタに覆われた日、その前日の最後らへんの記憶はない。人間以外の生物は消えているし、その人間も数少ない。一二月三日を繰り返している。そして、死んでしまえばそこで記憶がリセットされる、ぐらいかな」
「もっと言えば、私たちが影響を及ぼした事象は翌朝になってもリセットされないとか、SNSは元の世界に通じている、とかですかね」
「そういえば、美香ちゃんと連絡とれるもんね、写真や通話はできないけど。事象がリセットされないってのは車とかベッドのことだね。片付ける手間が減るわけじゃないから、寝てる間にベッドメーキングが終わることがない…不便だね」
「その感じだと、部屋は大変なことになってそうですね。私と一緒に片づけしましょうか」
そこまで散らかっているわけではないのだが…とはいえ行く場所もないので、私の家に向かうことにした。
日常 中西愛理
彼が運転する車に揺さぶられ二時間程で小倉北区に着いた。彼は市街地に車を走らせ、昔ながらのアパートに車を停めた。少し古そうな駐車場は上を見上げても下を見下げても緑に覆われていた。車から降りて彼についていくと、オートロックを開錠しようとしているのだろうが、苦戦しているようだった。
「鍵穴まで植物が入り込んでるみたいですね。もしかしてとは思うのですが、その自動ドア、蹴破ろうなんて思ってないですよね?」
「俺のこと蛮族だと思ってる?そんなことはしないよ」
そういうと彼はロビーを出てすぐ左のドアにカギを差し込んだ。
「そういえばオートロックの方はエレベーターだから、こっちにすべきだったね」
「もしかして、階段ですかその先」
絶望する私を横目に彼は階段を登り始めた。彼が住む四階に着くころには私はとっくに息を切らしていた。
「愛理ちゃん…その体力で今までどうやって生きてきたの?」
「心配しなくても小倉にはエスカレーターという便利なものがありましてね、山口とは違うんですよ。山口とは」
「うわ、愛理ちゃんもとうとう山口いじりしてくるようになったんだ、おじさん心外かも」
対して年齢は変わらないはずだが。そんなことを考えてる間に、四〇六のドアが開いた。彼に促されて先に入ると、そこにはツタが入り込んでなかった。
「ツタ、掃除したんですか?」
「いや、そんな時間はなかったよ。ただ、ここにはあまり緑が侵食してきてないみたいでね」
「いやていうか、部屋汚いですね。これ人間が住める環境なんですか?」
そんなに汚れてるかい?と横から聞こえてきたが、はい、とだけ返して床に座った。彼がリビングのドアを開けると、着いていこうと思い、足に力を入れると、彼から制止された。仕方なく床に座っているとすぐに呼ばれた。
「今まで気づいてなかったんだけど、ツタが伸びてる」
「あ、えっと、そうですか」
「そうなんだよ。ベランダ、今まで手すりの上の部分にちらちら見える程度だったのに今じゃ足の踏み場もなくなっちゃった」
「この部屋も足の踏み場がないですね」
足元に散らかったぬいぐるみや教科書を見ながらゆっくりと縫うように前進する。部屋の中程まで進んだらギターとベースが本棚に立てかけられていることに気づいた。
「これ、エレキですよね。弾けるんですか?」
「んー、あんまりだね。もうほとんどインテリアって感じ。愛理ちゃんは?」
「ちょびっとなら。でも私はアコギですけどね」
「へえ、弾いてみてよ」
「床を片付け終わったら」
床には大量のぬいぐるみと授業で使ったであろう教科書やプリント類が花畑のように所せましと散らばっている。これはなかなかに、骨が折れそうだ。
片付けが終わるころには、夕方になっていた。掃除する前と後ではトリックアートのように部屋のサイズが見違えて見える。
「それじゃあ、約束通り演奏します」
アンプとエレキギターを繋いでもらい、音を調整してもらい、ギターとカポ、ピックを手渡された。カポを、弦に装着し、深呼吸をする。
「下手ですから、期待しないでくださいね」
演奏を始め、歌いだす。一つ一つの音を大事にしながら、平常心を保とうとするが、ラブソングを思い人の前で歌うのは少し恥ずかしく、音が外れてしまった。サビに入ると、彼は目の前から消えていた。探す余裕もないのでそのまま演奏をしていると、ボンボン、と低い音が私の音を支えてくれている。エレキベースを弾く彼は様になっていた。そのまま二人で走り終えると彼は私に微笑みながら拍手をしてくれた。
「弾き語り上手だね、尊敬する」
「圭吾さんこそ、あんまり弾けないって言ってた癖に上手じゃないですか。詐欺ですよ」
「いやいや、ベース買って最初に演奏した曲だからだよ。他の曲だったら混ざれてなかったよ」
「…だけど、人と演奏するのってこんなに楽しいんだね」
「人がいないから音も出し放題ですしね。もうずっと、このままでいいと思っちゃいます」
「それ、前も言ってたよね」
「はい。逆に聞きますけど、圭吾さんは元の世界に戻りたいんですか?」
彼は左の掌で右の肘を支え、右手で顎のあたりを支え、考えるそぶりをみせる。いつもの癖なのだろう。
「たぶん、このままの方がいいね。でも、今気づいたんだけど元の世界の記憶があいまいになってる気がする」
「それ、たぶん歳ですよ。自称おじさんなんですから」
といいつつも、確かに、一二月以前の記憶がかなりあいまいになっている気がする。
「一つ聞きたいんだけど、愛理ちゃんと美香ちゃんってどういった出会いだったの?」
「美香、ですか?突然ですね。美香は私を…」
美香は私を…続く言葉を神妙に待つ彼を横目に左上を眺め、思い出そうとするが、何も思い出せない。
「美香は私を、どうしてくれたんでしょうか…」
「やっぱり、詳細が思い出せないよね。俺も、元カノのこと全然思い出せなかった。なんで付き合い始めたのか、なんで別れたのか。きっと、思い出せたはずなのに」
「あんまり元カノさんのことは話してほしくないんですけど。そういう女心の理解の薄さが原因なんじゃないですか?」
「あ、いや、ごめん。でも、他の友達とかバイト先の先輩とかも全然思い出せないや」
「そうですね、私も中学の頃の友達のこと、全然思い出せないです」
「愛理ちゃん、今美香ちゃんについて覚えてること書き出してもらってもいい?俺も他の友人で同じことやってみるからさ」
「…対照実験ですか?」
「そういうことになるね。ところで俺と愛理ちゃんで思い出せないことってあるのかな?」
「いや、あんまりないと思います。そもそも関わっている期間自体短いですし、どれもこれも強烈ですから」
「たしかに、世界がツタに覆われたってのは強烈な出来事だね」
「いや、学校で煙草吸いだしたり、部屋がとてつもなく汚かったりのことですけど」
「いやいや、そんなに汚くなかったよ」
汚部屋の住人にもなると、清潔感に異常でもきたすのだろうか。衣食住における清潔感をもうちょっとバランスよくしてほしいものだが。
「ていうか、日も暮れてきたし晩御飯にしようか」
そう言った彼はキャビネットを漁り始めた。
「今日は俺が作るよ」
でもコーヒー淹れてみたんですよ、気分だったので。カフェイン中毒で呼吸が苦しくなったのでもう淹れません。




