1-3 秘密の練習
「今年は何人、入部してくれるかしら」
茉姫は顎に手をやると、青く澄んだ空を見上げて呟いた。
凪浜学院では、生徒が自由に同好会を作ることが可能だ。
同好会の人数が増えれば部活として申請できるため、多種多様なクラブ活動が存在する。
それゆえに勧誘期間中、各部活間では新入生争奪戦が緩やかながら繰り広げられていた。
「今のところは2人、入部届を出してくれましたが……。まだ担当道具は決めかねているみたいです」
「ボールを極めたいという子が入部してくれるといいわね。クラブパッシングのためにも」
「はい……。部の伝統の技を、私の代で途切れさせるワケにはいきませんから」
凪浜学院の生徒は、高校2年生の秋から冬の間に部活を引退し、受験勉強に集中するのが習わしとなっている。
昨年末に戸鞠つぐみが引退した後、部内でボールをメインに練習している者は、月紫のみとなっていた。
ボール熟練者がひとりだけでは、クラブパッシングを披露することはできない。
「……南先輩は、最近どうしてますか?」
「相変わらずよ。当分は、こちらに顔を出せそうにないみたい」
「そう、ですか…………」
チーム「月花鳥」の花担当こと南萌歌は、茉姫と璃玖と同じ高校2年生だ。
メインの担当道具はシガーボックスなのだが、3クラブを安定して投げられる腕前の持ち主である。
しかし去年の文化祭以降、萌歌はバンド練習に集中したいという理由で、滅多にジャグリング部の練習に来なくなってしまった。
月紫はまだ、あのステージでの出来事について、萌歌と面と向かって話すことができずにいる。
それが棘のように心に刺さったまま、時おりチクリと痛みを放つのだった。
「ねぇ深山さん。受付は私が代わるわよ」
茉姫の突然の申し出に、月紫は一瞬固まった。
「――ソロ練、してきたいのでしょう?」
「えっ! えっと…………はい」
月紫は心中を言い当てられ、驚きと共に頷いた。
この1週間、ボールを体験したい新入生がいない時は、月紫が道具の貸し出し係を自ら引き受けていた。
自分のやりたいことよりも、他人のことを優先する。
そんな思いやりに溢れた優しさこそ、月紫の美点であり、同時に欠点でもあると茉姫は感じていた。
――もっと他人を頼って、ワガママになっていい。
そう後押しをするには、部長としての言葉が必要であると茉姫は判断したのだ。
「いいわよ、行ってらっしゃい」
さりげなく、それでいて力強く。
部長の「許可」は、月紫の心を揺るがした。
「でもボールを体験したい子が来たら……」
「ふふ、私のボールの腕前では心配かしら?」
上級生ともなると、複数のジャグリング道具を習得している者は多い。
茉姫もデビルスティックの練習の合間に、3ボールの基本技をマスターしている。
「――す、すみません。ではお言葉に甘えて……。片付けまでには戻ります!」
月紫は深々とお辞儀をすると、自分用のボールを抱えてトテトテと中庭を去っていった。
――その時、部の誰ひとりとして気が付かなかった。
月紫の後ろを、人影がひとつ、足音を殺して追いかけていったことに。
校舎裏の一角にある、六畳一間ほどのスペース。
そこを月紫は秘密の練習場所としていた。
塀と建物に挟まれたその空間には、草木の他には何もない。
桜はすでに満開の時期を過ぎ、散った花びらは地面をまばらに彩って、時折吹く風がその紋様を描き換えていた。
ひっそりとした、月紫だけの世界。
誰も通りかかることはなく、ゆえに誰の目も気にしなくていい。
雑念を捨てて、集中力を高めるには最適な環境だ。
「…………よし」
月紫はボールを右手に3つ、左手に2つ握りしめた。
一呼吸置いて、右の手から交互にボールを投げ上げる。
奇数個のボールによる最も基本的な技、カスケードだ。
滝、あるいは連なりを意味する技名の通り、5つのボールは一定の軌道を流れるように描いてゆく。
この場所で月紫が「ソロ練」をするようになったのは、去年の文化祭ステージがきっかけだ。
あの出来事以来、月紫はミスに敏感になっていた。
といっても、練習時のミスが恥ずかしいというワケではない。
当然、ミスそのものを恐れているワケでもない。
新技を身に付けるには、失敗を避けては通れないのだから。
月紫が危惧しているのは、人前でのミスに慣れてしまうことだった。
――ミスを見られることに慣れると、その油断を体が無意識に記憶してしまうのではないか。
その結果、本番のステージで、最高のパフォーマンスを発揮できないのではないか――。
その甘えを断ち切るため、月紫はソロ練という手段を選んだ。
難しい新技に挑戦する際は、まず独りで失敗を重ねる。
その失敗の傾向を分析し、ボールを投げる向きや力加減を調整して、理想の軌道に近付けていく。
そうして、ある程度カタチになってから、人前で披露して安定感をさらに高める。
そうすることで、無意識レベルでの緊張感をコントロールできると考えたのだ。
月紫が現在練習中の技は、5ボールのリバースカスケード。
キャッチしたボールの内側から投げ渡す通常のカスケードに対して、リバースは外側から投げ渡す技だ。
5ボールとなると、軌道維持の難しさは3ボールの比ではない。
ボールを投げるテンポや力加減を、まだ月紫は掴みきれずにいた。
「――あっ!」
投げ方をリバースに切り替えて数キャッチ後。
ボール同士が空中で衝突してしまい、ボトボトと地面に落下した。
キャッチを意識するあまり、両手の間隔が狭くなりすぎてしまっていたらしい。
「ふぅ…………」
月紫は冷えた指先に息を吐いてから、ボールを拾い上げる。
――もっと、もっと上手くならなければ。
つぐみ先輩がいない今、私が先輩として手本を示せるように……!
月紫はそんな想いを掌に込めて、宙高くボールを投げ上げる。
春の陽射しはスポットライトのように、彼女の背中を儚く照らし続けるのだった。