ただひとりの
「アキラ、大丈夫? ……アキラ?」
明楽はメイアをかき抱くようにしながら、離そうとしなかった。
「……俺の」
「え?」
「俺の、もの」
短く零された言葉に、メイアは僅かに息を呑むと、仕方なさそうに笑った。
「そうよ。あたしは全部、あなたのもの。代わりに、あなたも全部あたしのものよ。それは忘れないでね」
返事の代わりに、明楽は抱きしめる腕に力を込めた。
明楽は、ずっと誰かのものだった。それは明楽が、ヒモだから。
主導権が自分にあったとしても、しょせんヒモとは飼われている立場だ。明楽は相手のものだが、相手は真に明楽のものにはならない。
誰かを丸ごと手に入れたことはなかった。相手の人生に責任を負いたくもなかった。
けれど、今は。
彼女が自分だけのものであるということが、どうしようもなく嬉しい。
メイアの頰に手を添えて、至近距離で見つめ合う。
キスなんて数え切れないくらいしているのに、今更唇が震えた。
「はは、なんだこれ。ダサ」
くしゃりと笑った明楽に、メイアは目を細めて腕を回すと、優しくキスをした。
「今日はあたしが全部してあげましょうか?」
「……冗談」
何度か触れて、キスが次第に深くなっていく。
そのままベッドへとなだれ込み、ふたりは疲れ切って眠ってしまうまで、ひたすらに愛し合った。
×××
朝、先に目が覚めた明楽は、メイアの目が覚めるまでずっと寝顔を眺めていた。
なんだか、実感がない。
この先、もうこの体以外に触れることはない。惜しい気持ちがないといえば嘘になるが、この体に触れられるのが自分だけだという喜びもある。
白い肌が眩しくて、昨晩さんざん愛し合ったのに、また触れたくて仕方ない。
起こしてまでやろうとは思わないが、早く起きてくれないかと髪を弄ぶ。
暫くそうしていると、メイアの瞳がうっすらと開いた。
微笑んで、目元にキスをする。
「おはよ」
「おはよう。……元気ね」
「うん、元気。ついでにこっちも」
下半身を指すと、メイアが呆れたような顔をした。
「…………元気ね」
「まあ、若いし。だからさ、ね」
覆い被さると、メイアが溜息を吐く。
「朝から?」
「朝だからいいんじゃん」
「なんか浮かれてるわね」
「そう見える?」
「まあ……悪い気分じゃないわ」
お許しが貰えたので、唇にキスをする。
明るい中で見るメイアの体は、美しい。
白い肌に朱が差していくのが楽しい。
今までと変わらない行為なのに、いくらでも欲しくて仕方ない。
認めよう、浮かれている。
初めて、想いの通じ合った恋人ができたのだから。
×××
「そういうわけで、メイアと正式に恋人になりました」
「そうなんですね……」
寂しげに言って、夜の厨房で、ナターシャは視線を落とした。
別にわざわざ報告する義理はないのだが、ナターシャとは、定期的に関係を持っていた。今後すっぱり断つのなら、事情は説明せねばなるまい。
「メイア様と、お似合いでしたもんね。おめでとうございます」
苦しさを隠して微笑む健気な姿に、胸が痛む。
「なら、夜のメニュー開発も、もうやめないとですね」
「いや、これは俺の仕事でもあるし。今まで通り続けたって」
「ダメですよ。私が恋人だったら……夜に他の女性とふたりきりなんて、嫌ですもん」
たしかに、ナターシャの言う通りではある。
この時間は、明楽にとっても楽しいひと時だった。セックスを抜きにしたって、ナターシャとの関係は続けていきたいところだが。
ぐっと堪えて、明楽も物わかりのいい顔で頷いた。
「わかった。今までありがと。ナターシャには、すごく癒やしてもらった。関係は変わるけど、これからも、同じ城で働く仲間としてよろしくね」
「はい。――メイア様と、お幸せに」
「ありがと」
笑顔で別れを告げて、この件はすっきり終わった。
はずだった。
×××
「アキラ、メイア様と結婚するってホント!?」
昼時の食堂で、駆け込んでくるなりそう言ったマリーに、明楽はコーヒーを吹いた。
既に席についていたミルカに視線をやると、彼女は首を振った。ミルカではないらしい。
「何それ。どこ情報?」
「なんかメイドの間で噂になってた!」
「はぁ……?」
情報源が不確定すぎる。
しかし、軍関係者ではなくメイドとなると、メイアと一緒にいるところを見られての憶測か、あるいはナターシャと話していたのを聞いて、一部の言葉から連想したのかもしれない。
「ずいぶん愉快な話になっているな」
「リリス」
マリーに遅れて食堂に入ってきたリリスが、からかうように言った。ということは、リリスの耳には噂は届いていないらしい。そこまで広まっていないことにほっとした。
しかしこの拡声器を放っておくと、食堂から広まってしまう。明楽は、とりあえず興奮状態のマリーを座らせた。隣に、リリスも腰掛ける。
「あのさ、結婚とか、しないから。すると思う? 俺が」
「えー! しないの?」
「しない」
聞き耳を立てている周囲にも聞こえるように、きっぱりと否定する。
ところが、伏兵は意外なところにいた。
「あら。しないんですか?」
「……ミルカ」
話を終わらせようとしたのに、まぜかえされて明楽はジト目でミルカを見た。
「話が飛躍しすぎでしょ。やっと恋人になったところなのに、結婚とか早いって」
「そうでもないんじゃないですか? ふたりとも、それなりの年齢ですし」
そういえば、二十五で行き遅れ扱いされる国だったか、とリリスの件を思い返す。
「メイアはエルフだし、年齢は気にしてないでしょ」
「どうですかねぇ。でも、アキラさんはもうよそで遊ぶようなことはしないんでしょう? 身を固めても問題ないんじゃないですか」
たしかに、セックスはできないけれども。
遊ばないかと言われると。
口には出せないので、明楽は黙った。
「結婚て、メリット感じないんだよな。子どもがいるならまだしも」
「養子でも迎えればいいじゃないですか」
「いや、子どもができないって話じゃなくて……あれ、俺ミルカに子どもができないって話した?」
ミルカとは一度も関係を持っていないので、明楽が種無しであることは説明していない。
そのことに、ミルカはきょとんとして返した。
「異種族間では、子どもはできませんよ」
「……マジか」
この世界でも、パイプカットの再建はできるのだろうかと考えてはいたが。種があったところで、エルフであるメイアとの間に子供はできない。
つまりメイアは、一生子どもが持てないことを承知で、明楽を選んだ。
頭が下がる思いで、明楽は息を吐いた。
「そういえば、当事者のメイアは?」
「結婚の件で捕まってたから、遅くなりそう」
「おわ……御愁傷様……」
マリーの言葉に、明楽は手を合わせた。
「ま、今ここで色々言っても仕方ないし。メイアの意思を聞かないことにはね」
「それもそうですね」
結局、昼食の時間にメイアは食堂には来なかった。
×××
明楽が夜にメイアの部屋を訪ねると、彼女はそこにいた。
心なしかぐったりしていたので、顔を見るなり「お疲れ」と声をかけた。
ベッドの上で、疲れを癒すマッサージをする。性的じゃないやつ。
横になってくったりと力を抜きながら、メイアが溜息混じりに零す。
「結婚話なんて、どこから出たのかしらね」
「そこで俺を疑わないあたりがメイアだよ」
「あなたが結婚なんて考えてるとは思わないもの」
当たっているが、これはこれで釈然としない。
「メイアは、結婚とかしたい?」
明楽の問いかけに、メイアは意外そうに目を瞬かせた。
「したいって言ったら、してくれるの?」
「まー……考えは……する」
「煮え切らないわね」
「ちょっと俺の辞書にない単語なもんで。考えたこともなかったからさ。けど、メイアがしたいなら、ちゃんと考える」
メイアの頬が、少しだけ染まる。
結婚するとも言ってないのに。このくらいでそんな反応をされると、逆に不安になる。
メイアは体を起こすと、明楽に向き直った。
「結婚は……今は、いいわ。しばらくは、城の仕事から離れられそうにないもの。ここにいる間に結婚となると、多分式は陛下が関わることになる。となると、とんでもなく大規模よ。あなた、耐えられないでしょ」
「……ごめん。それは無理」
「でしょ」
結婚はよくても、結婚式はまた別の話だ。それも、身内だけのものならまだ耐えられても、国を挙げてとかなったら耐えられない。無理。メイアの地位をナメていた。そういえば勇者パーティーの魔術師様なのだった。それも、女王陛下と親しく話せるレベルの。
「だから、結婚とかそういう形には拘らないけど……。仕事が落ち着いたら、したいことはあるわ」
「なに?」
「あなたと、あの草原の家に帰りたい」
明楽が目を丸くする。
メイアは、少し寂しげに微笑んだ。
「わかってるわ。アキラには、あんな何もないところ、つまらないでしょう。王都の方が楽しいわよね。でも、あたしには……あなたとあそこで過ごした時間は、結構楽しかったのよ」
目を閉じたメイアの瞼には、あの頃の思い出が蘇っているのだろう。
たしかに、明楽にとっては繁華街の方が暮らしやすい。楽しいし、便利だし、慣れている。
だけど、メイアにとって、あの時間が大切だったと言うのなら。
「いいよ、帰ろう」
手を取った明楽の目を、メイアが不安そうに見上げる。
「……いいの?」
「もちろん。なんなら、休みの日にでも帰ろうよ。落ち着いたらとか言ってたら、いつになるかわかんないし。転移魔術があれば、帰れるんでしょ?」
「簡単に言うけどね……。遠距離は疲れるから、そう頻繁には無理よ」
「まあまあ。小旅行だと思ってさ。たまにでもいいから、一緒に帰ろう。あの家で、一緒にご飯作って、ハーブティー淹れて、のんびり過ごそうよ」
明楽の言葉に、メイアは嬉しそうに微笑んだ。それから冗談めかして言う。
「女の子は、いないわよ」
「メイアがいれば、いいよ」
お互い軽く笑って、唇を重ねた。
×××
「メイア! 裏のハーブ摘んできたよ」
「ありがと。お茶淹れるわね」
草原のログハウス。自然の音だけが流れるそこで、ふたりはゆったりとした時間を過ごしていた。
いつかはここに定住するかもしれないが、今はまだ、城を拠点とし、たまの休日に戻ってきている。
それでも、メイアは嬉しそうだった。
明楽は早々に退屈を感じていたが、彼女が笑ってくれるならいいか、などと。自分の思考に、苦笑する。
たくさんの女を抱いてきた。たくさんの女に飼われてきた。たくさんの家を渡り歩いてきた。
決して褒められる生き方ではなかった。
最後はひとりだと思っていた。
そんな自分を、丸ごと全部、すくい上げてくれた。
「ね、ハーブだいぶなってたからさ。今日はハーブ風呂にしようよ」
「いいわね。そうしましょうか」
「やった。一緒に入っていい?」
「なにもしないなら」
「それは約束できないなぁ」
「前にお風呂でしてのぼせたじゃない。上がったらね」
「えー」
他愛ない会話が心地いい。
探らなくていい。機嫌を取らなくていい。本音でぶつかっても、離れていかない。
愛されている、許されている自信が、自分を強くする。
何があっても帰ってこれる場所があるという、安心感。
もう迷わない。
ここが。メイアの隣が、自分の終の棲家だ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
この作品はコンテストに参加させるために長編化したので、もし気に入っていただけましたら、是非★評価いただけると大変嬉しいです。よろしくお願いします。




