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第六話 いざ合評会へ!(前編)

「いやー壮観だねー」

 部長の声が何だか遠くに聞こえる。

「でもこれ、綴じるの大変そう」

「大丈夫ですよ、橋口先輩。こんなに人数いますし」

「早く仕上げてしまいましょうよー」

「そうだね、ほらみんな起きて!」

 橋口先輩、少しは休ませてください。

  ちらりと少し視線を上げれば、俺と同じように机に突っ伏している先輩方の姿があった。

 それに対して元気そうな部長と橋口先輩。

「でも本当に一晩で仕上げてくるとは。感心、感心」

 何を呑気な。

 あーもう、このまま寝ちゃいそう……。

 心地良い眠りにつこうとした途端、「ほら!」と一際大きな声で一気に現実に引き戻される。

「早くしないと日が暮れるよ」

 顔を上げると不機嫌そうに立ち上がる先輩方。あの温厚な喜多川先輩までしかめっ面だ。

 そんなことにも気にも留めず、準備を始めた橋口先輩らと何故か楽しそうな柳井部長。

 あぁ、まだ安息は来なさそうだ。

 俺は腹を括って席を立った。



 二つに折られた紙を一枚取って、次の紙に手を伸ばす。

「あーねみぃ……」

 そして取った紙を下に重ねて、更に隣の紙の下に重ねる。

「おい仲渡、さっさと行けよ。詰まってんだろうが」

 それを繰り返し、最後尾にいる橋口先輩に渡す。その繰り返し。いい加減目が回りそう。

「でも楽しみだね、合評会」

「ご飯も美味しいしねぇ」

 ご飯? お弁当か何か出るのかな。

「温泉も気持ちいいしね」

 温泉⁉

「みんなでお泊り、楽しみだねっ!」

「泊りっ⁉」

 気づけば俺の手から、半分ほど重ねていた紙がバラバラと零れ落ちた。

「おい、一ノ瀬何やってるんだよ!」

 紙をばら撒いてしまった俺に、後ろを歩いていた仲渡先輩がぶつかった。

「すみませんっ」

 慌てて落ちた紙をかき集めて、仲渡先輩に場所を空ける。

「一ノ瀬くん、大丈夫?」

 呑気に聞いてきた柳井部長に、紙を順番通りに並べながら「大丈夫です」と答えた。

「ところで泊りってどういうことですか?」

「ん? 毎年夏にホテルに県内の文芸部が集まって合評会をするの。二日間結構がっつりやるからねぇ」

「日帰りじゃないんですか? 泊りなんて聞いてないですよ!」

「あれ、言ってなかったかなぁ」

「え、沙織言ってなかったの?」

 橋口先輩が呆れた声を出す。

 柳井部長、沙織って名前だったんだ。へぇ~。

 じゃなくって!

「俺、泊りは無理です」

「え、無理って?」

「外泊はできないんです」

「そうなの?」

「はい」

「どうしよ……」

 珍しく困った表情の柳井部長。

「どうしたんですか?」

「いや、あのねぇ……」

 滝井先輩の問いに、歯切れ悪く部長は答える。

「実はさぁ、皆参加するって聞いたから、顧問がもう申し込んでお金も払ったって……」

「えぇ⁉ キャンセルとか出来ないんですか? それか日帰りだけとか……」

「出来ないことはないけど……宿泊代全額払ったし、今からじゃキャンセル料かかるんだよね……」

 心なしか気まずそうな顔で部長が引きつった笑みを浮かべる。

 そりゃ俺だって参加したいけど。無理な物は無理……だし。

「どうせ払ったなら参加したほうがねぇ……。それにこんな大勢に意見もらう機会なんてめったにないよ?」

「……っ」

 そこを突かれると弱い。俺だっていい経験になると思うんだけど……行けないもんは……。

「行けないならしょうがないよねえ……」

 部長の諦めた声に、俺は。

「……分かりました! なんとかして参加します!」

 つい、そう言ってしまった。



「……で? それでなんで俺?」

「頼むよ、和人! お前が頼りなんだよ!」

 次の日の朝。和人の部屋で、俺は必死に和人に頭を下げていた。

「どうすればいいんだよ」

「今度の日曜、お前ん家で泊りがけで勉強するって言っておくから、口裏を合わせて欲しいんだよ」

「それは別にいいけどさ。こっちに電話かかってきてお前に替われなんて言われたらどうしようもないぞ」

「携帯は常に持っておくし、出れなかったらマナーモードにして鞄に入れてて気づかなかったって言っとくよ」

 和人は分かったよ、と笑い口にした。

「まぁ今更だしな。お前ん家も厳しいから昔から息が詰まるとうちに来てたしなぁ。うちにいるって言っておきゃ確実だろ」

「……悪いな、いつも」

「気にするなよ。友達だろ」

 楽しんで来いよ、と屈託なく笑う和人に、俺はありがとう、と小さく呟いた。




「ただいま」

「……おかえりなさい」

 合評会の前夜。俺は帰宅した父親をダイニングで出迎えた。テーブルの上には父親一人分の食事。

「おう。……お前飯は?」

「先に食べたよ」

 父さんは上着を脱ぐと椅子に掛けた。そのままその椅子を引くと座って食事を始める。

「……あのさ」

 俺は内心怖かったが、恐る恐る口を開く。

「どうした?」

 父さんは箸を置くと右手でかけていた眼鏡を押し上げた。

「明日、ちょっと和人の所で勉強会するんだ。それで一晩だけ泊ってくる」

 俺はそこまで言うと、誤魔化すように父さんのコップに冷蔵庫から出したばかりの冷たい麦茶を注いだ。

「……そうか」

 反対されると思った俺は思わず父さんの方を見た。父さんは表情一つ崩すことなく食事を進めている。

「明後日は遅くなるのか」

「ううん、夕方までには戻るよ。明日の分のご飯は冷蔵庫の中にカレーが入ってるから、それ温めて食べて」

 一息でそこまで言った俺に、父さんはそこで笑って口を開いた。

「分かった。薫、いつもありがとう。……ご飯おかわり頼む」

 俺はほっとした気持ちで、父さんから茶碗を受け取ってキッチンへと歩いて行った。



「着いたぁ!」

 最後尾の大沢先輩の声が響き、俺らが乗っていたバスはエンジン音をふかして発車した。

 バスから降りると、夏の暑い日差しとうるさいくらいの蝉の鳴き声が降り注ぐ。

 山と海に挟まれた、とある温泉地に俺たちはいた。

「露天風呂、入れるかな」

「大丈夫じゃない?」

「相部屋になる人、どんな人だろ……」

「喜多川だったらどんな人でも大丈夫だよ」

「そうだよ、喜多川だったら宇宙人でも大丈夫!」

「俺、一体何⁉」

 勝手にどんどん行かないで下さい。

「海なんて久しぶりだなー」

「夜花火しようぜ!」

「遊びに来たんじゃないでしょ!」

 うるさい。

「やっぱり日本人は温泉だよねぇ」

「マッサージ呼べたら更にいいけどねぇ」

 年寄りじみたこと言ってないで、さっさと歩いて下さい。

 それにしても結構日差しが強くて暑い。汗が止めどなく流れ、制服である白いシャツが張り付いて気持ち悪い。我慢出来ずにシャツの一番上のボタンを開ける。

 まぁ、ネクタイしなくていいだけマシか、と周りを歩いている他校生を見て思った。

「いやぁ、今日はなんだか暑いねぇ」

 いつの間にか横に来ていた大沢先輩がのんびりとそう言った。

「サラリーマンの人も皆ネクタイしてないね」

 部長の声もして振り返ると、先程まで年寄りじみた会話をしていた真城先輩は、部長の少し後ろの方をマイペースに歩いていた。

「この気温でネクタイなんかして来たら熱中症になりますよ」

「それもそうだね。でも男子のそのズボンも大概暑そうだね」

 スカートだと幾分かマシかなーと、ハンカチで汗を拭う部長。

 俺は自分の真っ黒い長ズボンを見下ろす。確かに暑いけど、夕方お風呂の後は私服でいいらしいし、それまでの我慢だ。

 ふいに吹いた潮風が暑さで火照った頬を撫で、どんな二日間になるかな、という若干の不安を飛ばしてくれたような気がした。



「あ、来た」

「先輩たち遅いっすよ」

 ホテルに着くと香藤先輩たちの不満げな声が出迎えた。ホテルの中はさすがにエアコンが効いていて涼しい。

「ごめん、ごめん。みんな揃った?」

「先輩方が最後です」

「じゃ、受付済ませてくるね」

 そう言って、フロント前に設置された受付に向かう部長は、他校の生徒の後ろに並んで順番を待つ。その様子を見ていた俺はあることに気付く。

「あれ、部長」

「ん?」

 俺は部長の前の人が、受付の人に大きな紙袋を渡しているのを見ながら口にする。

「部誌はどうしたんです?」

「……忘れた」

「えぇー!」

「一ノ瀬、どうした?」

 思わず叫んでしまって、少し離れたところで話をしていた喜多川先輩が不思議そうに声をかけてきた。他の面々も不思議そうな顔を向ける。

「部誌……」

「忘れちゃった」

「なんだって!?」

「え、ちょっとどうするんですか!」

「部長!」

 口々に好き勝手言うみんなに、さすがに部長も困った顔をする。

 大沢先輩も橋口先輩も何も言えないようで、なんとも言えない表情をしていた。

「あのぉ、後ろ詰まってるんで早くしてくれないですか?」

 はっとして見ると、受付の人が苦い顔で俺らのことを見ていた。

「あ、すいません」

 部長が慌てて出された紙に必要事項をさらさらと記入していく。

 でも合評会で部誌がないなんて……。

「一体どうするんですかぁ、部長ぉ!」

「あ、ちょっと揺らさないでよ! 字が揺れる!」

 香藤先輩に肩を揺さぶられ、部長が叫んだ。そんな俺らを受付の人が終始訝しげな表情で見ている。

 うぅ……気まずい……。

「そんな大声出して一体どうしたんだい?」

 真城先輩の間延びした声が響いて、香藤先輩が部長を揺さぶるのを止めた。

「真城先輩! 部長が!」

「ん? 柳井さんがどうかしたのかい?」

 とことんのんびりした口調の真城先輩にイライラしたのか、ぐいっと香藤先輩が詰め寄った。

「部誌忘れたって!」

「あちゃー」

 香藤先輩の必死な叫びにも気に留めないのんびりした口調に、香藤先輩はますます苛立ちを募らせ、眉根を寄せた。

「ま……」

「ああ、そういえば」

 ポンと手を打って、何かを思い出したように口にする真城先輩。思わず香藤先輩も口をつぐんだ。

「部誌、安藤先生が届けてくれるって言ってたよ」

「……は?」

「え?」

 その言葉に思わず眉根を寄せた。

「え、柳井さん、確かその場にいなかったっけ?」

 そう口にする真城先輩の視線の先には口に手を当て考え込む部長の姿があった。

「あ、そっか」

 しばしの沈黙の後、部長が手を打った。

「部誌が出来上がった後、確かそんなこと言ってたような気がするなぁ。『顧問なのに野口先生も俺も引率できなくて済まないな。部誌もそれだけあると重いだろう。あの近くに行く用事があるから、せめての詫びに俺が届けてやる!』とかなんとか」

「……」

「部長!」

 その場にいたほとんどの声が重なった。

「いい加減静かにして下さい!」

 と、受付の人の怒号が響いたのはその次の瞬間のことだった。



「部長のせいで怒られたじゃねぇかよ」

 担いでいたナップサックを畳の上に乱暴に置いて、香藤先輩がぼやいた。

 通された部屋は海が見えていた。窓を開けたらさぞかし潮風が気持ちいいだろう。

「まぁ失敗は誰にでもあるものだし……」

「なんだよ喜多川、お前部長の肩持つのかよ!」

「そうじゃないだろ! ちょっと真城先輩も何とか言って下さいよ!」

「……ん?」

 ダメだ、茶菓子食べてて聞いていない。

 真城先輩の前には開封されたお菓子の袋が五つ。

「真城先輩、何一人で全部食ってるんすか!」

「いいじゃん、これ俺好きなんだよね~」

「だからって一人で食べないで下さいよ!」

 どこに行っても変わらないな、全く。

「おい、もうすぐ開会式だろ。早く行かないと間に合わないんじゃないか?」

 喜多川先輩の言葉にはっとして時計を見ると、あと十分で開会式のある会場まで行かないといけない時間だった。

「やっべ、忘れてた!」

「もうサボるか?」

「いいけど部誌貰えなくなるぞ」

「君たち、馬鹿言ってないで急ぎたまえよ」

「のんびり菓子食ってたあんたが言うな!」

 珍しく香藤先輩、仲渡先輩、喜多川先輩の声が重なった。

「ほら、一ノ瀬早くしろよ」

「もう準備できてます。……ちょっと先に行ってもらっていいですか?」

 トイレに行きたくなった。

「おぅ。早く来いよ」

 香藤先輩の声を背に、俺はトイレのドアに手をかけた。



「あーすっきりした」

 部屋のトイレから出て、さて会場に行こうかと部屋の隅に置いておいた鞄を手にして部屋を出ようとした時、あることに気付く。

「あれっ、鍵がない……あーもう、あの人たち持って行ったな」

 これじゃ施錠ができないじゃないか。

「……まぁ、貴重品は持って行ってるだろうし、こんなとこに誰も入らないだろうしな……ってそんなこと言ってる場合じゃない! 時間!」

 慌てて部屋を飛び出し、エレベーターは何処だっけって辺りを見回していると、どこからか声が聞こえた気がした。

「……またぁ」

「えっと、エレベーター……あった、あった」

「……さまたぁ」

 下を向いている矢印のボタンを押す。早く来ないかな。

「おい、笹俣(ささまた)!」

「え?」

 がしっと強めの力で腕を掴まれ、俺はゆっくりと振り返った。

俺より頭一つ分は高い男性が俺の腕を掴んで怖い顔をしている。天然が入っているのか、毛先が曲がった黒髪とは対照的に肌はとても白く、整った顔立ちだ。

 綺麗な顔してるな……。

 強い力で腕を掴まれ、怒った顔を向けられているはずなのに、何故かそう思った。

「おい、何ぼさっとしてるんだよ」

 男のその声ではっと我に返った。そうだ、今はそんなことを考えている場合じゃない。

「いえ人違い……俺は笹俣さん? じゃない……」

「なあにおかしなこと言ってるんだよ、お前は。新手の逃避法か?」

 さっきまで眉間に皺を寄せてたのに、一人でケラケラと笑い出す。

 あ、笑ったらもっと綺麗……。

「ほら、行くぞ」

 あぁ、だから人違いだって!

 そう言う暇もなく、腕を掴まれたままエレベーターに引き込まれた。



「え、ちょっと待って下さいよ。どこ行くんですか」

 エレベーターを出てどこに行くと思えば、外に出て一台の車の前で止まった。

「はぁ? 昨日ヘルプだっつっただろ、本当人の話を聞いてないな」

 話を聞いていないのはあんたの方だろ!

 そう突っ込む暇もなく車に押し込まれた。

「ちょっと……」

「お前、ネクタイは? ……まぁいいか。学生だし、カレーだし」

 男は素早く運転席に乗り込むと、何やらブツブツ言いながらエンジンをかけた。あっという間にホテルが遠ざかっていく。

「はぁ……」

 何を言っても信じてもらえず、黙って車のシートに身を預けた。これからどうなるんだろう。

「腰の調子はどうだ?」

「はぁ……別段問題ありませんが」

「お、あんだけ痛い痛い言っていたのにな。良かったじゃないか」

「……ありがとうございます」

 走り出してから二十分。俺を連れ出した男はこんな調子でずっと喋り続けていた。

「お前、今日眼鏡もかけてないじゃないか」

 信号待ちの時、振り返った男が今更ながらにそう言った。

「見えるのか? それともコンタクトか、今日」

「……まぁ」

「え、何で? おしゃれ?」

「信号青ですよ」

「うぉ!? あぶねー」

 ケラケラ笑ったかと思えば、真面目な顔でハンドルを握り直す。忙しい人だな。

 再び車が発進して五分も経たないうちに見えてきた看板。

「着いたぞ」

 そこは地元では有名な遊園地だった。



 入口にいた人の良さそうなおじさんに挨拶をして、車はスムーズに駐車場に入った。車を出ると直射日光が降り注ぐ。クーラーが効いた車内との温度差で眩暈がしそうだった。

「あーまだ着いていないんだ」

 駐車場を見回した男は呑気に呟くと「ほら行くぞ」と促して先を歩き出した。

 慌てて男の後を追ってしばらく歩くと、ある建物の中へと入って行く。看板には『レストラン アイリス』の文字。

「お疲れ様でーす」

 男がそう声を上げると、レジをいじっていた白髪の男が顔を上げて、被っていた黒い帽子を少し上げた。

「お疲れ様です、鈴木主任。……その子誰ですか?」

「え、何言ってるの斉藤さん。笹俣じゃないの」

 とうとうぼけちゃった? と言いながら男……鈴木さんはケラケラと笑った。

「主任?」

「ん?」

「大きく息を吸って下さい」

「……?」

 不思議そうな顔をしながらも、鈴木さんは言われた通りに大きく息を吸い込んだ。

「吐いてー」

「……はぁー」

「はい鈴木主任、後ろの子誰ですか?」

 斉藤さんの言葉に、鈴木さんがゆっくりと振り返る。そして口を開いた。

「……あれ、君誰?」



「あぁそうだったのかぁ」

 カウンターにもたれかかってコーヒーを啜りながら鈴木さんはケラケラと笑った。

「もう、主任しっかりしてくださいよ」

 呆れ顔をした斉藤さんが、はい、と俺にコーラが入ったコップを差し出した。しゅわしゅわと泡が音を立てていてとても美味しそうだ。

「喉乾いたでしょ。召し上がれ」

「ありがとうございます! 頂きます」

 斉藤さんからコップを受け取り、一気に半分近くまで飲み干した。炭酸の刺激が心地いい。

「……はぁ美味しい。それで俺、ホテルまで帰してくれるんですよね?」

「あぁもちろんだよ。さっきホテルにも連絡入れておいたから、お連れの人にも伝わっているはずだよ。じゃあそういうわけで斉藤さんお願いします」

「嫌です。自分がやったことでしょ。予約の時間までまだだいぶあるし、主任がもう一往復してください」

 間髪入れずに斉藤さんは断った。ま、そりゃそうだろうな。

「大体、笹俣はどうしたんだよ」

 断られた鈴木さんが不満そうな顔をそう口にすると、斉藤さんは、はぁとため息を一つ吐いて続けた。

「昨日不幸事あって二、三日休むって、事務所で主任に言ってたじゃないですか」

「……あ、そうか」

 本当に大丈夫か、この人。

「さ、早く行かないと予約の時間が……」

「ちょっと斉藤さん、主任大変よ! 今日のお客さん到着早まって十五後にはこっちに来るって!」

 厨房から子機の電話を握りしめて、バタバタとエプロンに三角巾姿のおばさんが出てきて叫んだ。

「何っ!? じゃ早く出さないと間に合わん!」

「え、ちょっと……」

 止める間もなく、鈴木さんと斉藤さんはバタバタと厨房の方へと走っていった。

「ちょっとあんた!」

 行き場を失くして伸ばしていた右手を引っ込めかけた瞬間、強い力で掴まれた。

「え?」

「新しいバイトの子でしょ! そんなところに突っ立ってないで手伝いなさい!」

「えぇ!? ちょ……ちが……俺は!」

 おばさんは聞いてないのか聞こえてないのか、俺を厨房に押し込んだ。

 どうしてここには俺の話を聞いてくれる人がいないんだよ!



「……で? その後気づいたら片付けまでさせられていたと」

「……はい、そうです」

 橋口先輩の言葉に、俺は俯いたまま答えた。ホテルに戻って俺はロビーで部長と橋口先輩と向かい合っていた。

「あのねぇ、それならなんでホテルの人にちゃんと言わないの」

「言ったんですよ! でも全くこっちの話を聞いてくれないんです!」

「そんなわけ……」

「あーはいはい、そこまで」

 部長の一言で、俺と橋口先輩は口を閉じた。

「ごめんねぇ、俺の勘違いのせいで」

 いきなり声がして驚きながら振り向くと、いつの間にか鈴木さんが後ろに立っていた。橋口先輩も驚いた顔で鈴木さんを見ている。部長は驚いていないところをみると、来ていたことに気付いていたのだろう。それならそうと何かしらリアクションをしてほしい。

「いや、俺も上司から怒られてね。参っちゃったよ」

 そう口では言っていても顔はへらへらと笑っている。説得力が全くない。

「とりあえず担当の先生に頼んで、一ノ瀬くんの順番を最後にしてもらったから。お風呂にでも入って他の学校の部誌に目を通しておくこと」

「これ、他の学校の人の作品リスト。これだけ読んでればとりあえずいいから」

 橋口先輩から各学校の詩部門参加者の名前と作品名が書かれたメモを受け取る。

「分かりました、ありがとうございます」

 その一言で部長と橋口先輩の二人は立ち上がった。俺もメモを手にしたまま立ち上がる。

「じゃあ今日はありがとう~」

 振り返れば鈴木さんが手を振っていた。本当に軽いな。

 さ、部長の言う通りまずはお風呂に入りますか。

 俺は、これからの合評会に期待と少しの不安で胸をいっぱいにさせながら部屋への道を辿った。


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