辺境伯家の追放事情・4
執務室のデスクに腰をかけていたのは、現グラヴアクト辺境伯にして父であるギュレン・アスク・グラヴアクト。酷く疲れた様子の父の目の前には、大量に積みあがった書類が鎮座している。
「ご苦労だったな。調査は何層まで終えた?何か進展はあったか?」
「はい、十五層の調査中に厄介なことが判明しました」
厄介という言葉にギュレンは聞きたく無さそうに表情を顰めた。
「…聞こう」
「番兵の殺害ですがどうもアモルア教、ひいてはフテン神教国が関わっている可能性が分かりました」
「何?」
「調査中、複数体のリメインと遭遇し討伐に当たったのですが、ジルグ曰く使用していた武具の特徴からアモルア教の聖騎士が死霊種化したのではないかと」
「…奴の見立てであれば、間違っているとは考えづらいな」
ジルグは先代の時代から辺境伯軍を支える将校であり、ギュレンもその経験と実力には深い信頼を置いている。
「更にそのうちの一体はミスリルの全身鎧を躯体としており、素体となったのはかなり高位の聖騎士かと。転移魔法の使用も確認しました」
死者が死霊種の魔物に転じる際、その力は生前の能力に準ずるものだ。今回スヴィアを襲ったリメインは転移魔法に長けた人物であったのだろう。そして、転移魔法の属する空属性の魔法使いは非常に希少であり、高位の聖騎士となれば名前も絞られる。
「聖守六剣の不可視剣か……」
アモルア教において特に優れた六名の聖騎士に与えられる"聖守六剣"の称号。その一角を担い、神出鬼没な転移魔法の使い手として知られるのが、不可視剣と呼ばれる聖騎士だ。
ギュレンは額に手の甲を当て大きく息を吐く。
「それにしても、またアモルア教とは……」
まるで調査の間に他にもアモルア教関連の厄介事があった、というような口調だ。
「私が潜っている間にも何か?」
「キールが流民街でアモルア教の信徒と親しくしていたのは知っているな」
「はい、最近は特に肩入れしているようですね」
おそらく異常な博愛主義的思考もその影響を受けたのだろう。
「その信徒達の中にフテンからの諜者がいると判明した。キールとの接触もその筋からの指示だろう」
「アモルア教に強く影響を受けたキールが当主になれば、その存在を重宝するようになるということですか」
「あぁ、この辺境伯領を足掛かりに王国北部での影響力を増したいのだろうな」
アモルア教は王国政治の中心である宮廷や南部諸領において強い影響力を誇り、ここ半世紀ほどは東部地域でも信者を増やしている。一方で気風や根付いた土着宗教が強い地方では信者の獲得に苦戦しており、黒影海に浮かぶ西部の島々ではその影響力は大きく減衰、北部に至ってはほとんど地盤を獲得出来ていない。
「となるとやはり、迷宮での件も流民街のアモルア教徒を通じたフテンからの指示という可能性が高いですね」
「あぁ、それも間違いなく上層部の企てだろう」
「まさか、聖教主が関わっていると?」
フテン神教国のトップたる聖教主が裏にいるのであれば、それは国を挙げて辺境伯家に宣戦布告をしてきているに等しい。
「そこまでは分からんが。聖守六剣というのはアモルア教守護の象徴。そんな存在を他国への侵入に動かせる人間などそう多くはないはずだ。最低でも大司教以上の地位の人間が関わっているのは間違いない。加えて不可視剣はアモルア教という組織における暗部、審問機関の出身との話も聞く。私を排除し無理やりキールを当主の座に就かせるところまで画策していたとしても不思議はない」
「それは、流石に中央も黙っていないでしょう」
それではもはや、他国による国内の不和の扇動だ。
「スヴィア、中央においてアモルア教の力はお前が思っている以上に強まっている。特に近年ではほとんど国教扱いだ。キールの血筋も考えれば、私が殺されたとしても見て見ぬ振りをし大手を振って新たな当主として受け入れるだろうよ」
今は亡きキールの母ジェスティナは、建国当初から王家を支え数度の降嫁も受けた歴史を持つ南部貴族の重鎮ロワール侯爵家の出身。その血を引くキールが当主となれば中央は北部へ自分達の意向を押し付けやすくなりアモルア教も新たな土壌を獲得出来る。正に両者両得であり、割を食うのは北部諸侯だけだ。
ギュレンは腕を組み険しい表情を浮かべる。
「流民街にも監視は送り込んでいたが、流石に規模が膨れ上がり過ぎた。長年のツケが回って来たな」
辺境伯家が長年に渡り流民街を認めずとも黙認してきたのは、それがルステニアにとって都合の良かったから。
表に出せないような裏社会の存在から小悪党まで厄介者達が好き勝手に出来る流民街へと流れるため、自然とルステニア内の治安の向上に一役買っていたのだ。はっきりと言ってしまえば臭いものを封じ込めるゴミ箱のような役割を担っていたとも言える。
しかしそんなゴミ箱のせいで家本体や家主に害が及ぶのであれば、
「解体、ですか」
「本当なら二百年前にそうするべきだった。そろそろ清算しなければなるまいよ。不可視剣が命を落としたのは幸いだった。あちらも今は混乱しているだろう」
「キールが間違いなく反発するかと思いますが」
「問題が解決するまでは離れ家で謹慎させる。そのうえで全て片付いたら廃嫡だ。迷宮の存在を軽視するアレを当主には据えられない」
廃嫡。あの調子では時間の問題だとは思っていたが。散々忠告してきたのも意味が無かったか。だがそうなると、
「次期当主には兄様を?」
「あぁ、ロカルトを呼び戻す」
十と一つ歳の離れたスヴィアの実兄ロカルトは、領地を隣接するベレグ子爵家へ婿入りしており現在はそちらで生活をしている。
「そうなると、ラーズリ義姉様は」
貴族社会において家の事情や情勢の変化で婚姻関係が解消されたり立場が変わったりすることは決して珍しい話ではない。が、スヴィアも兄と婚姻関係を結んだ子爵家の長女ラーズリには小さな頃から実の妹のように可愛がって貰った。そんな義姉に不幸が降りかかるような事態は避けたい。
「苦労させて申し訳ないとは思うが、次期辺境伯夫人として色々と詰め込んでもらうことになる。子爵とも色々と調整する必要があるな。全くキールめ、面倒を掛けさせおって」
離縁や妾に、というような言葉が出て来なかったことに一先ず胸を撫で降ろす。苦労はするだろうが、立場はむしろ今とは比べ物にならないくらいに高くなるだろう。
「分かっているとは思うが、この件については他言無用だ。流民街の件はロカルトが帰り次第、また何かしらの命を下す。そのつもりでいるように」
「承知しました。では失礼します」
スヴィアは一礼し、
久しぶりにラーズリ義姉様と会えるな。
少しだけ浮足立って、執務室を後にした。