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プロローグ 笑顔の咲く舞台

 それは、1年の中で最も多くの人が学校に訪れる日。

 私立凪浜女子学院、第23回文化祭2日目の午後。


 小講堂前では、文化祭準備委員会の生徒が誘導を行っていた。

「ただ今、ジャグリング部による大道芸ステージを行っております!」

 通りかかった他校の生徒たちが、好奇心で目を輝かせる。

「なんか盛り上がってるみたい。覗いてく?」

「うん! いこいこ!」


 小講堂の観客席は、100人以上もの来場者で埋まっていた。

 普段は体育の授業で使われている場所だが、こうした催し物がある日は椅子がズラリと並べられて、いつもと違う雰囲気になる。

 観客の中には、小学生の女の子を含む家族連れが多いようだ。

 受験を見据えて学校見学に訪れているのだろう。みんな夢中でステージへ拍手を送っている。

 ステージ上では、たった今演技を終えた部員が舞台袖に帰ってゆくところだ。

「とても丁寧で美しいディアボロさばきでしたね!」

 司会を務める部員の声がマイク越しに響く。

「次は中3の部員による、ボールの演技です。どうぞ!」


 舞台袖にて、まぶたを閉じて深呼吸をする少女がひとり。

 名前は深山月紫(みやま つくし)。凪浜学院ジャグリング部の中学3年生だ。


 相棒のボールたちを抱える手に、自然と力が入る。

 本番前の緊張は、何度経験しても慣れることはない。

 そんな月紫の両肩に、優しく手のひらが置かれる。

 月紫が跳ねるように振り返ると、立っていたのは部長の戸鞠つぐみだった。

「だいじょーぶ。ほら、力抜いて。みーやんは笑顔が、いちばんカワイイんだから」

 つぐみはそう言って、悪戯っぽく月紫に微笑む。

 名字が深山(みやま)だからと、月紫のことをみーやんと呼ぶのはつぐみだけだ。

 普通の人なら照れ臭くて言い淀むようなセリフを、サラリと言ってのける大胆さが彼女にはあった。

「つぐみ先輩……」

 恥ずかしさが込み上げてきて、月紫は返答に困ってしまう。

 先ほどまで身を包んでいた緊張は、つぐみの不意打ちによって薄れたらしい。

 ずっと傍で導いてくれた先輩の言葉は、何よりも月紫の心の支えになった。

「さ、楽しんでおいで」

「……はい! いってきます!」


 光の降るステージへ、月紫は一歩を踏み出した。


 床にテープで貼られたバツ印の位置まで歩いて、立ち止まり、前を向く。

 その瞬間、月紫の視界が白く弾けた。

 照明の眩しさに反射的に目を細めると、暗がりの中から観客の輪郭が浮かび上がってくる。

 期待と憧憬の入り混じったような、無邪気な視線の群れ。


 月紫は床にボールを配置し終えると、正面にお辞儀をした。

 特定の誰かに向けてではない。今この場所、この瞬間への、感謝と決意の現れとしての一礼。

 その想いに応えるようにして、講堂内に拍手が響き渡る。

 そして再び静寂が場を支配した、その時。

 音響担当が、再生ボタンを押したのだった。


 巨大なアンプから流れ出すミュージック。

 舞台の上が爆音に包まれると同時に、月紫の体は動き出していた。


 ――このイントロを、何度繰り返し聞いただろう。

 約2ヶ月もの間、ひたすらに練習を重ねてきたから。

 一挙手一投足、指の先に至るまで、動きが無意識に刻み込まれている。


 ジャグリングの演技(ルーティン)において、音は心臓のポンプだ。

 リズムに合わせて、3つのボールが軽やかに宙を舞う。

 太腿の下を通り抜け、背面から肩越しに前へ飛び出して。

 両の手に導かれるように、月紫の体の周りを飛び跳ねるそれらは、まるで小さな妖精で。

 ステージの上には、小さなおとぎの国が広がっていた。


 ボールがひとつ、さらにもうひとつと増えて。

 クライマックスを飾るのはファイブボールの大技だ。

 高揚の中で、自然と笑顔が溢れてくる。

 その笑顔が観る人すべてに伝播してゆく。

 小さな幸せを振りまく、妖精のダンス。

 それが、深山月紫のステージだ。



 その後もジャグリング部の文化祭ステージは、順調に進行していった。

 縦横無尽に空を裂いて回る駒、ディアボロ。

 重力を忘れて舞い踊る棒、デビルスティック。

 そしてトリを飾るのは、月紫とつぐみ、そして(みなみ)萌夏(もか)の3人組によるチーム「月花鳥」のステージ。

 演目は、ボーリングのピンに似た形の「クラブ」を投げ渡し合う、通称クラブパッシングである。


 複数のクラブを投げて操るには、当然ボールジャグリングの技術が不可欠だ。

 それに加えて、持ち手のあるクラブを正確な向きで投げ渡すためには、回転速度を正しくコントロールする技術が求められる。

 当然、一朝一夕で身につけられるものではない。

 入部してからの数年間の個人練習と、数か月にわたるチーム練習の積み重ね。

 青春を捧げた努力の結晶が、今ついに大勢の見守る中で輝きを放とうとしていた。


 ――このステージで、私たちの全部出し切ってみせる。

 3人の少女の願いは、ただひとつだった。


 向かい合い、目と目で心を通わせる月紫とつぐみ。

 ふたりの距離は2.5メートル。その間を計6本のクラブが飛び交う。

 身長が近いコンビだからこそ、受け渡しの軌跡は美しい左右対称となる。

 そこに萌夏が、1本のクラブを構えて飛び込んだ。どよめく観客たち。

 クラブは萌夏の身体を掠めはするも、衝突することはなくパスされ続けている。

 月紫とつぐみが両腕を「前ならえ」した場合の、わずかなスペース。

 それが、萌夏が動くことを許されたセンターポジションだ。

「ワン、ツー、スリー、フォー」

 3人にだけ聞こえる秘密の掛け声。

 その合図を受けて、クラブの軌道が変化する。

 センターの萌夏の手を経由して、クラブが受け渡されるようになったのだ。

 萌夏は身体を捻りながら、月紫とつぐみの手からクラブを受け取っては器用に投げ渡していく。

 少しでも手元が狂えば連鎖的に崩れてしまう、そんな絶妙なバランス。

 ラインフォーメーションでの7クラブパッシングを初めて目の当たりした観客の驚きは、次第に拍手へと変わっていった。


 クラブの本数が増えると、その分の滞空時間を稼ぐために、より高い軌道を描くようになっていく。

 音楽の終わりが近付くにつれ、月紫の緊張も最高潮に達していた。

 ルーティンを締めくくる最後の大技が、もうすぐそこまで迫っている。

 そう考えるだけで、月紫は手先の感覚が薄れてゆくのを感じた。


 凪浜学院ジャグリング部に代々受け継がれてきた、伝統の技。

 その名も「ぐるぐるトライアングル」。

 3人が3本ずつクラブを操りながら、立ち位置を入れ替えてパスをするというものだ。

 フォーメーションは直線ライン三角形トライアングルを行き来し、パスの相手も変わり続けるという複雑さ。

 さらに技の終盤では、ふたりがパスをするタイミングで、パスをしていない残りひとりがクラブを高く投げ上げて1回転ピルエットをするという、高難度の技をこれでもかと詰め込んだ内容となっている。

 練習段階での成功率は、30%といったところまで仕上げるのが限界だった。

 それでもこの難しい技に挑戦しようと、3人で話して決めたのだ。


 ――つぐみ先輩の願いに、想いに、応えたい。

 そんな感情が月紫を芯から奮い立たせる。

 先輩にとっては、これが最後の文化祭ステージなのだから。

 先輩の夢を叶えて、笑顔で送り出したい……!


 刹那、月紫の頭の中を数々の思い出がよぎる。

 汗を流した練習の日々。つぐみ先輩と共に過ごした放課後。

 楽しくて、苦しくて、何物にも代えがたい大切な記憶。

 それらが現在(いま)と繋がる感覚の中で、月紫は手首に力を込めた。


 しかし――たとえ願いが同じでも、掛け違えた感情は綻びを生む。

 それは、特定の誰かのせいという訳ではない。

 クラブを投げる高さ、軌道、回転数、そしてタイミング。

 それらの些細なズレが積み重なって、運命共同体にリズムの揺らぎが生じるのだ。

 逸れた軌道を修正するたび、次第に歪みは大きくなって。

 現実は無慈悲にも、歯車を狂わせることとなる。


 そしてついに舞台の上で、誰も望まぬ崩壊が訪れた。


 コツンと硬い音を立て、ステージの床を転がるクラブがひとつ。

 それは、月紫が萌夏に投げ渡したものだった。


 一度形が崩れると、行き場を失ったクラブは次々と地に落ちて。

 曲が終わりを迎えた頃には、無音の落胆が講堂内を支配していた。


「……………………っ」


 ――もう1回、と萌夏の唇が動く。

 最後の「ぐるぐるトライアングル」からやり直すつもりなのだ。


 しかし司会が告げた言葉は、3人の希望を打ち砕くものだった。


「最後の大技、本当に惜しかったですね……!」


 月紫が舞台袖を見ると、文化祭準備委員会の腕章を付けた生徒が、デジタル時計を指差しながら申し訳なさそうに頭を下げている。

 そのジェスチャーが「巻きでお願いします」という意味であることを、月紫は遅れて理解した。

 ステージの時間が押しており、再挑戦の機会が与えられないことを知った、萌夏の苦い表情。

 一方つぐみはというと、笑顔を保ったまま月紫と萌夏をステージ中央へと促した。

 優しさの中に一抹の切なさを融かした、アクアマリンのような笑顔だった。


 ぬかるみを進むような重い足取りの中で、月紫はつぐみから教わった心得を思い出す。

 ――舞台の上では、いつでも笑顔を忘れないで。

 エンターテイナーとして、ジャグラーとして、ステージを楽しんでくれた観客のために、最後まで演じ切らなくてはいけない。

 そう月紫は自分に言い聞かせて、口角を上げ笑顔の仮面を被る。

「素晴らしいステージをありがとうございました! 皆さま、チーム月花鳥に盛大な拍手をお送りください!」

 昏くボヤけた視界のまま、月紫は観客席に向かってお辞儀をする。

 その一瞬は月紫にとって、まるで永遠のように感じられた。


 この日、深山月紫の青春の1ページに深く刻まれたのは、無力さと悔しさだった。

 クラブが指先を掠めて墜ちてゆく、あの背筋の凍るような感覚だけが、いつまでもリフレインしていた。


 ……もう二度と、こんな思いをしたくない。

 最高のステージを届けて、心からの笑顔を咲かせたい。

 そのために、もっと、もっともっと、練習を重ねて完璧を目指さなくては……。


 そう、月紫は決意を固めるのだった。

 その誓いが、彼女自身を縛ることになるとは知らずに――。



 ――それから半年後。

 季節は巡り、出逢いの春がやってくる。


 桜舞う学び舎に集いしは、運命の糸に導かれた少女たち。

 その糸は互いに絡まり、()り合い、いつしか絆となって、空いた心の穴を縫い上げてゆく。


 これから紡がれるのは、ジャグリングという縁で結ばれた、虹色の青春物語である。

「美少女がジャグリングをするアニメを見たい!」

そう思って数年が過ぎましたが、いまだそのようなアニメはおろか、マンガが生まれる気配もありません。

仕方がないので自ら筆を執り、物語を書き始めることにしました。アニメ1クール分の全12話を予定しています。

不定期更新になると思いますが、どうぞごゆるりとお付き合いくださいませ。

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