第6話 いくつもの夏を超えて 650
ようこそ、鉄道博物館へ。
ご来館いただきまして、ありがとうございます。
わたくし、当館解説員のロボット、シーナでございます。
お客様、当館自慢のAR体験型アトラクション『追想列車』はいかがでしょうか?
人々の想いと夢を共に乗せ、あの時感じた車窓には、変わらぬままの風景が。
どこまでも、いつまでも……
本日の追想列車の公開内容は「いくつもの夏を超えて 650」です。
あの日の出来事を、二度と繰り返さないように。
そして、この車窓から見える平和な街並みが、いつまでも続きますように。
「大変です! 敷島様!」
「あ? なんなだ、朝っぱらから」
まだ開館前の朝、居候している宿舎でまだ寝ている男に、外からドアを激しく叩く音と、シーナの叫び声で叩き起こされる男。
ここまでシーナがやってくることは珍しく、その慌てた様子に、男にも不安がよぎる
何か館内に重大なトラブルか?
それとも侵入者が現れたのか?
身支度をする間も無く、飛び上がり扉を開ける。
すると困り果てたような表情で、こちらをすがる様な目で見るシーナの姿が。
「どうした!」
「大変なんです、敷島様!」
渇ききった喉を潤すかのように唾を飲み込み、耳を傾ける。
「もう夏休みに時期を迎えたというのに、お客様が一人もいらっしゃらないのです」
「?」
「いつもなら、この時期には大勢のお客様がいらっしゃるのですが、まだ誰も
「」
「もしかしましたら、何か重要な事態が起きているのでしょうか?」
もういっそうのこと話したほうがよいのではないだろうか?
そんな思いが男の頭の中をよぎるが、それと同時に目の前のロボットが存在意義をなくし意気消沈して塞ぎ込む様子を想像すると。
それを躊躇ってしまう
「みんなお盆休みで地方に出かけてるんだよ
「お盆休み、ですか?」
「ああ、だから職員も居ないんだろう?」
「しかし、例年この時期は皆さんも・・」
「今年は政府から特例で一ヶ月、国民の休日となったんだよ」
「そうだったのですね。最近通信システムのエラーが生じており、情報が更新されずにいましたので。そのようなことになっていましたとは」
「そうですね、今回はかきめしはいかがでしょうか?」
「広島か行ったことね―な
「なんでしゃもじなんだ?」
「広島には宮島の厳島神社が鎮座しておりますので」
「は?」
「宮島は木製のしゃもじ生産の日本一の産地です。厳島神社では弁財天を奉っておられまして、その手にする琵琶の形が・・」
「いらんいらんそんな解説は!」
「また戦時中にはしゃもじは、飯を取る、から、敵を召し取る、という語呂が連想されまして・」
「分かった分かった、もういい」
「ではこちらは記念品といたしまして、どうぞお持ち帰りください」
そういうと恭しく、しゃもじを手渡す。
こんなものもらったところで、米なんか炊けねえいし、
「本日はせっかくですので広島にまつわる追想列車でも体験されますか?」
「あ? もうなんでもいい」
ここ数日の間で、食事はこの追想列車内で取る事に、事実上二人の間で決まりつつあった
男にとっては何処で食べようが変わらないのだが、さすがに同じ景色で、淀んだ空気の漂う館内で食べ続けるのも気が狂いそうになっていた。
「広島市内を走り回る路面電車、広島電鉄はいかがでしょうか?」
「路面電車?」
男は話には聞いてはいたが、路面電車に乗ったことはなかった。
それは古い映画やドラマの世界の話のように思えた。
「はい。自動車と併走して走ります。広島という都市は狭い範囲に都市機能が集約されておりますので、路面電車という交通手段が昔から活躍しておりました」
「ふ~ん」
「道路上に施設された軌道上を走りますので、街中で人や車の間を走り抜けるという、また違った風景が楽しめます」
「そうかい」
大して興味もない男は、どんん車窓が流れようとも気にはしなかった。
しかし、今までの体験で、少しずつではあるが男の心境にも変化が見られ始めていた。
路面電車か…そういや、一度も乗ったことがないな
「ああ、それでいいから、はじめてくれ」
「かしこまりました! では準備いたしますので、しばらく外でお待ちください」
「あ? 外で待つのか?」
「はい。すぐ終わりますので」
男は言われるがまま車外へと出る。
しばらくして中からシーナが顔を出すと
「お待たせいたしました。どうぞお入りください」
と、男を招く。
シーナに促され入ると
「なんか、狭くなったか?」
「はい、路面電車仕様にいたしました」
車内の規格を変更するための
「今回の追想列車は、市民の日常として今も愛され続けております広島電鉄の路面電車です」
「これが……路面電車か……」
やや長めのバスのような作り
板張りの床。
窓枠も木製で、大きな窓ガラスからは、薄暗い館内が見渡せられる。
緑色の座席の磨り減ったベンチシートが、その両脇の窓沿いに伸びる。
「そのなかで、今回は『被爆電車』の車窓を体験していただきたいと思います」
「被爆電車?」
聞きなれない言葉を耳にし、復唱して尋ねる。
「はい。あの日、広島に原爆が落とされた時に走っていました電車です」
「あの日……?」
「1945年8月6日 午前8時15分」
男はそこまで聞いて気が付いた。
そう、それは太平洋戦争でアメリカ軍に原子爆弾を投下された日。
日本人なら誰もが知っている日。
「戦争の悲惨さ。平和の尊さを後世に人々に語り継ぐ目的で、この記憶を多くの方々から提供していたが来ました」
「……」
重い話に男の食欲もなくなる。
「広島の街は一瞬で焦土と化しました。その時、市街を走る路面電車も例外なく被災いたしました」
「……」
「まずは被災前の市内の様子をご覧いただきましょう」
合図とともに
大きなモーター音が走るたびに車内に響く。
がたつき大きく揺れる
キーキー悲鳴を上げるブレーキ そのたびにゆれるつり革
マスコンを捻るガチリとした金属音
広々とした道路の中央を車を掻き分けて走る
着物姿の多くの人が行き交う
橋を渡る
木造の平屋の建物が立ち並ぶ、時折立派なコンクリート製の大きな建造物も横切っていく
川沿いに洋風な大きな建物が。
あの独特の丸いドーム型の屋根
産業奨励館と中島地区繁華街です。
いまの原爆ドームと平和記念公園に当たります。
「これから大変ショッキングな光景となりますが、ご覧になりますか?」
「かまわない」
リアルで見てきた
眩い閃光と共に建物の姿が消え、遠くにそびえる小さな山が
男は慌てて立ち上がり窓にへばり付き外を確認する。
一面瓦礫と焦土
無残にも骨だけとなったビルがポツンポツンと点在する。
まるで埃と焦げた匂いまでもが漂ってきそうな車窓。
これはなんて悲惨な光景なんだ。
「この光景には、さらに遺体の数々が横たわっていたそうです」
悲痛な表情をする
運行していた電車の多くが被爆
黒く焦げて骨組みだけとなった車体。
台車のみを残して消え去ったもの。
架線や電柱は壊滅輸送機能の麻痺
職員の方も多くがその犠牲となりました
午後には復旧に取り掛かり9日には一部区間の運転を再開
焦土の街を走る路面電車の力強い姿に「復興にシンボル」として市民を勇気付けた
悲しみにくれる広島の町を走り続け、市民を大いに勇気付けた復興のシンボル
しかし、人々は諦めなかった。
午後には復旧に取り掛かり、9日には一部区間を運行。
焼野原を走るその雄姿は、人々の復興への希望の象徴となり、いつしか「被爆電車」と呼ばれるようになった。
650系と呼ばれる今乗車されております車両は1942年に製造されたものです
主に台車は当時のままです。
2006年に653 654号が役目を負え展示保存されております。
残りも651号652号も老朽化が進んでおりますが、まだ現役で走り続けております。
車窓はゆっくりと流れ、時の流れは倍速で進んでいく。
ボンネットの突き出た車やバス、自動車と併走する、三輪自動車が
前輪が一つしかない三輪自動車が横切っていく。
自転車をこいでいくシャツにネクタイ姿のサラリーマン。
おかっぱ頭の少女と、坊主頭の少年。
建物は徐々に高くなり、広告が電飾が眩いほど煌めく。
車も洗練されていき、時折横切る路面電車も、最新式のステンレス製へと変わっていく。
道行く人の姿も、小奇麗になり流行を取り入れた服装や小物を身につけ始める。
木製の窓枠から見える車窓は約100年という歳月の変わり行く町並みを映し出してきました。
しかし、この電車に乗る人々の思いと願いはいつまでも変わることはありません。
この電車は今でも走っているのか?
はい! 現役でございます!
今日一番の笑顔で受け答えるシーナ。
確かに被災して3日後にこれが走っていれば、勇気と希望が湧いてくるだろうな。
世界大災後、男は仮政府があるとされた東日本へと向かった。
しかし、もし西へ向かい広島に付いていれば。
津波で壊滅状態の市内を、走り回る電車に会えたかもしれない。
そう考えるだけでも希望という小さな光が見えてくることを男は感じていた。
私たち人も物も、いつかは壊れ亡くなります。しかし、この追想列車にご乗車いただければ、
でもきっとこれからも走り続けてくれると信じております。
今年の夏も、来年の夏も、そしてこれからも……
今日も広島市内を走り抜ける一筋の風となって、変わらない願いを運び続けていた。
次回予告
私の記憶する一番古い記憶は、親に連れられて神社へとお参りするための車内。
それは幾度となく繰り返される光景。
卒業の時も、成人式の時も、就職の時も、結婚式の時も。
それはきっと子どもたちへも受け継がれると思っていた当然のこと。
しかし、線路は続くことはなかった。
次回『追想列車の車窓から』は
「私の七つのお祝いを」
に停車いたします。
雪の降る元日に、一之宮へと続く線路に、
あなたは、なにを、想いますか?