未来
書いてて楽しくて、でもつらかったのはこのあたり。
未来 田島圭吾
目が覚めると知らない天井だった。真っ白な天井、そして薬品の臭いのするシーツ。左手を見ると、天敵が打たれていた。状況が把握できないまま、周囲を見ていると、突然声が聞こえた。
「おはようございます、田島さん」
「…っ」
禿げ頭の白衣の男性に返事をしようとしたが、声が出なかった。
「無理にしゃべろうとしないでください。あなたは目が覚めたばかりなのですから。それにしても、あの状態から意識が戻るなんて、貴方は神様にあいされているんですねぇ」
…あの状態からとは、なんのことだろう。
「申し遅れました、私、西小倉病院の斎藤と申します。貴方にはいくつか、お話ししなければならないことがあります。今日が何月何日か、わかりますか?きっと、一二月三日だとお思いでしょう」
こちらがしゃべれないことをいいことに、斎藤という医者は私に次々と語りかけてくる。
「本日は七月二一日です。どういうことかわかりますか?」
…最後の記憶は月明かりに照らされた海だ。そしてそれは、寒い冬の季節。雪こそ降ってはいなかったが、間違いなく一二月二日のことだろう。確か、バイト終わりに寝付けなくて波止場に向かったはずだ。それ以降の記憶がなく、今が七月ということは…
「二〇二五年、七月二一日です。驚くのも無理はないですが、落ち着いてください。貴方は長い間目を覚ましていなかったのです。体中の筋肉が弱っています。これからいろいろな手続きを行ってもらい、その後にリハビリ、という流れになります。ひとまず、今日のところはゆっくりしていてください」
そういって、斎藤は病室から消えた。窓の外には青空が澄んでいた。近くに置いてあった鏡を見ると、ひどくやつれ、ひげも伸びている。それに、金色だった髪は根元からどんどん地毛が生えてきたせいでプリンのような見た目になっている。
あれから三日ほど経過し、なんとかしゃべれるようになった。スマホで親に連絡をすると、学校は留年、ということらしい。もう一度授業を受けなければならないのは退屈で憂鬱だなと思っていると、コンコンと扉をたたく音が聞こえた。
「失礼します」
そういって青色の制服を着た男性が部屋に入ってきた。警察官だ。警察官はベッドの横にある椅子に座り、取り調べを始めるようだった。
「私、警察の西園寺と申します。まずは、ご快復おめでとうございます」
「ありがとうございます。それにしても警察とは、私は何か罪を犯したのでしょうか?」
「とんでもない。ただ、今回あなたが入院する原因にもなった事故に対して調査を行いたいのです。ご協力、願えますね?」
西園寺という警察官は三〇代ほどに見えるが、かなり高圧的な態度だ。笑顔を張り付けているが、その表情には圧力がにじみ出ている。
「中西愛理、という女性のことは知っていますか?」
そう聞かれたとき、私は何のことやらわからなかった。そのあと写真も見せられたが、何もわからなかった。どうやら、その女性が私に落ちてきたらしい。これは、近くにいた通行人の証言だ。
一二月三日、リハビリが終わり、久しぶりに家に帰った。水道光熱費は親が払ってくれていたらしく、インフラは行き届いていた。ただ、家が埃臭かった。掃除が終わり、ベッドに入ったのは日付を回り、一二月四日の一時のことだった。
未来 中西愛理
目を覚ましたのは七月二一日の午後二時のことだった。窓の外からは優しい風が吹いている。私がここにいるということは、母はお金をどうにか工面してくれたのだろう。初めての経験だが、存外に居心地が良いものだ。そのまま寝ておきたかったが、そうはさせてくれなかった。禿げ上がった頭の医者が私に近づいてくる。
「…………」
何かを言っているが、よく聞こえなかった。聞き返そうかとも思ったが、医者は少し俯いた後すぐにこの場を後にした。彼は、元気にしているのだろうか。
ツタに覆われた世界で、私とともに生きてくれた、彼はどうしているのだろう。田島圭吾。彼の様子が気になる。私は、外に出ることにした。
外に出ると、存外人は少なかった。風は涼しいが、どうにも酷暑なようで、道行く者はだいたい、日傘をさしていた。彼の家には、誰もいなかった。まだ、目を覚ましていないのだろうか。仕方なく、自宅に帰ることにした。
家に帰ると、母親は上機嫌だった。通帳を覗いてはにんまりと笑顔を浮かべ、鼻歌交じりに足を揺らしている。どうやら、宝くじが当たったらしい。醜い顔だ。
せめて、せめてもう一度、彼に会いたかった。彼は今どうしているのだろう。そう思いながら自室の布団に潜り込んだ。せめて、幸せな夢を。
布団の上で目が覚めた。時刻は七時四〇分。今から洗顔をして歯を磨きメイクをしてヘアセットをして朝食を食べる。確実に遅刻だ。もう間に合わないことを確信した私は諦めてすべての準備をゆっくりとすることにした。歯を磨いた後は簡単だった。いつもの流れ作業を丁寧にこなすだけだ。…少し、目元が腫れているような気がする。なぜだろう、何かを忘れているような気がする。学校に電話をするためにスマホの電源を入れる。ピカピカと光る画面の日付を見ると、なんだか少し物悲しかった。パンをねじ込みながら通知を確認すると、不在着信が入っていた。―着信日は一二月三日。なぜだか、アカウントの持ち主に今日の日付を確認したくなった。それはきっと衝動的な動きに過ぎない。けれど、どんなに計画を立てた旅行よりも大事な気がした。
―プルルルル、と発信音が聞こえる。二週目に入る前に、発信音が途切れた。
「今日は何日ですか?」
たった一言だけ、聞いてみた。ゆっくりと、確実に。
「…今日は一二月四日です。ところで」
電話が切れてしまった。急いで掛けなおそうとするが、画面は暗いままだ。仕方なく、充電を待つことにした。
ベランダに出て外の空気を吸っていると、今日もやはりベランダにゴミが投げ捨てられていた。母はツタが好きだ。私が物心ついたときから、ツタや花が好きで、それを眺めて私には構わないことが多々あった。そんな母の異常な愛情はとどまることを知らず、このアパートの外壁はすさまじい速さで母のツタに覆われた。当然、ツタを気に食わない住人もいるわけで、よく嫌がらせをされていた。このゴミも、そのうちのひとつだろう。
十分に充電ができ、電源をつけた瞬間に美香から電話が来た。
「もしもし、愛理?今どこ?」
「今?今は家だよ」
「もしかして、愛理も遅刻してんの?」
「その感じは、美香も遅刻してる?」
「そうそう、寝坊しちゃったからもう学校さぼろうかなって。どうせ今日も親、帰ってないんでしょ?今から小倉でカラオケ行こ」
そういうと、彼女はすぐに電話を切ってしまった。嵐のような女だ。
服装は迷ったが、制服で出かけることにした。どうせ親も私に興味がないんだから学校に通報されて親に連絡されようが全く無関係だ。待ち合わせ場所は小倉駅で美香はもう駅についているようだ。急いで小倉駅のエスカレーターから歩いていると、後ろから声をかけられた。
「あの、人間ですか?」
妙な質問に耳を疑いながら後ろを振り向くと、真っ黒な瞳が私を映していた。なぜか目を離せなくなり、眺めていると涙があふれてきた。
―ああ、そうか。
―…いい夢だ。
あと一話で終わります




