前世の仲間
その後、帰宅した私は秘密裏に情報を集める事にした。
生まれた時から前世の記憶があったため、親にもヴィラーネにも内緒で、変装用の服やメイク道具を揃え、部屋のクローゼットの奥に隠してある。
まさか、私の部屋のウォークインクローゼットの奥の壁に細工がされていて、アクセサリーが収納されている戸棚を動かすともう一つ小さな部屋への入口が現れるなんて、屋敷の誰も思うまい。
幼い頃から、夜な夜な作業して作り上げた隠し部屋である。
天井裏に出るための穴も開いているため、夜に屋敷を抜け出すことも容易だ。
夕食を終えた私は、早めに休むと言って部屋に戻り、鍵を掛けた。
ヴィラーネには朝まで起こすなと伝えたので、よほどの事がない限り抜け出してもばれないはずだ。
黒の動きやすい服に着替え、屋根裏を伝って使用人の目を掻い潜り外へ出る。
向かうは、デュランゴ侯爵邸。
アスペン公爵とシルバラード公爵は、どちらも用心深い。いきなり潜入するのはリスクが高すぎる。
一方のデュランゴ侯爵は、二人に比べるとまだ付け入る余地がある。
更に言えば、デュランゴ侯爵家は領地を持っておらず、貿易商として財を成した比較的新しい貴族で、自宅は王都の外れに位置し、敷地も決して広くないため、忍び込むのも容易である。
そのデュランゴ侯爵邸は徒歩で向かうとなるとやや遠いが、建物の屋根の上を走れば、最短距離で行けるのでさほど時間はかからない。
脚力も前世の能力が引き継がれていて助かった。
と、デュランゴ侯爵邸の屋根が見えたところで、私は思わず足を止め、手近の民家の煙突の陰に隠れた。
先客が、デュランゴ侯爵邸の屋根の上にいたのだ。
黒い服を纏い、忍び込む部屋を探っている様子に見える。
「……あれは」
目深まで被ったフードがふわりと揺れ、月明りで見えた顔に息を呑む。
知っている顔だ。いや、私が知っている顔よりも、だいぶ大人びている。
前世の私がムルシエラゴに所属していた時、よく同じ任務に当たっていた後輩、アランだ。
当時十六歳だった彼も、十七年経った今では三十三歳か。
無性に懐かしい気持ちになり、目頭が熱くなる。
彼は、危険な任務をいくつもこなしながらも、私のように命を落とす事もなく大人になったのだ。
と、彼がある部屋に入っていったので、私も警備に気を付けつつデュランゴ侯爵邸の屋根に移動する。
デュランゴ侯爵の執務室は屋敷の一階の一番奥。屋敷は二階建て。
二階から侵入しても、情報を得るには建物内を移動しなければならない。それよりも、建物の裏側に回って窓から聞き耳を立てる方が確実だ。
屋根の上から、警備の数を確認する。
正門に二人、玄関と裏門に一人ずつ。あとは建物内の使用人のうち何人かが武術の心得があるボディガードのはずだ。
貴族の屋敷としては妥当な警備数だ。
執務室は裏門から見える位置にある。だが、窓近くにある外壁の飾りの陰は死角だ。そこに入り込めば、身を隠したまま中の様子が伺える。
王城と違い、警備員が庭を巡回している訳ではないので、騒ぎを起こさなければ見つかる可能性も低い。
よし、と腹を括って、裏門の警備員から見えない様に身を隠しながら、目的の場所に降り立つ。
中を覗くと、デュランゴ侯爵が一人、こちらに背を向けてデスクに着席している。
書類仕事をしているようだが、そこへドアがノックされ、何者かが入って来た。
入口からこの窓は真正面になるので、私は慌てて顔を引っ込める。
「お呼びでしょうか」
「ああ……これを持って行け。例の件、失敗は許されないからな。慎重にやれ。決行は十日後、テスタロッサ国王の生誕祭の夜会だ」
都合良く、暗殺計画の一端を聞く事ができ、私は唇を吊り上げた。
いつ、どこで、それがわかっていれば、護衛もやりやすくなる。どうにかして、テスタロッサの人間にこの事を伝えさえすれば、警戒してもらえるだろう。
「夜会で、王子は婚約者と踊る。その時を狙え。そのために遠距離用の銃を仕入れたんだからな」
暗殺方法は狙撃か。
暗殺する側も難易度が高いが、守る側は周りに人が集まれば集まるほど、警戒が難しくなる。
必要な情報を早々に得る事ができた私は、急いで壁を伝って屋根へ上った。誰かに見つかる前に撤退せねば。
しかし、元来た方へ駆け出そうとしたその時、その真下の壁から登って来た誰かと思い切り鉢合わせてしまった。
「っ!」
お互いぎょっとして身を引く。
私は顔を見られないように、フードをさっと抑えたが、相手の顔は一瞬だけ見えた。
「あっ!」
思わず名を呼びそうになって口を噤む。
さっき忍び込むのを見ていたのに、彼が再び屋根に上って来る可能性を考えなかったとは、私の警戒不足だ。
「何者だ! 警備……ではなさそうだな」
アランは怪訝そうに私を見る。
顔は隠したが、体格は小柄な十七歳の少女なのだ。不審に思われて当然である。
「諜報員か?」
彼は呟きながら身構える。その構えも、十七年前と変わっていない。
アレンは屋根の上で私に向かって突進した。私を捕らえる気だ。
十七年の間に、彼も諜報員としての経験をかなり積んだだろう。きっと、私の実力などとうに超されているはずだ。
だが、癖は意外と変わらないものだ。
最後の一歩を踏み込むと同時に繰り出した右腕。
私はぎりぎりまで引き付けてからひらりと躱した。
「っ!」
最後の一歩と同時に右腕を出すという彼の悪癖が、十七年の間変わっていなくて助かった。
まぁ、指摘したのは十七年前の訓練中に一度きりだし、普段は気を付けているのかもしれないけれど。
「……ステラ?」
諜報員時代に使っていた偽名を呼ばれて、どきりとする。
しかし、振り返らずに、そのまま全力で立ち去った。
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