風邪ひき勇者
「あー、風邪ひいた。」
朝からなんか体がだるいから熱を測ったら38℃あった。
これはちょっとヤバそうだと思って病院に行った。
「インフルエンザですね。発病から六日、熱が下がっても二日は出歩かないでください。」
インフルだったよ。新型コロナでなかっただけましかな。
何と言うか、地味に辛い。
咳もくしゃみも鼻水も出るし、頭も喉も痛い。
体はだるいし熱でなんだかふらふらする。
薬も貰ったし、今日は寝よう。
食欲も無いから、今日は帰りにコンビニで買って来たビタミンC入りの栄養ドリンクだけ飲んでおくか。
それにしても、しんどい。さっきよりひどくなってきた。
目がしょぼしょぼする。なんか床が光って見えるぞ。
あれ?
何だ、今度は幻覚か?
変な服装をした日本人離れした顔の人が大勢。
昔の貴族かという派手な服、神官っぽい白い服、昔の騎士のような全身鎧。
ここはコスプレ会場ですか?
と言うか、ここ何処?
「成功です。勇者様が召喚されました!」
ああ、これ夢だ。
日本語でも英語でもない、全く知らない言葉で話しているのに意味が分かる。
ざわつく人たちをぼんやりと眺めていると、その中の一人、お姫様のような格好をした女性がこちらに近付いてきた。
「勇者様、お呼びしてすみません。この世界は今凶悪な魔族の侵略を受けて人類存亡の危機にあります。そんな折『魔族を打ち破る勇者を異世界から遣わす』と言う神託があり、神託に従って儀式を行ったところ貴方が現れました。どうかこの世界を救うために勇者様の力をお貸しください。」
勇者? 魔族? 異世界?
アニメかゲームか何かか?
今の体調でゲームする余裕はないなぁ。
「勇者様? 如何なさいました?」
反応の無い俺を訝しんで姫様っぽい格好の――もう面倒だから姫様でいいや――姫様が更に近付いて俺の様子を覗う。
そこで俺の状況に気付いて素っ頓狂な声を上げた。
「どうしたのですか、勇者様! すごい熱です!」
その言葉に、俺はちょっとむっとした。
「どうしたもこうしたも、風邪ひいて医者に行って薬飲んで寝ようとしたところでお前たちが無理やりここに連れてきたん他だろうが! 治るまで六日かかるから一度戻してくれ。話はその後だ!」
あー、大きな声を出すのもしんどい。
「ええー!!」
驚く姫様だったが、大きな声で喚かないで欲しい。ああ、頭痛が痛い。
「そんな! 魔族はすぐそこまで迫っているのだ。どうにかならないのか?」
少し離れたところで王様っぽい恰好をした人(以下王様、間違っていたらその時はその時)も何か喚いていた。
そんなこと言われてもどうにもならない。どうにかなるならどうにかしてくれ。
ただ、王様が声をかけたのは俺ではなかった。
王様の隣にいた白い神官のような服を着た人(以下神官……いや、医者か? まあ、神頼みする世界だから取り敢えず神官でいいや)にだった。
「無理です。回復魔法でけがは治せますが、風邪のような病気にはかえって悪化させることがあります。」
王様に神官が答えた。
そっか、魔法があるんだ。ファンタジーな世界だな。やっぱりゲームか?
でも、風邪は治せないんだ。役に立たん。
「六日も待っていたら王都が落とされてしまう。一時的にでも戦えるようにできないか?」
王様が無茶ぶりをする。俺の意見も聞かないで!
「何とかしてみましょう。」
王様の無茶ぶりに、神官が応えて俺の方にやって来た。
そして、俺に向けて手をかざし、何やら呪文を唱えた。
もしかして、これが魔法!?
「あ、なんか楽になった。でもまだ熱っぽいし、ちょっとだるい。」
「苦痛を軽減する魔法をかけました。一時的に体力と身体能力も向上させているので動けると思いますが、病気が治ったわけではないので気を付けてください。」
痛み止めで怪我を誤魔化して試合に出るスポーツ選手みたいなものか。
それって普通よりも死にやすくなってない?
何に気を付ければいいの!?
「そもそも俺は戦ったことなどない素人だぞ。体が動いたところで大した役には立たないと思うんだが。」
「だ、大丈夫です。神託によれば勇者様は召喚された時点で即戦力になるだけの能力を与えられているそうです。十分に戦えるはずです。」
姫様も何だか必死だ。
でも、魔族を追い払わないことにはおちおち寝てもいられないようだし、やるしかないのかな。
俺、この戦いが終わったら家に帰って寝るんだ……
そして、なんだかんだで俺は戦場に来ていた。
まず俺は、やたらと派手な鎧を着けされられた。
それから最初に召喚された建物――王城だそうだ――を出て馬車に揺られること十数分。
都市を守る長い城壁を抜けると、そこは戦場だった。
近すぎねえ?
ここは国の首都で王様のいる王都だそうだから、もう王手かかっているよ。
詰んでいるのかもしれない。
王様も姫様も必死なわけだ。もう後がない。
今更勇者の一人を投入して意味あるのだろうか?
それで、戦闘の方は……あの辺りだな。
あれが魔族か。
見れば分かると言われたけど、確かにその通りだった。
人間とは見た目から違う別種族。
大まかには人型なのだけれど、肌の色も違うし角なんかも生えている。
敵と味方を間違える心配が無いのはいいよね。
魔族の数はあまり多くない。人数だけ見れば人間側の方が圧倒的だ。
ただ、個々の戦闘能力では魔族が圧勝している。
魔族一人に対して人間が五、六人で取り囲んでどうにか戦えている状況だ。
それも、互角の戦いではなく人間側が不利な戦いだ。
魔族の攻撃がまともに入れば、人間はほぼ一発で戦闘不能だ。頑丈そうな盾で魔族の攻撃を受けている人もいるけど、何回か受けると盾がボロボロになって壊れてしまう。
一方で、人間側の攻撃はあまり効いていない。背後から不意打ちしても致命傷になっていないのだ。
それでも全くの無傷ではないから、戦っているうちに魔族にもダメージは溜まって来る。
そうすると、魔族は一度引いて後方で治療を受ける。
この世界では怪我なら魔法で治せるから、一度後方に下がった魔族もすぐに戦場に復帰して来る。
この辺りは人間側も同じで、死ぬ前に下がって治療を受けるから戦闘の激しさの割に死者は少ない。
ただ、人間側は重傷者も多いからすぐには全員復帰できないらしい。
結果として、じりじりと戦える人間の数が減って行く。
うーん、じり貧だ。
個々の戦力差があり過ぎて、数の優位が決定打にならない。
戦えば戦うほどその数の優位も減って行く。
だから、この状況をひっくり返すにはただ人数を増やすのではなく、魔族を打ち倒すだけの強力な力が必要となる。
それが勇者だというのだが。
本当に俺にそんな力があるのだろうか?
勇者の力? なんか胡散臭い。
体は軽い気がするのだけれど、勇者の力のためか、神官のかけた魔法のためかは分からない。
試してみるしかないか。
駄目だったら死ぬかもしれないけど。
死んだら夢から覚めるのかな?
「えい!」
――斬!
「ギャアアアアァー!」
とりあえず近くで人間の兵士と戦っていた魔族がいたので背後から近寄って斬りつけてみた。
そうしたら、魔族が真っ二つだよ。
斬られた魔族も何が起きたのか分からないって顔をしている。
その魔族と戦っていた兵士達も、驚いて呆然としている。
実は俺も驚いている。いやー、よく切れる剣だね。
え? 剣は他の人と同じ?
じゃあ、勇者の力かな
ともかく、戦えることは分かった。
なら、後は戦うだけだ。
初めは戦っている魔族の死角に回り込んで不意打ちで倒して行った。
魔族は割と警戒心が薄い。
人間の攻撃を受けてもかすり傷程度にしかならないから背後に回り込まれることを恐れない。
特に単独で行動する人間は、いつでも殺せると思っているからだろう、意に介さずに目の前の集団に集中していることが多かった。
だから、この戦法は有効だった。魔族は何が起こったのかも分からないままに死んでいく。
けれども、全ての魔族が同じ行動をとるわけではない。
中には一人で近付いてくる人間を、簡単に倒せる相手として先に狙ってくる場合もあった。
そうした不意打ちできない相手と対峙して……あっさりと勝った。
強いな、勇者の力。
魔族と正面から一対一でも一撃だよ。
不意打ちする必要もないと分かったので、コソコソするのを止めた。
魔族を見つけたら真直ぐに突っ込んで行って斬る。
ただ走って斬ってまた走る。
そんなことを繰り返していたら、さすがに脅威とみなされたようで、魔族の方から俺に向かって来るようになった。
でもやることは変わらない。
魔族の攻撃を受け流して斬る!
踏み込みのあまい攻撃を軽く躱して斬る!
攻撃される前にこちらから詰め寄って斬る!
とにかく斬る! 問答無用で斬る! 斬る! きる! キル! KILL!
何だか変な感じだ。
体はいつもよりも軽く動くけど、熱で頭がボーっとするから現実感がまるでない。
ついでに戦場は大量の血が流れて凄いことになっているけど、鼻か詰まっていて全く臭いを感じない。
勇者の力のせいか反射神経も凄いことになっていて、とっさの場合には考える前に斬っていたりする。
半分くらい自動で身体が動いているような感覚だった。
まるでゲームをやっているようだ。
RPGじゃなくてアクションゲームだけど。
考えてみると、俺は今人殺しをしているんだよな。大量殺人だよ。相手は魔族だけど。
一人殺せば犯罪者だが、十人殺せば英雄になる。あれ、百人だっけ?
味方にとっての英雄は、敵にとっては悪魔。
魔族からしたら、俺は殺人鬼みたいなものだろうな。殺魔族鬼?
魔族にしてみれば、自分たちの仲間が次々と死んでいくような戦いとは思っていなかっただろうから、魔族を殺しまくる俺がよほど憎かったのだろう。
凄い形相で俺に向かって来た。
逆に人間側にとっては俺は救世主だった。
これまでただひたすら耐えて体力が尽きて引き上げるのを待つしかできなかった魔族を、俺が片端から倒して行っているのだ。
「……すごい!」
「魔族を一撃で!」
「……勇者?」
「勇者だ!」
「勇者様!」
「勇者様が来てくださった!」
「これで勝てる!」
「勇者!」
「勇者!」
「勇者! 勇者!」
「勇者! ゆ・う・しゃ!!」
ア、ソレ!
「勇者! YU・U・SHA!!」
ア、ドシタ!
「勇者! 勇者!」
「勇者! 勇者!」
ええい、勇者勇者と五月蠅い!
お前らも戦え!!
しばらく戦っていると、一対一では勝負にならないと考えたのか、魔族が複数でかかって来るようになった。
でも、二対一でも三対一でも余裕で勝てる。
魔族は連携して攻撃と言うのに慣れていないみたいで、二人だろうと三人だろうと一対一が二回や三回になるだけだった。
……と思っていたら、何やら連携の取れているっぽいのがやって来た。
三人の魔族が縦一列に並んで一直線にこちらに向かって走ってきた。
これは、この攻撃は!
あれだよ、あれあれ。一人目の攻撃を避けても二人目三人目の攻撃が次々と襲ってくるっていう、あれ!
何だっけ?
ともかく、あの三人は息ぴったりだ。完璧な連携を決めてきそう。
どうする? あの技を破るにはどうすれば……
あ、時間差で攻撃が来るならば、普通に一対一を三回やればいいんじゃないか?
三連斬!
「ウギャァー!」×3
二人目の攻撃が届く前に一人目を倒し、三人目の攻撃が届く前に二人目を倒す。
これを繰り返せば何連続でも倒し切れる!
なんかテンション上がって来たぞ!
次はどいつだ!
……って、一気に十人も来た!
いきなり多すぎない? しかも、なんか連携が取れてるし。
先頭を走っていた二名の背後から二人の魔族が大きく跳び上がり、そのまま上方から俺を狙う。
先頭の二人も当然そのまま突っ込んで来るし、他の魔族も左右に分かれて向かって来る。
タイミングはばっちり。
上下左右に立体的な半包囲からの同時攻撃!
くっ、間に合うか!?
上上下下左右左右BA
どやー!
やり切ったぞー!
ハハハ、無敵モードだ!
あれ、自爆コマンドだっけ?
生き延びたからどっちでもいいや。
さて、次は……
おや、魔族が集まって来たけど近付いてこない。
少し離れた場所に陣取って、俺の方を向いて横並びになっている。
そして、こちらに掌を向けて腕を伸ばし、その掌の先に火の球が浮かび上がった。
これは、ひょっとして……魔法攻撃!?
その火の球が、一斉に放たれた!
そうか、接近戦では不利と見て、遠距離攻撃に切り替えたのか。
凄い数の火の球が迫って来る!
でも、避ける隙間くらいはあるな。
俺は飛んでくる火の玉をひょいと避ける。
避けた先にも火の球が飛んで来るけど、それも避ける。
見える。俺にも見えるぞ。火の球に当たらない安全地帯がはっきりと見える!
ハハハハ、どうしたどうした、その程度か!?
弾幕薄いよ、何やってんの?
火の球は数は多いけど、飛んでくる軌道は単純だし速度もそれほどでもない。
それに、馬鹿正直に俺を狙ってくるから一ヵ所に留まっていると集中砲火を喰らうけれど、敵の狙いをコントロールすれば安全地帯を作ることも難しくない。
なんか、アクションゲームから弾避けSTGにジャンルが変わったな。
……あれ? 弾避けはやっているけど、シューティングしていないぞ。
こっちからも撃てないかな?
……なんかできそうな気がする。
やってみよう。
「勇者ビーーーーム!」
――ちゅどーん!
本当になんか出た!!
剣の先から出たビームみたいなものは、何本にも分裂して魔族の放った火の球を蹴散らし、そのまま魔族を薙ぎ払った。
勇者って、いったい何なの?
でもこれで撃ち合うことができるようになった。
レッツ、シューティング!
……あれ?
火の球が飛んでこない。
さっきの勇者ビームで全滅したわけじゃないのに。
もしかして、弾切れ?
魔法だから、魔力が切れると使えなくなるとか?
まあ、無制限に撃てるのなら、ちまちまとした肉弾戦ではなく遠距離攻撃で人間を一掃しているよな。
勇者ビームは……まだ撃てそうな気がする。
でもまあ、相手が撃ってこないのなら、こっちも撃つ必要はないか。
STGは終わり! アクションゲームに戻る!
そうと決まれば、戦う相手となる魔族に向かって……あ、向うから来てくれた。
「きさまが勇者か!」
他の魔族よりも明らかに装備が豪華なおっさんだった。魔族の偉い人かな?
それにしても、今日召喚されたばっかりなのに、もう魔族にまで勇者の存在が知られているなんて。
……あ、あれだけ勇者コールやっていれば、当然気付くか。
うーん、熱で頭があんまり働いていないなぁ。
そーだよ、俺風邪ひいていたんだよ。
痛み止め的な魔法と勇者の力で戦えていたけど、本当ならゲーム感覚で戦っている場合じゃなかったんだ。
思い出したら、一気にテンション下がった。
さっさと終わらせて帰って寝ないと。
そのためには、まずはこのやる気満々の魔族のおっさんをどうにかしないと。
「我は魔王軍四天王の一人――」
「へっくしょん!」
うー、しんどいのは抑えられても症状は出るんだよな。
あれ、魔族の人何だかプルプルしている。
もしかして、そっちも風邪? だったらお互い戦争止めて帰って寝よう。
「きさま、ふざけているのか!」
あれ? 激おこ? 何で?
「もうよい! 勇者だろうと何だろうと、今、ここで、お前を倒せばそれで終わりだ!」
そう言って、魔族のおっさんはこちらに向かって来た。
結構速い。
今まで戦った魔族よりも明らかに強い、間違いなく。
でも何とかなりそう。
このおっさん倒したら他の魔族も引き上げてくれるかな。
勢いよく突っ込んできたおっさんの重い攻撃を受け流し、体勢が崩れたところを狙って――
「へっくしょん!」
「うわぁ、ばっちぃ!」
くしゃみで太刀筋がずれた。
至近距離だったので魔族のおっさんは俺のつばをもろにかぶって、思わず跳び退く。
でも、気にするところはそこでいいのか?
「なに! 魔王様より賜ったアダマンタイトの鎧を切り裂いただと!」
最後のくしゃみでちょっとずれちゃったけど、俺の振り下ろした剣は魔族のおっさんを掠った。
本人を斬ることはできなかったけど、鎧は軽く斬れた。
くしゃみさえしなければ、魔族のおっさんは真っ二つだったはず。
魔族のおっさんは鎧にはよほど自信があったらしく、斬られたことにショックを受けていた。
「勇者……これほどとは。撤退だ! 総員、撤退する! だが、憶えておけよ、勇者! 次は必ずお前を倒す!」
なんか、捨て台詞を残して魔族は去って行った。
追撃? しないよ。
俺は帰って寝るんだ。
その後、俺は五日間寝込んだ。
最初にかけてもらった苦痛軽減の魔法が切れたところでばったりと倒れ、そこから二~三日間の記憶が無い。
やはり風邪をひいたまま戦ったのは無茶だったんだ。
五日間寝て熱が下がると他の症状も治まって元気になった。
だが、大変なのはそれからだった。
俺の風邪がうつったのだ。
王城で出会った人や、戦場まで俺を送り迎えしてくれた兵士達。
風邪ひき真っ最中だった俺と接触した人にまず感染し、そこから二次感染三次感染と広まって行った。
王城の偉い人たちは王様も含めて次々に寝込んだ。
集団行動をする軍の兵士もまとめてダウンした。
その猛威は王都全域に及んだ。
インフルエンザ大流行。
王都ロックダウン。
俺のせいじゃないよ!
恨むなら俺を召喚した王様か、俺を勇者に指名した神様を恨んでくれ!
それでも、感染源は俺なのだから放置はできない。
うがい手洗いマスク着用と知っている限りの予防方法を教えて広めてもらった。
病気は魔法では治せないし、勇者の力も役には立たない。
あちこち人手が足りないのでしばらくは雑用を手伝ったりした。
幸いこの世界では人の行き来はそれほど多くないので、流行は王都に留まり、世界的なパンデミックは避けられた。
それでも、子供や老人を中心に感染者の三割近くが亡くなる大惨事となった。
インフルエンザ恐るべし。
新型コロナよりはましだなんて、侮ってごめんなさい。
インフルエンザの大流行がある程度落ち着くまで三ヶ月程かかった。
第二波が来なければ良いけれど。
その間最大の懸念事項が魔族の再襲撃だった。
インフルエンザの流行で軍の組織ががたがただったのだ。
勇者一人が頑張っても守り切るには限度がある。
魔族に襲われたら甚大な被害が出るところだった。
だが、魔族の襲撃は無かった。
不気味なほどに魔族は動きが無かった。
魔族の動向を調べるべく、インフルエンザの流行が一段落して軍の再編が終わるとすぐに偵察が行われた。
魔族領――魔族に支配されてしまったかつてのこの国の領地――に点在する魔族の集落を幾つか選んで順に回った偵察部隊は無事に帰還し、そこで見た光景を報告した。
それによると、幾つかの集落は完全に放棄されて無人だった。
幾つかの集落では魔族の死体が散在し、放置されたままになっていた。
そして、幾つかの集落では瀕死の魔族や魔族の捕虜となって生きていた人間を発見した。
そうした集落の生き残りから事情を聴いて判明したことは、魔族の間でも俺の持ち込んだインフルエンザが流行したらしいということだった。
俺と戦った魔族のおっさんは、勇者の存在を危険視したらしい。
魔族の上の人に報告して、勇者を倒す作戦を立て、その作戦のために魔族領に分散していた魔族を集めて指示を出し。
その結果、インフルエンザが蔓延した。
俺と間近で対峙した魔族のおっさんが最初に感染したのだろう。
そして、自分が感染していることに気付かずに精力的に動き回ってウイルスをばらまいてしまった。
魔族は本来風邪をひかないのだそうだ。
だから防疫と言った概念も無い。
けれども、さすがに異世界のウイルスに対しては免疫もなかったようだ。
それは人間側も同じだったが、度々疫病に苦しめられてきた人間と病気知らずの魔族では病気の治療や予防に対する体制が、そして意識が異なっていた。
それが、明暗を分けた。
理由も分からず仲間が倒れ、死んでいく状況に恐怖した魔族は、死んだ仲間も衰弱した仲間も捨て置いて逃げて行った。
こうして国は、人間は救われた。
多くの犠牲と新たな病魔を呼び込んで。
ただ、最後に一つ言いたい。
「この世界の魔族は、タコ型の火星人か!」
今年もインフルエンザが流行しているようです。皆様も風邪には気を付けてください。