辺境伯家の追放事情・6
辺境伯家屋敷地内に広がる庭園の片隅、木陰にひっそりと隠れて六角形の小屋が佇んでいる。構造は寝室と水場の二部屋のみで、頑丈で分厚い壁に鉄格子の付いた小さな窓、唯一の出入り口も外から施錠されれば内側から開けるのは不可能。この離れ家は元々、一族から出た都合の悪い者を閉じ込めるために建てられた一種の座敷牢だった。
そんな離れ家の寝室のベッドに腰を掛けたキールは、水の入ったカップを片手に思考を巡らす。
その成り立ちからして、この離れ家への軟禁というのは非常に体裁が悪い。体裁、言い換えればメンツというものは貴族にとって時に命より優先されるほど重要なものだ。
キールは今までも幾度となく流民街へは足を運んできたし、迷宮での任務とやらも無視したのは一度や二度ではない。しかしそれでもこの離れ家に放り込まれたことは一度足りともなかった。
それはキールがメンツに頓着する質ではない一方で、嫡子の悪評は辺境伯家のメンツを損ねうるため。罰としては大して効果が無いうえに辺境伯家の名前には傷が付くと、デメリットしかないのである。
にも関わらず今回は、この離れ家での実質的な軟禁を強制された。つまりそのデメリットを甘受してでもそうしなければならない事情があったということ。
一番単純なところでは、迷宮での任務を無視した罰としての軟禁ではなく純粋にキールを閉じ込め動けなくするための措置である、といったあたりか。
「俺を自由にしておくと何か不都合が?」
例えば流民街の打ち壊し。流民街を蔑みそこに住む人々を領民だと認めていない父や異母姉が、辺境伯家嫡子である自分が流民街へ肩入れしているのを酷く苦々しく思っているのはキールもよく理解している。それを解決するため、街自体の打ち壊しという暴挙に出る可能性は十分に考えられる。ただ、
「いや、それにしては兵舎が静か過ぎる……」
流民街は暴力を是とし力こそ正義の無法地帯であり、強い力を有するいくつかの組織が睨み合って均衡を保っている状態だ。戦力と言っても辺境伯軍とは大人と子供のような差だろうが、それでも本気で潰しに掛かるなら大隊規模で兵士の動員は必要な筈。しかしキールが離れ家に軟禁されて以降、小さな窓から僅かに見える領軍の兵舎は普段と変わり無い。
いくら考えを巡らしても答えは出ず、焦燥だけが積みあがってゆく。
キールがここまで焦っているのは数刻前、亜竜種の魔物リンドブルムとその上に跨がった兵士が、兵舎の裏へ入ってゆく様子を離れ家の窓から見たため。計五人、隣領ベレグ子爵家麾下の騎竜兵隊の分隊だろう。子爵軍の誇る精鋭である彼らがルステニアまで出張って来たのはおそらく、
俺にも見覚えのある分隊、彼らは確かあの人の護衛だった。
となると子爵家に婿入りして以降、年に二度しか帰省していなかった異母兄が帰って来た可能性が高い。その理由は分からないが、九つ年の離れた異母兄が権謀術数に長けた傑物であることはキールもよく知っている。そして同時に酷く容赦のない人物であることも。
そんな思考はガチャリという何かを開錠したような音で遮られた。音の出どころは、離れ家に一か所しかない出入り口の扉。
扉の鍵が開けられた?
キールはそっとベッドから立ち上がり足音を潜めて重々しい扉へと近づく。手を当て体重をかけて押し込むと、扉は何の抵抗もなくギィと開いた。
離れ家の入り口の傍には、倒れ伏した兵士が二人。おそらく見張り番だろう。外傷はなく息もあるようだが完全に意識を失っている。
「っ、一体何が……」
瞬間、脳裏に浮かびあがったのは二つの選択肢。室内に戻り大人しくしているか、屋敷を抜け出して流民街へ向かうか。
もう一刻もすれば使用人が夕食を運んでくる。前者であればキールに疑いが掛かることはないが、後者を選べばキールが見張りの兵士の意識を奪い謹慎を破って抜け出したのだと判断されるのは明白。例えそれが事実とは異なっていたとしても、状況的に言い訳は通じない。
だがキールは迷うことなく離れ家を抜け出し流民街へ向かうことを決めた。
あの人の知略はきっと流民街に牙を剥く。その前にいち早く危険を伝えて、皆を守らないと。
と言ってもこのまま屋敷を抜け出し流民街へ向かう、という訳にはいかない。このままの格好で市街へ出ればキールの正体は一目瞭然だ。流民街に辿り着くまでもなく連れ戻される可能性が高い。
キールは庭園の木陰を伝うようにして屋敷の裏へと回り二階の自室の狭いバルコニーを見上げる。そして一階の窓に人影が無いのを確認して駆け出すと、窓枠を踏み台に飛び上がりバルコニーの床板に手を掛けた。そのまま足を振り子のように振って屋敷の壁を蹴りつけグルンと一回転、バルコニーへと着地する。あとはどのように室内へ入るかだが、
「開いてる……」
窓から暗い室内へ目を凝らすとバルコニードアは施錠されていないようだった。先程の離れ家の入り口の開錠も含め、あまりにキールにとって都合が良すぎる。まるで誰かがお膳立てしているかのよう。
だが、今キールにそれを探り慎重になっている余裕はない。
ドアを引き開け自室へと踏み入ると部屋は離れ家に軟禁される以前と変わりなく、壁際の棚には様々な魔道具が置かれ机の上にはそれらの設計書が乱雑に散らばっている。それらはキール自身が構想を練り、辺境伯家お抱えの職人や鍛冶師を巻き込んで作り上げたものだ。それらの中には世間ではまだ一般化していない物も少なくない。
キールはその中から金属製の髪留めと装飾の付いた付いたチョーカーを手に取って身に付ける。
「あー、あー。よし問題なく起動してるな」
そして魔力を通すと声は低くしゃがれ、金色だった髪も瞬く間に焦げ茶色へ染まっていた。更にの上からフード付きの外套を纏ってしまえば、もうキールだと気付ける者はそう多くないだろう。とはいえ顔や体格を変えることは出来ていないため油断は出来ないのだが。
最後に立て掛けてあった愛用の刀を手に踵を返したキールは、バルコニーの手すりを足場に屋根へと飛び移って棟までよじ登る。助走を付け屋根の端から幅跳びのように跳躍。そして屋敷西側の塀とその外に張られた水路を軽々と飛び越え、隣の共同墓地へ転がり込んだ。
「警備の衛兵には…見られていなさそうだな。とりあえず屋敷からは問題なく抜け出せたか」
ここから流民街へ赴くには東、南、西の三つの門のどれかからルステニアの外へ出る必要がある訳だが…流民街に最も近い西門は基本的に締め切られており出入りは皆無、通り抜けようとすれば門が開く前に怪しまれてキールの正体が露見しかねない。南門は富裕層の住宅や商会の拠点が多く、警備の厳しい中央通りを通らなければいけないというのが難だ。となれば選択肢は一つ、
「東門だな」
冒険者が多く酒場や娼館も立ち並び夜遅くまで賑わっている東通りを通るのが、最もリスクの低い最適解だろう。キールは何食わぬ顔で共同墓地を後にし、東通りへと歩を向けた。