騎士になったら、結婚してくれる?
貴族はみんなたったひとつ自分だけの魔法が使える。
そう聞くと素敵な話に聞こえるけれども、その魔法は人生で一度きりしか使えないので、あまり重要な意味はない。
ただ、まれに素晴らしく使い勝手の良い魔法を持つ者がいて、かつては自分の意思に関係なく行使させられひどい目に遭うこともあったらしい。
だから、自分の魔法は友人や家族にも内緒の、自分だけの秘密なのだ。もちろん、自分の比翼たる伴侶にでさえ。
私リトス・アネモスの結婚が決まったのは、社交界でも名うての美貌の騎士との
「私と結婚してほしい」
「私でよろしければ喜んで」
「ああ…!ありがとうアネモス嬢!とても嬉しい」
というあまりにも簡素な会話によってだった。
両親は私のことを愛してくれている。しかしあくまでお互いの次。伴侶への愛は特別なものなのだ。2人きりでいるときの両親は絵画のように美しい。見た目だけの話ではなく、愛情あふれる空気に包まれると人も光を纏うのだと知れるほどに。そんな2人の空間に入るのは憚れたが、2人はいつだって私をその光の中に招いた。私もその光に溶け込んで、2人の愛の結晶であることをいつも示してくれていたのだと思う。私もそういう愛を育めると、私を一番愛してくれる人がいつか現れると信じていた幼い頃は憧れていた。しかしそういうわけにもいかないらしいことは18の歳を迎えようとする現在には思い知らされている。父と母が愛し合い、美しい光を纏うのは奇跡なのだと。
貴族の結婚は血の継承と家の繁栄のため。私の生まれたアネモス伯爵家は、かつて聖女を輩出したこともある名家だ。聖女とはいえその魔法は一度しか行使されることはなかったが、当時の王弟を病魔から救い、その後結ばれるとそのままずっと幸せに生きて血を繋いだ。そんなおとぎ話のような話は市井にも広がっている。実際、聖女と呼ばれるに相応しい功績だ。以来、アネモス伯爵家は治癒魔法が生まれることも多く、魔法の特性を秘密とする規制ができるまではそのことを婚姻の縁として爵位の高い方も跪いて生涯の愛を願ったそうだ。いや、現在にもその話は残っていて結婚相手には事欠かないのが我が家である。しかしそれは愛によってではなく、家が持つ奇跡の残滓を求めてのこと。
我が家で恋愛結婚をすることは実は奇跡よりも難しいのだ。両親は本当に運命だったのだろう。
私に求婚してくれた騎士クリューソスは同じく伯爵家の生まれで、現在は王子殿下の護衛騎士だ。護衛となった時に騎士爵を戴き、家からは独立して命を賭している。しかし私と結婚したらアネモス家に婿入りしてもらうことになる。当主である私の夫として。命まで捧げた殿下を放り出してなるにはあまりにもさみしい地位だ。
つまり、これは王子殿下に何かあったときの保険なのだろう。私の魔法に期待して。
「本当によかったのか?リトスには他にも縁談はあったし、深く考えてからでも」
「まあお父様、クリューソス様は私には過ぎた方です。それにあの方に跪かれて断ることができるような婦女子はいませんのよ」
「ふふふ。リトスはあの方に夢中だものね。お父様は面白くないのかしら」
「そんなことはない!」
「ふふ、まあそういうことにしておきましょうか」
そう、あちら側とは違い、私は彼に恋をしている。金の髪がなびくだけで胸が高鳴り、黒い瞳に射抜かれると芯から深いため息が出るほど。夜にはあの広い背中を思い出し、逞しい腕に抱き寄せられることを夢想する。尤も、それは私だけではなく彼を一目見たことある女性はみんなそうだろうが。
しかし私にはもっと強い根拠がある。彼を愛する根拠が。それだけがこの結婚を正当化してくれている。
プロポーズの半年後、恙無く婚姻は整った。もちろん、彼に恋をする人々は枕を濡らしただろうが、白いドレスを着た私には何も怖いものはなかった。両親は健在で、同居して当主としての仕事を教えてもらう私の横にはクリューソスがいる。彼は近衛騎士として出仕している。伯爵家の婿であるから儀礼的な細い剣しか持たないが、それでも王子殿下の一番近くで御身をお守りしている。夜は帰ってきて、お互い1日のことを報告し合い笑い合う。
私を妻として尊重してくれる彼との生活は幸せだった。
「あ!また動いたよリトス」
「まあ、お父様のことがわかるのかしら?賢い子ね」
「そうだと嬉しいな。ちびちゃん、お父様だよ。早くきみに会いたい」
「お母様も早くあなたに会いたいわ」
私は結婚の半年後に身籠った。分かったのはちょうどプロポーズされて1年のことだった。いつもより少し豪華な食事が合わず、えずいた私に誰よりも早く気づいた夫は顔を真っ青にして医者を呼んで、そして懐妊を知ったのだ。
両親はもちろん、クリューソスは飛び上がるほど喜んだ。男の子ならこんな名前、女の子ならこんな名前とたくさんの名前を挙げ、また私を壊れ物のように扱った。つわりが収まるまでは何より大切なはずの仕事さえ早く切り上げて私に付き添ってほとんど味付けのない私と同じものを食べてくれた。子を作るのは責務とはいえ、こんなにも喜んでくれるとは思っていなかった私はお腹をさすってくれる彼の手の温かさに夜ごと涙が出そうだった。彼はそれをつわりの苦しみからかと勘違いしておろおろしていたけど。
つわりが落ち着いてからは2人で庭を歩き、両親がよく寄り添っていた四阿で休憩した。私もいつかあの光り輝く2人のようになれると、そう思わせてくれた。温かい家庭を作るために彼は努力してくれていた。
だから、次は私があなたのために。
無事に男の子が生まれ、歩くようになるまではあっという間だった。しかし、それと同時に凶報がもたらされた。彼がお仕えする王子殿下が病に倒れられたのだ。
少し前に立太子され、王太子殿下になられていた方は、素晴らしい王になると誰からも期待されていた。その期待がじわじわと蝕んでいたのだろうか。ある日起き上がれなかった殿下はそのままベッドの住人となってしまったのだ。
「リトスも分かっているだろうが、我が君の病状はよろしくない」
「ええ。貴族の間でも不安が広がっているようで、夫人方もそのお話をなさいます」
「そうか。第二王子殿下も素晴らしい方で、彼を立太子させてはどうかという動きもあるほどだが、俺は我が君を諦めるようでそれがどうしても苦しい」
「そうでしょうとも。あなたは王太子殿下の剣であり盾。今こそあなたが殿下をお支えしなければ。それに諦めることはありません。殿下も戦っておいでなのですから」
「ああ、その通りだ…。ありがとうリトス」
弱々しく微笑む夫はいつもの力強さをも王太子殿下の病に吸い取られたかのようだ。毎日弱音を吐く姿があまりにも痛々しい。息子の前ではいつもと同じようだが、それが空元気に見えて心配になってしまう。
日に日に苦悩に身をやつす彼を見守り続け、ついに息子の前でも涙を流した日に私は決意した。
「王太子殿下に御目通りを願います」
「リトス!?」
「父には許可をもらいました。クリューソス」
翌日の朝食で私は夫に通達した。彼は目を白黒させていたが、アネモス家がどういう家なのかやっと思い出したらしい彼は居住まいを正して頭を下げた。
「ありがとうリトス。俺が力及ばないばかりに、魔法を行使させてしまう」
「いいえ、私たちは比翼です。あなたの翼で足りなければ私の翼も使うべきなのです。それで飛べるならば」
「ああ…!リトスと夫婦となれたことは今回に限らず、いつだって俺の幸いだ。それで、その魔法は、リトスの身に影響はないのか?」
「ええ。私にできるのは病を消すこと。聖女ほどかは分かりませんが、あるいは」
「それを聞いて安心した。きみにつらい思いは少しでもしてほしくない。本当は、魔法も使わなくていいくらいに穏やかな日々を送ってほしいんだ」
「まあ、それでは、殿下が快癒されたらどんなわがままも聞いてくれるってことかしら」
「そんなの、魔法を使わなくたっていつでも聞きたいよ。きみの望みは俺の望みなんだから」
「私にとっても、そうですわ」
初めて夫についた嘘は、少し苦い。本当は魔法は、私を代償とするほどに強力なのだから。
私の魔法は病を消すことなどではない。私の身を生贄として、対象に生命力を与えること。それはつまり、私と対象の寿命を交換するということだ。もし殿下の御身が思っているより危ないのであれば、私は快癒を見届けられないほどかもしれない。
それでも子はいるし、家にとっても国にとっても、何よりクリューソスにとっても、これが最善で最適解なのだ。
思っていたよりスムーズに拝謁は叶った。王家としても少しの希望にも縋りたいのだろう。夫に通達して送り出し、メイド達に私が帰ってからのことを細かく指示し終えたその午後には私は一度帰って迎えにきた夫に伴われて殿下のおわす寝室に入った。身体検査などもなく、夫やその同僚の、私は王太子殿下を損なうことなどしないという信頼が背筋を伸ばす。
しかし呼吸も苦しそうで意識も朦朧としている殿下のご容態を見て、かすかに怖気付いた。私は今からこうなるのだ。
その様子をどう思ったか、夫が手を重ねてきた。握り返すのは最後かもしれない。でも、この人の望みを叶えたい。それが私の望み。強く握り返す。愛しい黒の瞳が私を射抜く。
「頼めるか」
「ええ」
簡素だったプロポーズよりも短い会話。それでもあのときより繋がりを感じる。私はこの人の伴侶として生きられた。あとはもう、死んでもいい。
「王太子殿下の御手を」
夫の手を離し、ベッドに跪いた私は殿下のシーツに埋まる手を探る。苦痛のためか握りしめられたその手を両手で包み、祈る。どうか、私の命で足りるよう。これ以上、誰も苦しまないよう。息子の成長はきっと天国から見守れる。私は何も惜しくはない。どうか、どうかーーー…
「殿下!意識が!」
「殿下がお目覚めになった!医師を呼べ!水も持ってこい!ああ!まさか、本当に!」
「ああ…!殿下!両陛下にもお知らせしなければ!」
「聖女だ!アネモス家にはやはり聖女がいる!」
薄らぐ意識の中歓喜の声が聞こえる。歓声はやがて伝播し、国中を湧き上がらせるだろう。安心した私は夫の温もりを感じたのを最後に、意識を失った。
夢を見た。幼い頃の夢。私はクリューソスと散歩したときに休憩したあの四阿を見ている。そこには、両親がいた。まだ夫との思い出がないそこは2人の場所で、2人は光を纏いながら笑い合っている。私が愛の光だと思っていたのは陽光だったのだろうか。そう思うほど柔らかな空気に、私の足は動かない。
そう、このくらい小さなときは両親のこの誰も挟まない雰囲気に、私の入る余地を見つけられずにいた。一声でもかけたら、2人は笑って迎えてくれるのに。
「なにしてるんだ?」
後ろからの声に振り返った。そこには私よりは少し年上だがまだ幼いクリューソスがいた。
「お父様とお母様は、2人でいいのよ」
これは過去の追憶だ。私が思い至ったのは、実際にあったことだったからだ。子どもだから仕方ないが、こんな幼いことを拗ねたように言ってしまった覚えがある。初対面の彼は父親に連れられて何度か家に来ていたようだった。引き合わされたこともなかったが、それがまた疎外感を生んでいたので八つ当たりだった。
後から知ったことだが、例外的にこの日はご兄弟のお見合いか何かで我が家に1人で預けられていたようだ。
初めて会ったというのに親しげな彼は首を傾げていたが、そのまま私の手を掴んで四阿にひっぱる。
「リトス嬢だろう?ご両親から可愛い娘がいるとたくさん話を聞いていた!愛の結晶で、なくてはならない存在だと!だから初めて会った気がしないし、そんなお2人がきみを除け者にするわけないと思う」
「あいのけっしょう?」
「そうだよ、ご両親はきみがいて幸せなんだ!お2人で寄り添っておられるのは確かに美しい光景だが、きみがいたらもっと素敵だよ!」
そう言った彼はいつのまにか私をエスコートするように手を握って両親のもとまで導いた。そして言ったのだ。
「リトス嬢はきっと寂しいんだ。でも少しの勇気を出せばいいんだよ。お2人はお互いだけじゃなくてきみのことも愛しているんだから」
愛されていることを教えてくれたのは彼だった。私が光に溶け込むのを嬉しそうに見ていた。
「リトス、可愛い子」
「遠慮していたのかい?慎ましいのはいいことだが、私達だってお前がいないと寂しいんだよ」
「私も一緒にいていいの?」
「いてくれなきゃ困るさ」
「私たちは家族で、あなたがいてやっとひとつなのよ」
私は涙がぽろぽろ流れるのを感じながら、まだ手を繋いでいるクリューソスを見た。
「あなたって、騎士様みたいだわ」
物語でお姫様を恐ろしい場所から救い出して愛を教える騎士様に憧れていた幼い頃の私は呟いた。実際その通りだったから。彼はそんな私に微笑んだ。そして、何を言ったんだったかしら。夢はそこで終わってしまって、私もその後を忘れてしまった。
「リトス!目を覚ましたかい」
夢の続きのように、夫が私の手を握っている。違うのは、大人の彼の頬が緩んでいるのではなく固く強張っていることだ。
両親も寝室にいる。きっと心配をかけているのはその顔を見ればわかる。魔法のことを知ったらどんなに苦しむだろう。
「クリューソス…」
「ああ、喋らなくていい。きみは2日も寝ていたんだ。きっと初めて魔法を使って疲れてしまったんだろう。すぐに良くなるよ」
メイドは私の指示通り、疲れただけと言って医師を呼ばずにいてくれたようだ。診察されてしまえば、私が王太子殿下と同じ病状であることがわかってしまう。それは誰も喜ばない。だからこれが正しい。だけど、愛してくれた両親に、あの日愛を教えてくれたクリューソスに、これ以上嘘をつきたくないと思ってしまった。
「だめよ、聞いて…私の魔法は王太子殿下の代わりに私を死に導くものなの。メイドに医師を呼ばないでと言ったのはそれが分かっていたから……」
息も絶え絶えでもういつ意識がなくなるか分からない状態の私の言葉を根気強く聞いていた夫は驚愕して握った手に力を込めた。父も息を呑んだのが聞こえた。母は絶叫している。
「そんな!どうして…!」
「あの子を呼んで……私の愛しい子…」
クリューソスは受け止め難いのか苦悩の顔のままだったが、メイドはすぐに息子を連れてきてくれた。
「まあま?」
言葉もまだろくに話せない我が子。夢の私よりもずっと幼い息子に涙が出る。
「そうよ、あなたのママよ。ママはいつだって遠くからあなたを見守って…」
「やめろリトス!まるで、そんな、もう生きていられないみたいに…!」
「旦那様」
メイド達は私の覚悟を知ってか、言葉を遮るクリューソスを押しとどめる。その隙に、私は心残りをなくしていく。
「お父様。次の当主はこの子に。重い責務を幼い頃から課す私はひどい母親で、今まで幸せに育ててくれたお父様みたいにはなれなかったわ」
「リトス…リトス、お前は素晴らしい母親で、妻で、そして娘だ。でも、親より先に逝こうとするなんて…」
「お母様、お母様は私の憧れよ。当主としてはお父様、母親としてはお母様みたいになりたいって、ずっと思ってた」
「ああ…!リトス!あなたを失ったら!私にあなたと同じ力があったら…!」
両親は見たこともないほど泣いていた。こんなにも愛されていた。知っていたつもりだったけど、何よりその愛を求めていた幼い頃の私に教えてあげたいくらいに、2人の愛は大きい。
「アクティース、私の息子。私の光…」
大きな混乱となっている部屋で1人キョトンとする息子を見て、両親から見た私も光だったのかもしれないと今更ながら申し訳なくなった。こんな可愛い子を放っておくなんてできるはずがない。何もしてあげられなかった私にも、愛はあふれるほどある。息子に与え続けられたらどんなによかったか。でも、私には
「ああ…リトス、リトス…」
私には、彼がいるから。彼はきっと、私の分もアクティースを愛してくれる。
「あなた……わがままを聞いてくれるんでしょう?」
「俺は、きみがこうなるならこんなこと…!きみはずっと隣にいると、そう思って!どうして…」
「聞いてくれないの?」
「聞くさ!いつだって、これから何度だって!だから置いていかないでくれ!」
「わがままは…これが最後でいいわ。あなたにはとっておきのわがままを言うもの」
最後という言葉につらそうに涙を流す彼に、胸が痛むけど、私は本当にこれが最後の言葉になりそうだと力をこめて言った。
「あなたの比翼は私だけど、幸せになるなら、後添えは許してあげるわ。だから、ずっと幸せでいて」
束縛するなんて淑女と思えないほど大胆なわがままだ。それでも幸せを願わずにはいられない。本当は愛する人を見つけてほしくないけど、クリューソスが愛するならどんな人でも私も愛せるわ。だって私はあなたの比翼だから。
「きみがいないと俺は…!」
窓の外では王太子殿下の快癒に湧く民衆が喝采をあげている。夫と両親の慟哭が響く。どちらも鳴り止まず、鳴り止まないままに私は力尽きた。
愛する人に愛されたかった。でも、愛していれば恋慕の情ではなくても、愛が返ってきた。いつだって愛を教えてくれるのは、あなただった。あなたに報いられて、私は幸せ。
「どうしてお父様はずっと騎士様でいるの?お母様が助けてあげたから王太子様はもう大丈夫なんでしょ?」
「もちろん、お前のお母様は強い人だったから今ではもう何も怖いことはない。でも、お母様のためにお父様は騎士でいないとだめなんだよ」
「どうして?」
「昔お母様と約束したんだ。騎士になったらーーー…」