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こういうときどうしたら。

 筋張った男らしい指が、器用にくるくると動いている。今日一日の授業が終わり、体育館の整理も終えると、静流は珍しく控室では無く、職員室にやって来ていた。来週から期末テストが始まるので、それの問題を作らなければならなかった。もうすぐ日が暮れるというのに、まだ職員室には人が多く残っている。皆、同じように期末テストの準備をしていた。最近知り合った、徹也もそのひとりだった。

 運良く近くの席に配属されたので、徹也に一言挨拶をしてから、静流も席に座る。徹也もそれに短く返すとすぐに作業を始めてしまった。静流も教科書を広げ、どれを使おうかと考え始めた。

 問題のチョイスはなかなか進まない。静流はどちらかというと身体を動かす方が好きな性分なので、このようなデスクワークはあまり得意では無かった。それでも自分は教師だ、得手不得手をああだこうだと言っていられる立場ではない。とりあえず草案を作って、他の体育教師に推敲してもらおう。そう考えているうちに、いつの間にか職員室に残されたのは静流と徹也だけになってしまっていた。

 少し先で考え込む静流を眺めながら、徹也はテストの草案を詰めていた。ほぼほぼ出来上がったので、残りは明日に回しても問題ないだろう。もう一度ちらりと静流を見やると、その表情はあまり芳しく見えなかった。どうやらテスト作りに苦労しているようだ。

 もともと自分は他人とのコミュニケーションが得意ではない。そんな能力はいらないとまで考えていたが、今になってそれが無いことに後悔するとは思いもしなかった。きっと初対面でも臆せず話しかける彼女のように話術に長けていたのならば、この沈黙を打ち破ることも出来ただろう。でも、自分にはそれが出来ない。どうやって声をかけたらいいのか、分からないのだ。

 苦戦しすぎて眉間にしわを寄せている静流とテスト草案を交互に見やりながら、徹也は作業を続ける。何とか声をかけてやりたいと思いながらも、どうしても手と精神はテストに集中してしまう。手を抜いてしまえば他の教師との摺り合わせにも支障をきたすし、下手をすれば学生たちの今後の教育方針に関わってしまう。

「金野先生」

 不意に静流の口から己の名が発せられる。どうしたのだろう。徹也は視線を上げて「どうした?」と聞いてみた。だが静流からは次の言葉は出て来ない。あちらから話題が投げかけられないと、こちらもどう対応していいのか分からない。

 二人きりになってしまったので名を呼んでみたものの、静流は何をどう語っていいのか分からなかった。生憎だが徹也が担当する世界史はほとんど分からないし、こちらの分野の話をしても彼からすれば楽しくないだろう。つまり、声を掛けたものの、話題がまったく無いのである。

「小野川?」

 訝しげに名を呼ばれてしまい、ますます静流は焦る。二人でお弁当を食べているときは、他愛もない話題で盛り上がっていた。否、自分が盛り上がっていた。それを言葉少なに徹也が同意したりしてくれた。でも今は仕事中なのだ、休憩時間とは違う。気軽に呼んでしまった己の浅はかさを、静流は呪った。

「………何でもないです、済みません」

 慌ててそう答えると、そうか、と徹也が短く呟いた。一瞬止まっていた彼の手が、また動き出すのがちらりと見えた。

 静流はどうして声を掛けたのだろう。いつもならその明るい口調で、何かあったのだの、自分はこうしただの、何気ない話をいくつもしていた。だが今はそれが鳴りを潜め、逆に動揺までしている。恐らく草案作りに行き詰まったのなら、それをきちんと口にするだろう。彼女はそういう性格だ。

 静流が何も言わないのなら、今はこちらから行動を起こすべきだろう。他の教師相手ならきっとこんなことをしない。もし誰かに頼まれれば断りはしない。けれど彼女は違う。いつも笑顔を絶やさない静流の表情が曇っているのは、どこか居心地が悪いのだ。

「もう少しで、作業が終わるな」

 視線を草案に向けたまま、徹也がそんな独り言を呟く。

「あっ、私も、もう少しで終わりそうです」

 つられて静流も、同じような内容を呟いた。ここには二人しかいないから、他の教師にこの呟きを聞かれることはない。何よりこれは独り言なのだ、向こうには関係ない。でも同じタイミングで終わるのなら、消灯などの確認を一緒にしてもいいだろう。徹也の呟きは、それを意味していたのかもしれない。彼はあまり口数が多くないから、間違っているかもしれないけれど。

 静流の対応を見るに、どうやらこちらの考えを理解してくれたようだ。思っていたより時計の針は進んでいて、だいぶ遅くなってしまった。いくら体育教師で体術の心得があるとしても、静流は女性だ、ひとりで帰すのは心苦しかった。それに帰りの作業も二人でこなせばすぐに終わるだろう。そうこう考えているうちに、静流は作業を終えたらしい。デスク周りを片付ける音が聞こえてきた。さて、自分も帰る準備をしよう。徹也も片付けをしてから、ゆっくりと立ち上がったのだった。

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