§ 3―2 胎動
2100年ごろから、地球温暖化の影響が顕著になり始めた。水位が上昇し、海抜の低い土地は海に沈んでいった。今では、昔、東京として栄えていた地域は海に沈み、世界的にも陸地は2000年ごろに比べ、70%程度になっている。それに伴い、人類が考え出したのが、海上都市だった。海中にしっかり固定された大きな柱を中心に、フロートパネルという巨大な大地を敷き詰め、その上に建物を建てた。津波対策に、海上都市の周辺には、柱に固定されている防波堤が、科学的根拠に基づき設置されている。海上都市は日本、イギリス、カリブ海、インド洋と4つあり、今なお多くの国で建造中である。
建早アダムは、海上都市トウキョウの自宅マンションに戻ってきていた。それからというもの、部屋から出ずロボットの修理を夢中に行っていた。
アダムはアメリカ留学中に、ロボット工学を熱心に取り組んでいた。宇宙を船で旅するには、工学の知識は不可欠であると考えていたのもあるが、手先が器用で、何かを作り上げるということが、彼の性に合っているからでもあった。その性根の部分も相まって、未知のロボットを直すことは楽しかった。
ロポットの背中の、2つの穴の周辺のパーツを丁寧に取り外していき、2つの穴が付けられたことによる、内部の損傷した部分を、補修したり、部品を代用したりして、元の状態に直していく。
「どういう仕組みをしてるんだ、これは。300年前に存在していたなんて、信じられない……」
そう驚きながらも、それでも、多少強引に手を進めていく。
穴の底に拳銃の弾丸を見つけたことで、2つの穴がある理由は分かったが、どういう状態で拳銃で撃たれたのかと、また、疑問が増えた。
修理し始めて5日目のことだった。損傷を受けた一番大きな配線を、質がいい銅線で接続し直したところで、ロボットの内部で、ウィィィィン、と何かが起動する音がした。
「反応した。よし」
と無精ひげを生やした顔が、ぱっと明るくなる。早速、ロボットの顔を覗き込むと、瞳に光が戻っており、こちらに気づいたのか、視線が動いていた。すっかり笑顔は消えていた。
「どうだ? 体は動かせるか?」
と、AIならこちらの問いに答えられるだろうと聞いてみる。しかし、必死にこちらを見ているままだ。伝えたいことがあるのに、しゃべれない。そんな感じに見える。
立ち上がり、どうしたものか……と彼女の前のベッドに腰掛ける。ふーん、と腕を組んで考えていると、今朝起きてから首にかけたままにしていたDVR端末(夢仮想空間機器。大きめなヘッドセットのような見た目)に着信が来た。ボタンを押して通話に出る。
「こんにちは、アキト様。少し様子が変わりましたね」
女性の声だ。誰だ? アキト様? 女性の声は続く。
「調子が悪いみたいで、声が出ないようなので、通話させていただきました」
何を言っているんだ。声は出てるじゃないか。と、目の前の彼女に視線をおとす。こちらを見て、わずかに微笑んでいるように見える。
「こちらを見てくださいましたね。顔色が悪いですが、まだ傷は痛むのですね。無理しないで身体を休めてくださいね」
目を丸くして、彼女を見つめる。まさか!
「まさか、きみなのか」
「そうです。メルです。アキト様」
アキト? そうか、手紙の主か。
「すまないが、おれはアキトではない」
「……」
彼女は静かにこちらを覗き込むように見ている。
「えっと、まず、今は2331年だ」
「……。そうですか。気づいたら300年近く、時間が進んでいたのですね」
「そうだ。驚くだろうが、あんたは銃で撃たれて機能が停止してたんだよ。それで、おれが修理して復旧したところだ」
「わかりました。修理していただきありがとうございます」
少しは状況が呑み込めたのだろう。
「おれは、建早アダム。お前の言う、建早アキトの子孫だと思う」
「……アダム様? アダム様なのですか」
「ん? ……あぁ、そうだ」
「アダム様なのですね……。確かに、アダム様です。長らくお待ちしておりました」
「いや、おれはおまえに会うのは初めてなんだが」
「どういうことでしょう?」
「おれのほうが、聞きたいのだが」
という感じで、また話が解からなくなってきたので、金庫で見つけた手紙を見せることにした。
「これがお前宛に書かれたもので、こっちが一緒にあったイヤリングだ」
濃いオレンジ色の宝石がついたイヤリングを彼女の前に掲げた。
「アキト様がこれを私に残してくれたのですね」
そう言うと、彼女は笑顔になった。
「そうだ。それに、お前が言うアダムと俺は別人だ。間違えるな」
「そうなんですね。わかりました。アダム様」
「解かってくれたなら、その『様』っていうのはやめろ」
「そういうわけにはいきません」
「そんな大した人間じゃないから、やめてくれ」
「ダメです」
彼女は笑っている。はぁー。と溜め息をつき、面倒なので諦める。
「あんた、名前は?」
「私は、イヴ・ナンバーズ・ヨッドギメルです」
ヨッドギメルって手紙に書いてあったが、イヴ・ナンバーズってのはなんだ? 製品番号とか、型番みたいなものなのだろうか?
「それでは、前の主人と同じで、メルって呼ぶことにしていいな?」
「イエス、マスター」
「いや、おれはおまえの主人ではないし、そんな言い方はよしてくれ」
「口癖なので、気になさらないでください」
はぁー。どうもペースを崩される。それにしても、ホントに流暢にしゃべるAIだ。定型文で返してるわけでもないし、どういうプログラムなんだ。
手紙の内容を思い出し、メルに聞いてみる。
「そういえば、手紙にあったが、メルは宇宙に行きたいのか?」
「そうです、アダム様。今は宇宙に行けるのですか?」
「あぁ、宇宙にも行けるし、月にも行ける。なんなら火星まで行けるぞ」
「木星には行けないのでしょうか?」
「木星? ん……。政府の調査船が何度か行っているはずだが」
「私の目的は、アダム様と木星の衛星イオに行くことなのです」
「おれと? 衛星イオだと? そこに何があるというのだ」
「イヴ様がお待ちしております」
衛星イオに人が住んでいるなんて記録は聞いていない。
「なぜ、おれを待っている?」
「それがイヴ様の望みだからです」
そこからは、どう聞いても、よく分からない返答が続いた。
♦ ♦ ♦ ♦
一緒にイオに行くという話は置いておいて、メルと会話をしながら、身体の修理をしていく。それから3日後、メルは元のように動けるように戻った。その合間、話をいろいろ聞いたところ、まず、ロボットではなくアンドロイドであること。イオからセルクイユという小型船で地球に来たこと。その小型船では、地球から大気圏を超えることができず、戻れないこと。拳銃の弾丸は、ご先祖様を守ったときに受けたものであること。イヤリングについていたインペリアルトパーズと呼ばれる宝石の石言葉は『友情・希望』であること。
話を聞くうちに、衛星イオで待つというイヴなる人物のことが気になるようになっていた。また、メルがご先祖様を守ってくれたことに恩義を感じてもいた。なにより、見たこともない宇宙に行くということに、好奇心を刺激されていた。
メルが動けるようになって、アンドロイドとはいえ裸なのは気になるので、アダムは自分の服を着させていたが、さすがにそれで外を歩かせるのもどうかと思い、オンラインで「好きな服を選んでくれ」と言うと、「アダム様がお好きなのを選んでください」と言われ、困った挙句、一番人気だという若者っぽい白のシャツに赤い短めのスカートに、黒いジャケット、動きやすいような白い靴、アンドロイドといえさすがにな、と思い、恥ずかしながら下着も選び、一通りのものを購入した。
そして、それが届いた日。次の仕事先であるスペース・エレベーター上階にある高軌道ステーションに荷物を送る準備をしていた。そこまで、とりあえずはメルを連れていき、自分もイオに行ってみたいという思いもあり、時間をかけて、その機会を探っていこうと思っていた。
そんなときである。
「アダム様、警戒してください。何者かがこの建物を取り囲んでいます」
突拍子もないことをメルが言い出す。慎重に2Fの窓から外を見ると、確かに人影が確認できる。アダムは冷静にメルに聞く。
「どうして解かった?」
「微弱ですが、今までになかった電波が受信できました。明らかにこの建物がターゲットです」
DVR端末に電話をかけれたのもそうだが、メルは電波を送受信できるらしい。
「敵の数は?」
「10人分の電波を受信できます」
悪い予感がする。自衛隊で不本意ながら名が売れてしまった自分を狙ってきているかもしれない。とりあえず、臨戦態勢をとる。最悪の状況を考える。
「メルはここにいろ。おれが様子を見てくる」
「いえ、アダム様。私もお連れください。相手の位置も解かりますし」
確かに複数人を相手にするなら、相手の位置情報が解かるのは、かなりのアドバンテージだ。
「わかった。おれから離れずに付いてくるんだ」
「イエス、マスター」
「それと、あの通話のときに使った機器を身に着けておいてください」
「どうしてだ?」
「離れていても、機器を通して会話できますので」
「なるほど。わかった」
DVR端末を首につけ、片手に部屋にあった木刀を持ち、ドアに向かう。
「よし、メル。ドアの目の前に来たら教えてくれ。そのタイミングで1人潰して先手を取る」
「それでは、その役目は私がやります」
「よし、ドアを開けたら、その後、おれが飛び出す。相手の場所は今どうなっている」
「2Fに上ってきているのが2人。玄関付近に2人。その外側、6人は建物を囲むように等間隔に1人ずつです」
相手はこちらを甘く見ているようだ。不意打ちだからしょうがないか。とはいえ、戦力分散は各個撃破の危険を招くことを教えてやる。
「来ます。ドアの前に1人。部屋に向かって左側に1人」
基本どおりだな。
「行きます」
というと、メルがドアを勢いよく開ける。
「ウッ!」
と声をあげ一人倒れる。その瞬間、アダムは飛び出し、メルが言っていたとおりに、ドアの脇に居た男に木刀を振り下ろす。
「グハッ」
拳銃だけ持ち、後はスーツで軽装だ。防弾チョッキを着てたとしても、頭ならダメージは与えられる。すぐ振り返り、最初のドアにぶつけられた男を見ると、メルが腹を蹴り、気を失わせていた。素早い。
「メル。マンションの玄関の反対側から出るぞ」
「イエス、マスター」
相手の拳銃を奪い、メルにも渡そうとする。
「メル。拳銃を使え」
「必要ありません」
言われて気づく。拳銃を使えるアンドロイドなんて、聞いたこともない。それなら持ってても仕方がない。緊急事態時は決断を迅速に行わなければならない。
「よし、おれがもう一丁も使う。行くぞ」
と言い、裸足で廊下を走り、階段がある奥まで音を殺して走る。
「入口の2人。外側の6人は、1人は玄関から、残りの5人は裏口に向かって迫ってきます」
「チッ。動きが速いな。階段を下りるぞ」
拳銃を構えながら音を立てずに急いで下りる。
「階段下りて、3時方向から来ます」
「助かる」
階段を降り、3時方向に物陰に半身を隠しながら拳銃を構え、3時方向にいる相手を確認したところで、銃を持つ右肩を狙い撃つ。銃声が鳴り、うめき声をあげ男は倒れ込む。
「次が来ます。裏側入口に向かって、左右同時に向かってきます」
相手の判断も組織的で、即座に反応してくる。
「アダム様。左側をお願いします。右側はお任せください」
「チッ! 頼んだ」
【対人制圧プログラム、起動します】
言い争ってる時間がない。同時に飛び出し、左を見ながら転がり、そのまま半身のまま銃を手に持つ男の右足を撃ち抜く。それを確認し、すぐに180度振り向き銃を構える。敵の発砲音は響いたが、メルはそれを素早く躱し、右ストレートで思いっきり男を吹っ飛ばしていた。その目は赤く輝いている。
「メル。大丈夫か?」
「問題ありません。マスター」
尋常じゃない速さだった。自衛隊の訓練でも、それだけの速さで動けるやつを知らない。
「このまま避難されますか?」
「いや、一般市民を巻き込めない。敵の動きは?」
「1F廊下を向かってくるのが3人。建物の表と裏に回ってそれぞれ1人ずつ来ます。」
「建物裏側のやつからやるぞ」
「イエス、マスター」
そう言い終わると、即座に建物裏側の角に移動し身を隠し様子を見る。確かに男が1人向かってくる。
「よし」
身体を最低限建物から出し、相手の足を撃ち抜く。
「いくぞ」
走りだし男のもとへ行く。倒れてうめいている男を気絶させ銃を奪い、そのまま玄関方向に向かう。
「メル。相手は?」
「合流して、4人建物裏口から出て、こちらに向かってきます」
「ふっ。戦力分散の愚が、身に染みて分かったみたいだな」
とはいえ時間をかければ、異常を感じた住民が通報し警察がすぐに来る。今や自衛隊でないおれが、拳銃を使ったとなれば、どんな言い訳をしても、罪を償わなければならなくなる。
「一気に制圧するしかない」
「危険です。アダム様。私にお任せください」
そう言うと、止める間もなく、メルは相手が来るほうに突っ込んでいく。
「チッ! まったく」
アダムは植え込みに身を隠しながら構え、先頭にいる男の右肩を撃ち抜き、一人倒れる。
その瞬間だった。メルは真ん中の男に低く突っ込み、下からアッパーで打ち上げる。両横の男が銃を向けると、右側の男の裏に回り込んでいた。動きが速すぎる。そのまま、左足で蹴り飛ばすと、もう一人の男にぶつかる。その瞬間に、ぶつかって倒れている、最後の男の顔面に右ストレートを振り下ろす。
【ミッションクリア。プログラム、解除します】
メルから赤い目の輝きが消えると、こちらを見て笑顔を見せる。
「これで大丈夫です、アダム様」
信じられない光景だった。ゆっくりメルに近づく。
「メル。きみは何者なんだ……」
「アダム様を守るのが私の任務です」
何を聞いても解からないだろう。それに今は時間がない。
とりあえず、足を撃った1人のところに行く。
「おい。おまえら何者だ。おれに何の用だ」
銃を構えて尋ねる。男は呻きながらこちらを向く。
「フッ……」
そう小さく笑い、隠し持っていた銃を自らの頭に向け、躊躇なく撃ち抜いた。同時に、他の場所でも銃声が聞こえた。気絶してるもの以外は、自決したのだろう。アダムは悲しい顔を不意に見せる。
「メル。最低限のものだけ持って、ここを出るぞ」
アダムは即座に理解していた。相手の迅速な組織的な行動。躊躇なく自決する覚悟。このような住宅街での奇襲は正規軍のものではない。大きな組織の裏の兵隊であろうことを。しかし、正規軍ではないのに、この組織力。かなり大きな組織だ。しばし身を隠し、相手を探る時間が必要であると判断していた。
「せっかく届いたお洋服、ちゃんと着ていきますね」
のんびり笑顔で言うメルに、緊張感を失う。
「わかった、わかった。とにかく、すぐに行くぞ」
「イエス、マスター」




