26 ビル・サイクスの脅威
注射器を刺したところから中心に黒い模様が蜘蛛の巣状に展開し、次第に全身を漆黒に染めた。苦しそうな絶叫が轟いて、異常で禍々しい光景に足がすくんでしまう。
やがてすっかり姿が変わったビルは上半身のシャツは破けて吹き飛び、全身は毛だらけになって目は赤く、毛の長いいゴリラのように変化してしまった。これは一体なんなんだ。
「あああ、アンサー! あれなんなの?」
『はいマスター、あれはモンスター化したビルです。ブリスデンの闇組織である秘密結社が開発した人のモンスター化を促進する人口化合物を静脈接種することで急速に変化したものと考えられます。その効果で元々持っている頑強のスキル効果が倍増し、身体能力もまさにモンスター顔負けとなっております。推測脅威度は星四つです』
「ええ⁉ それあのサメより強いってこと?」
『間違いないかと』
「うおおお! 退避だ退避! みんな散らばれ!」
エントランスの上から飛び降りて来たビルに向けてけん制でスタングレネードを再び放つと、周囲はまた炸裂した光に包まれた。だが足止めできるのは数秒だ。僕は慌ててオリバーにステルスバッジを二枚投げ渡すとオリバーは瞬時に意図を理解してくれたようだ。
グオオと雄たけびを上げるビルはもう完全に人間していない。理性も乏しくなっているのか周囲を手当たり次第襲っている。その対象は悲しいかな転がっている手下達だった。
「ガキぃどこだ! どこに行った! 出て来い!」
「や、やめてくれビル! 俺だ! ぎゃああ!」
「ひぃぃ! ちがっ……」
「ガァァァァァ!」
ボクッという気味の悪い音がして人だったものが血の華を咲かせた、もう奴は攻撃できればなんでもいいのかも知れない。いくら敵側とはいえども、こんな凄惨な状況を放っておける訳がない。僕は限界までチャージをしたスリングショットを放つと、怪物の注意を引いた。スキル特有の鮮烈な光がたなびいてビルの側頭部に直撃した。だがそれも少しよろめいて頭を振る位の威力であり、APの頑強さを感じさせる。
「聞け! お前達のボスだったビルはもういない! できるだけ遠くに逃げるんだ!」
「わぁぁぁぁぁ!」
ギャング達はやっとのことで体を引きずりながらも逃走を始めた。その遅さになにやってんだと思うけど思い返せば仕方ない、僕のスタングレネードのせいだ。なんで変身なんてするんだよクソッタレ!
このままだと周辺に騒ぎが広まるし、いくら怠慢でも都市内の警察が出張ってくるだろう。そうなれば被害者数は増えてしまう。最悪僕も犯人の一人にされてしまうかも知れない。しかしそれよりもこいつは僕を諦めはしないだろう。易々とレンガ壁を破壊して笑うビルを誰も止められない。
「アンサー! 大体こういうのって時間が経てば薬の効き目が切れてうっ! とか言って弱くなるんでしょ? 僕は詳しいんだ!」
『その可能性はありますが、データがないので弱体化の想定ができません。しかし現状は信じがたいことにビルは周囲の瘴気を取り込んで自己の強化を行っているようです』
「それって益々強くなってるってこと! ダメじゃん!」
困るよセオリー通りで進行してくんないとさぁ! と毒づきながら僕は懸命に走ってはスリングショットを放ちながら攻撃しているレイラとフェルのサポートをしていた。だがまだ慣れない戦闘に焦ったからなのか、足元にあった瓦礫に躓いてしまい、派手に転んでしまった。
幸いシールドバッジがあるから痛みや衝撃はないのだけれど、その隙をビルに見つかって接近されてしまう。
すぐ立ち上がって逃げればよかったんだけど、情けないことに僕はドシンドシンと足音を鳴らして近づくビルに恐れをなして、足がすくんでしまったんだ。
ビルが笑いながら思いっきり右腕を振りかぶって僕に叩きつけようとするのがスローモーションのようにはっきりわかった。
「アル様! 避けてください!」
レイラが悲鳴のような声を上げるけど、金縛りにあったように体が動かない。奴の膂力から考えていくらシールドがあってもひとたまりもないだろう。人間いざその時となったらなにもできないもんだな。
「ガァウ!」
その時横から衝撃がしてフェルが僕を突き飛ばした。だが自分はビルの攻撃から逃れることができず、吹き飛ばされてしまう。
「ギャイン!」
「フェル!」
視界から消えたフェルの様態が気になるが、暗闇と瓦礫に遮られてわからない。僕がショックを受けているうちにもレイラは冷静に行動し、ビルの首を後ろから火かき棒で締め上げた。
「アル様、今のうちに……」
彼女の健闘も虚しく、セリフが言い終わる前に前かがみになる首の力だけでレイラは背中から地面に叩きつけられて、頭を掴まれた。ギリギリと嫌な音がして、彼女の機械式の頭部が崩壊していく。
ビルはギラギラした赤い目を煌々と光らせて毒づいた。
「はっはっは! どうだガキ! ナメた真似しやがって思い知ったか! 次はお前だ! バラバラにしてテムス川にぶち込んでやる!」
だらんと力を失ったレイラを無造作に放り投げると、一歩、また一歩と奴は僕の下に近づいた。
僕は震えていた。でもそれは怖いからじゃない、自分の無力さが嫌というほど身に染みたからだ。あの時と同じだ。僕はまた失ってしまうのか。なにが紳士だ。調子に乗ってここまでやって来たけれど、むざむざやられにきただけじゃないか!
握りしめる両手が自分への怒りで震える。アンサーが必死に逃避を呼びかけるが、僕はそれを拒否した。みんなを残して僕だけ逃げる訳にはいかない。まだ他にできることがあるはずだ!
考えろ。考えるんだアルフォンス! まだ勝負は決まった訳じゃない!
その時ふとこちらを不安そうに見つめるオリバーと目が合った。瞬間、僕の脳裏に電流が走る。
これだ。この可能性にかけるしかない!




