夜の調理場(1)
×××
「えーっと、だからまずケチャップをさ」
「ケチャップ?」
「うそ、ケチャップないの? そこから? トマトソースは?」
「トマトソースはありますよ!」
(何があって何がないのかよくわからん……)
ナターシャとふたり食堂で顔を突き合わせながら、明楽は唸っていた。
メイアは既に業務が開始し、朝から魔導士団の方に顔を出している。
明楽は特にすることが決まっていないので、遅くまで惰眠を貪ったあと、遅めの朝食をとっていた。そこでナターシャに掴まった。
故郷のレシピを教えるといっても、醤油や味噌があるとは思えなかったので、ほとんどの日本食は作れないだろう。なら日本発祥のレシピって何かあっただろうか、と考え、思いついたのがナポリタンだった。食堂の定番メニューであるし、大量生産もしやすい。
ところが予想外のところで躓いた。トマトはあるので、トマトをベースとした調味料はあるらしいが、ケチャップとは別物のようだった。
既製品を使うことがほとんどなので、ケチャップから自作するとなると、明楽も何が入っていたか正確に思い出せない。
「うーん……こればっかりはやってみないとわかんないな……。俺って調理場使えるの?」
「わたしと一緒なら、問題ないですよ」
「じゃあやりながらかな。いつなら良さそう?」
「合間合間に空きますけど、気兼ねせず使うなら夜ですかね。翌日の仕込みまで終えたら、あとはもうほとんど使わないので」
「んじゃ夜にしよっか」
「はい! 楽しみにしてます!」
満面の笑みで答えたナターシャに、明楽も笑みを返す。
料理が本当に好きなのだろう。屈託なく笑う様子は心地が良い。それにしても。
(夜に俺とふたりでいいのかなー)
全く警戒されていないのだろうか。それとも、夜間でも人目はあるのだろうか。
ミルカのことを不用心だと思ったものだが、あれで勇者パーティーのメンバーだったのだという。
であれば、ナターシャのこの様子も、別に彼女が特別無頓着なのではなく、こちらの女はこうなのかもしれない。
(……ってわけでもなさそうだわ、やっぱ)
警戒心バリバリのアイスブルーの瞳に、明楽はへらっと笑った。
まさか騎士団長に廊下でばったり出くわすとは。
「どうも」
「……ああ」
「えーと……リリス、だっけ」
「そちらは、アキラ殿……だったか」
「普通にアキラって呼んでよ。俺のが全然立場下なんだし。あ、むしろリリス様って呼んだ方がいい?」
「貴殿は軍の所属ではない、気にしなくていい。それに、アキラ殿の方が年長だろう」
「俺二十五だけど」
「……そうか。私もだ」
「なんだそうなの? ならもっと気楽に話してよ。アキラ殿、なんて呼ばれたことないから、むず痒くって」
「……わかった。アキラ」
(うーん、堅い)
メイアに向けるものとは程遠い表情だ。崩してやりたくてむずむずする。
別に嗜虐心ではない。ほら、こう、笑った顔が見たいみたいな。可愛い理由だから。
誰にともなく、心中で言い訳をする。
「……アキラは」
「うん?」
「メイアに、何と言って、王都に連れて来たんだ?」
「え? 別に、一緒にいこーって言っただけ」
きょとんとする明楽に、リリスは目を丸くしていた。
じわじわと、眉間に皺が寄っていく。理解不能、といった顔だった。
その反応に、明楽が苦笑する。
「そんな気にしなくても良くない?」
「なに?」
「少なくとも、メイアは今ここに居て、ちゃんと仕事して、笑ってるんだから。大丈夫だって。なんかあったら、その時はまた話でも聞いてやりゃいいじゃん。仲間なんでしょ」
自分がいるから大丈夫、とまでは言えない。そこまでの責任は持てない。
この先もメイアの側にいる保証はないし、そもそも明楽はいつ元の世界に帰るかわからない。
それでも、メイアだっていい大人なのだ。きっかけは明楽とはいえ、自分の意志で王都へ来たのだから、明楽がいようがいまいが、ちゃんとするだろう。
もしもメイアが崩れることがあれば、その時に側にいる人間が対処すればいいだけのこと。
「仲間……ああ、そう、そうだな」
ぐっと拳を握りしめたリリスは、何かを決意したようだった。
堅い。受け取り方が。
「失礼する」
きびきびと歩く後ろ姿は、迷いを吹っ切ったようにも見えた。
×××
「さて、では頑張りましょうっ!」
「おー」
ふたりきりだった。
夜の調理場で、元気いっぱいのナターシャと対照的に、明楽はローテンションだった。
いいのかこれ。
「生のトマトは使える量が限られているので、あんまりたくさんは試せないかもしれないんですけど」
「ん、いーよ。とりあえず全部煮詰めて、味付けだけ変えていこう」
トマトのヘタをとり、細かく刻んで鍋に入れていく。
明楽がトマトにかかっている間、ナターシャは玉ねぎをみじん切りに。涙が出るので明楽が玉ねぎをやろうとしたが、玉ねぎの方がスピードが必要なので、ナターシャが自分から玉ねぎを引き受けた。
次々にみじん切りにしていくナターシャの包丁捌きは、全く危なげがない。
「さすが、手慣れてるね」
「毎日やってますから。アキラさんも、慣れてますね」
「それなり、かな」
元の世界では女に任せることが多かったが、メイアと暮らしてからは、明楽もそこそこ料理をしている。ブランクはない。
ただメイアのところでは、食材が自給自足なこともあり、それほどこだわった料理は作っていない。基本素材を生かす方針。
トマトの鍋を掻き回しながら、明楽は同じく横で玉ねぎを煮詰め始めたナターシャに話しかける。
「ナターシャはここで働いて長いの?」
「そうですね、もう五年くらいになるでしょうか」
「そうなんだ。王城で働けるなんて、優秀なんだね」
「いえ! とんでもないです。五年前、魔王討伐に向けて、城で大量の求人があって。わたしはその時に入ったので、おこぼれみたいなもので」
謙遜ではなく本心で言っているようなナターシャに、明楽は柔らかく微笑んだ。
「なんで? 入った時はそうでも、ナターシャは五年もここで頑張ってきたんでしょ。今もみんながナターシャのこと認めてる証拠じゃん。すごいよ」
明楽の褒め言葉に、ナターシャは頬を染めて、照れたように俯いた。
「そ、そうでしょうか」
「そうそう。それに、料理だけじゃなくてさ。ナターシャが食堂にいることで、ほっとする人も多いと思うよ。俺も、初日にナターシャに会えて助かったし」
「いえ、あのくらい」
「あそこで追い返されてたら、俺たち飯抜きだったもん。俺なんて初対面だったのに、ナターシャはいつでも、誰に対しても親切なんだろうなって」
「あ、ありがとう……ございます……」
小声でぽそぽそと喋る姿が愛らしい。
うるんだ瞳は玉ねぎのせいか、それとも。
「こんな子が毎日食堂にいたら、男はやる気出るだろうなー。モテて大変なんじゃない? それとも、もう恋人がいる?」
「えっ!? こ、恋人なんて、いないです! わたしなんか、全然モテないし」
「アプローチされたりとか、ないの?」
「ぜ、全然。わたし、なんか。あんまり……女の子として、見られてないって言うか……」
少し沈んだナターシャに、明楽は気遣うような表情を浮かべた。
善い人間なら、落ち込んだ様子の女の子は、心配するものだろう。
しかし明楽は善い人間ではないので。
(こんな簡単に隙見せていいのかね)
腹の中が見えていたら、多分殴られている。




