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ビヨンド

ビヨンド

意味・対訳

…の向こうに、…を越えて、…を過ぎて

weblio様より

ビヨンド 田島圭吾


 寒い風が顔をなぞる。ふと目が覚め、時計を確認したら午前七時四〇分だった。今日のところは役目を失った目覚まし時計の設定を解除し、顔を洗い風呂場に腰かける。よくある一人暮らし用のワンルームは妙に居心地がよく、自然の力で目が覚めた今日はいつもより穏やかな気分だった。次から次へと流れてくるショート動画を見ながら歯を磨き、いつもより早く学校に行こうとおもった。コーラを飲み煙草を吸う。それがいつものルーティンと化していた。そのルーティンをこなすため一本の煙草とライターを手にベランダに出た。いつも通り、幹線道路の車は騒がしく、ベランダから下を覗きこむと犬の散歩に向かう主婦、学校に向かう中学生、自転車で通勤するサラリーマン、実に様々な人が見えた。

「…寒っ」

寒さに身を震わせつつ、煙草を吸っていると、着信が来た。

「今日は何日ですか?」

電話越しに聞こえる声は少女のものだった。恐らく、高校生ぐらいだろう。

「…今日は一二月四日です。ところで、あなたは」

誰ですか、と聞こうとしたところで電話は切られた。電話をかけてきたラインのアカウントを確認する。ステータスメッセージは入力されておらず、アカウント写真も背景写真も設定されていなかった。アカウント名は「A・N」。いったい誰だったのだろう。そんなことを考えて学校へと向かう準備をした。

 金色の髪を櫛でとかし、灰色のワイシャツに袖を通し、黒と白のスーツ風ズボンを履く。高く見える安物のアクセサリー一式を装着し、青バラのネクタイを緩く締める。黒のスーツ生地のコートに袖を通し、小ぶりのリュックに教科書と筆箱、財布を入れ、玄関に置いたキーケースを取り、カギを閉める。ポケットに仕舞った際にハンカチは息苦しそうに太ももを圧迫する。エレベーターで降りて駐輪場へと向かう。駐輪場でキーケースから自転車のカギを取り、自転車に乗る。今日は車が多い。

 家のすぐ横のコンビニに入ると、いつもの店長が歓迎してくれた。今日は寝坊しなかったのか、と聞かれたが、今朝の目覚めの良さを説明すると店長は笑顔で私を学校へ送り出してくれた。こんなに早く学校へ行っても仕方ないので、小倉駅に向かうことにした。

 朝の風は気持ちがいい。寒空のもと耳がしびれるような痛みを感じながら駅に向かって力強く自転車を漕ぐ。小倉駅に着き、有料駐輪場に自転車を停めマクドナルドへ向かった。

マクドナルドで朝食を済ませ、時刻はおよそ八時五〇分。ちょうどいいころ間と思い、有料駐輪場へ向かう最中に、セミロングの髪が揺れていた。

―会わなきゃいけない人がいる。そんな気がした。

急いでセミロングの髪に追いついたとき、自然と言葉があふれる。

「あの、人間ですか?」

振り向いた瞳はタイガーアイのように美しく、こちらをまじまじと見つめる。なぜか、目から涙があふれた。そして、あふれたのは涙だけではなかった。


 「この世界を終わらせるか、二人で生き残るか。選びましょう」

 愛理の目は決意を帯びていた。このフィクションのような世界で、彼女は成長したのだろう。

「あんまり深くは聞かないけどさ、たぶん乗り越えたんだよね。つらい記憶を。俺はこの世界が好きだ。それは愛理がいるから。愛理が好きなんだ。正直、この世界を離れたくはない。ずっと一緒にいられるなら。だけど、愛理が決めた選択なら、俺は一生ついていくよ」

愛理の目から涙があふれる。そんな彼女を見ているうちに、姿がぼやけた。気づけば自分も涙を流していた。

「そんなの、ずるいです。最後の最後で、私を導いてくれないんですか?そんなの、ひどいじゃないですか。今までずっと導いてくれたんですよね?最後まで責任持ってくださいよ」

涙ぐみながら、彼女は必死に訴える。彼女の後ろを見ると、ツタが伸びてきていた。愛理は私の視線に気づいたのだろう。後ろを振り向き、ツタがこちらに伸びてきているのを確認すると、彼女は私にキスをした。やわらかい唇が離れ、こちらをまっすぐ見つめる。

「行きましょう、あの波止場へ」


ビヨンド 中西愛理


 布団の上で目が覚めた。時刻は七時四〇分。今から洗顔をして歯を磨きメイクをしてヘアセットをして朝食を食べる。確実に遅刻だ。もう間に合わないことを確信した私は諦めてすべての準備をゆっくりとすることにした。歯を磨いた後は簡単だった。いつもの流れ作業を丁寧にこなすだけだ。…少し、目元が腫れているような気がする。なぜだろう、何かを忘れているような気がする。学校に電話をするためにスマホの電源を入れる。ピカピカと光る画面の日付を見ると、なんだか少し物悲しかった。パンをねじ込みながら通知を確認すると、不在着信が入っていた。―着信日は一二月三日。なぜだか、アカウントの持ち主に今日の日付を確認したくなった。それはきっと衝動的な動きに過ぎない。けれど、どんなに計画を立てた旅行よりも大事な気がした。

―プルルルル、と発信音が聞こえる。二週目に入る前に、発信音が途切れた。

「今日は何日ですか?」

たった一言だけ、聞いてみた。ゆっくりと、確実に。

「…今日は一二月四日です。ところで」

電話が切れてしまった。急いで掛けなおそうとするが、画面は暗いままだ。仕方なく、充電を待つことにした。

 ベランダに出て外の空気を吸っていると、今日もやはりベランダにゴミが投げ捨てられていた。母はツタが好きだ。私が物心ついたときから、ツタや花が好きで、それを眺めて私には構わないことが多々あった。そんな母の異常な愛情はとどまることを知らず、このアパートの外壁はすさまじい速さで母のツタに覆われた。当然、ツタを気に食わない住人もいるわけで、よく嫌がらせをされていた。このゴミも、そのうちのひとつだろう。

 十分に充電ができ、電源をつけた瞬間に美香から電話が来た。

「もしもし、愛理?今どこ?」

「今?今は家だよ」

「もしかして、愛理も遅刻してんの?」

「その感じは、美香も遅刻してる?」

「そうそう、寝坊しちゃったからもう学校さぼろうかなって。どうせ今日も親、帰ってないんでしょ?今から小倉でカラオケ行こ」

そういうと、彼女はすぐに電話を切ってしまった。嵐のような女だ。

 服装は迷ったが、制服で出かけることにした。どうせ親も私に興味がないんだから学校に通報されて親に連絡されようが全く無関係だ。待ち合わせ場所は小倉駅で美香はもう駅についているようだ。急いで小倉駅のエスカレーターから歩いていると、後ろから声をかけられた。

「あの、人間ですか?」

妙な質問に耳を疑いながら後ろを振り向くと、真っ黒な瞳が私を映していた。なぜか目を離せなくなり、眺めていると涙があふれてきた。

―ああ、そうか。この人は…


 泣きながらベッドの上に座っていると、圭吾さんは私の後ろを眺めていた。このタイミングでなぜ後ろを見る必要があるのだろう。そう思いながら後ろを振り返るとこちらに向かってツタが伸びてきていた。それも一本や二本ではなく、何本ものツタが窓枠の上下左右全てから伸びてきていた。急いで彼の唇にキスをして、立ち上がり彼の手を引いた。

「行きましょう、あの波止場へ」

 外に出てもツタはどんどん伸びていた。月明かりに照らされたツタはおどろおどろしい深い緑色をしており、この地上にあるものすべてを飲み込もうと蠢いていた。ツタに驚き、立ち止まった瞬間ツタが足に絡みついた。それを何とか振り払うと、二本目、三本目のツタがこちらに向かってきている。地を這うツタから逃げることに夢中になっていると、彼がいないことに気が付いた。もう立ち止まるわけにはいかないのに、そう思いながら走り出すと車のクラクションが鳴った。刹那、光が私や周りのツタを映しだす。眩しくて動けないでいると、ドアから伸びてきた手に引っ張られた。

「シートベルトは後でいいよね、行くよ」

そういって彼はドアを閉め、私を無理やり運転席から助手席に詰めこんだ。ハイビームに照らされる景色は全て緑色だった。車はツタを踏みつぶしながら走り出す。

 波止場の近く、彼が通っている専門学校もツタに占領されていた。支柱にツタが巻き付くように、ビルにツタが巻き付いている。

「ここからは走るよ」

そういって彼はドアを開け走り出した。私も置いて行かれないように必死に走り出す。振り返ると、車はすでに緑色に巻き込まれ、ハイビームはどんどん隠されていった。彼は走るのが存外に遅かった。しかし、スタミナはあるようで一定の速度で定期的に私の方を見ながら走っている。そうして波止場に着く直前、彼はツタに足を取られ、転んでしまった。彼の体がどんどん侵されていく。

―ああ、だめだ。それだけはだめだ。

そう思いながらも体は言うことを聞かない。私の足は歩むことを辞めない。彼を抱きしめ、内ポケットを漁る。やっぱりあった。私の足にも段々とツタが伸びてきている。光に照らされた太いツタはこちらに向かってきた。しかし、ぴたりと止まった。車のライトは完全にツタに覆われ、光を漏らすことはなく、月には叢雲がかかっていた。

―今だ。

そう思い彼に絡みついているツタをたどり、少し離れたところにライターオイルを垂らした。そして、火をつける。火が燃え上がり、周囲を照らした。ツタは悲鳴を上げるかのようによじれ、焼けた個所からは伸びてこなかった。

「歩けますか、圭吾さん」

「ああ、なんとか…よく思いついたね」

「ほんとはライターだけだったんですけどね、オイルがあるとは思ってなかったです」

ツタが足かせになっている彼の腕を肩に乗せ、波止場に着いた。叢雲が晴れ、月明かりが海に反射する。

「きれいだね、すごく」

「そうですね、私はここで死んだんでしょうね」

そういうと彼は驚いてこちらを振り向いた。瞬間、彼の首に腕を回し、唇を重ねる。お互いの舌が絡み合い、不器用ながらも愛情を伝える。

「私、きれいな場所で幸せなキスがしたかったんです。ずっと。世界が終わるまでずっと適当に過ごそうなんて言ったけど、圭吾さんとなら、私、あんな世界でもきっと生きていけます」

「…俺もだよ、愛理。あのさ、元の世界に戻ったら」

「結婚しよう、って言ってくれるんですよね?圭吾さんの言いたいことはわかってますよ」

「ありがとう、でもプロポーズは俺からがよかったな」

「いいじゃないですか、最終的に幸せになることには変わりないんですから。それじゃあ、帰りましょうか」

「最後は結局愛理ちゃんに言わせちゃったね。あんなに嫌がってたのに。…本当に強くなったね」


 月明かりに照らされた海が、凪いでいる。視界がどんどんと薄れていく。記憶が朧気になって、そして。闇に落ちた。


この辺めっちゃ気持ちよくなってました。だからあやふやなんでしょうね

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