9
暗い石造りの廊下を、手探りで歩く。
聞こえるのはときおりピチョンと跳ねる水の音と、自分の吐息だけ。
蝙蝠でも出てくるのではないかという不気味さと、誰かに見つかったらどうしようかと思い、アーチェリーケースから取り出して組み立てた弓を左手に抱きなおす。
(ここ、どこよ……)
うねうねと曲がる廊下をずっと歩きつづけ、三半規管はもう狂っている。
自分がどこから来ているのかわからず、もしかしたら何度も同じ道を通っているのではないかとも錯覚してしまう。
(なんか心なしか寒いし)
ひんやりと冷たい石に触れつづけている右手も冷たい。
ひたひたと歩いていると、行き止まりに突き当たった。
「そんなぁ」
ここまで来たのに、引き返さなければならないのだろうか。
「もしかして、右側の道だったのかな……」
よく見えず、石の壁に手を当てておでこをこつんと当てる。緊張でのぼせたのか、ぐらぐらと熱い頭に冷たい石が気持ちいい。
「〜〜っ……っ」
「ん?」
人の声が聞こえる。とてもとてもかすかで、何と言っているのかわからないが、男の人の声だ。
石の壁に耳を当ててみる。少し声が大きくなったような気がする。
(この、奥かなぁ……)
向こう側は外なのだろうか。それとも、実はここは隠し扉で、どこか石の一つでも押せればガコンと向こう側に行けるのだろうか。
少しだけ慣れてきた目で、石壁のあちこちをさわる。
ふと、左手に何かが当たった。
「木?」
感触からして木だろうか。木が、石壁に縦に嵌っている。
「取っ手だ」
ならば、引くか押すかをしたら開くのではないだろうか。
(もしかして、この奥が牢屋なのかな)
こんな奥にあるのだ。間違いないと思い、思いっきり扉を引いた――が、扉はびくともしない。
「なんでぇ? 取っ手があるってことは、引くものじゃないの?」
逡巡して、いや。と呟く。
「ここは王子とか魔法とかが跋扈する世界よ。押してなにが悪いの」
よし。と、意を決して取っ手を思いっきり押した。
すると、取っ手が石壁にはまり込み、そのまま大きく倒れた。
「え? うわっきゃぁ!」
石に乗るように倒れると、光のある場所に出た。
「いたたたた……」
ざわざわと声が聞こえる。やっと牢屋に出られたのだろうか。
むくりと起き上がってみると、両壁には檻がはめ込まれ、その奥に沢山の人が居た。
そして顔を上げると、有希のすぐそばにイシスと、そして離れたところに、兵に捕まっているルカの姿があった。ルカは驚いた顔で有希を見ている。
「え……え?」
何が起きているのだろうと茫然としていると、イシスに抱え上げられた。開いたアーチェリーケースから、矢がぽろぽろと落ちた。
「うわぁ!」
「飛んで火に入る――とはよく言いましたね。ルカート様」
腰がつかまって、片手で脇に抱えられる状態になる。
「残念でしたねぇ。彼女がいなくなったのに私がとても早く気づいてしまって」
恍惚とした声が聞こえてくる。
(え? なに? あたし捕まったんだ? でも、なんであの人も捕まってんのよ)
イシスがくつくつと気持ち悪く笑う。
(もしかして……捕虜の解放しようと思って捕まったのかな……それってヤバくない?)
頭がパニックを起こす。
「……ということで、彼女も、捕虜も、ルカート様も私のもの。ということでよろしいですねぇ?」
(え? あたしが私のものってどういうこと? つまりそういうこと? え、そういうことされちゃうってコトおぉ?)
イシスのいいようにされる自分を思って、絶望的な気分になる。
(イヤっそれだけは嫌だ!――何か、何かあたしにできることは。あたしにできることはないの?)
考えがごろごろ回るが、いずれも空回りするようなことしか思い浮かばない。じたばた動くと、長いスカートとマントが邪魔で、思うように動けない。
(あぁもう、こんなカッコじゃ逃げるに逃げられないじゃない!)
ふと、何でこんな格好をする羽目になったかのいきさつを思い出した。
――幼女が実は魔女だったらしくてな……酷い返り討ちにあったらしい。
――お前は知らぬかもしれんが、この世界にはな、『伝説の魔女』と呼ばれる存在があってな。彼女の風貌が、十歳前後の容貌で、そして紫の瞳をしているということで有名なんだ。
不思議と辺りがしんとしているような気がした。
(そうか――この人は、きっと伝説の魔女に会ってるんだ。そして――酷い仕打ちを受けた)
すぅっと、自分がどうするべきかを理解した。
(あたしに、できるだろうか。いや、やんなきゃ)
ひとつ、大きく深呼吸をして、そしてくつくつと笑いだした。
「ふっふっふっふ………ぁあーっはっはっは」
けたけたと笑い出した有希に、イシスはもちろん、ルカも有希を見た。
「飛んで火に入る夏の虫……あなたが手に入れたのは、虫じゃないかもしれないわね。――魔女だったりして」
弓を掴んだ左手で顔もとのマントを剥いで、にんまりとイシスを睨みつけると、ぎょっとしたイシスは有希を地面に落とした。
さっと矢を一本掴んで、そのままマントを全て剥ぎ取る。
(ファーストコンタクトはオッケーだ。大丈夫。騙せる! 騙してみせる!)
ばくばくと破裂してしまいそうな心臓に「大丈夫」と言い聞かせて、有希は意地悪く笑う。
「おひさしぶり〜〜。何年ぶりかしらね、イシスちゃん」
ひっ。と息をつめたイシスが飛び退く。
「お、お、おおおまえは誰だ!」
「あァらやだぁ。イシスちゃんったらアタシのこと忘れちゃったの? この紫の瞳に、見覚えなぁい?」
「むらさ…っ」
「思い出した? ひどいわぁ。あんなに沢山遊んであげたのに」
「あそっ……あれはっあれのせいで、あれのせいで私はこの体のままなんだぞ!」
(この体のまま?)
どういうことだろう。――魔女は魔法みたいなものを使えると聞いた。もしかしたら、その類なのだろうか。
「いぃじゃない。可愛らしくて。アタシは好きだけどなぁ」
(あの人なら、知ってるかな)
振り返ると、ルカが不敵な笑みを浮かべている。有希の芝居の意図を理解してくれたのだろうか。
「ねぇ――ルカ、ぴょん。可愛らしいと思わない?」
一瞬目をひそめたルカが、あの猫かぶりの笑顔を向ける。
「えぇ、是非その帽子の下の姿を見たいですねぇ」
ルカがそういうと、「ヒィ」と言って帽子を必死に抑えるイシスがいる。まるでいじめっ子を恐がるようなそのしぐさに、少しだけ罪悪感と、ちょっとの爽快感が沸く。
(帽子をとればわかるってこと?)
イシスの身長は有希より断然高い。しかもおののいてあとずさってしまったイシスに、有希は帽子を取る術がない。
悔しくてぎゅっと拳を握ると、弓を持ったままだったことを思い出した。
(そうだ。これで――)
有希は弓を構えた。必死に絞って標的を合わせる。
(的が大きいから、いける)
「じゃぁ、とっちゃおっか」
言って、矢を放つ。矢はしゃがむイシスよりも早く帽子を射てそのまま壁にぶつかる。
イシスからは、狐のような黄金色の耳が生えていた。
「……」
「……」
ルカも有希も、ルカを捕まえている兵士さえも絶句した。
イシスは泣き叫びながら耳を隠そうとおさえている。
「っぷはははははは。かーわいー」
「あ、ああのあと、大変だったんだ! 他の魔女を捕まえて見させても、狐になる進行を抑制することはできても、お前じゃなければ治せないといわれて! お前を探し回っても見つからないし!」
(……やっぱり、この口ぶりは伝説の魔女だ)
「あぁら。そんなに可愛いのに不満なの?ねちっこくて嫌味ったらしい姿より狐の方がぜんぜん可愛らしいと思うんだけど」
「い、いいから早く治せ!」
ふふ、と微笑んでいたのを、一瞬で真顔に戻す。イシスがぎくりと固まった。
「…………人にモノを頼む態度って、それが正しいのかしら」
冷ややかに言うと、うぐっとイシスが息を飲み込んだ。
「アタシの事荷物みたいに抱えるしさぁ、アタシのかわいいルカぴょんにあぁいう仕打ちしてるしぃ? それでアタシに『治してくださぁ〜い』って。おかしくなぁい〜?」
まずルカぴょんの事放してよね。そういうと、イシスは「は、はなしてやれ」と兵士に命じた。兵士は戸惑いながらもルカを放した。
「さ、さぁ、放したぞ。私を元の姿に戻してくれ!」
(そんな事言われてもなぁ)
自分では治す事ができない。なら――徹底的に叩いてしまおう。
イシスに歩み寄り、途中、矢をもう一本拾う。
――いざとなれば、囮などを立てて牢を開けてしまえばいい。
ルカの言った言葉が頭をよぎる。いざと言うときは今なのかなぁと、ぼんやりと考える。そして、ゆったりと矢を構えて、言った。
「そこの兵士サァン。ちょっと、この人殺されたくなかったら牢屋空けてくれる?」
「う、うそつきめぇええ!」
「嘘なんてついてないわ。ただチョットお願いしてるだけ。この矢ね、矢先がないけどイシスちゃんの頭くらい簡単に貫通しちゃうわよ」
アーチェリー用の矢を、さも特別仕様というような口ぶりで騙す。恐怖におののいたイシスが叫ぶ。
「あああああけろ!あけろって!何をしているんだ!」
イシスが矢から逃れようと後ずさる。一定の距離を保ちつつ、有希もイシスに歩みを進める。
困惑していた兵士二人が、威勢の良い声をあげて牢を開けた。
牢が開くと、中から出てきた人々に捕まり、兵士はそのまま床に倒れた。その上にも捕虜の人々が乗って身動きを取れなくしている。
その姿を見て取り、有希はイシスににっこりと笑って言った。
「ねぇイシスちゃん。元の姿に戻りたいのなら――投降しよっか?」