第2話 夢の超特急、憧れの食堂車
ようこそ! 鉄道博物館へ!
ご来館いただきまして、ありがとうございます!
わたくし、当館解説員のロボット、シーナでございます!
お客様、当館自慢のAR体験型アトラクション『追想列車』はいかがでしょうか?
人々の想いと夢を共に乗せ、あの時感じた車窓には、変わらぬままの風景が。
どこまでも、いつまでも……
本日の追想列車の公開内容は「夢の超特急 憧れの食堂車」です!
富士山を眺めながらのお食事、ぜひご堪能ください!
廃墟と化した博物館を訪れた男、敷島は、そこで解説員ロボットの少女であるシーナと出会う。
男は、彼を修理業者と思い込んでいるシーナに宿舎に案内されて、そこの職員用宿舎で一晩をあかした。
大した設備もないベッドと机のあるだけの部屋であったが、今までの道中を思い返せば最高の環境だった。
シーナは夜の20時になるスリープモードに入る。
19時半には一人で自室であるメンテナンス室へと入っていき、充電と整備点検を兼ね備えた専用の椅子に座る。
そこでスリープモードになることまでは分かった。
そして朝7時になると自動的に起動し、プログラム通りの作業をこなす。
これを、あの世界大災の日から約1年間、誰も来ない博物館で繰り返され続けていた。
そして今日も、今まで欠かされることのなかったルーティンが始まった……
男とシーナは、鈍い朝日が差し込む、博物館入り口の自動ドアの内側に立っていた。
「敷島様、直りますでしょうか?」
自動ドア上部のボックスを開ける男を、不安そうに見つめるシーナ。
強化ガラスでできた自動ドアはビクともせずに、固く閉ざされたままであった。
一晩、男が調査して、この博物館では電力が供給されている場所とそうでない場所があることが分かった。
どういう原因で、どの範囲までかは、まだ詳しく調査してはいないので、未だ不明ではある。
だが、AR車両とシーナの自室や調理室などは、なぜか問題なく電力は供給されており、入り口や警備システム、通信機器などには電力は通っていなかった。
電力がなければ自動ドアが開くことはない。
修理以前の問題であった。
「これは、直らないかもな」
「それは、とても困ります!」
本当に人間の困ったような表情を見せるシーナ。
実によくできたロボットである。
「別に壊れているわけじゃない。電気が通っていないだけだろう。これは俺にもどうしようもできない」
「どうしたらよろしいのでしょう? 入り口が開かなければお客様がご来館できなくて、お困りになります!」
この期に及んで、まだ来館者の心配をしている。
まだ外の世界がどうなっているのか把握していないようだった。
シーナと博物館の刻は、大災直前から止まったままであった。
別に自動ドアなど、手動で開けばいいこと。
ただそうすると本物の窃盗団や、野犬などが侵入してしまう可能性につながる。
男は紙に「入館希望の方は、右端のインターホンをご利用ください」と書きなぐると、それをガラス面へと張り付けた。
「これでいいだろ。何かあればインターホンを鳴らすだろう」
「ありがとうございます。敷島様!」
さっきまで塞ぎ込んだ表情は、一転して明るくなる。
基本的なことは忠実に規則正しくこなす癖に、融通が利かない、応用力の乏しいロボット。
それでいて人間のように、表情をコロコロと変える。
このロボット、意外と使えないポンコツだぞ……
「敷島様、ほかにも修理していただきたい箇所がございまして……」
「いや、無理だぞ。全部は」
そもそも俺は電車の整備なんかしたことねーし。
男の世界大災前の職は、自動車整備士であった。
自動車の整備なら可能だが、電車となると話は違った。
車と似たような構造も存在したが、まったくの未知のシステムや機構には手が付けられなかった。
「敷島様、お昼も近いことですし、そろそろAR列車、追想列車はいかがでしょうか?」
工具箱を手に引き返そうとした男に、何回も聞かされたセリフをあびせる。
それこそ壊れたロボットのように、同じセリフを何回も繰り返す。
「今日はもういい」
「では、館内の展示をご覧になられますか?」
「いや、それもいい」
「敷島様にはまだ当館の館歴について、ご説明いたしておりませんでした」
「興味ない」
「当、鉄道博物館が開館いたしましたのが2022年で、この年は日本における鉄道開設150周年の節目にあたる年でした!」
「おいおい、勝手にしゃべるな!」
「そしてその10年後に、このアトラクションAR列車である、追想列車が導入されました!」
「もういいって言ってるんだ!」
「それから6年後の2038年に、わたくしシーナが当館の解説員として、初めて配属されたのでありました!!」
きっとこの哀れなロボットは、誰かに解説をしなくては自己の存在を保てないのだろう。
すでにこの時代において、その存在意義は失われているのではあるが……
「あー 腹減ったなー 車内で風景でも見ながら、飯でも食いて―なー」
「かしこまりました! 敷島様は追想列車をご利用なされるのですね。ただいま準備をいたします!」
館内に歓喜の甲高い声を響き渡らせると、シーナは嬉しそうに奥の暗闇へと姿を消していった。
そして男のため息の漏れる音。
このロボット、扱いやすいのか、扱いにくいのか分からない……
……
…………
ゆっくりと……なるべく時間をかけて追想列車へと戻ってくる男。
その入り口には、笑みを浮かべたシーナが出迎えのため、立ちながら待っていた。
「本日は新幹線の食堂車で、お食事を召し上がっていただきたいと、ご用意いたしました!」
「ああ……で、なんだ? その格好は?」
シーナはいつもの制服のではなく、黒い上着にスカート。腰に白いエプロン、制帽の変わりにカチューシャを付けている。
それはまるで、メイドのような様相。
「これは国鉄時代、特急食堂車を運営しておりました日本食堂のウエイトレスの制服でございます!」
「…………は?」
「この制服が、ご年配の方から若い方まで、一番人気となっております!」
「いや、別に服装はどうでもいいんだが……」
「なにかご不満でも……」
「不満……ということではないんだ」
「やはり新幹線の食堂車なら黄色いワンピースの制服がよろしかったのでしょうか?」
「違う! そういう問題ではない!」
「まさか、敷島様は、日本食堂ではなく帝国ホテルの制服がお好みでしたでしょうか!?」
「落ち着け! とにかく黙れ!」
男は大きく深呼吸をする。
気分を落ち着かせなくてはならないのは男の方だった。
シーナはその様子を不思議そうに眺める。
彼女は平常運転であった。
男は呆れたようにつぶやく。
「それはどういう嗜好なんだよ」
「はい。わたくしには、私鉄国鉄JRと、各種様々な制服を取り揃えております。着せ替えが可能となっております。この機能は多くのお客様に人気のシステムとなっております。特に一番に……」
「あっそ、いいよ、もうその格好で」
「ありがとうございます! どうでしょ? 敷島様も駅員の制服をお召しになられては?」
「着ない! 早く、飯、食わせろ!!」
「はい! ただいまご案内いたします」
空腹も相まって苛立つ男は、シーナに案内され車両の中に入っていく。
食堂車と呼ばれる車両の中は、左の窓側には2人用の席、右の窓側には4人掛けのテーブルが並んである。
赤い座席に、テーブルには赤いランチマットが置かれている。
なにか古臭くて懐かしいような、田舎町の場末の食堂のような雰囲気が漂う。
もちろん男にとっては懐かしくもなく、初めて経験することである。
男が4人掛けの窓際の席に案内され、ゆっくりと腰を下ろす。
……と、同時に鈍い振動と共に車両が動き出す。
……そして車内チャイムが鳴り響くと、横にたたずむシーナがお得意の解説を始める。
「これから体験される追想列車は、ある高齢の男性のお客様からのご依頼です」
大人しく頬杖をついて、話に耳を傾けてやる男。
「この国に新幹線が開通した1964年に、お客様もこの世に誕生いたしました。まだお客様が小さなお子様だったころ、この新幹線に憧れて、いつか乗車することを夢見ておりました」
「ある時、小学校に就学する前に家族でご旅行に行かれる機会がありました。そこで憧れの新幹線……世界初の高速鉄道、0系新幹線に初めて乗ることができたのです!」
「ほー それは良かったじゃないか」
「お客様は大層喜ばれたようです。ただ一つのことを除いては……」
「一つのこと?」
そう問いかけると、シーナは「少々お待ちください」と頭を下げ、その場をあとにする。
……
……しばらくして現れたシーナの手には、白い皿に盛りつけられた料理が。
「お待たせいたしました。ハンバーグセットでございます」
「おお!」
白い皿の中央にはソースのかかったハンバーグが。その脇をかためるように人参とポテトが、皿を彩る。
そしてライスとコーヒーが続いて並べられた。
「そのお客様の一つの心残り。それがこのハンバーグセットでした」
「あ? これ、か?」
「はい。お客様は食堂車をご利用されたかったのです。新幹線の食堂車で、ハンバーグを食べるという夢」
男はシーナの語る昔話を聞きながら、フォークとナイフを手にし動かす。
「当時の新幹線には食堂車がありました。しかしお客様が家族に連れられて向かった先は、満席の食堂車。すべての座席にはスーツ姿の男性が。結局、お客様は往復共に食堂車を利用することなく、旅を終えられました」
「あまり裕福でないお客様のご家庭では、めったに新幹線に乗ることもままなりませんでした」
「新幹線の食堂車は、金持ちの大人にしか利用できないのだ、という悔しさを胸に秘めていきました」
「お客様はどうしてもあの時の思いを、新幹線の食堂車で食事をしたいという思いを胸に、必死に勉強し、進学校へ入学し、難関大学へと行きました」
「しかし、あの時の憧れが、いつの間にか、誰よりも偉く、賢く、強く、という目的にすり替わってしまいいました」
「その後お客様は、一流企業へ入社し、出世し、家庭を築き、富と名声と幸せを手にいれました」
男は他人事の物語を黙って聞きながら、別段、旨くも不味くもない食べ物を口に運んでいた。
ただ、久しぶりに温かい物を口にしているということだけで、その味は美味に感じられた。
「そしてある日、お孫さんが新幹線のおもちゃで遊んでいるのを見て、思い出したのです」
「なぜ自分はここまで頑張ってきたのであろうか? と……」
「しかしその時、振り返った後ろには、子どもの頃想い焦がれた0系新幹線も消え、あれだけ望んでいた食堂車も消滅しておりました」
「幸せをこの手につかんだと思いきや、どれだけお金を積んでも、あの頃の憧れと夢は戻ってこない」
「どうか、あの時の思い、風景だけでも、もう一度…… そしてこの思いを孫たちにも……」
「そんな思いでお客様は、こちらまで足を運ばれました」
辛気臭い話で食事が不味くなってしまう。
男にとってはどうでもいい話だった。
「どうでしょう? あの頃の味? 風景? 新幹線の乗り心地は?」
「俺、生まれてねーしな、この時代に」
「お客様は大変満足されて、お帰りになられました。ご一緒におられたお孫さんと同じような……子どものような笑顔を見せながら」
思い出で空腹が満たされるわけでもない。
この今の世界では、そんなものは何の価値もない。
思い出に浸るなどとは、以前の幸せであった世界での道楽にすぎない。
今は生きることが第一。
そう、男が今、無心で栄養物を体内に取り込んでいる事。
それが最優先事項であった。
どこで食べようと、どんな車窓を眺めながら食べようと、関係ない。
「ごちそうさま」
「いかがでしたでしょうか? 0系新幹線の食堂車で召し上がるお食事は?」
「まーまーじゃね」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げるシーナを横目に、コーヒーをすする男。
「あっ! そういえば! まだ新幹線の開発秘話を解説しておりませんでした!」
「……いや、話さなくていい」
「敷島様、この新幹線は戦時中の航空技術が基となっておりまして……」
「あー そういう歴史はいいから。興味ないから」
「戦後の疲弊した人々の心の希望となりました」
「…………」
「復興の象徴として」
…………復興
その言葉が男の胸の奥底へと響いてくる。
「戦後日本の復興と経済成長を支え、人々に夢と希望を与え続けたてくれました」
シーナの高揚する声とは裏腹に、現実を突きつけられ憂う男。
「そして現在世界に誇れる鉄道国家となったのです!」
「…………そうか、そうだな」
「しかしこの0系の食堂車にも終わりがやって来ます」
……終わり
男にとっては実に嫌な言葉であった。
この1年の中で、どれだけの“終わり”を見てきたであろうか。
「それは突然やって来ました。1995年1月16日でした」
「1995年? 1月……?」
「本来はその年の3月が最終営業でした。しかし1月17日に起きた、阪神淡路大震災により……」
「阪神・淡路大……!?」
「新大阪から姫路間が不通となったため、そのまま復旧することなく営業停止のまま、消えていってしまいました」
「…………」
シーナは一つのドキュメンタリー映画を聞かせるように、低く悲しげな声で語る。
男は、すでに何もなくなった白い皿に、目を落とし、ただぼんやりと見つめ続ける。
野菜やハンバーグの食べかすが、まるで瓦礫のように見え、どす黒いソースが人の流した血のように見え始めた。
阪神・淡路大震災は男は経験していない、生まれる前の話である。
しかし話としては、誰もが知っている災害。
それを遥かに上回る世界大災が1年前に起きた。
男のいる、この世界で……
あの日の出来事が鮮明にフラッシュバックとして蘇る。
崩壊するビル群。
燃え盛る大地。
逃げ惑う人々。
そして男も必死に……
「…………敷島様?」
「……あ? ああ、どうした?」
「ご気分がすぐれないのでしょうか?」
「……大丈夫だ。なんでもない」
「そして初代新幹線である0系新幹線は、ついに2008年12月14日、その日が最後の営業運転となりました」
「…………」
何事もなかったかのように語り続けるシーナ。
男はその話に黙って耳を傾ける。
「この日本の新幹線という技術は、国内だけにとどまらず、世界へと羽ばたくこととなりました」
「レールを超え、海を渡り、民族も超え、想いと希望は世界で一つに繋がりました!」
「これからも新幹線は人々の夢と希望を乗せて、未来へと進んでいくことでしょう!」
そう誇らしげに、解説員らしく、雄弁に語りつくす。
「そうだな、そうならいいんだがな……」
世界がまだ機能していればな……
「敷島様! まもなく右手側に、日本一の高さと美しさを誇る富士山が見えてまいります!」
「あ? ああ、富士山か……」
そして車窓から姿を現す雄大な富士の山。
大きく構えるその姿。
青い麓、白い雪の積もった高嶺が、水色の空に浮かび上がる。
男は思わず息をのむ。
今見ている景色が、疑似空間だということを忘れて。
あまりの、その美しさに……
目の前に映る富士山は、世界大災が起きる前の姿。
あの日はまさに日本列島が終わるかと思うほどの日。
富士山が中腹と頂上から噴火をし、マグマが周囲を埋め尽くし、火山灰が関東全域を包み込んだ日。
そして西では阿蘇山の噴火、桜島の噴火。
立て続けに御嶽山、浅間山、白根山、箱根山……
敷島は目を閉じて、背もたれに身体を預ける。
それは本当に世界の終わり、地獄の始まりだった。
今車窓に流れる姿の富士山は、もうこの世界には存在しない。
このAR、追想列車の世界だけに存在する、在りし日の懐かしの姿。
男が再び目を開けると、そこには、あどけなさを残した少女の姿のロボットが。
何の疑いも、迷いもないシーナが、無垢な笑顔で車窓の流れる富士を眺めていた。
手を合わせ、目をうっとりとさせて望み見入る。
そのガラス製の目に映る景色から何を思うのか?
感傷に浸ることのできるプログラムが、果たしてこの少女にはあるのだろうか?
「いかがでしょうか? 敷島様? 始まりの0系でのお食事は?」
「まあ、悪くはないんじゃないか……」
男はそう答えるのが精一杯であった。
その答えにシーナは満足そうに微笑むのだった。
次回予告
荒れ狂う大海原を眺める彼女は、洗練された都会の夜景を見たかった。
湾岸に沿いながら工場地帯のライトアップを眺める彼は、広く自由な海を眺めたかった。
彼女と彼はお互い向かい側の海を目指し列車に乗り、中央の駅で出会い、そこでいくつもの時を重ね、愛を育んでいく……
そして三年目の春、二人はお互い離れていく列車に乗り込み、元の海へと戻っていった。
次回『追想列車の車窓から』は
「海から湾へと結ぶ道」
に停車いたします。
薄桃色の桜のカーテンを抜け、車窓いっぱいに広がる黄色い菜の花の絨毯に、
あなたは、なにを、想いますか?