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僕のことを愛してください(仮)  作者: みーなつむたり
13/23

13話 止まない雨


 出勤初日。

 その日は雨が降っていた。


 工場へは最寄りのバス停から少し歩かなくてはいけない。


 白と紺色ツートンカラーの傘を目深に差して、重い足を引き摺るように歩く瑞季の横を、何名かの工員が抜いていく。

 挨拶をすべきか迷ったが、瑞季は傘の中でチラチラと抜き去る足を見送りながら、ひたすら俯き歩くことしかできなかった。


 工場の横に併設してある更衣室の入り口に着いて、地面に二度コンコンと傘を突くように水滴を落とす。


「ちょっと!そこで水落とさないでくれませんか」


 すると背後から若い女に注意された。


「あ、すみません、」


 急いで濡れた傘を畳む。

 女は大袈裟に溜め息を吐いて瑞季の横を通りすぎ、更衣室の扉に手をかけた。そして、


「ホント、あのまま辞めればよかったのに」


 とても小さな声で言い捨てた。


「・・・」


 何も言い返せず、瑞季は奥歯を噛み締めることしかできなかった。


(大丈夫。俺の日常と変わらない。俺は耐えられる。大丈夫)


 滲んでいた涙を袖で拭って一気に更衣室の扉を開けた。


「おはようございます。二ヶ月も休んですみませんでした。今日からまたよろしくお願いします。」


 瑞季は震える声で言い、深く頭を下げた。


 だが、誰の返事もなく、瑞季が顔を上げても、10名近い工員は瑞季を見てはいなかった。


 震える足を何度か叩きながら瑞季は自分のロッカーの前に立ち、ドアに手をかけた。右手が酷く震えている。その手を庇うように重ねた手も震えていた。


(泣くな。こんなの、どうってことない。俺も、瑞季さんも、耐えてきた世界だ。大丈夫。これからだって、耐えられる。)


 噛み締めていないと鳴ってしまう奥歯をきつく食い縛る。

 ロッカーを一気に開けると急いで制服に着替えた。



 工場に入った時も、意識して大きな声で挨拶をした。


「おはようございます!二ヶ月も休んですみませんでした。またよろしくお願いします!」

「よく戻ってくれたね、瑞季さん。これからもよろしく頼むよ。」


 工場長の田村が、深く頭を下げる瑞季に寄って肩を叩いてくれた。堪えきれず流れそうになる涙を必死で堪えて、顔を上げ、瑞季は「頑張りますので、よろしくお願いします」と再び頭を下げた。


 一日目は、とにかく「瑞季」の記憶を頼りに意識を殺してがむしゃらに仕事に取り組んだ。



 四日目。

 朝、いつものように大きな声で挨拶をして更衣室に入室し、自分のロッカーを開けると、無造作に折られた手紙が一枚入っていた。

 恐る恐る開く。


「・・・え、」


《あなたみたいな反社会的な人が一緒に働いているとこちらの迷惑になります。私たちはあなたが一刻も早く辞めることを望んでいます。》


 読み終えて、慌てて周りを見回したが、誰も瑞季を見ていなかった。手紙を握り潰すこともできず、そのまま鞄に押し込んで、ロッカーを閉めた。



 昼食時、社員食堂の片隅でコンビニの菓子パンを食べるでもなく眺めていた瑞季の後ろで、若い女が数名、聞かせるための声音で低く言った。


「山岸さんがホントに可哀想。あいつまだ山岸さんの彼氏にしつこくLINEしてるんでしょ?入院してるとか、わざわざ言う?同情引いてホント未練がましい。」

「いいのいいの、私は気にしてないから。病気ならしょうがないじゃない。身寄りもないんだし。片瀬さん、優しいから、頼りたくなるのもわかるし」

「山岸さん人が良すぎるよ、人の彼氏にちょっかい出すとかマジあり得ないから」


 瑞季の脳が、怒りに我を忘れそうになっている。

(落ち着いて落ち着いて。大丈夫大丈夫、耐えられる。俺たちは耐えられるよ)


 心臓の辺りに震える拳をあてがい、瑞季はぎゅっと強く目を閉じた。



 帰りのバスの窓にもたれ掛かり、瑞季は見るでもなく流れる車のヘッドライトを眺めていた。


「・・・!」


 その時、見覚えのあるグレーの軽自動車が通りすぎた気がした。

 慌てて振り返るが、夜の闇に溶けてテールランプの赤い光さえももう見えない。


「・・・新堂さん、」


 退院した日から、まだ数日しか経っていないのに、その名を口にすると心臓が抉られる想いがした。


 瑞季はバスの中で、堪えきれず漏れる嗚咽を、口に手を当て必死に押さえた。





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