1-7 初めての3ボール
「ジャグリング……って、あたしが!?」
架暖は耳を疑って、思わず訊き返した。
――ジャグリングを、やってみませんか?
深山月紫と名乗る同級生からの、突然の提案。
それは架暖にとって、まるで未知の領域への招待状だった。
「ムリムリムリ! あたしにジャグリングなんて、無理ゲーだよ!」
とっさに両の手のひらを前に出して、ふるふると首を振る架暖。
つい先ほど部活体験会で、イヤというほどセンスのなさを実感させられたばかりなのだ。
「ボールを5つも落とさずに投げ続けるなんて、神業だよ! あんなことできちゃう深山さん、ほんとにスゴすぎだから!」
架暖が尊敬の眼差しを向けると、月紫は顔を赤らめて俯いた。
「そんなこと、ないですよ。私もまだ練習中で、見せられるような状態では……」
恥ずかしいところを見られてしまった、と言わんばかりに月紫はもじもじする。
架暖は勢いを緩めることなく、素直な気持ちを言葉にした。
「それでも、ほんとにスゴいと思ったの! あたしには、できるイメージがまったく湧いてこないっていうか――」
「それはこちらのセリフです!」
月紫が負けじと声を張り上げたので、架暖は目をパチクリした。
「私でもリカバリーできないようなボールを、すべてキャッチしてしまうなんて。スゴいのは、本城さんの方ですよ!」
「ふへへ……。お褒めにあずかり光栄でござい」
照れ隠しなのか、口調が古めかしくなる架暖。
このチャンスを逃すまいと、月紫はすかさず畳み掛けた。
「その驚異的な反射神経があれば、きっとジャグリングにも活きると思うんです」
「うーん、でも……」
「最初から5つで、なんて無茶ぶりはしないですから。まずは、ボール2つで試してみませんか?」
月紫の瞳は、期待に満ちてキラキラと輝いている。
その曇りなき純粋な眼差しに押されて、架暖はおもむろに手を差し出した。
「じゃ、じゃあ……ちょっとだけ、やってみようかな」
「――ありがとうございます! はい、どうぞ」
月紫から手渡されたボールは白く、かすかに光沢を放っている。
ツルツルとした手触りが、ソフトボールに慣れ親しんだ架暖にとっては新鮮に感じられた。
架暖は左右の手に1つずつボールを握ると、頭の中で投げる手順をイメージした。
――ボール2つであれば、なんとなくお手玉の要領でやれそうな気がする。
「よしっ」
架暖は覚悟を固めると、右手のボールをひょいと宙に投げ上げた。
その直後、左手のボールを素早く右手に持ち替える。
そうして空いた左手で、落ちてくるボールをキャッチ。これで1サイクルだ。
意外といけそう――と思いながら、架暖は基本のサイクルを繰り返してみせた。
ボールをキャッチするたびに、その内側からシャカシャカと砂の音がする。
内部の砂が移動することで、重心を低く保ち安定感を実現しているのだ。
このような特徴を持つボールは、ロシアンボールと呼ばれている。
布製のボール「ビーンバッグ」と並び、トスジャグリングでは一般的な道具だ。
架暖の2ボールジャグリングを、月紫は嬉しそうに見守っていた。
「こんな感じで合ってる……?」
「はい、バッチリですよ」
月紫の言葉には、確かな温かさと力強さがあった。
――お世辞などではなく、素直な感想を伝えてくれている。
その誠実さは、渇いていた架暖の心を優しく潤し、傷を癒す力を備えていた。
本城架暖という少女が本来、魂に秘めていたチャレンジャー精神。
その片鱗に、今再び、火が灯ろうとしていた。
「もう1個、増やしてみてもいい?」
「もちろんです!」
月紫は待っていましたと言わんばかりに頷くと、3つ目のボールを架暖に手渡した。
「ありがと。じゃあ、やってみるね」
「あ……」
月紫が3ボールの手順を教えようと、口を開くその前に。
架暖は右手に持っていたボールを1つ、また1つと続けて投げ上げた。
同じ軌道を描いて舞う2つのボール。
その隙に、左手のボールを空いた右手へ受け渡す。
架暖はボール2つの時と同様の操作を、より素早いテンポで繰り返した。
左回りに循環する3つのボール。
ルーラーの三角形のような軌跡を宙に描いてゆく。
「うそ…………!?」
月紫は目を瞠り、信じられないというように口許を押さえた。
初めての3ボールとは思えない、正確なコントロール。
だが、月紫が驚いた理由はそれだけではない。
「あ…………っ」
10回目のキャッチの後、軌道が逸れて架暖はボールを取り落とした。
急いでボールを拾い上げ、土汚れを指で払いながら息を吹きかける。
それから架暖は、目の前で固まっている月紫に声をかけた。
「どう、かな……? 上手くできてた?」
月紫は我に返って瞬きをすると、噎せるように言葉を洩らした。
「あのっ! 本当に、初めてなんですよね……!?」
「う、うん。こんな感じかな〜って、ノリと勢いでやってみたんだけど……。あってたかな?」
「あっているも何も……できすぎていて、怖いくらいですよ! カスケードではなく、いきなりシャワーを形にしてしまうなんて!」
興奮気味の月紫に対して、小首を傾げる架暖。
「かすけぇど……シャワー……?」
「つまりですね、本城さんは今、10級の基本技をスキップして、いきなり5級の技に挑戦してしまったんです! それでいてその安定感、もう、激ヤバですよ!」
3ボールでシャワーを、20キャッチ。
ジャグリング検定5級の合格条件のひとつである。
10キャッチだと合格には届かないが、正しく技の感覚を掴めている状態と言えるだろう。
――練習すれば、すぐに習得できる。月紫の目には、そう映った。
「激ヤバって……えっへへ。よく分かんないけど、飛び級レベルってことなら自信わいてきちゃうね!」
月紫にベタ褒めされ、架暖は多幸感に包まれてホクホクし始めた。
「本城さん。あなたには、ジャグリングの才能がある。私が保証します」
「そ、そんな大袈裟なぁ。でも――」
才能があるかどうかは、まだ架暖には分からない。
しかし確かに、ある変化が生じた兆しを、架暖は感じ取っていた。
――たとえ、足が動かなくとも。
この手は、まだボールを投げ続けていたい。
そんな身体の叫びが、架暖の内でこだましていた。
……ああ、そうだ。
初めてなのに、無性に懐かしい。
情熱の炎に全身が衝き動かされるような。
――忘れかけていた、この感覚は。
「楽しい、かも」
架暖の口から、不意にこぼれた言葉。
それは、月紫が待ち望んでいたものだった。
「本当……ですか?」
「うん。心臓にビビっときたっていうか。なんだか、熱くなってきちゃった」
「そう思ってもらえて、嬉しいです! とっても楽しいんですよ、ジャグリングって」
月紫は背を伸ばして、空を見上げる。
「できそうになかった技が、練習を重ねるたびに、少しずつできるようになっていく。成長が目に見えて体感できるので、頑張り甲斐があるんです」
「そう聞くと、意外とスポ根だなぁ……」
「そうなんです。一応、文化部なんですけどね」
汗を流せる文化部。
それは、まさに架暖が求めていたものだ。
ああ――この熱を、まだ絶やしたくない。
全身に血が巡るこの高揚を、もっと感じていたい。
架暖はボールを再び構えると、月紫に問いかけた。
「もう1回、やってみていい?」