§ 1―3 技術開発局・局長
私が住んでいるのは、主領アラドの住宅街の中では比較的、中央宮殿に近い場所で、2階建てのマンションの2LDKの一室である。エリサが生きていたときから住んでいるマンションで、イリスが生まれるからと広めの部屋を借りた。今では広すぎて、1部屋は物置状態だ。まぁ、荷物の多くは亡くなった妻エリサのものが片付けられずに積んであるのだが。
職場である国家技術開発局は、車で20分ぐらいの距離にある。車は小さめで、最新の電気自動車に乗っていく。仕事で遠出することもあるし、イリスと快適に出かけるために最新の車を選んだ。ルームミラーには黒猫のキーホルダーが吊るされている。
駐車場を出て、街路を2つ曲がると主領アラドの4本ある南側の国道に入る。後は上り車線をしばらく進めば、すぐに職場に着く。今朝は渋滞も少なかったので部屋を出て17分で着いた。
警備員に職員証を見せ、いつものスペースに車を停める。少ない荷物を片手に、開発局の北2番口の扉を開け、入口すぐの局長室に着く。時間を見ると8時52分。今日も始業時間に間に合ってよかった。
私の名前はアニス。32歳。身長は176cmでやせ型。幼いころから自然科学や数学が好きで、今現在、この国では深刻な問題である気象問題を解決するべく務めている。大学で書いた『砂漠地域に発生させる雨雲についての論文』で注目を浴び、技術開発局で働くことになった。入局後も、その論文を実証するべく、超回転ドローンに特殊な薬品を上空で散布させることで雨雲の生成に成功し、すぐに実用化された。国土の4分の1の砂漠地帯でも生産力が増すことが実証されたことが評価され、望んでもいない出世をし、その後も災害に対するいくつかの技術の発案・実証・実用化によって、気づいたら技術開発局の局長になっていた。当時の王様に気に入られていたこともあっただろう。今は地震の被害を減らす技術について研究中だ。
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局長室に入り、背広を脱いでいつもの年季の入った白衣を羽織る。『局長』と偉そうに刻まれたプレートのある机に座り、まずはもっとも嫌な仕事である事務仕事に手をつける。この仕事が多いのが局長という立場になって一番嫌なことだ。人事だとか、公金分配とか、ホントにどうでもいいが、どうしても局長のサインが必要なものもある。必要最低限なものだけ片付けて、後は助手に丸投げするとしよう。すっかりこの手のことを甘えてしまっているが、彼女の処理能力の速さと正確さはもはや人間のものとは思えないほどだ。局長印が曲がっていると何度指摘されたことか。
10時になる頃、助手の彼女がいつもどおり出勤してきた。彼女の名前はイヴ・ユッド。金色の髪色で、腰まであるロングヘアー。左耳に髪色と同じ金色のシンプルな装飾のイヤリングを着けている。年齢は20代後半で、半年ほど前のバルバライン領の被災地の視察時に出会った。聡明で笑顔が特徴的な女性だ。笑顔の彼女を見ると、エリサを思い出すのはどうしてだろう。
「おはよう、ユッド」
「おはようございます。アニス様」
「いや、本当に、その『様』っていうのは、やめてもらえないかな」
「そういうわけにはいきません」
笑顔で返される。何度言っても『様』というのをやめてくれないが、笑顔の彼女を見ると許してしまう。
「今日も事務仕事をまずお願いしてもいいかな?」
「イエス、マスター」
「その『イエス、マスター』っていうのも、直してもらえないわけだね」
「ふふ。諦めてください」
また笑顔で答えが返ってくる。これもどういうわけか彼女の口癖だ。
「さて、こんな仕事はさっさと終わらせて、昨日の続きをするとしよう」
「任せてください。5分20秒で終わらせます」
「速すぎません?」
おれがやるなら2時間はかかる仕事だ。さらにチェックミスなどで、ユッドが来る前は事務作業がほとほと嫌で、局長を辞めようかとも思っていたぐらいだ。お茶を飲みながら以前の滅入っている我が身を思い返す。
「はい、終わりました」
「え? 本当に速いな。おつかれさま。いつもありがとう」
と謝意を言うと、彼女は笑顔で返す。それにおれも笑顔で答える。
「じゃぁ、昨日の続きで『地震波反位相相殺装置』の設置場所をどこにするか考えるとしよう」
「はい。アニス様の案の10kmごとの格子状ですと……」
この時間を過ごせることが、今、おれが局長という立場を辞めない理由である。
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技術開発局の近くのカフェでコーヒー2つとシュリンプサンドを買い、公園のベンチでユッドと遅めの昼食を取る。ユッドはいつも飲み物だけでいいと言う。ダイエットでもしてるのかな? とは女性には失礼で聞けないし、逆に彼女は「お食事足りてますか?」と言ってくる。彼女はどうしてか、いつもこちらに気を使う。食事中も専ら仕事の話を楽しむ。
昼休憩が終わって局長室に戻るや否や、電話が鳴り、騒がしい受話器を取る。
「アニス、元気にしとるかー」
「もう、アルバニア様ですかー。今日はどのような火急な要件ですか?」
「なんだなんだ。実験でも邪魔して機嫌を損ねたかの」
「まぁ、そんなところですよ」
「がっはっは。その様子なら元気そうじゃのー。いやいや、以前話しておった、ほれ、地震が防げる装置について、その後の進捗を聞こうと思ってのー」
「『防ぐ』じゃなくて『相殺して弱める』装置ですよ」
「まぁ、似たようなもんじゃろ。ちと、病院に来たついでに、おまえのところに寄ろうと思っての」
「ええ、局長室にいるので、ご遠慮なくどうぞ」
「おまえ、前王に対して遠慮しろ、とでも言っておるのか」
「別に王のときも、天位になられてからも、遠慮などしたことないでしょ?」
「それはそうじゃの。あっはっは」
「では。お待ちしてますので、気兼ねなくお越しください」
「おう」
アルバニア様はエリサが亡くなってからというもの、しばしば会いに来る。まったく、そんなに気を使わなくてもいいのに……。
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レムリア王国は、立憲君主制である。簡単に言えば、王様が居て、その一方で議会がある。議会は『国議会』と呼ばれ、王と9つの領土の領主がそのメンバーである。
今の王は、レムリア王国第8王位継承者ゼニス様で、アルバニア様の息子である。王位は60歳までで、それを過ぎると退位し天位と呼ばれる。アルバニア様は1年前に退位された。国王は世襲制で、王の子供、もしくは近い親族が次の王になる。
身長はさほど大きいわけではないが、恰幅の良さと長年の王としての責務が、明らかに彼を巨大に魅せる。しかし、頭髪の半分程の銀髪が、年月の積み重ねを物語っている。
アルバニア様とは、8年前に技術開発功労賞なるものを受賞したときの式典で初めてお会いした。おれは次のアイデアがあって、早く研究の続きをしたかったので、気を使う式典に参加させられ機嫌が悪かった。王様と話していた際にも「もう実験室に戻っていいですか?」と失礼極まりないことを言ったことが、逆に王様は気に入ったらしい。そのときは、当時の上司にしこたま怒られたが、それからというもの、ちょこちょこ王様から連絡が来ては、趣味の釣りの話や防災について話をしたりと、何かと話相手になることが多い。実験中だとほとほと迷惑なのだが、エリサに出会うきっかけになったのもアルバニア様なので、今では本当に感謝している。
エリサは2歳年上で、明るく、話好きで、誰にでも屈託なく接する、ヒマワリのような女性だった。水産業と自然が溢れるセラティス領領主ミリアム様の3女で、アルバニア様とミリアム様が釣り仲間として親交が深く、彼らにくっついて過ごす中でアルバニア様に大変可愛がられることになったらしい。
7年前、アルバニア様と一緒に技術開発局に来たのが最初の出会いだった。つまらなそうにしているエリサを見て、アルバニア様が「何かおもしろいものはないのか?」と無茶なことを要求してきた。当時、研究していた資料として作った、砂漠が緑に覆われる再現ホログラムに虹をかける演出をして見せたところ、それが気に入ったらしく無邪気に喜んでいたのは印象的だった。その後も、食事を一緒にしたり、一緒に自然公園に行ったりし、つまらない研究の話ばかりしてたはずなのに、エリサは楽しそうに耳を傾けて聞いてくれた。出会ってから1年後に結婚し、その1年後にイリスが生まれた。
それから2年後。主領アラドの東側に接するセラティス領で大地震が起きた。マグニチュード8.9の規模で、沖合2kmの震源だった。震度は強いところで7を記録し、大津波も発生し被害は甚大だった。そして、そのとき、エリサも亡くなった。セラティス領はエリサが生まれ育った土地で、エリサの母が倒れたということで、実家に1人で帰ったときに発生したのだ。この国は地震が多い。それに対する設備や対策をしっかり整えたところで、自然の力は人知を超えているのだ。
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電話後、30分ほどしてアルバニア様と側近のレナさんがやってきた。
レナさんは10年以上もアルバニア様の側近をしている、現在37歳の厳しい女性だ。レナさんの父も祖父も王族に仕えてきたという話を以前、こっそりアルバニア様から聞いたことがある。
綺麗な金髪で、童顔なので若く見られるが、レナさん本人は甘く見られてしまうと嫌がっており、そのカモフラージュとして、ガッシリした黒縁眼鏡をかけていた。
アルバニア様は、天位を表すジャラジャラした階級章を左胸に飾り付けられた白いスーツで、レナさんは黒いスーツ姿だった。
「アニス、来たぞ。お。ユッドは相変わらず綺麗じゃのう」
「ふふ。ありがとうございます。アルバニア様」
ユッドは素敵な笑顔で答える。アニスも出迎える。
「どうも、アルバニア様。レナさんもお元気そうでなによりです」
「アニスさん、アルバニア様にはもっと敬意を持って……」
「おっと。足を運んでいただき恐悦至極であります。天位様」
「ええーい、鳥肌が立つわ。そんな話し方せんでくれ」
「もう……」
という、いつもの挨拶が終わり、接客用の机に案内する。ユッドに紅茶を用意してもらい、アルバニア様が座るのを待って、アニスたちも席に座る。
「で、どうじゃ。地震を防ぐ装置は」
「地震波反位相相殺装置ですよ。まぁ、予算さえ問題なければ、半年もあれば実用化できるかと」
「そんなに早くに実用化までいけるのか?」
「助手が優秀ですからね」
「確かにの。ユッドが来てから、おまえも随分変わったからの。以前のお前に戻った気がするぞ」
「あれから2年も経ってますからね……。少しは前向きにもなりますよ。イリスもいますし」
「イリスは元気にしとるか?」
「元気ですよ。今日も朝からたたき起こしてきましたからね」
「まったく。寝坊する癖は相変わらずなんじゃのー」
「局長になってからは、3回しか寝坊してないですよ」
「3回も、じゃ。局長がそれでは、下の者に示しがつかんじゃろうに」
「局内の相談室には、その手の相談は来てないようなので大丈夫ですよ」
「おまえというやつは。はぁ……」
と言いつつ、アルバニア様は安心したような溜め息をついた。
相談室にアニスの勤務態度に対する文句などは特になかったが、「王のごますり野郎!」「局長の椅子も嫁も、王から与えられたラッキーボーイ!」などの誹謗中傷の投書やメールの類は未だに多い。
以前、そのことがアルバニア様の耳に入り、技術開発局に乗り込んできたことがあった。『アニスよりも局長に相応しいと思う者は、直接わしが話を聞こう。局長室におるから、文句がある者も併せて今来るがよい!』と局全体が震え上がる中、アニスの20歳年上の副局長ガーラックが訪れた。そこで『アニス局長は責任者としての自覚が足りない』や『研究ばかりで職員への配慮に欠ける』などまったくその通りのことを王にご忠言した。これは今思えば、大した胆力だと感心する。
しかし、アルバニア様は副局長を一喝した。
「そなたがここにおるアニスよりも我が国、我が民にとっての革新的な技術を発案したことはあるのか!」
「いえ、あ、あの、私は主に調査が専門でして……」
「いいか。技術開発局は本来、世界で唯一と断言してもよい、人が生活できるこの大陸を人の知恵で守り、国民がより良く生活できるようにするのが役目なのだぞ! その組織の長は、みなに光を与える者でなければならんのじゃ! おまえはその光となれるのかぁ!!」
「いえ、あの、私は……」
しきりに額にかいた汗を拭き、しどろもどろになった小さな蛮勇は、そそくさと一礼して部屋を去った。
この出来事が起きて以降、表向きにアニスへの誹謗中傷は無くなったが、陰湿な誰とも特定できぬところでは、まだ歴史上最年少の局長への妬みが確かに存在しているのである。
アルバニア様は改めて姿勢を正し、アニスに威厳に富んだ視線を向ける。
「さて、最後におまえにお願いがあっての」
「……何ですか?」
「我が息子、ゼニスのことじゃ」
「ゼニス王に何かご懸念があるんですか?」
「うむ、ゼニスは兄を亡くしてから、どうも様子が変わってしまった気がするのじゃよ」
「カラレス様ですね。あれから1年ですか……。悲しい事故でした……」
「カラレスが王位を継承する直前の事故だったからの。ゼニスにそれが影響するのは仕方ないことなのじゃが、王であるもの、そんな弱音を吐いてはいかんのじゃ」
アルバニア様こそ、悲しみに打ちひしがれてるはずなのに、強い方だ。
「領主の方々からも、評判が良くないのだよ」
「そうですね……。それでは、今度の開発が、ゼニス王の見る目の変わるものにしないといけませんね」
「おい。おまえの技術開発は国民のためじゃろ?」
「王だって国民ですよ。国民も王も、全員が笑って過ごせるために、私の働きが少しでも役立てばと思ってるんですよ」
「ふん。つくづくお人良しじゃの」
「とはいえ、一番はイリスのためですけどね」
「……それでいいのじゃよ」
アルバニア王は笑って言いながら、席を立ち上がった。
「そんな国民のための実験を、これ以上邪魔するわけにはいかんの」
他の3人も即座に立ち上がる。
「アルバニア様のことを迷惑だなんて思ったことありませんよ?」
「嘘をつくな。仮にも天位に対して」
「そうです。アニスさんはもう少し敬意を……」
「あー、もー。レナさん、すいませんでした。敬意はちゃんともっていますから」
「その敬意を、言葉使いや態度でも示していただきたいところです」
「ふぉっふぉっふぉ。もうよい。では、そろそろお暇するとするかの」
「ではまた、アルバニア様。お体、大切にしてくださいね」
「おまえに心配されるほど、老いてはおらんわ」
と言い残し、笑いながら部屋を去っていった。
(自分のほうがよっぼどしんどいだろうに。わざわざ様子を見に来るのだから、あの人にはかなわないな……)
と思いをめぐらす。そして、目の前にいるユッドに顔を向ける。
「アルバニア様の言葉じゃないけど、ユッドが来てくれて本当に助かってるよ。ありがとう」
と鼻の頭を照れながら掻く姿に、ユッドは目を丸くした。そして、小さく囁く。
「マスター……」




