辺境伯家の追放事情・1
諸事情により名前や設定等などを少し改稿しての再投稿しています。話の大筋は変わっていません。
大陸西方、黒影海に突き出た北竜頭半島。北は大陸内陸部へと連なる脊梁山脈から南は半島の海岸線、そして西の沖合に浮かぶ島々までを領土とする海洋国家リオ王国。その最北に位置するグラヴアクト辺境伯領には、大陸屈指と名高い巨大な迷宮が存在する。領都ルステニアの地下に広がるシュドラ迷宮。深き霊廟とも呼ばれ、三千年以上前の書物にもその名が記される古き迷宮だ。
そんなシュドラ迷宮の深層十二層、石レンガの広間で一人の少女が地図を片手に険しい表情を浮かべていた。肩甲骨あたりで切り揃えた暗い赤黒色の髪と深い紺色の瞳、白い肌に飾り気のないドレスアーマーを纏った彼女は、迷宮を管理するグラヴアクト辺境伯家の三女スヴィア・エラム・グラヴアクトだ。そのすぐ後ろには、護衛兼側付きを務める長身の女騎士ディーナが控えている。
迷宮とは特異な性質を内包した一種の異界であると同時に固有の生態系と資源に溢れた宝の山、存在する領地ひいては国すらも支える要地でありその扱いに関しては厳格なルールが定められている場合が多い。
例えばシュドラ迷宮においては一種の傭兵組合である"冒険者ギルド"へ所属していれば九層までの立ち入り許可が下りる一方で、十層以下深層は辺境伯家の関係者以外の立ち入りが固く禁じられている。その境には監視のための屯所が置かれ、辺境伯軍の兵士複数名が番兵として常駐しているのだが…先日、その兵士達が遺体で発見された。残留魔力から人為的な事件である可能性が浮上し、辺境伯家が迷宮への入り口を完全封鎖して調査へ踏み切ったのが二週間前のこと。スヴィアはその調査現場における総司令官という訳である。
「十二層、第三区画の探索は完了。全小隊が無事に帰還しましたが、手掛かりになるような痕跡は見つからず」
迷宮深層の調査に動員された辺境伯領軍の精鋭、特殊独立大隊所属の年若い将校の報告にスヴィアは苦々しい表情で地図にバツ印を書き込んだ。迷宮に足を踏み入れてはや十日、調査は酷く難航しており未だ有力な手掛かりは見つかっていない。
「そろそろ切り上げ時じゃないか。魔物による被害であれば不幸な事故。侵入者がいたとしてもこれだけ何も見つからないなら、更にこの下へ降りたのだろう。ならどうせ生きて帰っては来られない」
隈の目立つげんなりした表情でそう不平を溢すスヴィア。幼い頃から辺境伯家の子女として厳しい教育を叩き込まれているとはいえ、その忍耐力にも限界があるというもの。
「ヴィー様、気持ちは分かりますが、兇徒の素性の特定も調査の一環ですから」
「…分かっているよ、言ってみただけだ」
そんなディーナの諫言に小さく溜息を溢し、
「何にせよ一旦ここで休憩を取る。ゲオルグにそう伝えろ」
スヴィアは報告に来た将校へ指示を出す。
「はっ。では、失礼いたします」
深く一礼した将校が背を向けその場を後にした直後、広間の入り口の方が俄かに騒ぎ立った。そして何事かとそちらへ意識を向けるスヴィアの右隣、十メートル程離れた広間の角で唐突に空気中の魔素が集束。空間がグニャリと捻じ曲がる。
「…っ！」
次の瞬間、歪みの中心に抜身の剣を手にぶら下げた全身鎧の騎士が姿を現した。騎士はフラリと揺らめくように踏み込むと、迷いなくスヴィアへ向けて疾駆。剣の切っ先が石畳を擦り火花を散らす。
「ヴィー様！」
即座に反応したディーナが戦斧を手に飛び出すも体勢が整わない。騎士の振り上げる剣に何とか戦斧の刃を合わせるものの、そのまま後方へ押し飛ばされた。
その間に斜めへ飛び退き距離を取るスヴィアだが、邪魔者を排除した騎士も更に一歩の踏み込みで加速し瞬く間にその距離は詰められる。
そして振り下ろされた剣を、スヴィアは倒れ込むように体を捻って回避、地面に手を付いて鎧の胸元へ回し蹴りを叩きつけた。更に騎士が蹈鞴を踏んだところへ、
「"穿つ赫焔"」
詠唱を破棄し誓名のみで魔法を構築する。放出した魔力が魔法を織り成し空気中の魔素が燃焼、発生した炎は槍の形へと収束し撃ち放たれた。この間およそ一秒程。
スヴィアの十八番とはいえ咄嗟に放たれた不安定な魔法は騎士の剣の一振りで即座に斬り払われるが、一瞬の足止めには十分。スヴィアが再度距離を取り直すと同時に、
「貴様っ、ヴィー様から離れろ！！！」
体勢を立て直したディーナが怒りに染まった表情ですっ飛んで来る。そして勢いを乗せて振り切られた戦斧が騎士の頭部を打ち抜く直前、
「■e■―i」
鎧の内側から声ともつかぬ悍ましい音が響いた。呼応するように空気中の魔素が収束し、再び発生した歪みの中へ騎士の姿が掻き消える。
渾身の一撃が空振り体勢を持っていかれるディーナ。それを他所に今度はスヴィアのすぐ真後ろで空間に歪みが生じた。
転移魔法か！
騎士が行使しているのは、空属性に分類される転移魔法だろう。それも瞬間的な連続転移は相当高位な使い手だ。
先ほどと同じように歪みの中へ姿を現わした騎士は、スヴィアの首を貫こうと剣を突き出す。その切っ先がスヴィアの首へと達する直前で、戦斧を力任せに押し留めたディーナがその軌道を無理矢理修正し振り上げ、金属が破裂するような轟音と共に重たげな鎧が吹き飛んだ。
足元の石畳が粉々に砕け散っているあたり、どれだけ力任せの動きだったのかは想像に難くない。
「ご無事ですかヴィー様っ」
「問題無い」
近くの兵士達がスヴィアを守るため即座に展開する先で、壁にぶつかって崩れ落ちた騎士がゆっくりと上体を起こす。
「A―■ar―」
戦斧の一撃によってひしゃげ僅かに露出した鎧の内側、そこに本来見えるべき騎士の肉体は見当たらない。代わりに浮かぶのは、うすぼんやりとした真っ赤な光球だけ。それは魔力と魂で構成された魂核、騎士の正体が死霊種の魔物だという証だ。死者の魂と魔力が装備などと融合して生まれる魔物リメインだろう。
転移で認知外へ逃げられれば追いかけるのは厳しいか。速攻で片を付けるっ。
そう判断したスヴィアは右手の中指に嵌めた指輪型の魔導具へ魔力を流し込み、刻まれていた魔法式を起動。仮想空間へ収容していた愛用の槍を現出させながら、眼前の兵士達へ指示を飛ばす。
「退けっ、私とディーナでやる！イル トーア・スルタグ エト…」
兵士達が素早く横へ捌けると同時に、スヴィアは魔法の詠唱を開始。
「G■―ar―r■aa！」
そこへ跳ねるように飛び出したリメインを間に割り込んだディーナが今度こそ真正面から捉え、砲弾のように飛んでくる金属の塊と戦斧の激突に再び轟音が響く。
その勢いに踏みしめた石畳を抉りながらズッと押し込まれるディーナだが、一メートル程後退したところで力は拮抗。遂には完全に押し留めはじき返した。
「…ナド ジレタ・ハーサ スデト・ "導きの炎河"！」
その間に完全詠唱を済ませたスヴィアは、カンっと槍を床に突き立て魔法を解き放つ。槍の穂先から溢れ出した白色の炎が、川波のようにリメインへと押し寄せその姿を呑み込んだ。
「A■aar■―ar―……」
そして白炎に呑まれたリメインの魂核からは瞬く間に光と色が抜け落ちる。やがて炎が虚空へ流れ去るのと共に鎧は支えを失ったように床へ崩れ落ちた。
