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紫の瞳  作者: yohna
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 貧血からの覚醒はいつも唐突にやってくる。

  失っていたもろもろの感覚が、突然戻ってくるのだ。

  そしてそのあまりの唐突さに戸惑い、状況もわからずきょとんとしてしまう。

「あれ?」

  有希はいつのまにか、自分がベッドに横になっている事に気付く。

  ぱっちりと目を開くと、どこかの部屋の天井が見える。

  むくりと起き上がって、何があったのかと逡巡する。

(あたし、あの後……)

  貧血を起こした所までは覚えている。

(あれ?)

  酷く苦しかったが、その記憶が無い。

「ユーキちゃん、洗濯場で倒れてたのよ?」

「え?」

  ベッドサイドに、セレナが座っていた。

「それにしても第一声が『アレ?』っていうのもどうかと思うわぁ。さっきまでヴィーゴが居たんだけど、ユーキちゃん。過労だって」

(過労……)

  どこか過労というものに現実味が無く、有希はぼそりと呟いた。

「まぁ、働きすぎもあるんだろうけど、原因の一端はヴィーゴにもあるのに。他人事よねぇ」

  セレナはよしよしと有希の頭を撫でている。

「? 原因がヴィーゴさんにもあるって、どういうこと?」

「んー、ヴィーゴがユーキちゃんを働かせてばーっかりだっていうこと?」

「え? だってそれは、あたしが自分でワガママ言ったんだから関係ないよ!」

  自分が我儘を言って、フォルに逗留してもらっている。ヴィーゴにも王都に行く用事があると知っていながら、有希は自分の都合で無理な事を言ったのだ。だからその分頑張らないといけないと自分に言い聞かせていた。

「……あぁもう。いじらしいなぁ」

  そう言って何度も何度も有希の頭を撫でる。頭を撫でられるのが心地よく、うっかり顔が緩む。

「ユーキちゃんの騎士に会うために、本当は王都に行きたくて行きたくて仕方がないんでしょ?」

  何気なく発された言葉に、有希の緩んでいた頬がこわばる。

(それを、言わないで)

  ずっと自分に言い聞かせている。考えてはいけないと。

  考えれば考えるほど、一刻も早く王都に行きたくなる。

  有希に笑いかけてくれる患者や、有希にとてもよくしてくれる兵士たちを放り投げて、今すぐ飛んで行きたくなる。

  牢のような場所に閉じ込められていたルカ。いつまでも動向がわからないルカ。眠りっぱなしだというルカ。

(考えさせないで)

  心が不安で押しつぶされてしまいそうで。気が気でなくなってしまいそうで。

「行けばいいじゃない」

「……そんなこと、できないよ」

  ぎゅっと布団を握り締める。止めようとしても、拳は震えてしまう。

(そんなこと、できない)

  子供の姿で、実際に何も知らない子供で。何の為にこの世界に来ているのかもわからない。自分が何者なのかもわからない。住む場所も無ければ帰る場所もない。

  そんな何も持っていない有希に全幅の信頼を置いてくれている患者、そして兵士達。

  ――そして何よりも、恐かった。

  あれから何ヶ月経っただろう。

  その間に、彼等はもう有希のことを忘れてしまっているかもしれない。有希のことなんて考える暇ないかもしれない。

  今更のこのこと王都を訪れて、もし門前で払われてしまったら。有希なんてどうでもいいと言われてしまったら。

  そう考えると恐くて動けなかった。

(言い訳ばっかりで、最低だ……)

  いろんな人の為だと言っておきながら、結局は自分の為ではないか。

  そう気付くと、自分が最低な人間になったようで、苦々しい気分になった。

「行けばいいのに」

  セレナはもう一度言葉を続ける。有希はうな垂れて首を振った。

(会いたい。けど、会いたくない)

  ため息が聞こえた。困ったような。伺うような空気が流れている。

「ヴィーゴがね。頑張ってるユーキちゃんに話があるんだって。…………そろそろ、来るはずよ」

  セレナの声がとても優しい。有希の頭を撫でつづけるその手も優しくて、その優しさに甘えてしまっている自分がまた嫌になった。

「今まで騎士に会うために一生懸命だったのに、ユーキちゃんが急にそうなったのか私には見当もつかないわ。――でも、ユーキちゃんが騎士のためにずっとずっと頑張ってきたの知ってる。ヴィーゴだって知ってる。……だから、ユーキちゃんは胸を張って騎士に会いに行けばいいのよ」

  まるで有希の思考を読み取ったかのようにセレナが告げる。有希は驚いて顔を上げる。

「あたし……頑張ってなんかないよ」

「そんな事ないわよ」

  宥めるように頭が撫でられる。

「いつも、自分のことしか考えてなかったよ」

  その呟きは、開かれた扉の音に掻き消えた。


 

  セレナは有希が馬に乗って、フォル城を降りていくのを見送り、後方で立ったままの主を見る。

「ユーキちゃん、最後は慌てて出て行っちゃったわね。――ヴィーゴのお陰かしら」

  笑いかけると、ヴィーゴは眉間にシワをよせて唸った。

「ユーキちゃんの騎士もワケアリなのね。――もう何ヶ月も眠ったままだなんて、本当に呪いにでも掛かってるのかしら」

  おどけて言ってみせても、ヴィーゴは小難しい顔をしたままだ。

「なぁに? もしかして自己嫌悪?」

  からかうように言うと、図星だったのかヴィーゴがセレナを見る。

  ヴィーゴは有希に十日だけ時間を与えた。

『十日だけだ』

『え?』

『十日だけ待っていてやる。その間に騎士を連れ戻して来い』

『――っうん!』

  そして有希はばたばたと出て行ってしまった。

「十日が限界なんだ」

  もっさりと濃くなった髭を撫でている。

「最低だと言ってくれてかまわない。……」

(あらあら)

「どれだけ考えても、十日が限界だ。――いや、嬢ちゃんがもし遅れたりなんぞした時を考えると、それ以上の日数を言えなかった」

  ヴィーゴはうな垂れて、組んだ両手に視線を落としている。

「いくら薬があると言っても、嬢ちゃんの力がなきゃ患者の全員を救えない。――今ここで嬢ちゃんがいなくなったら、十日熱に感染した人間が死ぬかもしれん」

  ヴィーゴは自嘲の笑みを浮かべる。

「俺は医者だ。患者を救うこと以外考えられん。――嬢ちゃんの寿命が縮まるかもしれないとわかっていて、俺はあの子を使ってるんだ――たとえそれが、リビドム王女だとしてもだ。たとえ王女だとしても、俺は一人の人間を救うために道具のように使う」

  ヴィーゴが淡々と話している。ただ単に吐き出したいのか。それとも懺悔なのか。セレナにはわからなかったし、どうでも良いことだった。

「関わらずに居たかった。関わってしまったら治さずにはいられない。――コレが医者の性なのかもしれんな。……そもそも、俺には彼女を此処に引き止めておく義理も、日数を指定して王都まで行かせる義理もないのにな。リフェノーティスやガリアン様に頼まれておきながら、このザマだ」

  ハッと笑う声が虚しく響く。

「……嬢ちゃんの能力の事、身分の事について、何も言わんでくれて助かった。……俺を、軽蔑したか?」

  ヴィーゴはどこも見ないまま、吐き捨てた。

(ずるい男)

  セレナが傷つけるような言葉を言うとでも思っているのだろうか。視線はセレナと絡まない。

(ほんとうに、ずるい男)

  こんな風に弱音を吐かれて、胸が締め付けられない女が居るとでも思っているのだろうか。あるいは全て計算の上での事だろうか。

(まさか、ヴィーゴにはそんな事できない)

  そんな事できないと分かっているからこそ更に胸の奥が疼く。

  誰にも言えない、自分の中で溜め込む事しかできない澱を、こうしてセレナには吐き出している。

  消沈している姿に、ふと笑みがこぼれる。こぼれただけでは足らず、笑い声まで洩れる。

「私は、貴方の騎士よ」

  笑い声を不審に思ったのか、ヴィーゴがちらとセレナを見た。

「一応意見は言うけど、貴方の意見を否定しないし、貴方の指示を拒否する気もないわ」

  ぴくりとも動こうとしないヴィーゴに、セレナは続ける。

「ユーキちゃんは好きよ? カーン様そっくりで素直だし健気だし優しいし。大好き」

  部屋がしんと静まり返っている。どんよりと冷たい部屋の中で、有希が寝ていたベッドだけにぬくもりがあるような気がする。

「大好きだけど、それはどうでもいいことなのよ。もしヴィーゴの所為でユーキちゃんが死んじゃうような事になっても私はヴィーゴを責めないわ。たとえユーキちゃんが本当に王女様だったとしてもね」

「……酷い話だな」

「そうかしら? 騎士と主人なんてそういうものじゃない? だって私は、貴方の剣であり、盾でもある」

  ヴィーゴが顔を上げ、ちらとセレナを見る。絡んだ視線にセレナは微笑んだ。

「――そして主の命には絶対服従する、犬よ」

  ヴィーゴは目を見開いて、そしてまた伏せた。

(狂犬……か)

  自分から犬という言葉を発したのは久方ぶりだった。

  セレナは犬と呼ばれる事は嫌いではなかった。むしろ昔は誇らしい気持ちになるものだった。

(いつからかしら)

  いつから犬という言葉に色々な意味が込められるようになっただろうか。いつから犬と呼ばれる事が嫌になったのだろうか。

  しばらく思案し、考えても詮無い事だと切り捨てた。

  少しだけ傾いた日が、橙の明りを入れる。その光は、部屋に居る二人にはなにも与えず、ただ視界にはいるベッドにだけ注いでいるような気がしてならなかった。

「……私は、忠犬だわ」

  誰に言い訳するでもなく、呟いた。

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