囮捜査(1)
大きな溜息を吐きながら、明楽は自室の鏡を眺めていた。謁見のための服は脱ぎ捨てて、今は城下町に馴染むためのラフな格好をしている。
だるい。めんどい。二度寝したい。
でも引き受けてしまったものは仕方ない。
「やりますかぁ」
ぐっと髪をかき上げて、鏡の中の男は不敵に笑った。
城の外へ向かう通路を歩いていると、前方にメイアの姿が見えた。気づいたメイアが、明楽に駆け寄る。
「アキラ。どこか行くの?」
「ちょっと町まで。暫く帰らないかも」
「……そう。遊ぶのもいいけど、変な女には気をつけなさいよ。最近、城下で妙なクスリが出回ってるって」
「うん、気をつけるよ」
それの調査に行くんだよ、とは言えずに、明楽はへらりと笑った。
呆れ顔にしっかりと心配の色が滲んでいるメイアの表情に、思わず目を細める。
「ね、出かける前のハグしていい?」
「は!? い、今?」
「うん」
日もすっかり昇った午前、城の通路には人が行き交っている。周囲を気にするメイアに、明楽はにこにこと手を広げた。
人目が気になるのか、メイアはとまどったように周りを見回して、逡巡した後、少し赤い顔で明楽の胸に体を預けた。
それに明楽は微笑んで、ぎゅうと抱き締めながら、首筋に顔を埋める。
「いい匂い」
「変態くさいわよ」
「はは、男はみんな変態だよ」
「開き直らないでよ」
大丈夫。
危険がないわけではないが、自分に任せるくらいなのだから、そこまで重要ということもないだろう。
無理しない。できるとこまで。
「行ってきます」
明楽が軽いキスを落とすと、メイアが柔らかく微笑んだ。
「行ってらっしゃい」
×××
「さーてと」
城下町に降りた明楽はポケットから地図を取り出し、目を落とす。まずは町の下見から。
これはミルカから受け取った城下町の地図だ。裏道や、城への抜け道などが記されている。緊急避難経路の確認は大事だ。
普段通らないような道を歩くと、なんだか新鮮な気分になれた。
「あら、アキラじゃない! 昼前からいるなんて珍しいわね」
「サラ、こんにちは。その後彼氏とはどう?」
「アキラのアドバイス通りにしたら、謝ってきたわよ! 仕方ないから許してあげたわ」
「さすが、いい女」
「また喧嘩したら、相談聞いてね」
「もちろん」
「アキラだー! ねね、ちょっと寄ってって!」
「リン。嬉しそうだね」
「この前試食してもらったプレッツェル、改良してみたの! 食べてみて食べてみて!」
「ありがと、ちょうどお腹空いてたんだよね」
「アキラに食べてほしくて頑張ったんだよ!」
「えー、光栄だなぁ」
「アキラ、ちょっと聞いとくれよ。うちのバカ息子がねぇ」
「ロゼッタさん。息子さんまた何かやらかしたの?」
「将来は店を継がずに旅に出るって! なんとか言ってやっておくれよ!」
「俺から仕事の話されたくないんじゃないかなぁ」
「それもそうだね! あっはっは」
「ひどいなぁ」
あちらこちらで、明楽に声がかかる。主に女性から。
明楽の性格上、城にこもって生活はできない。城下町へ降りる頻度は高かった。まだラトルアへ来て日は浅いが、既に顔馴染みが何人かできていた。
地図を確認しながら町を歩いて、知り合いと会えば挨拶をし、たまに腹ごしらえをして、一日はあっという間に過ぎていった。
「こんばんはー」
「おう、アキラ。いらっしゃい」
夜。馴染みの酒場に顔を出すと、壮年のマスターが明楽を出迎えた。注文をする前に酒を用意し、明楽の前に置く。
「ほら」
「ども。あのさ、マスター。ちょっと聞きたいんだけど」
前置きをして、明楽が姿絵を見せる。
「こんな感じの女、最近来た?」
「うん? ……ああ、来たよ」
「ひとり?」
「そうだな。来る時はひとりだ」
「なるほどね」
来る時は。つまり、帰る頃には男連れでふたり、ないしそれ以上、ということだろう。
この酒場は上に部屋があるので、帰らずに泊まっているかもしれないが。
「この女、なんか変わった行動とかしてた?」
「なんだ? 急に。探偵みたいなこと言い出して」
「うーん、当たらずとも遠からずってトコかな」
「何やってんだか知らないが、俺も一応マスターだからな。いくらアキラでも、客の情報をほいほいと売れん。ましてや相手が女じゃな」
「うわ、俺信用ない」
「あると思うのか?」
「はは」
空笑いで躱して、酒を舐める。
マスターの言うことはもっともだ。明楽は軍人でも自警団でもない。客のことを聞かれても、マスターに話す義理はない。
しかし明楽が城にいることはマスターも知っている。標的が目に余る行動をしていたなら、明楽に愚痴のひとつも零して、兵の派遣を要請するだろう。つまり、それほど妙な行動をしているようには見えないということだ。
カメラのないこの国で証拠を押さえるには物的証拠しかない。それでも、目撃証言だけでも多少の成果にはなるのではないかと踏んでいた。情報を持ち帰れば、あとはプロがなんとかするだろうと。
それにはわかりやすい行動がいる。元々望み薄ではあった。やはり、明楽が接触しないと、成果を得るのは難しそうだ。
「ちなみに、この女が来る日って決まってる?」
「さあな。会いたかったら通えよ。そんで金落とせ」
「えー。俺そんな金持ってないのに」
「女に奢らせればいいだろ。お前がいると客入りが良いから、こっちとしては居座ってくれても構わんぞ」
「客寄せパンダかよ」
「パンダ?」
「あ、こっちにはいないのか。見世物ってこと」
「何を今更。それで生活してんだろ」
「はっきり言うなぁ。マスターのそういうトコ好きだよ俺」
「アキラに好かれてもな。どうせなら女紹介してくれ」
「マスターいい男だけどね。女ウケはしないね」
「はっきり言いやがって」
「こういうトコ好きでしょ?」
「嫌いだね。女にモテる男は全員嫌いだ」
「っはは!」
明楽とマスターの軽口は、別の客が入ってくるまで続いた。
毎晩通っても良いが面倒なので、明楽は酒場の上にある部屋を借りて、酒場で寝泊まりしていた。
日中は町を歩いて、遊びがてら軽い情報収集。夕方からは酒場に入り浸って、深夜まで飲んでいる。
女に口説かれても部屋に連れ込まない明楽を、マスターは珍しそうに見ていた。
そうして数日張り続けたある日。
「いらっしゃい」
マスターの声に、ちらりと不自然でない程度に扉に視線をやる。そして思わず、グラスを持つ手に力が入った。
――きた。
店に入ってきたのは、波打つブロンドの髪に切れ長の目、艶やかな深紅のルージュに、谷間を強調した露出の高いドレスの女だった。推定三十代後半から四十代前半、年齢を感じさせない美しさで、俗に言う美魔女の部類だろう。
(金持ってそー)
ひと目見ての感想は、それだった。明楽の目には、ただの美人などそれほど珍しくない。それより、経済力を見抜く方が大事だった。
若い頃は多少適当にしても、持って生まれた素質だけでそこそこいける。素の美人が一番勝率が高い。しかし、年齢が上がればそれは通用しなくなっていく。加齢には誰も勝てない。どんな美人も衰えていく。それに抗い美を保ち続けるには、まず金が要る。歳をとっても美人、は課金なしには成立しない。つまり美魔女は美容重課金勢。
過去に明楽が相手にしたマダムも、美人が多かった。これは美人を選んだというより、金持ちを選ぶと、必然的に見た目のランクが上がるからである。
(さて、どうするか)
今明楽の隣には、さっき声をかけてきたばかりの若い女がいる。
標的が別の男と消えてしまう前に、接触しておきたいが。
来るたび男と消える女。女としての自信がある身なり。気の強そうな顔つき。
考えて、明楽は若い女との会話を続けた。
(こっちからは、声をかけない)
普通の熟女なら、男から声をかけないと成立しない。年下の男へのアピールは成功率が低いし、不発に終わった時に羞恥が大きい。
男から声をかけた場合でも、年の離れた女は詐欺などを警戒するので、すんなりはいかない。しかし、まだ自分に女としての魅力があることを確認できる喜びから、最終的には落ちる。
今回の標的は、自分のステータスが高いことを自覚している。明楽から声をかけると、その時点で向こうに優位性が生まれる。その他大勢と同じになっては、弱味を引き出すのは無理だ。
だから。
(向こうから声をかけてくるように仕向ける)
人は他人から与えられたものより、自分で選び取ったものに執着する。
標的に少しでも明楽が欲しいと思わせたら、あとは簡単だ。
標的は自分に自信がある。欲しいと思えば、声をかけてくるだろう。
あの手の女は、他人のものを奪うことに優越感を覚えるタイプだ。明楽の横に女がいるなら、尚更。
事実、既に明楽は標的からの視線を感じていた。
こんな時は、生まれ持った顔の良さに感謝する。
黙っていても声をかけられる自信があるのは、明楽も同じ。顔の良さを最大限活かす表情をして、それでいて夜を感じさせる男の色気を振りまく。
それに先にやられたのは、一緒に飲んでいた若い女だった。
「ねーアキラ、上行こ? あたし酔っちゃった」
「んー……どうしよっかな」
「いいじゃん。あたし自信あるよ?」
若い女が、腕を絡めて耳元で囁く。
ありがたくいただきたいところたが、ここは我慢。
「気分が乗らないから、また今度ね」
にっこりと笑顔で断ると、若い女が不満げにむくれた。
そこへ、ハスキーな声が割って入る。
「あら。だったら、どんな女が相手なら気分が乗るのかしら?」
――かかった。




