女王陛下の密命
「アキラさん。今日は、わたしと一緒に女王陛下と会ってもらいます」
「……へっ!?」
早朝からミルカに叩き起こされて、明楽は間抜けな声を漏らした。
明楽は持っていないようなきちんとした服を着せられて、どこかへと連れて行かれる。
謁見の間への道ではなく、いくつもの扉をくぐり抜けて、複雑な道を行く。ミルカの案内がなければ帰れないだろう。
疑問には答えてくれそうにない。大人しくついていくと、どこかの部屋に辿り着いた。
「陛下、お連れしました」
「入りなさい」
ミルカについて入ると、そこはこじんまりとした小部屋だった。
私的な場所なんだろうか、と明楽は視線だけで部屋を探った。
部屋の中央にあるひときわ豪華なソファに、いつぞや見たドレスよりは軽装で、女王が座っていた。
「久しぶりですね、アキラ」
「はい。女王陛下におかれましては、ご機嫌麗しく……」
「慣れない挨拶はしなくてよろしい」
いや一応礼儀としてですね。思いつつ、ぐっと言葉を飲み込む。
「仕事は見つかりましたか?」
「えー……食堂の手伝いを、少々」
「その割には、毎朝遅くまで寝ているようですが」
痛いところを突かれて言葉に詰まるも、
「冗談です」
(なんなの〜!?)
真意が読めずに顔が引きつる。
「ミルカから、貴方の話は聞いています。食堂のメニュー開発もそうですが、兵や使用人のメンタルケアに役立っているそうですね。女性限定で」
「は、はは……」
嫌味か、深い意味はないのか、どっちだろう。
から笑いするしかできなくて、ミルカに助けを求めるような視線を送る。笑顔で流された。
「そこで、貴方にひとつテストを行います」
「テスト?」
「私を、口説いてみせなさい」
顎が外れるかと思った。
ぽかんとした明楽の表情をどう取ったのか、女王はミルカに視線をやった。
「人目があると気になるでしょう。ミルカ、呼ぶまで下がっていなさい」
「かしこまりました」
「えっ!?」
いくら私的な場所とは言え、女王を男と二人きりにして良いのだろうか。
明楽の疑問を読み取ったように、ミルカはにこりと笑った。
「扉の外には兵もいますし、下手なことをしたら物理的に首が飛びますよ」
「アッハイ」
やっぱそうだよな。
それにしても、ふたりの状況を許す時点で、かなりどうかしている。
これはいったい何の試練なのか。
女王はテストと言った。つまり、この合否によって、明楽の扱いが何かしら変わるのだ。
わかっていればやりようもあるが、現時点では合格した方がいいのか、落ちた方がいいのかもわからない。
混乱した頭で、明楽は女王に向き直った。
「陛下。ではまず、お名前を呼ぶことをお許しくださいますか?」
「……良いでしょう」
「ありがとうございます、ヴィクトリア陛下」
にこりと無害な笑みを浮かべる。さすがに世話になる国の女王の名前くらいは調べてある。
「掛けなさい」
「失礼いたします」
明楽はヴィクトリアの対面にあるソファに腰掛ける。
口説くなら隣をキープできた方が良いが、何せヴィクトリアの座っているソファがひとり用なのだから仕方ない。
さて、と明楽は考えを巡らす。
ここでおさらいしておきたいのだが、明楽はヒモであって、ホストではない。興味のある相手になら労力を割くが、金のために誰彼構わず相手をするわけではない。
どんな相手も必ず落とせる百戦錬磨ではない。相性はある。仕事ではないのだから、苦手なタイプにわざわざ粉をかける必要はない。
よって。
「テストとおっしゃいましたね。ヴィクトリア陛下は、当然俺がそれを受けるという前提でお話をされているようですが、俺、試されるのは嫌いなんです」
ぴくりと、ヴィクトリアの眉が動く。それを認めながらも、明楽は貼り付けた笑みで告げた。
「口説いてほしいんでしたっけ? お断りします」
別にヴィクトリアが全く好みではないのかと聞かれれば、そんなことはない。
それなりの年齢は感じるが、肌艶は良いし、目鼻立ちもはっきりとしていて美人の部類だろう。姿勢も良く、コルセットのおかげかもしれないが、メリハリのある体つきをしている。
だがそういうことではない。男女の駆け引きとしての試し行動なら面白みもあるが、権力による謀に巻き込まれるのはごめんである。
明楽の返答を聞いたヴィクトリアは、一瞬だけ目を瞠ると、高らかに笑い出した。
「正直者ですね。女王の命に背いて、何の罰もないとでも?」
「別に俺は、この国を追い出されてもそんなに困らないので。仕える気のない主人に尻尾は振りませんよ」
「おや、今メイアと引き離されても構わないと?」
「俺は構いませんよ。ただ、そっちは困るかもしれませんね」
明楽とヴィクトリアの視線が絡み合う。
ややあって、ヴィクトリアの方がふうと息を吐いた。
「わかりました。私も、何も興味本位でこんなことを言い出したわけではありません。先に意図をお話しておきましょう」
ヴィクトリアが真面目な顔つきになり、明楽も話を聞く姿勢をとる。
「貴方には、密偵を頼みたいのです」
「…………はい?」
目が点になった。みってい。密偵?
――スパイ!?
呆気にとられた明楽に、ヴィクトリアはしてやったりの顔で微笑んだ。
「いや、密偵て。そんなの専門の人がいるでしょう。なんで俺が」
「たまたまです。貴方がよく出入りしている酒場が、取引場所に使われるという情報が入りまして。標的が、女性で、色恋に弱い人物らしく。だったら暇な貴方にやってもらおうかと。貴方は、女性を籠絡するのが得意でしょう」
「えーと……」
「ただ、相手は私と同程度の年齢です。噂に聞く限り、貴方の相手は若い方ばかりでしょう。若い娘は騙せても、果たして成熟した女性に通用するのかどうか、見定めておこうかと」
(ほっほーう?)
ヴィクトリアの値踏みするような視線を受けて、明楽も挑発的な笑みを返す。
「むしろ年上は得意分野ですよ」
何せヒモである。経験のない十代やそこらを引っかけて喜んでるナンパ師と一緒にしないでほしい。
養ってもらうのがメインなのだから、当然相手は経済力のある人間が望ましいに決まっている。熟女とまでは言わないが、マダムのお相手は慣れたものである。
「でも、俺に引き受けるメリットないですよね」
挑発されたからといって、易々と乗ったりはしない。先手を打った明楽に、ヴィクトリアもまた対抗する。
「名誉が欲しくはないのですか? 国のために働いた功績があれば、貴方は今より堂々と、英雄たちの側にいられますよ」
ヴィクトリアの言葉に、合点がいった。
たまたま、などと言ったが、要は明楽に箔をつけようとしているのだ。
ろくに働きもせずに遊んでいる男がかつての勇者パーティーの面々と懇意にしていることに、苦情でも入ったのだろう。
せめて明楽に功績のひとつでもあれば、あれも働いてはいるという言い訳が立つと。
そうだとしても。
「地位とか名誉とか、俺が一番要らないものですね。そんなものなくても、側にいてくれる人はいてくれるので」
そんなものを欲しがるような男がヒモなんかやってるか。
名誉なんて一銭にもならない。腹も膨れない。そんなものに寄ってくる人間も要らない。
相手にする様子のない明楽に、ヴィクトリアは小さく息を吐くとおもむろに立ち上がった。
そして小物入れの引き出しから何かを取り出すと、ふたりの間にあるテーブルの上に置く。
「手鏡……?」
それは美しい手鏡だった。細かな細工がされた金の縁に、煌めく宝石が散りばめられている。何カラットあるのか、ダイヤがキラキラと輝いていた。とても一般人が持てるものではない。ヴィクトリアの私物なのだろう。
「これが何か?」
「この手鏡は、メイアが以前大層欲しがっていたものです」
「……へえ?」
たしかに、欲しがりそうな見た目だと思った。見るからにキラキラしている。カラスがいたら真っ先に狙われそう。
「面白半分に賭けの品にしたら、チェスだのカードゲームだの、それはもう必死で挑んできましたよ。全て私が勝ちましたが」
「それはそれは」
言いたいことがわかってきて、愛想笑いをした明楽に、ヴィクトリアがすっと手鏡を明楽の方に差し出す。
「密偵の任を引き受けるなら、この手鏡を差し上げます」
笑顔のヴィクトリアに、明楽は無表情で返す。
「それで俺が引き受けるとでも?」
「あら。要りませんか? メイアは大層喜ぶと思いますが」
眉間に皺が寄るのを自覚して、明楽は舌打ちしたい気分だった。
だからなんだ。
それは女を喜ばせることはヒモの重要な仕事だが、密偵なんて危険な任務、割に合わない。
別に高級なものを贈らずとも、メイアが喜ぶ方法などいくらでもある。
女王の私物など、滅多に手に入るものではないとしても。
別に。
自分がそこまでしなくても。
「………………成否に関わらず、引き受けたら貰えます?」
「まさか。成功報酬です」
「ですよねー」
明楽は乾いた笑いを零した。
諦めたように項垂れて、長い溜息を吐き、それから顔を上げてヴィクトリアを見据えた。
「わかりました。お引き受けします」
我ながらどうかしている。
らしくない。
けれど、思ってしまった。
これを手にして喜ぶメイアを、見てみたいと。
明楽の表情を見て、ヴィクトリアは満足そうに微笑んだ。




