懐古
たぶんこれが一番長いです。読みにくいとは思いますが、応援しています。
懐古 田島圭吾
車を走らせ、母校に到着した。高校三年間、あまり良い思い出もない。あるのはただ、義務的に打ち込んでいた勉学と部活の苦しみだけだった。高校時代の同級生ももうこの世界にはいないのだろうか。そんなことを考えながら職員室に向かった。
二年生の後半、大会で三年生が引退したそのときから私は部長になっていた。部長としての役割を果たすため、毎日昼休みに職員室まで行って顧問から部活で行うべきことを聞いていた。そのたびに老いた口から吐き出される悪臭に顔を歪めないようにするのが大変だった。そんな思い出を彼女に話すと、彼女は笑ってくれた。
職員室に入り、すべての教室を開けるためのマスターキーを入手し、それとは別に顧問の机に掛けてあるカギと必要ないのだが、昔の癖で部活動ノートを手に取った。
「今日はこの学校でゆっくりしよう。明日は実家に帰るんだけど、正直まだ心の準備ができていないからね」
弱音を吐くと彼女は微笑み、私の不安を包み込んでくれた。
本館を抜けて右手には大きな体育館がある。一階におりると柔道場があり、そこでは柔道部やレスリング部、剣道部に空手部が活動していた。いつも汗臭かったその場所は想像よりも臭いが控えめでむしろ、自然で透き通った空気が流れていた。それもとうぜんで柔道場は緑で覆われたトンネルのようになっていた。
二階に昇ると、そこは普段女子バレー部が使っていたフロアがあるのだが、建物の入り口や窓から少しずつ、自然に還っていた。フロアを横切りステージをよじ登り、下手…観客からみて左手側にまっすぐ進むと演劇部が占拠している楽屋がある。楽屋と言っているものの、実際は薄暗い天井裏であり、空気が悪い場所のようだ。私は空気が悪いと思ったことはないのだが、どうやら埃臭いらしい。当時の部員たちがそう言っていた。
楽屋のドアを開けると目の前には急な勾配の階段がある。通常の階段の二倍ほどの高さがある一段一段を昇り、学生時代から落ちた体力にがっかりしながらソファーに座る。背もたれがないタイプのそれは壁側に配置し、みな壁に背をつけていた。
「ま、待ってください…もう無理です…」
階段の方から絞り出した声が聞こえる。上から覗き込んでみると、階段の中ほどで愛理が力尽きて四つん這いになっている。そんな姿が面白くて、この世界で初めて本気で笑った。
「な、なんで笑うんですか…早く手貸してくださいよ…!」
「わかったわかった、ほら、左手伸ばして」
彼女の左手を首に回し、肩を貸してやると彼女はなんとか昇りきることができ、畳の上でばたんと倒れこむ。うつぶせの状態の彼女を仰向けにし、部室に放置してあった扇風機を少し当ててやると真冬なのに彼女は扇風機にしがみつき独り占めしだした。
「この部屋かなり寒いはずなんだけど、よく扇風機に抱きつけるね?」
「そりゃそうですよ!なんなんですかあのバカみたいな階段!あれを毎日昇ってたって言うんですか?」
「うん、そうだけど…そんなにきつかったかな?」
「当たり前ですよ!そうやってすぐ人を馬鹿にして…プリン持ってこなきゃここで暴れます」
この部屋には劇で使ったであろう木刀や竹刀がある。暴れるには十分だ。ここで死ぬわけにはいかないので、学校の食堂を漁ると、案の定プリンが置いてあった。それを持って帰る途中、妙なものを目にした。学校の中に人影のようなものが見えたのだ。場所は四階の音楽室だ。
音楽室向かうには三階まで昇ったあとに、渡り廊下にある階段を少し昇り、そのあと螺旋階段を昇る必要がある。この運動量を重い楽器をもってこなすのだから、吹奏楽部はやはり運動部だろう。螺旋階段に差し掛かった時、激しい音が上階から聞こえた。少しこもった音は、密閉された音楽室から漏れたのだろう。
―誰かがいる。それは不安でもあり希望でもあり、また失望でもあった。
音楽室のドアを勢いよく開けると、空いた窓にはカーテンが暴れており、その手前にはコントラバスと机が倒れていた。下から人影だと思ったそれがコントラバスであることに安心し、音楽室を後にする。そのとき確かに人が目の前にいた。ただその人は逆さまだった。目の前のそれは「あ」とだけもらし下に落ちていった。一階から轟音が鳴り響き、そしてまた静寂が訪れた。
死体を漁り、確認したのはこの学校の女子生徒だったこと、そして大量のリストカットの跡だった。彼女は誰も持ち歩いていなかった生徒手帳を丁寧に持っていた。その中にはおびただしいほどの同じ名前が書いており、それはページをめくるごとに乱雑になり、最後には判別ができない状態になっていた。
生徒手帳とプリン、そして財布を持ち楽屋に戻りながらこのことを愛理に報告するべきか悩んでいた。私たちは人間が消えた世界に生きている。しかし、この世界で死体は一度たりとも見ていない。少なからずショックを受けるだろう。念のため体育館入り口のトイレの近くに彼女を呼び出した。
「人を怒らせておいて呼び出すとは…なかなかいい御身分ですね」
膨らんだ頬が、私の真剣な表情に気づき段々としぼんでいく。とうとうシュンとした彼女にプリンを手渡し、彼女に事の顛末を報告する。
生徒手帳以外のすべてを報告したとき、彼女はうつむき、一緒に見に行こうと提案をくれた。血まみれの肉塊を見たとき、彼女は想像よりも冷静に目を閉じ、花を一輪彼女に捧げた。
「白いユリには純潔という花言葉があります。恐らく彼女も、そうであったのでしょう」
「そうであったが故に狂ってしまい、こうなったってことかい?」
彼女はそうだという表情を浮かべ、こう言った。
「夜が明けたらこの子はどうなっているんでしょうね?」
「さあ…でも狂わされたこの世界にもう一度生きることは苦しみになるだろうね。もし生き返ったとしても、いずれは何度も自殺を繰り返し、絶望するだろう」
「私も、そう思います。ですので、私たちで看取りませんか?」
「賛成、だけどどうするの?」
「火葬です。グラウンドにはあまり植物が伸びていませんでしたよね?」
「だったら話は早い。そこのドア開けていてくれる?」
彼女は従順に従い、私は女子生徒を運び出す。そこは地下駐車場で、教員はよくそこを利用していた。今でも何台か停まっている。片隅にあるドアの中にはポリタンクが保管してある。愛理にそれを運んでもらい、女子生徒をグラウンドの中央まで運び、ポリタンク内のオイルをすべてかけてもらった。
ZIPPOライターは突然オイルが切れて火が付かなくなることがある。そのため普段から予備としてマッチを持ち歩いていたが、それがこんな形で功を奏するとは思わなかった。風が収まったグラウンドの中央にマッチを投げ込み、生徒手帳を投げ込む。炎が紙を、服を、肉を燃やし、しばらく燃えてから煙はすべて夕焼けに消えた。ほとんど満タンだったポリタンクの中身を丁重に掛けたおかげで、もはやだれか判別できる状態ではなかった。
懐古 中西愛理
「なぜ生徒手帳を持ってたんです?」
女子生徒を空まで昇らせたあとに一つ疑問が湧いた。彼は燃えている彼女に向かって手帳を投げつけた。突然のことで何かよくわからなかったが、今になってあれは生徒手帳なのではないかと考えたのだ。そうでなければわざわざ彼女と一緒に投げ捨てる必要はない。
「母校の後輩の生きた証を残そうと思って。誰か知らない生徒だけど、OBとしてなにかできることはないかなと思ったから」
彼はそういった後に財布を出した。ピンクのレザーの財布だ。
「また掏ったんですか?」
少しきつい言い方だっただろうか。
「そうとも言えるけど、彼女はこの学校が好きじゃなかったみたいだから代わりに、ね」そういいながら彼は財布に付いていたキーホルダーを眺めた。少し前に爆発的に流行った二頭身のキャラクターのそれは少し欠けていた。
「きっと、学校よりもこのうさぎの方が彼女は好きだっただろうね」
「じゃあこれからは三人で旅をすることになりますね。その子、責任もってなくさないで持ち歩いてくださいね」
そんなことを言った後に少し、嫌な気分になった。彼は他の誰かにも優しいのだろうか。私だけを特別扱いしてほしい。そんなことを思った自分が嫌になり、水を飲んで落ち着いた。
「この学校、シャワー室とかないんですか?」
「あるにはあるけど使ったことないからどうなってるかわからないよ?」
「いいんです。今日はいろいろありましたから。とりあえず、案内してもらってもいいですか?」
彼に案内されたのは保健室だった。中に入ると、奥に「シャワー室」と書いてあるドアがあった。彼はホテルからタオルを何個か拝借してきたらしく、保健室のベッドにおき、ドアの方に向かった。
「行かないでください」
ふと、そんな声が漏れてしまった。彼は不思議そうにこちらを振り向き、少し考えた後に天井のレールから下がっているカーテンを広げ、私からは見えなくなってしまった。
「とりあえずここにいるから、シャワー浴びて服着たら呼んで」
少し早口でしゃべる彼にありがとうございます、と返事をして服を脱いだ。シャワー室の前にセーラー服と下着を畳み、シャワーを浴びる。シャワーは少しぬるく、冬の夜には厳しいものだった。
シャンプーやボディソープはなかったので、すぐにシャワー室から出た。体を拭き、服を着て彼を呼んだ。彼は少し申し訳なさそうな顔でこちらを向き、シャワー室に入った。
「うわ!」
シャワー室から声が聞こえたので生存確認のためにドアを開けようとした瞬間にドアが開き、びしょ濡れの服を着た彼が出てきた。それがどうも面白くて、笑いをこらえきれずにいると、彼も緊張が解けたように笑いはじめた。二人でしばらく笑ったあとに、彼はくしゃみをし、楽屋に向かった。彼は楽屋から衣装を選別し、選ばれたのは学ランだった。
「学校の制服があるのになんで学ランなんだろうね?」
「え?職員室の前にあるマネキンはブレザーでしたよね。学ランはないんじゃないですか?」
彼は少し考えた後、思い出した、という風に拳骨を掌にあて、制服が彼の次の代で変わったことを教えてくれた。
彼が近くの服屋から戻ってきたのは夜の十時頃だった。学校に放置してあったスクールバッグにはメンズとレディースがレジ袋にてきれいに仕分けされていた。彼がシャワーを浴びている間夕方の光景を思い出し、少し吐き気を催した。焼ける肉の臭い、そして顔立ちが分からなくなるような焼死体。思えば、死体を見たのは人生で初めてだった。そのことを思い出し、急いでトイレに駆け込み、すべて吐き出した。とにかく、気持ちが悪かった。一人になると、自分の弱さを改めて思い知る。私は彼とは違う。何をすべきかもわからないし、行動力もない。本当に弱い少女だ。吐瀉物を流し、口をゆすぐ。それでも口の中にまだにおいが残っているような気がして、彼が煙草を吸った後にかむタブレット菓子を一つもらうことにした。彼のカバンを漁っていると、冷たい金属のようなものに指が当たった。それを引っ張り出してみると、暗い銃口がこちらを覗いていた。驚いて、銃を離すと、偽物とは思えない重い落下音がした。落下音にも驚き、座りながらもあとずさり、少しでも距離を離す。
ゴン、と頭に衝撃が走る。もしかして、殴られたのだろうか。見てはいけないものを見てしまったのだろうか。懺悔と後悔。その二つが胸中で渦巻きながら、頭を地面につける。私はどうすればいいのだろうか。
「なんか今すごい音したけど大丈夫?」
階段の下から私を心配する声が聞こえる。意識が現実に戻された私はひとまず「大丈夫です」と言い、着替えてるからちょっと待っててほしいと嘘をついた。私は悪い子だ。下から終わったら教えて、と声が聞こえ銃をしまう。できるだけゆっくりと、音をたてないように。カバンをもとの位置に戻し、そういえば、さっきの衝撃は何だったのだろうと振り返ると、後ろにはライフル銃がたてかけてあった。正確には、ライフル銃の模型だった。劇で使用する備品なのだろう。それを見た私は信じられないほど力が抜けた。カバンの中にあったのも演劇部の備品なのだろう。彼を疑った自分を恥じ、ふと嘘をついたことを思い出した。しかし、服が入ったスクールバッグはシャワー室にあるので、急いで楽屋を見渡す。視界の端に彼が学ランをとったラックがあった。そこに置いてあった服を適当に着て彼を楽屋に入れた。
濡れた髪をかき上げる彼は不思議そうな顔でこちらを見ている。どうしたのだろうと姿見で自分の姿を見ると、適当にとった服は彼がさっきまで着ていた濡れた服だった。
「えっと…何してるの…?」
「ご、ごめんなさい。その…」
「あ、いや、怒ってるわけじゃないよ。ただ、そういう服が気になるなら言ってくれれば良かったのに。いつでも貸すよ」
彼は笑いながらそういうと、楽屋のソファーに腰を下ろす。彼の手がドライヤーに触れる時に、タブレット菓子をねだった。彼は微笑みながら承諾し、カバンを探る。少し、彼の眉が動いた気がした。もしかして気づかれたのだろうか。モデルガンとはいえ、カバンを勝手に漁ったのはまずい。謝るべきかどうか、考えていると彼の口がゆっくりと動いた。
「ないかも」
私はばれないようゆっくりと呼吸を整え、そっか、と呟く。彼は私の顔を見て違和感に気づいたのか、もしかして夕方のこと?尋ねた。私は内心そうだ、と呟いたが、階段がきつくて、と適当な嘘をついた。彼は納得し、ふと思い出したように手すりにかけていたコートのポケットを漁る。その中から出てきたアルミの箱を優しく投げてくれた。
彼が髪を乾かしている間、夕方のことをより深く気にしていた。死体を初めて見たと思ったのだが、どうも違和感を感じる。ほんとうに初めて見たのだろうか?人間の心理には防衛機制というものがあり、その中の一つに抑圧というものがある。人間は嫌なことが起きたとき、無意識にその記憶を思い出せないようにする、と倫理の先生は言っていた。もしかして、何か関係があるのだろうか。懐古できない記憶が私の中にはあるのだろうか。そんなことを考えていると、テーブルの上に缶ジュースが置かれた。礼を言ってジュースを飲むと、少し苦く、不思議な味わいだった。自分の思考に夢中になっていた私はそれを一気に飲み干し、そして、意識が体を振り切った。
チク…タク…チク…タク…
チク…タク…チク…タク…
時計の音が聞こえる。目が覚めると、私は畳の上で寝ていた。体にはコートがかけてあり、見たことのない服を着ていた。スマホで時間を確認すると、時間は深夜四時だった。最後に覚えているのは缶ジュースを飲んだということだけだ。…あれは本当に缶ジュースだったのだろうか?確認しようと思い、テーブルの上を見るとテーブルの上には何もなく、来た時よりもきれいになっていた。もやもやとした思いを感じ、寝なおそうと思ったときに歯磨きと日記を忘れていることに気づいた。階段を降り、バレー部が使っていると説明を受けた流しで歯を磨き、階段を昇り日記をつけることにした。
十二月三日火曜日(二回目)
朝ホテルで目が覚めると、部屋から出られないことに気づいた。出られそうな方法を一通り試したあと、圭吾さんに電話をかけ、しばらくしてようやく入口のドアが開いた。そのあとは本州に移動するため関門トンネルを通り、山口に出た。関門トンネルの中では、時間軸の不具合と私たちの存在についてどのような関係があるのか議論したが結果は出ず、おまけにダンプカーにぶつかりそうになるという不運に見舞われた。
山口では圭吾さんが通っていたという高校に入り、圭吾さんが当時使っていた演劇部の楽屋で夜を過ごすことにした。昼の四時ごろ、圭吾さんにプリンのお使いを頼むと、突然体育館の入り口に呼び出された。そこでこの学校の在校生の女子生徒の自殺死体を見つけ、学校から生えていた白いユリを献花した。一度諦めた世界で何度も生きさせるのはつらいだろうと、お互いが合意し、女子生徒の遺体をポリタンク一個分の燃料で火葬した。火葬場のようにきれいに骨だけ残るということはなく、顔がわからない焼死体が一つできただけだった。そのあとは学校のシャワー室を借り、予定通り楽屋で夜を明かすことになった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。たぶんこっからは短いと思います




