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妄想論

食事で例える創作論は苦しい面もある

作者: とびうお君

 なろうを食品にたとえる人は多い。だが私は致命的な違いがあると思っている。たとえ話に厳密な論理性を問うのは野暮じゃないか?いやこれが致命的だから問題なんだ。逆に全く否定するのも違う。例えば水源さんの


 「なろうでの人気ジャンルというのは、コンビニおにぎりの鮭とか梅、ツナマヨとか、中華まんの肉まんアンマン、カレーマン、ピザマンなどの定番の人気メニューと同じように、皆がそこそこおいしく感じるように研究され、最適化された結果、とりあえずこれを選んどけば大きく外れはないという安心感があると思うのですね。」


 これは正しいと思う。いわゆる最大公約数の好みと言えるものだと思う。この問題は逆にハンバーガーとコーラが一番うまいのか?と言う例えにもつながってる。同じコンビニおにぎりと条件を付けてその具材の違いで売り上げを見たときは全く問題がない。だがじゃ定番メニューの中で一番何が上手いんだ?とやるとおかしくなる。


 その理由は何か?でコスパを無視してるって点にある。ハンバーガーとコーラで抜けてるのはコスパを無視して世界一売れてるから世界一上手いんだって話は成り立たない。値段は比較的似たようなもので比較するのが正しい。倍違えばそれだけで全く違う商品だと思って良い。


 ただこの問題さらにややこしい問題がある。BD販売と配信ではどっちに価値があるんだ?となると、あまりに高すぎてコスパの概念が壊れてしまっている。コスパの概念が通用するのは映画のBD販売までだと思う。値段を払うだけの価値があるって言う高級な料理と同じ扱い。映画のBD販売は十分に一般的なコスパの考えが及ぶ範疇だと思う。


 意味が分からんと言う人に、100万を超えてくるような絵画とか一般の人ってそもそも車や家具のように購入を考えるだろうか?当然これは最低限の値段でそれ以上の話になる。そもそもコスパ考えるようなものじゃないし考える事すらない品物だとなる人が多いと思う。


 だがアニメのBD実際売れてるじゃないか?配信が無いときは2度と見れないって危機感が買わせた点があるかと思う。次に昔から歪みがあったのだがいつアニメ関係者が気が付いたか?分からないが、アイドルにお金をつぎ込むような感覚が一番金払いが良いと気が付いた。その究極の形がラブライブのライブチケット付きBDだろう。


 これアニメとして万人マニアが見て面白いと思う価値観なの?となる。まあこれは余談、この手の話は値段が近いもので比較しないと何の意味もない。


 じゃ同じおにぎりの具材だと最大公約数の好みを反映してるんだね?ならしてる面もあるがそこにも致命的問題がある。まずその前に、この話がマニア=コア層と大衆=ライト層の違いになってる。コスパを無視してジャンルとしての同一性だけ統一して、もっと美味しいおにぎりをとなってくるとマニアは違うものを選ぶかもしれない。


 米から違うかもしれない。それおかしいじゃない?値段の近いものだからね。元々この問題は異種格闘技のチャンピオンはあまり良くないって話になる。カレーとラーメンどっちが上手いのか?とか馬鹿馬鹿しいとなる。ただ決定的な差があればそれもなりたつ。数の違いが決定的なら多数決もありだと思うが僅差拮抗なら問う自体が馬鹿馬鹿しいとなる。


 ハンバーガーとコーラもそもそもこの問題をはらんでいる。ただハンバーガーとコーラは圧倒的売り上げがあるのでまあコスパの方が話が早いと思う。で元のインチキ臭い高級おにぎりに戻る。実際食べてそこまで差があるか?となると、ここにそれが分かるのがマニアだという話も絡んでいる。ちょっとトートロジーっぽいが根本が経験が絡んでいて言葉による説明が無理。


 ただ人気投票によるNO1はコア層の選ぶNO1とは違うかもしれない。って話もコスパを無視して食べ物を例えるものに関わっていと見ている。基本金持ちが最終決定をするのだが一般的にはコスパの概念が働かない絵画の値段も決めるのは金持ちじゃない。コアな専門家たちによって決められる。なんでも鑑定団が分かりやすいと思う。


 基本的には法外な値段なのは、希少価値が大きい。版画などで複数ある場合はきちんと価値が下がる作品が多い。金は魅力的だが、金が最高の金属の魅力か?と言うと不変性以外は希少性がかなりの大きな価値だと見ている。


 今回は問題点を軸に話してるが、世界一上手い食べ物だから世界一売れてるものだって話のおかしさにも突っ込んでるので、すべてが食べ物で例えるのがおかしいわけじゃない。間違いなく参考にはなるが、致命的な問題が大きすぎるので例えるよりそのまま言語で説明した方が早いと私は思ってる…。


 後は一部の説明に限定的に使うかね。正しい部分があるのは間違いないのだから。


 2つ目の問題に移ろうと思う。食べ物は繰り返し同じものを食べられるが、創作は同じものをずっと見続けた場合食べ物ほどの価値はない。ツナマヨをなろうで食べたいなら、前読んだ作品をそのまま見ればいい。ここが決定的に違う。初見殺しと言う言葉があるが、あれに近い。創作においてリピーターはない。


 その代わり疑似リピーターとしてジャンルタグが存在するのだと知ってほしい。本来未知であるはずの創作が読む前からある程度自分の好みであるのが分かってるとする。だがあくまでそれは疑似的なものにすぎない。


 未知のものを楽しむ人たちや、多様なものを楽しむ人たちと綺麗に分離できないのがかなりの問題でその原因が所詮疑似にすぎないって点。この疑似にすぎないのが、本来のツナマヨファンすら敵に回してる部分があるというわけだ。


 人気のおにぎりの具材は100%に近く再現度の高い同じツナマヨを食べたリピーターたちが支えてるもので、初見で上手かった結果を集計してるわけじゃない。


 疑似についてツナマヨに近く楽しむのはあり得ないんだ。だって多分細部の違いをわざと楽しんでるから。ストーリーすら固定されるザマァが人気になるのは過程やキャラが違うからだ。同じものなら過去の初見で気に入った作品を何度も見ればいい。


 この差は無視できない。何故なら疑似は劣化品を楽しんでるわけじゃないんだ。違う事が必要とされる部分も楽しんでるからだ。正直に言えば複雑すぎて本当にこれツナマヨの疑似としてみてい良いのか?と疑問になる部分がある。


 そこで私はなろうはもう1つの視点があると見てるんだ。目的とするジャンルを選んでる人ばかりじゃなくて、消去法で駄目そうなのを避けてる選択もかなり占めるだろうと見ている。


 なろうは読者全体の最大公約数の好みを示してると言えるか?


 次にこの問題で扱われることで最高点が選ばれてるのか?もある。ツナマヨは繰り返しに耐えうるけど、たまに食べるならこっちの方が上手いってのがあるかもしれない。これに疑似を選択してるが絡むとこうなる。なろうの人気ジャンルを選んでおけば無難だが、実際たまにしかあたらないがそれ以外の方が実は面白いんだよなと。


 ツナマヨの選択には確立がない再現度100%近い感情が得られるからだ。細部が違う事を求められる作品はとてもじゃないが100%はありえない。この確率の概念が致命的な違いになってる。


 何故目的に向かう積極性だけじゃなくて、消極的な消去法的選択が同等に扱われるか?がここにある。ツナマヨと言う定番に対する感情を得るのに確率が強く絡んでいるから。


 そして私が前回書いた話が繋がってくる。読者全体で100%自分の好みが反映された結果には程遠い。今あるランキングの結果は最大公約数の好みのかなり怪しげな近似値にすぎない。


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