辺境伯家の追放事情・8
ルステニアの西門。滅多に開け放たれることのない門が開かれる様子に、流民街の入り口付近でたむろしていた住民が珍しそうに視線を向ける。しかしすぐに、門を潜って現れた灰色の皮鎧を纏う兵士達と無骨な四輪車に気付き大慌てで姿を隠した。
魔力を原動力として走る魔動駆車。車体の側面に刻まれた紋章を目にすれば、それが誰の保有物なのかは一目瞭然である。静寂と緊張は瞬く間に伝播してゆき、流民街の通りはシンと静まり返っていた。
流民街へ入った途端、駆車内へ流れ込む鼻を突く鉄錆の据えたような匂い。駆車の窓から外に目をやったスヴィアは、その惨状に眉を潜め小さく息を吐く。
整備されていない土が剝き出しの大路に並ぶ、木と石と土でくみ上げられた不格好な小屋。逃げ遅れたのか道端で震えながら平伏する者達は皆痩せ細り枯れ木のよう。細く暗い脇道には打ち捨てられたボロボロの骸に蠅が集りその死肉を鳥が啄む。中には暴行を受け命を落としたであろう無残な骸も少なからず見られた。
きっとロカルトの流したという噂が元で多くの惨劇が巻き起こったのだろう。犠牲者の中には何ら罪の無い人々も多くいたに違いない。
この原因の一旦が辺境伯家にあると考えると、あまり良い気分ではないな。
鬱々とした気分に襲われながらも、そんな光景の中を進むこと数分。
「ヴィー様、例の孤児院に着いたようです」
御者台に立つディーナの言葉と共に駆車がゆっくりと停車する。扉を開くとそこは流民街を縦に貫く大路といくつか小路の合流点となっている小さな広場だった。そんな広場に面した木造の二階建て、流民街にしては立派なその建物が指定された孤児院らしい。
そして、その入り口の周りにはゴロツキらしき男達が倒れ伏している。
一歩遅かったか?
そんな懸念が脳をよぎった瞬間、孤児院の扉を突き破り二つの人影がもつれ合いながら飛び出した。その片割れがもう一方の相手を投げ飛ばしスヴィア達の目の前へと着地する。
顔に入れ墨を入れた大柄なその男は、すぐに駆車と兵士達の存在に気付き大きく表情を顰めた。その直後、孤児院の中から数人のゴロツキが姿を現す。
「ザバさんっ」「辺境伯軍?!」「やっぱり罠だったのか」「汚ねぇぞ!」
入墨の男はゴロツキ達の纏め役らしい。騒ぎ出す彼らに空気が張り詰める中、スヴィアは投げ飛ばされたもう一方の人影に視線を向け、思わず頭を抱えたい衝動に駆られる。
外套のフードから見える特徴的な金髪、その手に握られた片刃の剣は大陸東方固有の武器だという刀。それはわざと刃を潰してある一風変わった特注の武器だ。そしてそのどちらもスヴィアにとっては酷く見覚えがある。
「何故、お前がここにいるっ……」
そこにいたのは屋敷で謹慎させられているはずのキールだった。
くそ、兄様め。わざわざ私を動かしたのはこれを予測していたからか。
いくら評判が悪いとはいえ兵士達にとってキールはまだ辺境伯家の嫡子という認識であり、ロカルトの召致でその廃嫡を察している者はいたとしても正式に公表されるまではそのように扱わざるを得ない。
しかしスヴィアがその場にいれば話は別だ。嫡子ではないもののキールと同じ辺境伯家の子女であり当主からの信任も厚く、更に領軍に対する命令権という面ではキール以上の権限を有するスヴィアがその場にいれば、多少キールを害したとしても許されるだけの大義名分が生まれる。
確かにそれなら自身の派遣に納得はいくが、そらならそうと先に伝えておくべきだろうとスヴィアはしかめっ面を浮かべた。そんなスヴィアの存在に一拍遅れで気付いたキールは、一瞬目を見張った後で怒気を露に口を開く。
「っ…俺は流民街の解体なんて許さない。辺境伯家嫡男キール・アース・グラヴアクトの名において、この流民街におけるアモルア教の保護を宣言する!」
「なっ?!」
その宣言は端的に言って最悪だった。
流民街でのアモルア教の排斥は『辺境伯家がその存在を排除したがっている』という認識をロカルトが広めたことで生じた流れだ。しかし、辺境伯家の嫡子が流民街に好意的でアモルア教側の立場であると広まれば、それは覆りかねない。
余計なことをっ。
噂に戸は立てられない。このまま放置すれば、キールの宣言が流民街中へと知れ渡るのは時間の問題だろう。
今の宣言を聞いていたザバも、手下のゴロツキ達を黙らせ状況を見定めている。白昼堂々あの声量で叫べば、遠巻きにこちらを伺っている住民達の耳にも届いているはずだ。
スヴィアは一度大きく息を吐いて焦りを隠し、冷静に思考を回転させる。
今の最適解は、辺境伯家内においてキールの立場が劣るものだと示すこと。そうすれば、宣言の価値も信用度も大きく下がるはず。
そう判断したスヴィアは頬を吊り上げ作り上げた嘲笑をキールへと向けた。
「とうに廃嫡されているお前が嫡男?笑わせるな」
他言無用とは言われていたが、こうなっては仕方がない。
作るべきストーリーは家で疎まれ廃嫡された落ちこぼれが、辺境伯家への反骨心から流民街に肩入れしている、といったあたりだろうか。
「なっ、そんなことをすれば侯爵家が……」
焦り様からして廃嫡の話は本人にはまだ知らされていなかったらしい。可能性自体は頭の片隅で考えたが、あり得ないと切り捨てたか。
「あぁ、関係の悪化は避けられないだろうな。だがそんなものは今更。それより、お前のような無属性の落ちこぼれを当主にする方が余程問題だ」
無属性、落ちこぼれ、という言葉にキールはギリッと歯を食いしばった。
魔法の行使には一定水準以上の魔力量と、魔法属性への適合度という二つの素質が必要となる。いくら魔力量が多かろうとも、その性質が適合しない属性の魔法を扱うことは出来ない。そしてキールの魔力は十二分な量こそあれど、既存のどの魔法属性にも適合を示さなかった。
平民階級からすれば、貴族とはイコールで魔法使いだ。魔法を使えない無属性というのは、廃嫡の理由として分かりやすい瑕疵に見えるだろう。
「血筋に考慮して一時的に嫡子とされていただけのお前が、当主になれるとでも?本気で信じていたのなら、愚かを通り越して滑稽だな」
スヴィアは周囲に聞こえるようそう言い放ち、態とらしくフンと鼻を鳴らした。その時、
「キール、目とじてっ」
孤児院の入り口からそんな声が上がる。そこにはいつの間にか、スヴィアやキールと同じくらいの年齢であろう少女が一人立っていた。薄桃掛かった白髪に服装はかなり質素だが清潔感が感じられる。ここが流民街であることを考えればかなり上等な代物だろう。
「"照球"!」
そして少女が口にしたのは魔法の誓名。魔力が魔素へと干渉しその手のひらの上で眩い光の球が収縮、彼女はそれを振りかぶるとスヴィア達へ向けて思い切り投げつけた。