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第七話 いざ合評会へ!(後編)

「あー、さっぱりした」

 俺は今、風呂から上がって部屋の前に立っている。昼間の疲れもすっかり取れた。

 あんなに大きなお風呂はこんな時じゃないと入れないもんな……。

 そんなことを思いながら部屋に入ると、珍しく中は静かだった。

「お、お疲れ様です……」

 いつになく張り詰めた空気に少し物怖じしながら、俺は恐る恐る声をかける。

「おぅ、お疲れ」

 誰の声も返ってこないと思っていたけれど、思わぬところから返事が返ってきた。仲渡先輩は手にした部誌から目を離さずに俺に返事をした後も真剣な眼差しで誌面を読んでいた。

「あの……この空気は一体……」

 唯一テレビを見ていた真城先輩に尋ねると、先輩はテレビから視線を外してこちらを見ると笑いながら答えた。

「小説の指定作品を読んでるんだよ。小説は長いからもらった時間だけだと足りない人もいるんだよねぇ」

「そうなんですね……真城先輩は読んだんですか?」

「俺? 俺は時間内に読んでしまったよ」

 得意げに話す真城先輩。相変わらず読めない人だな、と俺は内心思った。

「先輩たちの作品の批評は終わったんですか?」

「俺と喜多川くんは終わったよ。他の二人は別の会場だったから分からないけど」

 真城先輩はそう言うと再びテレビに視線を戻した。

 小説は長いから大変だなぁ……。

 そんなことを思っていると、真城先輩がテレビから視線を外さないまま再び口を開いた。

「一ノ瀬くんも作品に目を通しておかなくていいのかい?」

 真城先輩の言葉に俺ははっと我に返る。

 そうだった! 俺ものんびりしている場合じゃなかった!

 俺は慌ててテーブルに積んであった各学校の部誌の山に手を出した。




 それから二時間後、俺らは大広間で夕食を済ませてそれぞれの会場に向かった。

 意外と参加人数が多く、詩、小説それぞれ二会場ずつ、短歌・俳句部門も含めたら全部で五つの会場に分かれて行っているようだった。

 俺は橋口先輩と同じ会場なので、先輩の後を大量の部誌を抱えながら着いていく。思いの外先輩は早足で、沢山の人の中で見失わないように着いていくのが精一杯だった。

 着いた広間は「山茶花の間」。中には既に十人程の他校生が席に着いて各自それぞれ部誌に目を通したり、隣の人と雑談などをしていた。

 こ、この中で自分の作品発表するのか……。

 室内の様子に思わずたじろぐ。いつまでも席に座ろうとしない俺に、橋口先輩が不思議そうな表情でこちらを見ていた。

「一ノ瀬くん?」

 橋口先輩の声で我に返った俺は、慌てて端っこの空いている席に座った。

 壁に掛けられている時計が十九時半を指した頃、室内にいた他校の顧問らしき女性が口を開いた。                                                                         「さぁ、時間になりましたのでそろそろ始めましょう」

 その言葉を皮切りに、他校生たちは私語を止めて一斉に部誌を開き始めた。橋口先輩は離れた席に座っている。俺は隣の席の人をちらりと見て、同じ冊子を一番上に出した。


 いよいよ合評会の始まりだ。




「……というわけで、ここの表現は先程言ったように変えればもっと良くなると思います」

 そう言って俺の向かいに座っている女子生徒は顔を上げた。対照的に俺の隣に座っている生徒は真剣な眼差しで部誌に書き込んでいる。

 この席の並び順は発表順になっていたらしい。それを見る限り、橋口先輩は早くに発表を終えたみたいだ。

 詩の発表の流れはこうだ。まず、学校名と名前、部誌の何ページに作品が掲載されているかを周りに伝えて自ら作品を読み上げる。作品の説明をした後、他の人たちから意見をもらうというものだった。

 自分で書いた作品を自分で読み上げるなんて……。考えただけでも胃が痛くなりそうなほど緊張する……。

「はい、では西垣さんの作品はここまで。次、蓮川高校の一ノ瀬くん、お願いします」

「は、はいぃ!」

 司会の人に名前を呼ばれて、俺は緊張のあまり声が裏返ってしまった。どこかの席からクスクスと笑い声が聞こえて来て、顔が赤くなるのを感じた。

 橋口先輩の心配そうな表情を見て、俺はコホン、と咳払いをして気持ちを整えた。

「蓮川高校一年、一ノ瀬薫です。作品は『心』です」

 そこまで言うと、俺は一呼吸息を吸って俺は手にした部誌に目を通しながら再び口を開いた。






『心』


プカリプカリと心が沈む

ドロリドロリとした物をまといながら

まるで自分から離れてしまったみたい


チクリチクリと心が痛む

まるで針が刺さっているかのような


このドロドロした物はどうしたら洗い流せるだろう

このチクチクした物はどうしたら取れるだろう


どうしたら沈んだ心を自分の所に戻せるだろう

どうしたらチクチクから心を守れるのだろう


まだまだ僕の心は重くて弱い



「えっと、この作品は……自分が思う心について書きました。なんとなく、上手くは言えないけれど心がどこかに沈んでしまう時や、心が痛む時の心情を表してみました。……以上です」

 静寂の中、俺はそう口にすると恐る恐る周りを見回した。部誌を黙って見ている人、何かを書き込む人とそれぞれだった。

「はい、今の作品に対して何か意見がある人は挙手をして下さい」

 司会の人がそう言うと五人ほどが一斉に手を挙げた。その勢いに思わずびびる。

「はい、ではそこの方お願いします」

 司会の人が指名すると黒くて艶のある髪を背中まで伸ばした女子生徒が「はい」と答えた。

「一行目の『プカリプカリ』は沈むのではなく、『浮く』が合っていると思います」

 そう言われて俺はもう一度自分の詩を読み返してみる。確かに言われてみるとそうだ。俺はその人の方を見て「わかりました」と答えた。

「他に意見がある人はいますか?」

 司会の人がそう言うと、またも皆一斉に手を挙げる。次に指名されたのは掛けている眼鏡のレンズが厚そうな男子生徒だった。


「最後の行の『まだまだ僕の心は重くて弱い』の『弱い』が詩の内容に無いと思いました。どこかでどうして弱いのかという描写があればいいと思います」

 それなら、とまた別の生徒が手を挙げる。

「入れるなら『まるで針が刺さっているかのような』の後がいいかな。『心が痛む』の表現も活きてくるかもしれない」

 のんびりとした口調で意見を口にした女子生徒は俺の方を見てにっこりと笑った。それを見て俺は慌てて部誌に今の感想を書き込む。

 それから数十秒の間沈黙が流れる。今まで発言しなかったある生徒が口に手を当てて「うーん……」と唸った。

「全体的に擬音が多いんだよなぁ……どうして他の表現じゃなくて擬音にしたの?」

 仲渡先輩のような切れ長の目に真っすぐ凝視され、思わず俺はたじろぎ、しどろもどろになりながらも口を開いた。

「えっと……音のリズムが良かったからこういう表現にしてみました」

 俺の答えに仲渡先輩似の人は「なるほど」と言ってまた続けた。

「これからは音に頼らずに他の表現を使ってみるのもいいかもな」

「わかりました。ありがとうございます」

 忘れないように、一つ一つの意見を部誌に記していく。

「でも一連目は何を表現してるのか分からないよね……」

「うん……。この『ドロリドロリとした物』ってなんの例えなのかな……」

 どこからともなくそんな言葉が聞こえてきて、俺は胃がきゅっと痛む思いがした。やっぱり自分の書いた物を人に発表するって勇気がいることだな……。

 つくづくそれを思い知らされ、この活動を一年以上続けている先輩たちは凄いな、としみじみと感じた。思わず橋口先輩を見る。三年の先輩たちは後輩の指導もしているから特に、だ。

 そんなことを俺が思っていると、橋口先輩もまた真剣な表情で部誌にペンを走らせていた。

「あのー」

 そこで一人の女子生徒が声を上げて、俺はハッとしてそちらを見る。その女子生徒は気が強そうな目をしていて、はっきりと聞き取りやすい声をしていた。

「タイトルが『心』ってちょっと弱いと思うんですが、どうしてこのタイトルにしたんですか?」

「えっと、それは……」

 俺は声が震えそうになるのを必死に抑えた。

「それは、どんなに汚されてしまっても、自分から離れてしまっても『自分の心は心』というのを表したかったから……です」

 俺の答えに、質問を投げかけた生徒は「うーん……」とどこか納得していないような表情で唸った。

 そこで、俺の隣に座っていた茶色の目立つ髪を肩より少し上で切り揃えた女子生徒が恐る恐るといった様子で手を挙げた。気の強そうな生徒がそちらを見る。

「私は一年生らしくていいと思いました。何だかこう……フレッシュな感じがして」

 その気の弱そうなボブカットの女子生徒はごにょごにょとした話し方ながらも、それだけを口にして黙って下を向いた。こちらから見ても緊張しているのが見てわかる。

 初めての肯定的な意見に、俺はなんとも言えない気持ちでいっぱいになった。

「まぁ……そういう意見もあるか……。でも、心には色んな感情があるのに、何故暗い部分に焦点を当てたのですか?」

 続けざまのその質問に、俺は心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを感じた。室内はクーラーが効いているのに、背中を冷や汗が伝い落ちる。

「それは……」

 それ以上言葉が続かない。視界に入った橋口先輩が心配そうにこちらを見ているのが分かる。だけど、何も言えない。

「はい、時間になりましたので今回はここまでにしましょう」

 俺の様子を察したのか、そうでないのか、今まで静観していた先生が穏やかに口を開いた。それを皮切りに次々と生徒が立ち上がり、会場を後にしていく。

「……一ノ瀬くん? 大丈夫?」

 橋口先輩の声にハッとして振り返ると、心配そうな表情で先輩は立っていた。

「あ……大丈夫……です」

「そっか。早く行こう。消灯時間になっちゃうよ」

「はい」

 俺は荷物を纏めて慌てて立ち上がり、すでに先を歩く橋口先輩の後を追った。


 こうして、俺の初めての合評会は幕を下ろしたのだった。




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