玄龍国の誕生
第一章 混沌の幕開け
天華暦九百九十五年、春。
長楽の街を覆う霞が、朝日に染まり始めた頃、一人の男が目を覚ました。寝台から起き上がり、窓辺に立つ。街の喧噪が、かすかに聞こえてくる。
「また、騒がしくなってきたな」
楊天虎は独り言を呟いた。この数ヶ月、民衆の不満は日に日に高まっていた。増税、食糧不足、貴族の腐敗。様々な要因が重なり、街の空気は張り詰めていた。
そんな中、楊天虎の耳に、ある噂が届いていた。北方の辺境で、反乱の動きがあるというのだ。
「天虎様」
部屋に入ってきたのは、楊天虎の側近、王朗だった。
「北方からの使者が到着しました。至急お目通りを」
楊天虎は頷き、急ぎ正装すると、客間へと向かった。
使者の顔は土埃にまみれ、疲労の色が濃かった。
「申し上げます。北方の鉄門関で、反乱軍が蜂起いたしました。総勢一万。すでに関所を制圧し、南下を始めています」
楊天虎の表情が引き締まる。
「わかった。すぐに対策を講じよう」
楊天虎は即座に側近たちを集め、対応を協議し始めた。しかし、意見はまとまらない。
「兵を送るべきです」
「いや、交渉すべきだ」
「そもそも、民会の承認なしには動けないのでは?」
議論が紛糾する中、一人の若者が静かに部屋に入ってきた。痩身の体に、鋭い眼光。それは、楊天虎が最近目をかけている下級官吏、李玄策だった。
「失礼します」
李玄策は丁重に一礼すると、楊天虎に向かって言った。
「私に、作戦を立てさせていただけませんでしょうか」
部屋が静まり返る。楊天虎は李玄策をじっと見つめた。
「よかろう。お前の考えを聞こう」
李玄策は、落ち着いた口調で話し始めた。
「反乱軍の動きを見れば、彼らの真の目的は明らかです。彼らが望んでいるのは、単なる略奪や破壊ではありません。民衆の支持を得て、この国を変えることなのです」
楊天虎は頷いた。
「では、どうすべきだというのだ?」
李玄策の目が輝いた。
「民の心を掴むのです。反乱軍よりも先に」
楊天虎は深く考え込んだ。李玄策の言葉には、確かな説得力があった。しかし、それは同時に大きなリスクも伴う。
「具体的には、どのような策を考えている?」
李玄策は答えた。
「まず、北方へ向かう途中の村々で、食糧の無償配布と税の減免を行います。そして、各地で楊様が直接民衆に語りかけるのです」
側近たちから、驚きの声が上がる。
「そんな、民会の承認も得ずに勝手なことを…」
「国庫が空になってしまいます」
楊天虎は、静かに手を上げて側近たちを制した。
「李玄策よ。その策には大きな賭けが含まれているな」
「はい。しかし、今こそ大胆な行動が必要なのです」
楊天虎は、李玄策の目をまっすぐ見つめた。そこには、揺るぎない決意が見て取れた。
「わかった。その案で行こう」
側近たちが騒然となる中、楊天虎は静かに立ち上がった。
「諸君、準備を整えよ。我々は北へ向かう」
そう言うと、楊天虎は李玄策に向き直った。
「李玄策、お前もついてくるのだ。お前の策が成功するか、この目で見届けよう」
李玄策は深々と頭を下げた。
「はっ。必ずや、ご期待に添えるよう努めます」
かくして、楊天虎と李玄策の運命の旅が始まった。彼らはまだ知らない。この旅が、天華大陸の歴史を大きく変える契機となることを。
第二章 民の声
長楽を出発して三日目、一行は最初の村に到着した。村の名は青柳。かつては豊かな農村だったというが、今や疲弊の色が濃かった。
楊天虎は馬から降り、村の中心広場へと向かった。李玄策が後に続く。
広場には、噂を聞きつけた村人たちが集まっていた。彼らの目には、警戒と期待が入り混じっている。
楊天虎は、用意していた台の上に立った。
「諸君」
その一言で、広場は静まり返った。
「私は楊天虎。長楽からやってきた」
ざわめきが起こる。楊天虎の名は、既にこの地にも届いていたようだ。
「諸君に問う。この国は、今どのような状態にあるか」
しばしの沈黙の後、一人の老農夫が声を上げた。
「飢えておる。税は重く、作物は実らず。このままでは、冬を越せぬ」
別の男が続く。
「役人は腐敗し、諸侯は争いばかり。民のことなど、誰も顧みてはくれぬ」
次々と、村人たちの声が上がる。その声に common する悲痛さに、楊天虎は胸を痛めた。
「諸君の苦しみ、よくわかった」
楊天虎は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「だからこそ、私はここに来た。諸君と共に、この国を変えたい」
村人たちの目が、楊天虎に釘付けになる。
「まず、これより税の徴収を一年間免除する。そして、我が軍が携えてきた食糧を分配しよう」
驚きの声が上がる。
「さらに」と楊天虎は続けた。「明日より、この村の復興計画を諸君と共に立てる。この村を、かつての豊かさに戻そうではないか」
歓声が沸き起こった。村人たちの目に、久しく見ない希望の光が宿る。
その夜、楊天虎は李玄策と共に、今後の戦略を練っていた。
「李玄策、ここまでの手応えはどうだ?」
李玄策は静かに答えた。
「上々です。しかし、これはまだ始まりに過ぎません」
楊天虎は頷いた。
「そうだな。北方の反乱軍の動きは?」
「我々の前を行く形で南下を続けています。しかし、彼らの進軍速度は鈍っているようです」
「なぜだ?」
李玄策の目が鋭く光る。
「彼らも、民心を得ようと各地で止まっているのでしょう。しかし」
「しかし?」
「彼らには、我々のような具体的な策がない。民を失望させているはずです」
楊天虎は深く考え込んだ。
「我々の策は功を奏しているということか」
「はい。ですが」と李玄策は続けた。「これからが正念場です」
「どういうことだ?」
「反乱軍との直接対決は避けられません。その時、民衆は我々の味方をしてくれるでしょうか」
楊天虎は窓の外を見やった。月明かりに照らされた村が、静かに横たわっている。
「民の心を我々のものにする。それが、この戦いの核心なのだな」
李玄策は黙って頷いた。
翌朝、楊天虎は村人たちと共に復興計画を立て始めた。灌漑設備の改善、新しい作物の導入、市場との連携強化。具体的な策が次々と示される。
村人たちの目が、徐々に希望に満ちていく。
そして、計画立案の最中、一人の若者が楊天虎に近づいてきた。
「楊様、私にも何かできることはありませんか?」
楊天虎は微笑んだ。
「もちろんある。我々と共に、この国を変える道を歩まないか」
若者の目が輝いた。
「はい!」
その日の夕方、楊天虎の軍には数十名の若者たちが加わっていた。
李玄策は、その様子を見て楊天虎に言った。
「これで、我々の軍にも地元の事情に詳しい者が加わりました」
楊天虎は頷いた。
「そうだな。彼らの力も借りて、この国を変えていこう」
かくして、楊天虎と李玄策の旅は続いていく。村々を巡り、民の声を聞き、希望を与えていく。
そして、彼らはまだ知らない。この旅が、やがて玄龍国という新たな国の誕生へとつながっていくことを。
第三章 暗雲の予兆
青柳村を出発して二週間が過ぎた頃、楊天虎の一行は北方への道を着実に進んでいた。途中の村々で民の声を聞き、食糧を分け与え、希望を灯していく。その評判は、彼らの行く手を追い越すように広がっていった。
しかし、ある日の夕暮れ時、事態は急変する。
「楊様!」
偵察から戻った兵士が、息を切らせて報告する。
「前方の鉄門関が、反乱軍に占拠されました」
楊天虎の表情が引き締まる。李玄策が静かに口を開いた。
「ついに、正面から向き合う時が来たようですね」
楊天虎は頷いた。
「そうだな。だが、どう対処すべきか」
李玄策は地図を広げ、鉄門関の位置を指さした。
「鉄門関は、この地域における交通の要衝です。ここを制する者が、北方全域を掌握することになる」
「つまり、ここで決着をつけねばならないということか」
「はい。しかし」と李玄策は続けた。「単純な正面衝突は避けるべきです。我々の兵力は、反乱軍の半数にも満たない」
楊天虎は深く考え込んだ。
「では、どうする?」
李玄策の目が鋭く光った。
「民の力を借りるのです」
その夜、楊天虎と李玄策は作戦会議を開いた。周囲の村々から集まった代表者たちも、その場に同席していた。
李玄策が口を開く。
「諸君、我々には反乱軍を正面から打ち破る力はない。しかし、諸君の協力があれば、勝機はある」
村の代表者たちが、身を乗り出して聞き入る。
「鉄門関の周辺には、幾つもの小さな山道がある。その道を使って、反乱軍の背後に回り込むのだ」
「しかし」と一人の老人が口を挟む。「その山道は危険です。普通の軍隊では…」
李玄策は微笑んだ。
「その通りです。だからこそ、諸君の力が必要なのです。地元の案内人として、我々を導いてほしい」
会議は深夜まで続いた。そして、夜明け前、作戦が開始された。
楊天虎は主力部隊を率いて、鉄門関の正面に陣取った。一方、李玄策は精鋭部隊を引き連れ、地元の案内人と共に山道を進む。
昼過ぎ、楊天虎は鉄門関に向かって進軍を開始した。
反乱軍の総大将・王雷山は、楊天虎の軍を見て嘲笑した。
「あれほどの小勢で、我らに挑むとはな。楊天虎め、その無謀さ加減、目に余る」
しかし、その時だった。
「敵襲ーっ!」
背後から悲鳴が上がる。李玄策率いる部隊が、山道から姿を現したのだ。
反乱軍は混乱に陥った。前後からの挟み撃ちに、隊列は乱れ、統制が取れなくなる。
楊天虎は、その隙を逃さなかった。
「全軍突撃!」
楊天虎自ら先頭に立ち、反乱軍の中央に切り込んでいく。その勇姿に、兵たちの士気は一気に上がった。
激戦の末、反乱軍は敗走。鉄門関は、楊天虎の手に落ちた。
戦いが終わり、楊天虎は関門の上に立った。遥か北方まで見渡せる景色が、そこにはあった。
李玄策が近づいてきた。
「見事な戦いでした、楊様」
楊天虎は首を振った。
「いや、これはお前の策があってこその勝利だ。そして」
楊天虎は、遠くに広がる大地を指さした。
「民の力があってこその勝利でもある」
李玄策は静かに頷いた。
「はい。この勝利で、北方全域が我々の手に落ちたも同然です」
楊天虎は深くため息をついた。
「だが、これで終わりではない。むしろ、これからが本当の戦いの始まりだ」
「どういう意味でしょうか?」
楊天虎の目が、遠くを見つめる。
「民の期待に応えること。そして、この国を本当に変えていくこと。それこそが、我々に課せられた真の試練なのだ」
李玄策は、楊天虎の言葉の重みを感じ取った。
そして二人は、夕陽に染まる北の大地を見つめながら、これからの長い道のりに思いを馳せるのだった。
第四章 新たな秩序の幕開け
鉄門関での勝利から半年が過ぎた。楊天虎の名は、今や北方全域に轟いていた。
長楽の宮殿。楊天虎は、新たに設けられた政務室で李玄策と向き合っていた。
「北方の状況はどうだ?」楊天虎が尋ねる。
李玄策は、机上に広げられた地図に目を落としながら答えた。
「順調です。反乱軍の残党は完全に掃討され、各地の統治も軌道に乗り始めています」
楊天虎は深く頷いた。
「そうか。だが」
彼の目が、地図の南方へと向けられる。
「中央や南方はまだだ。我々の影響力は、まだそこまでは及んでいない」
李玄策の表情が引き締まる。
「はい。特に、南方の大貴族たちの動きが気になります」
「何かあったのか?」
「はい。南方の五つの大貴族が密かに会合を開いたという情報が入りました。恐らく、我々に対抗する策を練っているのでしょう」
楊天虎は深いため息をついた。
「やはり、そう簡単にはいかんか」
そのとき、扉が開き、一人の使者が慌ただしく入ってきた。
「楊様、民会からの使者が到着しました」
楊天虎と李玄策は顔を見合わせた。
「通してくれ」
入ってきたのは、民会の重鎮、鄭老院であった。
「楊天虎殿」鄭老院が口を開く。「民会は、あなたの功績を高く評価している。そして」
彼は一瞬言葉を切った。
「あなたに、新たな称号を授けることを決定した」
部屋の空気が、一瞬凍りついたかのようだった。
「その称号とは?」楊天虎が静かに尋ねる。
「天華護国公」
李玄策の目が、わずかに見開かれた。それは、実質的に国家元首に次ぐ地位を意味していた。
楊天虎は深く息を吐いた。
「民会の御意向、拝受いたします」
鄭老院が去った後、李玄策が口を開いた。
「これは、民会からの牽制でしょう」
楊天虎は頷いた。
「そうだな。我々の力を認めつつ、まだ完全な実権は渡さないという意思表示だ」
「では、どうされますか?」
楊天虎の目が、遠くを見つめる。
「受け入れよう。だが、これを足がかりに、さらなる改革を進める」
その言葉に、李玄策の目が輝いた。
それから数ヶ月、楊天虎は精力的に動いた。
北方での成功例を元に、中央での税制改革を推し進める。科挙制度を導入し、有能な人材を登用。そして、各地に学校を設立し、民の教育に力を入れた。
これらの政策は、民衆から絶大な支持を得た。しかし同時に、既得権益を持つ貴族たちの反発も強まっていった。
天華暦999年の冬。
楊天虎は、李玄策と共に長楽の高台に立っていた。街の灯りが、夜の闇に浮かび上がっている。
「李玄策」楊天虎が静かに言った。「我々は、もう後には引けんな」
李玄策は頷いた。
「はい。民の期待は日に日に高まっています。このまま現状に留まれば、我々への失望は計り知れません」
楊天虎の目に、決意の色が宿る。
「ならば、もう一歩踏み出そう」
「新たな国を?」
「そうだ」
李玄策は、楊天虎の横顔を見つめた。
「民会や貴族たちの反発は必至です」
「わかっている。だからこそ」
楊天虎は李玄策に向き直った。
「お前の知恵が必要なのだ」
李玄策は、深々と頭を下げた。
「この命、楊様にお預けします」
その夜、二人は夜を徹して話し合った。新たな国の姿、統治の形、そして、それを実現するための戦略。
夜明けが近づいたころ、二人の目には、新たな国の青写真が浮かんでいた。
「玄龍」と楊天虎が呟いた。「我が新たな国の名は、玄龍とする」
李玄策は静かに頷いた。
「素晴らしい名前です」
そして、天華暦1000年の幕が開ける。
楊天虎と李玄策の、そして玄龍国の運命を賭けた戦いが、今まさに始まろうとしていた。
第五章 運命の分岐点
天華暦1000年、春。
長楽の街は、いつにも増して喧騒に包まれていた。
楊天虎は、自邸の書斎で李玄策と向き合っていた。机上には、細かな文字で埋め尽くされた文書が広げられている。
「準備は整ったな」楊天虎が静かに言った。
李玄策は頷いた。
「はい。民会への建白書、新国家の憲章、そして民衆への檄文。すべて用意できました」
楊天虎は深く息を吐いた。
「では、いよいよだな」
「はい。しかし」李玄策の表情が曇る。「民会や貴族たちの反発は必至です。最悪の場合、内戦になる可能性も」
楊天虎は窓の外を見やった。春の陽光が、長楽の街を明るく照らしている。
「わかっている。だが、もはや引き返すことはできん。民のため、この国のため、我々は進まねばならない」
李玄策は深々と頭を下げた。
「御意のままに」
その日の午後、楊天虎は民会に乗り込んだ。
広間には、民会の議員たちが緊張した面持ちで集まっていた。楊天虎が入場すると、どよめきが起こる。
楊天虎は、中央の演壇に立った。
「諸君」
その一言で、広間は水を打ったように静まり返った。
「我が国は今、大きな岐路に立っている」
楊天虎の声が、広間に響き渡る。
「長きにわたる内乱、民の疲弊、そして迫り来る外敵の脅威。我々は、このままでは立ち行かなくなる」
議員たちの間で、ざわめきが起こる。
「そこで私は提案する。新たな国家、玄龍国の建国を」
広間が騒然となる。
「何を馬鹿な!」
「それは反逆だ!」
怒号が飛び交う中、楊天虎は冷静に続けた。
「諸君、よく聞いてほしい。玄龍国は、民のための国家となる。科挙制度を全土に広げ、有能な者が出世できる国。税制を改革し、民の負担を軽くする国。そして何より、すべての民が平等に扱われる国だ」
楊天虎の言葉に、一部の議員たちが耳を傾け始める。
「しかし、それは夢想に過ぎん!」
声の主は、旧貴族派の領袖、周徳だった。
「楊天虎よ、お前は我々の既得権益を奪おうというのか」
楊天虎は、周徳をまっすぐ見つめた。
「周徳殿。私が奪おうとしているのは、不当な特権だけだ。真に国に貢献する者には、それ相応の報酬と地位が与えられる。それが、玄龍国の理念だ」
議論は白熱し、夜遅くまで続いた。
その間、李玄策は長楽の街中を奔走していた。事前に用意していた檄文を配り、民衆に楊天虎の理念を伝える。
夜も更けた頃、民会の広間に一人の伝令が駆け込んでくる。
「大変です! 街中で民衆が蜂起しています!」
議員たちの顔色が変わる。
楊天虎は、静かに立ち上がった。
「諸君、民の声を聞こう」
彼は、民会の玄関に向かった。そこには、松明を手にした民衆が大勢詰めかけていた。
民衆の中から、一人の老婆が涙ながらに声を上げた。
「楊様、私たちはもう苦しまなくてもいいのですか?」
楊天虎は優しく微笑んだ。
「そうだ。共に、より良い未来を築こう」
その言葉に、周囲から安堵の溜め息と小さな希望の囁きが広がっていった。
「楊様!」と民衆が叫ぶ。「我々は玄龍国を支持します!」
楊天虎は、民衆の前に立った。
「諸君、ありがとう。しかし、これはまだ始まりに過ぎない。玄龍国を真に民のための国とするには、諸君の力が必要だ。共に、新しい国を作り上げようではないか」
歓声が沸き起こる。
その光景を目の当たりにした民会の議員たちは、ついに決断を下した。
明け方近く、民会は採決を行った。
結果は僅差だったが、玄龍国の建国は承認された。
楊天虎が民会を出ると、李玄策が待っていた。
「楊様、民会の決定は?」
楊天虎は、疲れた表情の中にも喜びを滲ませながら答えた。
「承認された。これで、玄龍国の建国が正式に決まったのだ」
李玄策の目に、涙が光った。
「おめでとうございます、楊様。いや、玄龍皇帝陛下」
楊天虎は首を振った。
「いや、まだ祝福は早い。これからが本当の戦いの始まりだ」
二人は、夜明けの空を見上げた。
新たな国、玄龍国の船出。それは、希望に満ちた未来への第一歩であると同時に、数多の困難が待ち受ける険しい道のりの始まりでもあった。
第六章 新たな国の船出
市場で野菜を売る農夫が、隣の肉屋に語りかけた。
「おい、聞いたか? うちの息子が科挙に挑戦するって言うんだ」
肉屋は驚いた様子で答えた。
「まさか。農家の息子が?」
「ああ。玄龍国になってからは、身分に関係なく受験できるようになったんだとよ」 二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
「世の中、変わるもんだな」
玄龍暦元年、夏。
長楽の宮殿は、かつてない活気に満ちていた。
玄龍皇帝となった楊天虎は、新たに設けられた玉座の間で、李玄策と向き合っていた。
「どうだ、各地の様子は」楊天虎が尋ねる。
李玄策は、手元の報告書に目を落としながら答えた。
「北方と中央部は概ね安定しています。しかし」
彼は一瞬言葉を切った。
「南方では、依然として反乱の火種が燻っています」
楊天虎は眉をひそめた。
「具体的には?」
「五大貴族の一人、蒋玄岳が密かに兵を集めているという報告があります。また、周辺の小貴族たちも、彼に同調する動きを見せています」
楊天虎は深いため息をついた。
「やはり、そう簡単にはいかんか」
そのとき、扉が開き、一人の使者が慌ただしく入ってきた。
「陛下、大変です! 南方の藍田で反乱軍が蜂起しました!」
楊天虎と李玄策は顔を見合わせた。
「どれほどの規模だ?」楊天虎が問う。
「約三万、とのことです」
部屋の空気が一瞬凍りついたかのようだった。
楊天虎は静かに立ち上がった。
「李玄策、作戦を立てろ。我々も藍田へ向かう」
李玄策は深々と頭を下げた。
「御意」
数日後、楊天虎率いる玄龍軍は藍田へと到着した。
町の郊外に陣を張り、楊天虎は幕僚たちと作戦会議を開いていた。
「敵の布陣はこうなっています」
李玄策が、砂盤の上に小石を並べながら説明する。
「蒋玄岳は町の中心に本陣を構え、周囲に重臣たちを配置しています。彼らは町の防衛に全力を注いでいるようです」
楊天虎はじっと砂盤を見つめていた。
「正面からの攻撃は難しそうだな」
李玄策は頷いた。
「はい。しかし」
彼の目が鋭く光る。
「町の民衆の中に、我々の同調者がいます」
楊天虎の目が見開かれた。
「内応か」
「はい。彼らの協力を得れば、内部から瓦解させることができるかもしれません」
楊天虎は深く考え込んだ。
「だが、それは民を危険に晒すことにもなる」
李玄策は静かに答えた。
「はい。しかし、彼らは自ら志願してきたのです。玄龍国の理念に共鳴し、新たな時代を切り開きたいと」
楊天虎は長い沈黙の後、決断を下した。
「わかった。だが、できる限り民への被害は最小限に抑えよ」
李玄策は深々と頭を下げた。
その夜、作戦が開始された。
町の中で、突如として火の手が上がる。反乱軍が混乱に陥る中、玄龍軍が一斉に攻め込んだ。
戦いは激しく、夜通し続いた。
夜明け近く、ついに蒋玄岳が降伏した。
藍田の町は、玄龍国の手に落ちた。
戦いの後、楊天虎は町の広場に立った。
疲れ切った表情の民衆が、不安げに集まってくる。
楊天虎は、静かに語り始めた。
「諸君、恐れることはない。我々は諸君を罰するためではなく、救うために来たのだ」
民衆の表情が、少しずつ和らいでいく。
「玄龍国は、すべての民が平等に扱われる国だ。貴族も平民も、その才能と努力次第で出世できる。そして何より、民の声に耳を傾ける国なのだ」
楊天虎の言葉に、民衆から小さな拍手が起こり始める。
「共に、新しい時代を築こうではないか」
歓声が沸き起こった。
その日の夕方、楊天虎は李玄策と共に藍田の城壁に立っていた。
夕陽に染まる町並みが、静かに横たわっている。
「李玄策」楊天虎が静かに言った。「我々は正しいことをしているのだろうか」
李玄策は、楊天虎の横顔を見つめた。
「陛下、民の笑顔をご覧ください。彼らの目に宿る希望を。我々は、確かに正しい道を歩んでいると信じています」
楊天虎は深くため息をついた。
「そうだな。だが、これはまだ始まりに過ぎない」
「はい。これからが本当の正念場です」
二人は、夕陽に染まる空を見上げた。
玄龍国の未来は、まだ霧の中にあった。しかし、その霧の向こうには、確かに希望の光が見えていた。
楊天虎と李玄策は、その光に向かって歩み続ける決意を、静かに胸に刻むのだった。
第七章 内政と外交の岐路
玄龍暦2年、秋。
長楽の街を歩く李玄策の目に、活気ある光景が飛び込んできた。 新しく開かれた学校から元気な子供たちの声が聞こえ、道端では商人たちが笑顔で取引をしている。 往来で出会う人々の表情が、以前よりも明るくなっているのを感じた李玄策は、 心の中で楊天虎の決断の正しさを確信したのだった。
長楽の宮殿は、落ち着きを取り戻しつつあった。
玉座の間で、楊天虎は新たに設けられた枢密院の面々と向き合っていた。李玄策を筆頭に、軍事を担当する孫風雷、外交を担う趙明月、そして財政を預かる王守財が揃っていた。
「では、各省の報告を聞こう」楊天虎が口を開いた。
李玄策が最初に立ち上がる。
「はい。内政については、科挙制度の導入により、有能な人材が続々と登用されています。また、税制改革により、国庫の収入も安定してきました」
楊天虎は満足げに頷いた。
次に孫風雷が報告する。
「軍の再編成は順調です。ただ、西方の山岳地帯で、まだ小規模な抵抗が続いています」
「そうか。注意深く見守っていてくれ」
趙明月が一歩前に出た。
「陛下、東の海の向こう、碧波国からの使者が到着しています。我が国との通商条約の締結を望んでいるようです」
楊天虎の眉が寄る。
「碧波国か...李玄策、お前はどう思う?」
李玄策は慎重に言葉を選んだ。
「碧波国は海洋国家として知られています。彼らとの通商は我が国の発展に寄与するでしょう。しかし」
「しかし?」
「彼らの真の狙いは、我が国の内情を探ることかもしれません」
楊天虎は深く考え込んだ。
「趙明月、使者との会談を設定してくれ。だが、慎重に対応するように」
「御意に従います」
最後に王守財が報告を始めた。
「陛下、財政については」
その時、突如として扉が開き、一人の伝令が飛び込んできた。
「陛下!大変です!西方の檀石山で大規模な山賊の襲撃が!」
部屋の空気が一変する。
楊天虎は即座に立ち上がった。
「詳しい状況は?」
「檀石山の麓にある鉱山町が襲撃を受け、多くの民が人質に取られているとのことです」
楊天虎は孫風雷に向き直る。
「すぐに救援部隊を」
「御意」
孫風雷が退室する中、李玄策が口を開いた。
「陛下、この襲撃、単なる山賊の仕業とは思えません」
「どういうことだ?」
「檀石山の鉱山は、我が国の重要な鉄の供給源です。これを狙ったということは」
楊天虎の目が鋭く光る。
「背後に何者かがいるということか」
李玄策は静かに頷いた。
「調査が必要です」
「わかった。お前が直接行ってくれ」
李玄策は深々と頭を下げ、部屋を後にした。
その夜、楊天虎は一人、書斎で思索にふけっていた。
玄龍国は、ようやく安定の兆しを見せ始めたところだった。しかし、新たな脅威が次々と現れる。
内政を固めるべきか、それとも外に目を向けるべきか。
楊天虎の心は、揺れていた。
そのとき、扉がそっと開く音がした。
「陛下」
声の主は、趙明月だった。
「碧波国の使者との会談の件ですが」
楊天虎は、趙明月をじっと見つめた。
「聞こう」
「はい。使者の態度に、どこか焦りのようなものを感じました」
「焦り?」
趙明月は慎重に言葉を選びながら続けた。
「はい。まるで、我が国と早急に関係を結ばなければならない理由でもあるかのように」
楊天虎は、窓の外の夜空を見つめた。
「なるほど。李玄策の言う通り、彼らには何か隠された意図がありそうだな」
「ではどうされますか?」
楊天虎は、しばしの沈黙の後、静かに答えた。
「当面は、友好的な態度を示しつつ、警戒を怠らないようにしよう。そして」
彼は趙明月に向き直った。
「碧波国の内情について、できる限りの情報を集めてくれ」
「御意に従います」
趙明月が退室した後、楊天虎は再び夜空を見上げた。
玄龍国は今、内政と外交の岐路に立っていた。
そして、その選択が国の運命を大きく左右することになるだろう。
楊天虎は、静かに決意を固めた。
どんな困難が待ち受けていようとも、この国を、民のための国として築き上げる。
それが、自らに課せられた使命なのだと。
夜更けの宮殿に、新たな時代の幕開けを告げる鐘の音が鳴り響いた。
第八章 暗雲の予兆
玄龍暦3年、冬。
檀石山の麓に広がる鉱山町・鉄嶺は、厳しい寒さに包まれていた。
李玄策は、町の中心にある宿で、孫風雷と向かい合っていた。
「で、どうなんだ?」李玄策が尋ねる。
孫風雷は渋い表情で答えた。
「山賊たちは完全に掃討したが、背後関係はまだ掴めていない」
李玄策は眉をひそめた。
「そうか。だが、ここまで大規模な襲撃を仕掛けられるほどの組織力がある。単なる山賊団とは思えんな」
「俺もそう思う。それに」
孫風雷は言葉を切った。
「なんだ?」
「捕虜の中に、碧波国の言葉を話す者がいたんだ」
李玄策の目が鋭く光る。
「碧波国か...」
その時、一人の伝令が慌ただしく部屋に飛び込んできた。
「李様、孫様!大変です!」
「何があった?」李玄策が立ち上がる。
「碧波国の艦隊が、東の海岸に現れました!」
李玄策と孫風雷は顔を見合わせた。
「これは...」孫風雷が呟く。
「ああ、全て繋がったな」李玄策が静かに言った。
二人は即座に長楽へ向かった。
宮殿の玉座の間。
楊天虎は、李玄策と孫風雷の報告を聞き終えると、深いため息をついた。
「つまり、碧波国が我が国の内情を探るため、山賊を利用したということか」
李玄策が頷く。
「はい。そして今、艦隊を差し向けることで、我が国の対応を見ようとしているのでしょう」
楊天虎は立ち上がり、窓の外を見やった。
雪が静かに降り積もっている。
「李玄策、お前はどうすべきだと思う?」
李玄策は慎重に言葉を選んだ。
「陛下、今は慎重に対応すべきです。碧波国との全面対決は、まだ我が国に不利です」
楊天虎は黙って頷いた。
「では、どうする?」
「まずは外交交渉で時間を稼ぎましょう。その間に、海防を強化し、国内の結束を固める」
楊天虎は李玄策をじっと見つめた。
「わかった。その案で行こう」
数日後、碧波国の使節団が長楽に到着した。
楊天虎は、玉座に座して使節を迎えた。
碧波国の使節・陸遠は、深々と頭を下げた。
「玄龍皇帝陛下、我が碧波国を代表し、ご挨拶申し上げます」
楊天虎は静かに答えた。
「歓迎する、陸遠卿。何の用件か?」
陸遠は笑みを浮かべた。
「陛下、我が国は貴国との友好関係を望んでおります。通商条約の締結を提案させていただきたく」
楊天虎は、表情を変えずに答えた。
「それは結構なことだ。だが」
彼は陸遠をじっと見つめた。
「友好とは、互いを信頼することから始まるものだ。貴国の艦隊が我が国の海岸に現れたことについて、説明してもらえるか?」
陸遠の表情が一瞬凍りついた。
「あ、あれは...単なる航行訓練でございます」
楊天虎は静かに立ち上がった。
「そうか。ならば、我が国の山岳地帯で起きた騒動についても、貴国は無関係ということでいいのだな?」
陸遠の額に、冷や汗が浮かぶ。
「も、もちろんでございます」
楊天虎は、ゆっくりと歩み寄った。
「陸遠卿。我が国は、平和を望んでいる。だが」
彼の目が鋭く光る。
「平和とは、力の均衡の上に成り立つものだ。貴国が本当に友好を望むのなら、まずは互いを尊重することから始めようではないか」
陸遠は、言葉を失ったように立ち尽くした。
会談の後、楊天虎は李玄策と二人きりになった。
「李玄策、どう思う?」
李玄策は静かに答えた。
「陛下の采配は見事でした。碧波国も、しばらくは様子見に入るでしょう」
楊天虎は窓の外を見やった。
雪は止み、薄日が差し始めていた。
「だが、これで終わりではない」
「はい。むしろ、これからが本当の戦いの始まりです」
楊天虎は、李玄策をじっと見つめた。
「李玄策、お前の力が必要だ。共に、この国を...いや、この世界を変えていこう」
李玄策は、深々と頭を下げた。
「この命、玄龍のためにございます」
二人の視線が交わる中、新たな時代の幕開けを告げる鐘の音が、遠くから聞こえてきた。
玄龍国の、そして楊天虎と李玄策の物語は、まだ始まったばかりだった。
(第一部 終)