ネズミ捕り
決して油断していた訳ではない。
それなのに背後を取られるとは私の不覚であると同時に、相手が相当の手練れであるという事だ。
警戒しながら振り返ると、そこには馴染みの顔があった。
『クレマンさん!』
『よぉ、ステラ。胸騒ぎがして出て来たんだが……どういう状況だ?』
彼らに聞こえぬよう、咄嗟に口の動きだけで会話する。
『ヴァレリーが、テスタロッサのアイズ殿下の側近に私の情報を流していたようです。その現場を、アルフォンス殿下が押さえました』
『そうか……やはりヴァレリーだったか』
『やはり?』
『ああ、消去法でな。お前がガヤルドにいる事を知っている者で、情報を流せる状況にあったのはヴァレリーしかいないからな』
そう答えたクレマンさんの表情が暗い。
ここでアランの裏切りを告げるのは心苦しいが、しかし言わない訳にもいかない。
私はクレマンさんに、先程城で起きた事を端的に話した。
『……そうか。アランだったか……』
その後、クレマンさんはすぐに動いてくれた。
アランをムルシエラゴの本拠地へ移送し、事情聴取と、必要に応じて拷問する事になるだろう。
『お前はアルフォンス殿下を頼む』
『承知しました』
私は意識を再び彼らに戻す。
「……では、どうあってもレティア・フリートウッド公爵令嬢を返すつもりはないと?」
「そうは言っていない。俺は彼女の意思を尊重する。彼女が帰ると言えばそれを止めたりはしない」
「……いずれにせよ、テスタロッサ王国内にレティア・フリートウッド公爵令嬢がいる事は認めるのですね?」
「俺が否定したところで、そっちは情報を掴んでいるんだろう?」
一触即発、まさにそんな状態でアルフォンス殿下とレオノードが言葉を交わしている。
「……ええ。そうですね」
「で? もしもレティア嬢が帰宅を拒んだらどうするんだ?」
「誘拐された公爵令嬢が、帰宅を拒むなんてありえませんね」
「そうかな? そもそも、誘拐なんかしてないからな」
不敵に笑う殿下に、レオノードは僅かに目を細める。
「アイズ王子に伝えろ。レティア嬢が欲しいならば、お前の足で取りに来いと。ついでに、ディオン・ボクスター伯爵令息を、我が城への不法侵入罪で捕らえていることも伝えろ」
その言葉に、レオノードの眉がぴくりと動く。
「……承知いたしました」
レオノードは踵を返す。
それを見送って、殿下はヴァレリーに目を向ける。
彼女は青褪めて、ずっと「違う、違う」と呟いている。
「……ヴァレリー・ベルランゴ。国家反逆罪で逮捕する」
懐から手枷を取り出し、彼女の両手に填める。彼女は抵抗する素振りも見せずに大人しくしている。
「……いつまでそこにいるつもりだ?」
殿下が私を見る。
気付かれていた事に驚きつつ、物陰から出ると、ヴァレリーが憎悪に満ちた眼差しを向けて来た。
「アンタさえ現れなければっ! テスタロッサの雌犬め! さっさと国へ帰れ!」
その罵詈雑言に、私より早く殿下が反応した。
「黙れ」
素早く抜刀し、彼女の首に宛がう。
「彼女を侮辱することは俺が許さん。それに、お前だってテスタロッサに肩入れした裏切者だろう?」
「ち、違います! 私は断じて、断じて! この女の所在を伝えただけで、この国の不利益になるような事は漏らしておりません!」
「……立派な不利益だよ。お前には失望した」
殿下は冷たく言い放つ。
それは多分、彼を慕っていたヴァレリーが最も聞きたくなかった言葉だろう。おそらく、殿下もそれをわかった上であえてその言葉を選んだ。
彼女の瞳がひび割れ、かくんと項垂れた。そして壊れた蓄音機のように、ただひたすらに「違う」と繰り返している。
彼女は、きっとずっと殿下に懸想していたのだろう。
私がガヤルドに来るまでは、身の程を弁えて彼の元でムルシエラゴの一員として働くだけで満足していたかもしれない。
しかし、ある日突然敵国の公爵令嬢である私が現れて彼と親しげにし始めたことで、彼女の中で何かが変わってしまった。
少しだけ、彼女に対して申し訳ない気持ちを抱くが、それでも、彼女がテスタロッサと通じて部外者を王城に招き入れた罪は変わらない。
哀れみの視線を封じて、殿下に視線を戻す。
彼は私の姿を見て怪我をしていない事を確認し、安堵したように小さく嘆息した。
「全く、急に城から飛び出すから心配したぞ……それで、どうしてここにいる?」
「スティード殿下を狙った狙撃手を捕らえたので、ムルシエラゴの本拠地に連行するために……今し方クレマンさんに引き渡しました。アルフォンス殿下こそ、どうしてこちらに?」
私が尋ねると、彼はヴァレリーを一瞥しつつ答えた。
「俺の部下から報告が上がってな。ネズミを捕りにきたんだ」
その言葉で、彼の部下の誰かが、ヴァレリーが情報を漏らしていた事を突き止めたのだと察する。
「……状況が変わった。お前が祖国へ帰るのは先延ばしにしてもらう」
「……アイズ殿下が来るとお思いですか?」
正直、テスタロッサの第一王王子であるアイズ殿下が、敵国にほいほいやって来るとは思えない。
そう思いながら尋ねると、アルフォンス殿下は何かを確信している様子で頷く。
「来るだろうな。もしも来ないなら……その程度なら、お前を祖国へ帰してやる理由がなくなる」
「どういう意味です?」
「アイズ王子が、自身の影武者を投じるという危険を冒してまで、お前の行方を捜し、奪還を試みたのは何故だと思う? それだけお前に執着しているということだ」
そう言われるとそうだが、アイズ王子が私に執着していると言われても、俄かには信じられない。
確かに、登城すれば口説くような言葉を掛けられてはいたが、あれは彼なりの冗談だと思っていた。
「お前が、アイズ王子を慕っているというのなら話は変わってくるが……アイズ王子には婚約者がいたはずだ。そんな男の元にやるなんて……」
そこまで言って、殿下はハッとした様子で言葉を切った。
こほんと咳払いして、取り繕うように早口で捲し立てる。
「とにかく! アイズ王子が自らお前を迎えに来るのを待て。それでお前が帰りたいというのなら、好きにすれば良い」
「……わかりました」
まだ腑に落ちない事はあるが、殿下の言葉には従うほかはない。
私は大人しく、彼に従って城へと戻ることにした。
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