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早く。もっと早く。
この世界に電車があれば。飛行機があれば。
そう願いながら、地を駆ける馬の手綱をしっかりと握り締める。
馬も疲弊しているようで、息がとても荒い。
(ごめんね、でも急がなきゃ)
足にぎゅっと力を込める。何時間も同じ体勢で、気を抜くと体から力が抜けて飛ばされてしまいそうだった。
『あの軍人に聞いたんだがな、お前さんが探している第四王子のルカートだがな、ずっと寝っぱなしなんだそうだ』
『寝っぱな……って、どうしてなの!?』
『さてな。医者もお手上げ状態らしいな。魔女の呪いだかなんだかっていう噂らしいが』
『何でも、長いこと寝っぱなしだから大分衰弱しているという話だ』
『っ!!』
『そりゃぁメシも食わんで長生きできないだろうからな。むしろここまで生きている事が奇跡だろうよ』
『――ヴィーゴさん』
『十日だ』
『え?』
「十日の間で、ルカを連れて戻ってくる」
自分に言い聞かせるように呟いた。
昔フォルに来たとき、アドルンド城から一週間弱かかった。
しかしあの時は馬車での移動。有希の記憶が正しければ、徒歩の人間も居た。
(馬で行けば、半分で行ける)
行きと帰りで六日。残り四日でルカを見つけ出し、そして連れて出なければならない。
(ううん、もしかしたら帰りはもっと時間が掛かるかもしれない)
そうしたら四日もないではないか。
(急がなきゃ)
馬は派手に足音を立てて駆け抜ける。
寝る間を取らず、数十分の休息を取るだけ。そうやって走ると、二日後の夜にはアドルンドに辿り着いた。
時間が遅くて宿が取れなかったこと。そしてあまりにも疲弊していた事。
有希はアドルンドについた直後、野宿を決め込んで近くの林に馬を繋いで寝てしまった。
そして明朝、少し離れた所に繋いでいた馬がすっかり姿を消していた。
「……うそ」
前身が筋肉痛でよたよたと歩く。絶望的な気持ちで馬の居た場所を眺めている。
(どうやって帰ればいいのよ)
悪態を尽きたいのは昨日の自分にだ。
(疲れてたからって、ちゃんと宿屋を探せばよかった)
馬は買うといくらになるのだろうか。手持ちの路銀だけで足りるかと逡巡して、ありえないと鼻で笑った。到底足りない。
ならば馬車で向かうとなると、どれほど時間が掛かるのだろうか。
考えれば考えるほど、途方に暮れてしまう。
「……しょうがない」
そんな一言では片付けられないが、もう失ってしまったのだからどうしようもないではないかと開き直る。
「こうなったら! ルカに頼んで馬の一頭や二頭出してもらおうじゃない! いいよね、ルカ王子様だし!」
そう叫んで、無理やり自分を奮起させる。
「むしろ荷物を取られなかったことの方がありがたいじゃない! ――さて! どうしようか!」
荷物を持って、思いっきり立ち上がる。わざとらしく考えるポーズを取る。
「……とりあえず、あのラッドさんがルカの居場所を知ってるってことは、王宮だよね! 王宮で寝っぱなしだなんて、いばら姫みたい!」
大げさにくすくすと笑う。笑い終えると霞みかかった林はしんとしていて、酷く寂しかった。
「ホント、なに寝てるのよ」
(普通、逆じゃない)
鬱々した気持ちを払拭するために八つ当たりをして、そして大きく深呼吸した。
「――目指すは、お城」
ぎゅっと手を握り締めて、視界の奥に見える高い城を睨みつけた。
有希がアドルンド王都にやってきてから二日。フォルを出てから五日が経っていた。
「わかってたけどさ……」
王都ならではだろう、呆れるほど大きな噴水の縁に座って、がっくりとうな垂れた。
「門前払いどころか、シカトはないよ」
十日熱が蔓延している事と戦争でだろう。町の活気がいつか見た王都とは雲泥の差だ。とても人々は暗い。
歩いている人々はちらちらと有希を見ては、そそくさと退散する。あるいは憐憫の顔を浮かべる。
麻袋一つしか持っていない、いかにも流れ者の有希を、ここは歓迎していないのだ。
(あの門兵も、あたしが救護を求めたと思ってるのかな……)
かといって、ルカに会いたいと言ったところで、何ら進展がない事もわかっている。
「はぁあ~~~」
大仰にため息を吐く。そうやって発散しなければ、自分の中に不安が溜まってどうしようもなくなりそうだった。
「あぁもう! なんなのよ王子って! そんなに偉いの!? あんの最っ低オニーサマまでああやって守られて庇護されてさ」
ぎろりと城を睨みつける。
「本当に、なんなのよ……」
きゅうと胸が締め付けられる。
今は見えない、そこにある筈の傷が火傷のようにチリリと痛む。
痛みに堪えるように、眉根を寄せて胸を押さえる。
(なんなのよ)
呼吸も苦しくなってきて、息が荒くなる。
落ち着かせようと幾度か深呼吸を繰り返していると、それはやってきた。
(あ、また)
首の後ろが冷えてゆく感覚。このところお馴染みになってしまった貧血の症状。
顔から血の気が引いていくのが分かる。それと同時に思考が回らなくなる。
体の器官が狂ったかのように、町中の雑踏が大音量で聞こえる。そして白んでいく視界。
(今倒れちゃだめ)
必死に自分にそう言い聞かせ、頭を抱え込んで目を閉じる。
ぐらぐらと揺れる世界。自分自身が揺れているのか、世界が揺れているのか。今どこに座っているのか。全てわからなくなる。
(なんなのよ)
おかしくなってゆく自分の体。どこか悪いのではないかという不安が拭えない。
リフェノーティスの小屋近くの孤児院で倒れて以来。そしてフォルを発つ直前に倒れたこと以外、ヴィーゴもセレナも有希の不調を知らないはずだ。
医者が目の前に居るのだから言えばいいのにと思ったが、それで旅を続けられなくなるのがなによりも嫌だった。
(……こわいよ)
目に見えない真綿に首を絞められているような不安と息苦しさが、いつまでも有希を苛み続けた。
そして意識は薄らいでゆき、有希は意識を手放した。