第三話 文芸部の謎
「あーそれは災難だったね」
例の悪夢のような日から数日後。放課後、部室でこの間のことを話していると、滝井先輩がケラケラと笑いながら言った。
「笑いごとじゃないですよ。あの後ずっと部長にからかわれたんですから」
いくら勘違いだと説明してもニヤニヤしながら「どうだったの?」とか「どっちが本命?」などと部長は一向に聞く耳を持ってくれなかった。
「大丈夫だよ」
静かな声に抱えていた頭を上げて、声をした方を見ると紀藤先輩がはっきりと口にした。
「部長、飽きっぽいから。きっともうすぐ言われなくなるよ」
紀藤先輩のその言葉に、俺は半信半疑ながらもホッと胸を撫で下ろした。
「で、結局奢ったの?」
滝井先輩が笑いすぎて出たらしい涙を拭いながら尋ねた。笑いすぎだろ。
「奢りましたよ。じゃないと後が怖いです」
肩をすくめると喜多川先輩はため息を一つ吐いた。
「全くあいつらは……」
「まぁ、乗った俺も悪いんですけどね……」
喜多川先輩につられたのか、俺の口からも溜息が漏れる。今日も早めに仕上げてしまおうとノートを広げ、シャーペンの先を彷徨わせていた。
今日部室に居るのは滝井先輩と紀藤先輩、そして喜多川先輩と俺の四人。
三年の先輩達は集会らしく、香藤先輩と仲渡先輩は……知らない。
「それにしても一ノ瀬くん、熱心だね」
滝井先輩が俺の前に広げられたノートを見てしみじみと口にした。
「まぁ、とっとと終わらせたほうが楽じゃないですか」
「適当でも大丈夫だよ」
涼しい顔で呟いた紀藤先輩に、喜多川先輩が「えぇ!?」と声を上げた。
「だめでしょ!」
「いいのよ、どうせ自分以外見ないし」
滝井先輩の言葉に、今度は俺が声を上げた。
「え、後で提出とかしないんですか?」
てっきり後でまとめて提出するのかと思った。
「うん、作品書くときに見直すことはあるけど、見るのは自分だけだよ」
「提出しないのに毎回書くんですか?」
確かに書くのはここに来た時だけだけだし、そもそも出席も取らないからここに来た証拠ないんだけど。
俺の言葉に紀藤先輩が静かに口を開いた。
「元々何も活動してなかったのを昨年度卒業した先輩が引退してから、今の部長が作ったルールなんだよ」
「え、そうなんですか」
てっきり昔からの決まりなんだと思ってた。
「そうだったな、確か『文芸部だからせめて一日に一つは書こう。後から見直したら絶対いい思い出になるから』とか言ってたなぁ」
視線を宙にやりながら思い出す喜多川先輩の顔を見ながら俺はへぇ、と頷いた。
そうだ、この機会に色々不思議に思っていることを聞いてみよう。話を逸らす人もいないし。
どうせ誰も見ないんだし、と俺は今聞いたことをノートに記す。
『文芸部のルールは今の柳井部長が作った』
『その前の文芸部は今より更に活動してなかった』
―――と。
「あの、後色々聞いてもいいですか?」
「うん、いいよ。どんどん聞いて」
にっこりと笑いながら滝井先輩が言った。実に頼もしい。
「じゃあ……」
部室内を見渡すと、目立つ黒板が視界に入った。
「これ、誰が書いたんですか?」
指を差したのは未だに書かれている『俺様参上!』の言葉。なんとなく予想は出来るけど。
「それ、仲渡くんだよ」
―――やっぱり。
答えた紀藤先輩の言葉に、俺は納得して頷いた。
「そうだと思いました」
「あいつはちょっと影響されやすいところがあるから」
喜多川先輩の言葉を耳にしながら、俺は再度ペンを走らせた。
『俺様参上=仲渡先輩。影響されやすい』
少しずつ埋まっていくノートを見て俺はよしよし、と内心満足していた。最近ずっと一言で済ませていたから何だか嬉しい。
「そういえば最近呼び出しかからないね」
「夏になったら部誌作るからもうすぐ招集かかるんじゃない?」
紀藤先輩と滝井先輩の会話に、俺は再度口を開いた。
「え、この部も呼び出しかかることなんてあるんですか?」
「どんだけ活動してない部だと思ってるの」
喜多川先輩の冷静なツッコミに、滝井先輩が小さく笑いながらも答えてくれた。
「うんあるよ、プリントでね」
「プリント?」
部長からじゃなくて顧問からだろうか。
「うん、そこのプリンターで作るみたい」
滝井先輩がそう口にしながら、デスクトップの横にあるプリンターを指差した。
―――てっきり使われていないと思っていた。
内心驚きつつもノートに書き足す。
『部誌を作る時は珍しく呼び出しがかかる。プリンターは置物ではない』
そういえばこの部の顧問って誰だっけ。
「この部の顧問って誰でしたっけ」
「あのねぇ……」
喜多川先輩が苦笑を漏らす。
「誰なんですか?」
俺が再度問うと、紀藤先輩と滝井先輩は一瞬黙り込んだ。
「……あれ」
「えっと……野口先生と……誰だっけ、あと一人いたような……」
「おい!」
予想外の反応に、喜多川先輩のツッコミも冴える。喜多川先輩はため息を吐きつつ、
「田中先生でしょ」
と口にしたものの、紀藤先輩と滝井先輩の戸惑いの色は消えなかった。
「田中先生は去年の顧問でしょ」
「……あ」
紀藤先輩の指摘に沈黙が降りる。喜多川先輩の呆然とした呟きも虚しく消える。
「あの……」
「あ、やっぱりみんないた!」
俺が何か言おうと口を開いたと同時に響き渡ったのは、橋口先輩の声だった。
「あ、橋口先輩集会終わったんですか?」
「うん、予定より長引いたけどね。それより」
橋口先輩は何故か慌てた様子で部室内を見回した。
「どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもないよ。今何時だと思ってるの」
「え」
言われて初めて時計を見ると、下校時間を十分も過ぎていた。
「あー!」
俺ら四人は仲良く声を揃えて叫んだ。チャイムなんて聞こえなかった。
「ほら、早く帰る準備して。閉められるよ!」
橋口先輩の急かす声に押されて身支度をしながら、俺はふと疑問に思って橋口先輩に尋ねた。授業からずっと体育館にいたのだろうか。
「今まで集会だったんですか?」
「うん、今日は授業が終わって放課後から集会だったから」
「あ、そうだったんですか……」
放課後返上か。三年は大変だなぁ。
「ほら、早く!」
橋口先輩の声で我に返った俺は慌てて部室を後にした。この時にはもう顧問のことはすっかり頭からなくなっていた。
それから数日後。
「薫、購買行こうぜ」
授業が終わるなり、和人が声をかけてきた。もう財布を持っている。早いな、授業中ずっと寝ているくせに。
「ちょっと待って」
慌てて鞄を漁り財布を探していると「一ノ瀬」と声がかかった。声のしたほうを見てみると、教室の入口に担任の安藤先生が立っていた。体格のいい体で入口を塞いでいる彼に近寄ると、先生は一枚の紙を差し出した。
「これ悪いが親御さんのサインが抜けているんだ。もらって明日また持ってきてくれないか」
「あ、すみません。分かりました」
俺がプリントを受け取ると、安藤先生は続けて言った。
「どうだ、部活のほうは」
「え……」
いきなり聞かれて戸惑った。
「何というか……個性的な人が多いですね」
俺が迷って口にした言葉に、先生は体に見合った大きさの口を開けて豪快に笑った。
「まぁ、あいつらも悪い奴らじゃないからな。仲良くしてやれ」
「……え?」
何か引っ掛かる物言いだ。
黙った俺をよそに、先生は豪快な笑いを続けた。
「いや、俺も忙しくてなかなか部のほうに顔出せなくて済まないと思ってるんだがなぁ」
「……」
貴方だったんですか。
まだまだこの部の謎は多そうだ。




