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第一話 これが文芸部の日常です

 皆の足取りが軽くなる放課後。俺、一ノ瀬 薫(いちのせかおる)は身支度をしていた手を止めて、声をかけてきたきた親友、高瀬和人(たかせかずと)の方を向いた。

「ごめん、俺今日部活あるから」

「はぁ? お前部活なんてやってたっけ?」

 俺、そんなの聞いてないぞ、と口を尖らせる和人。俺は内心しまったと心の中で舌打ちをした。

「小学校からの付き合いなのによー。なんで教えてくれなかったんだよ」

「え? まぁ……ちょっと」

 俺が口ごもるのを見て和人はニヤリと口の端を歪めた。それを見て俺は少しげんなりした。

 こいつ、せっかくスラリと背が高くて顔も悪くないのに、こういうところがもったいないんだよなぁ……。

「なぁ」

 俺の心中を知ってか知らずか、ニヤニヤしながら俺の肩に腕を置く。

「なんだよ」

「何部なんだ? お前」

 さすが小学校からの腐れ縁、俺が口籠ったところを容赦なく突っ込んでくる。

「……部」

「え?」

「文芸部」

「文芸部?」

 和人は訝しげに眉根を寄せた。

「文芸部って、あの噂の?」

「まぁ」

 俺は渋々頷いた。

「変わり者の集団だろ?」

 俺は黙って頷くことも否定もしなかった。仮にも同じ部活の仲間だ。悪い印象は与えたくなかったけど……。

「お前も大変だな」

 無言を肯定と受け取ったのだろう。和人は俺の肩を二、三階叩いた。

 顔がにやけているとこが癪に触る。

 だけど、否定できない悔しさの方が勝って、俺は深い溜息を吐いた。


「すみません、遅れました!」

 和人と別れた俺は、慌てて文芸部室のドアを開けた。和人の質問攻めのおかげで、終礼が終わってすでに三十分以上が経っている。

 これで怒られたら明日覚えてろよ、和人。

 しかし、そんな俺の心配は杞憂に終わる。

「あ、一ノ瀬くんお疲れ」

 返ってきた声には怒りの色は微塵も感じられなかった。何だか拍子抜けする。

「あ、お疲れ様……です」

 ドアの向こうの室内には一人の姿しかなかった。

 コンクリートの床と壁に囲まれ、もう五月だというのに中は少し肌寒い。

 元々何かの準備室だったらしく、普通の教室の四分の一の広さしかない。

 左手には机が隙間なく置かれ、デスクトップのパソコンとノートパソコンが一台ずつある。機械に弱い俺でもデスクトップは相当古い物だと分かる。

 その横に置かれたプリンターの上には布がかかっていて、それが外された所は俺が入部して一度も見たことが無い。

 真ん中には三人ずつが向かい合って座れそうな机があり。その周りを囲むように丸椅子が置かれている。

 そして右手には俺の肩ほどまでの三段程の棚がやはり隙間なく置かれていて、その上には辞書や文庫本、そして何冊かの漫画本があった。

 漫画なんて誰が持ってきたんだろう。というかなんで五巻からなんだよ。

 そしてその棚の一番上には教室にある物と同じ大きな時計と、畳半分程の黒板が存在感を示していた。

 その黒板には『歓迎号の締め切り十七日まで!』という伝言の他に、『俺様参上!』と訳の分からないことが書かれている。

 そして黒板の横には百均のブックスタンドで支えられた数冊のノート。

 俺はその中の一冊のリングノートに手を伸ばした。

「おや、一ノ瀬くん熱心だねぇ」

 ノートパソコンに向き合っていた人物はこちらを振り返ってそう言った。

 小柄な体に指定のセーラー服を身に纏い、長めのスカートは彼女の膝まで隠していた。

 振り返った瞬間靡いた髪は漆黒で日が当たっても色は変わらない。癖があるのか肩を少し過ぎた毛先が所々跳ねている。

 柔らかい笑みを向けるその人は柳井(やない)先輩。三年、文芸部部長。

 その柳井部長の後ろには開かれたノートパソコンがあって、並べられたトランプの絵があった。

 またゲームしてたのか。

「何よ一ノ瀬くん、『またこいつゲームしてたのか』とでも言いたそうな顔をして」

 言いたそうじゃなくて言いたいんです。

 喉から出かかったその言葉を必死に飲み込み、表紙に自分の名前が書いたノートを机の上に置き、鞄を漁って筆箱を探す。

「それにしても一ノ瀬くん、早かったね」

柳井部長がパソコンに向き直りながら感心した口調で言う。俺は尚も鞄の中を漁りながら答えた。

「そうでもないです。先輩方が遅いだけじゃないですか?」

 柳井部長は、ははっと笑うとのんびりと続けた。

「一ノ瀬くんも手厳しいねぇ」

 いや……手厳しいというか事実じゃないですか……。

 でもその一言もやっぱり口にできず、俺は筆箱探しを続けた。

「あ、あった」

 弁当箱の下敷きになっていた筆箱を引っ張り出したのと同時に、その声は響いた。

「いやいや、皆さんお揃いで」

 勢いよく扉を開いて入ってきた人物に、柳井部長は目も向けずに話しかけた。

「あれ、今日柔道部は?」

「休み」

 その人は背負っていた大きなリュックを机の上に置いた。

 ドサッと音がして机が揺れる。

 体格はがっちりとしているほうだが、ひどい猫背の為身長がやけに低く見える。きっと実際の身長はもう少しあるのだろう。頭は坊主頭より少し伸びた程度で黒い細縁の眼鏡をかけていた。

 文芸部部員、三年の真城(ましろ)先輩。柔道部員と掛け持ち部員だ。

「あれ、他の人は?」

 真城先輩が部室内を見回して言った。

「まだ来てないみたいですよ」

 その言葉を聞いた真城先輩は大袈裟に声を張り上げる。

「何っ!? それはいかんな。柳井さん、しっかり指導しないといけないんじゃないかい?」

「みんな忙しいんでしょ」

 再びパソコンに向かいながらマウスをカチカチしながら答える。

「ほぉ、じゃあ二番乗りの柳井さんはよっぽど暇なんだね」

「二番じゃないです。部長が一番乗りです。俺が二番です」

 俺の言葉に真城先輩は声を上げて笑った。

「じゃあ柳井さんが一番暇人なんじゃないか」

 部長はちゃんと時間通りに来たのに何この言われよう。

 俺が部長にちょっと同情しているとき、当の本人は頬杖をつきながら答えた。

「そうだね」

 あ、ゲームに夢中になって適当な返事しかしてない。同情して損した。

 真城先輩はやれやれと息をつきながら棚から自分の名前が書かれたノートを抜き取り、机の上に置いて鞄の中から出した本を読み始めた。

 俺はというと筆箱から取り出した愛用のシャーペンを握りしめたまま、広げたノートに何も記せずにいた。

 白い紙の上でペン先を彷徨わせていると再びドアが開かれた。

「……遅くなりました」

「お疲れ様です!」

 入ってきたのは女子二人。

 スカートは二人とも柳井部長のように長すぎず、かといって短くもない。

 一人は真っ直ぐな髪を肩に付くか付かないかぐらいの長さにしている。

 先程入ってきた時に発せられた声と同じく、静かで落ち着いた色を瞳にも映し出していた。

 一方、もう一人の元気よく入ってきた方は、ニコニコと人懐っこそうな笑みを浮かべていた。

 ショートヘアが丸っこい顔によく似合っている。

 セミロングの方は紀藤(きとう)先輩。文芸部員二年。

 ショートの方は滝井(たきい)先輩。同じく文芸部員二年。

  二人も自分たちのノートを手にして座る。

「紀藤さん、滝井さんお疲れー」

「お疲れ様です! あ、部長例のやつ持ってきましたよ!」

 柳井部長は滝井先輩の言葉におっ、と嬉しそうな声を上げて振り返った。

「ありがとう、滝井さん」

 椅子から立ち上がって滝井先輩から一冊の本を受け取った部長は嬉しそうに本を開いた。

「真城先輩……それ新作ですか?」

「おぉ、分かるねぇ、君!」

 紀藤先輩が真城先輩の読んでいる本を覗き込んでそう言うと、真城先輩は満面の笑みを咲かせた。

 俺の前に広げられたノートは白いまま。ペン先は相変わらず迷ったまま宙を泳いでいる。

 困った。

 軽い溜息を吐いていると、賑やかな声が聞こえてきた。

「あいつマジねぇって」

「あれは長すぎだな」

 その会話と共にドアが開かれ、入ってきたのは男子二人。

 苛立った様子で頭を掻いているのは、柳井部長程ではないものの小柄な体をしている。太い黒縁眼鏡の奥にある垂れ目は不機嫌そうで、手にしていたナップサックを机の脇の床に直接置いた。

 一方、もう一人は細身で背が高い。黒縁眼鏡の先輩と並ぶとより際立っていた。真城先輩より高いんじゃないだろうか。

 頭は短めの坊主にしていて、切れ目のせいか不機嫌そうにしているとなんだか乱暴なイメージを与えた。

 黒縁眼鏡は香藤(かとう)先輩。文芸部員二年。

 もう一人は仲渡(なかと)先輩。同じく文芸部員二年。

「あいつの話マジ長ぇよ! ……あ、俺ノート持って帰ってたわ」

 ナップサックとは別に持っていた鞄の中から一冊の大学ノートを取り出しながら、香藤先輩は一人口にする。

「香藤くん、先生をあいつ呼ばわりしちゃだめでしょ」

 柳井部長が滝井先輩から受け取った本を、自分のトートバックの中に滑り込ませて苦い顔で言った。しかし、当の香藤先輩は悪びれた様子もなく、

「出たよ出たよ出たよ! 部長の真面目発言!」

「生きた化石だな」

 いや、というか……。

「常識でしょうが!」

 部長の怒号が飛ぶ。俺が言いたかったことと同じだ。

「あーはいはい、分かりましたよ。……あ、一ノ瀬、俺のノート取って」

 反省の色が全く見えない仲渡先輩の黒いノートを立ち上がって手にする。

「仲渡先輩、どうぞ」

「おっサンキュ」

 俺の手からノートが離れた瞬間、その声は響いた。

「すみません、遅れました!」

 息切れしながら慌てて入ってきた人物は、中肉中背で特別低くも高くもない。健康的な黒い肌をしていて、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。

「あーお疲れさん」

「お疲れ様です」

 部長の軽い挨拶にも丁寧に返す。未だこの人が先輩に対してこの丁寧な態度を崩したところを見たことがない。

 喜多川(きたがわ)先輩。文芸部員、二年。

「喜多川おせぇぞ!」

「ジュース奢り決定だな」

 香藤先輩と仲渡先輩のヤジが飛ぶ。自分たちもさっき来たのに。

「しょうがないだろ、日直だったんだから」

「はい、言い訳―」

「俺……」

「はいはい、喧嘩しない。そんなことで奢りとか言わないの」

 仲渡先輩の言葉を遮って、柳井部長がパンパンと手を叩きながら言う。香藤先輩と仲渡先輩が渋々と口を閉じた。

「あれ、もう皆お揃いだね」

「みんな早いね」

 突然声がして俺は思わずシャーペンを落としてしまった。ドアの方を見れば女子二人が入口付近に立っている。

 一人は黒い髪を肩の辺りで切り揃えていて、縁のない眼鏡をかけている。俺らに向ける眼鏡の奥の目はとても楽しそうにしていた。

 そして、もう一人はうっすらと茶色が目立つ髪を背中まで伸ばし、一纏めにしている。仲渡先輩と同じくらいではないだろうかというくらい背が高い。

 眼鏡の方は大沢(おおさわ)先輩。文芸部員、三年。

 背が高い方は橋口(はしぐち)先輩。三年、文芸部副部長。

「大沢さん遅いねぇ、何のんびりしていたんだい?」

 入ってきた二人にまず声をかけたのは真城先輩だった。

「うるさい真城、あんたにいちいち言う必要ないでしょ」

 そうやって睨み合う二人。この二人の仲はすこぶる悪く、喧嘩しない日はないほど。

「でも遅かったね、何かあったの?」

 ゲームを再開させた柳井部長が橋口先輩に尋ねると、橋口先輩は肩をすくめて答えた。

「ううん、何も。ただ先生の所に質問しに行ってただけ」

 そう言って橋口先輩は自分のノートと、ついでに大沢先輩のノートも手にすると机についた。

 棚からノートの姿はなくなった。

「ノート、ここに置いておくからね」

「大体大沢さんは……」

「何であんたにそんなこと言われなきゃいけないの!」

 橋口先輩が丁寧に知らせているけど、大沢先輩は真城先輩と喧嘩の真っ最中で気付いていない。

「喜多川―帰りカラオケ行こうぜ」

「え、俺お金ないよ」

「なんだ、お前ノリ悪いぞ!」

「しょうがないだろ!」

 喜多川先輩が可哀想に思えてきた。

「紀藤―今日の宿題の範囲教えてっ」

「またなの、滝井ちゃん。まぁいいけど」

 そんな会話が狭い部室内で交わされている。

 ふと会話に加わっていない柳井部長を見ると、他の先輩達の様子を眺めていた。いつの間にかゲームを止めていたらしい。

「どうしたんですか?」

 あまりに無言のままだったので柳井部長の横に立ち、声をかけると「んー?」と顔を向けて柳井部長は答えてくれた。

「いや、久々に全員揃ったなーって思って」

「え……」

 その言葉が意外で、

「あの……」

 俺は真意を問おうと口を開いたけど、言葉を紡ぐより早く柳井部長は立ち上がったから。

 ――どうしてたったそれだけのことで、そんなに嬉しそうな顔が出来るんですか。

 喉まで出かかったその言葉を無理矢理飲み込んだ。

 柳井部長は手を二回叩き、声を張り上げた。

「はいはい、そろそろ十五分前だから、書いてない人は早く書いてね」

 部長の言葉にハッとして時計を見ると、下校時間の十五分前を指していた。

「一ノ瀬くんもね」

 俺にも声をかけて部長は座った。「柳井」と表紙に書かれたノートを横に置いて、再びパソコンをいじる柳井部長に違和感を感じて俺は尋ねた。

「あれ、部長は?」

「私は来てすぐ書いちゃった。今日は書きたいことがあったから」

 そう言った後、ちっと舌打ちが聞こえた。画面を見る限り行き詰ったらしい。

 俺はそんな部長を横目に、自分の席に戻って再びノートを前にした。

 この文芸部の、唯一表立った共通のルール。それは一日一つ、せめて部室に来た時だけでも何か書く事。作品でも、その日一日の感想でもいいから、一ページ、一行でも何かを書く事。

 ただ、それだけだった。

「俺終わりっと」

「俺も」

 残り十分。棚の上にノートが二冊戻る。

「終わったぁ!」

「……終わり」

「終わりました」

 残り七分。棚の上には五冊。

「やった、真城より早かった!」

「子どもだねぇ、大沢さんは」

「何よ!」

「喧嘩しないで!」

 残り五分。

「出来た人は帰る準備して! ……一ノ瀬くん、出来た?」

 綺麗に並べられた八冊のノートの横に自分のノートを置いて、柳井部長が俺の手元を覗き込んだ。

「もう少しです」

 ノートは白いまま。

 俺は少し考えて、ノートにペンを走らせた。そしてノートを閉じると同時にチャイムが鳴り響く。

 ノートを棚に戻して帰り支度を簡単に済ませた。

「準備できたら出て。閉めるよ」

 部長の言葉に、みんながしゃべりながらも部室を後にする。慌てて鞄を背負って出ようとすると入口の段差に躓いてしまった。

 しまった、と思ったのも束の間、地面につくと思った膝は空中で止まった。

「大丈夫か?」

 見上げると俺の腕を掴んだ仲渡先輩が不思議そうに見下ろしていた。

「はい……ありがとうございます」

 体勢を整えた俺の腕を離し、仲渡先輩は香藤先輩の後を歩き出した。

「どうしたの、一ノ瀬くん」

 仲渡先輩の背中を見送っていると、鍵をかけていた柳井部長から声をかけられて我に返った。

「……なんでもないです」

 その瞬間、今日ノートに記した自分の言葉を思い出す。

 この集団は自由すぎる。だけど何故か居心地は悪くない。

「一ノ瀬―カラオケ行こうぜ」

「すみません、俺もお金ないです」

「はぁ!? 空気読めって!」

 悪くない……はず。



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