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「えっと、コレ。洗濯お願いしたいので、洗濯場に持っていってください」
「ハイ!」
「あと、そろそろ食事の時間なので、終わったら手伝うようにお願いします」
「ハイ!」
「それから、貯蔵庫の残量と、今後の献立も出しておいてください」
「ハイ!」
「できれば、みなさんからもう少し多く野菜と穀物いただけるようにお願いもしてください。もし難しかったら……また考えるから」
「ハイ!」
有希はそれから一週間。フォル城を駆けずり回っていた。
ヴィーゴと行った約束は「フォル城の人間は有希が仕切ること」「患者の薬は必ず有希が投薬する事」だった。
朝から晩まで走り回り、全ての仕事が終わると事切れたようにベッドに倒れこむ。そんな生活を行っていた。
フォル城にやってきた十日熱患者はゆうに百人を越え、それからフォル城はてんやわんやとしていた。
兵士達は有希とともに駆けずり回り、そしてコロナ達家族も、もう十日熱に掛からないからという理由で手伝いを買って出てくれていた。
「すっかり板に付いたわねぇ」
食事の後は薬の時間だとバタバタしていると、セレナがどこかの部屋からひょっこり顔を出している。
「セレナ! 今暇? 暇なら薬運ぶの手伝って!」
「……すっかり人使い荒くなっちゃって」
お姉さん悲しい。と嘘泣きをするセレナを無視して、先行ってるからと走る。
「あ、ユーキ様、そろそろ投薬の時間で……」
「うん! あ、ありがとう! 持って来てくれたの? ――じゃぁ、この部屋の端から……セレナぁ!」
「はぁーい!」
大声で叫ぶと、セレナが小走りで病室に入る。部屋には所狭しとベッドが置かれ、中には八人ほどの人が居る。それぞれ、ベッドの間にパーテーションのようなもので区切り、まるで日本の大人数部屋の病室のようだ。
有希はそのベッド一つ一つに寄り、用意してもらった薬を与える。一言二言会話をして、患者に笑みかける。
「かさぶた、取れてきましたね」
「どこか痛いところとか苦しいところとかないですか?」
「ヴィーゴさんに完治宣言もらえたら、お家戻っていいから、それまで頑張りましょうね」
次々に声を掛けて、全ての部屋を回る。
全ての部屋を回り終わると、今度は洗濯やら後片付けが待っている。
「ユーキちゃん、今日くらいは片付けお休みしたら? いい加減疲れてるでしょ」
「ううん。大丈夫! まだまだイケるよ!」
右手を上げてガッツポーズを見せ、またバタバタと走り出した。
セレナはため息を吐いたが、有希がそれを見ることは無かった。
「――ホント、わっかりやすいくらいに無理しちゃって」
有希はこめかみから汗が流れるのを感じて、腕で拭う。
ふぅと息を吐いて見回すと、沢山あった洗濯物が、今洗っている分で最後なのだと気付く。
アリドルの洗濯は、洗濯場という場所があって、そこは幼児用のプールのような形をしている。有希の足首あたりまで水が入るようになっている。
そこに水と洗剤を入れ、裸足で洗濯物を踏んで汚れを落とすらしい。
そして、その周りに洗濯物を干す場所があり、その建物は洗濯場を囲うように半円を描いている。
干し場の屋根は半分以上洗濯場に傾いている。それは雨水が沢山入るようにということらしい。
フォルには泉が少なく、フォル城からは遠いので、雨の降った翌日の晴れの日が、絶好の洗濯日和だった。
「うん、みんな綺麗になった」
兵士によって運ばれ、次々と干されていくシーツや衣服を見て、満足気に笑む。
「さて! 水抜いたら掃除して、食事の準備しよっか」
辺りにいる兵士に笑みかける。
「ユーキ様、水を抜いたら明日洗濯ができなくなりますが……いいのですか?」
「うん。一日二日はいいかもしれないけど、洗濯水使いまわすのは清潔じゃないし。それなら、多少みんなに迷惑掛けても泉から持ってきた方がいいよ。そのほうが安全だし」
「はぁ。わかりました」
有希の言葉を理解しきれていないだろう兵士に、苦笑する。
「片付け終わったら、ちゃんと手洗いとうがいしてね」
(みんな、衛生面はほんっと無頓着なんだから)
洗濯場の縁に座って濡れた足を拭き、サンダルを履いて立ち上がる。
途端に首筋にひやりとした感触が走り、頭がぐらりと揺れてそのまま体が傾いてまた縁に座り込む。
(あ、また)
ギーンという音が耳の奥から脳を揺さぶるように聞こえる。あちこちで聞こえる兵士達の声にエコーがかかる。
頭を抱えて目を閉じる。目を閉じていても分かるほどに世界がぐらぐらと揺れている。揺れているのが世界ではなく、自分自身の視界だとわかっていても、苦しさは一行に拭えない。
体の節々が冷たく痺れる。
(早く終わんないかな)
しばらく座って耐えていれば、そのうちに症状がなくなるのを知っている。
もう幾度目かのその感覚に慣れてしまって、どこかが麻痺してしまっているような気がする。
白黒にちかちかする視界に辟易しながら、次にやらなければならないことを必死で考える。
「えーと、ごはん。そう、ごはん。朝ご飯には納豆と味噌汁と卵焼き……卵に砂糖は邪道……でもルカは好きそう。じゃなくて、そろそろ小麦が無くなってるから、水分大目に炊いて……」
頭に血が回らず、どうでもいいことばかり思いついてしまう。
「ルカは硬い麦ばっかり食べてたなぁ」
(あ、やだ)
今一番思い出したくないことを思い出してしまう。
『ルカ様って……』
『――あぁ、言ったでしょう。ここで一番偉い人ですよ。マルキーに保有されていたフォルを奪還した方です。この国の第四王子で……』
『っルカは今どこに居るの!?』
思わず叫んでしまった有希に、ラッドはこれでもかと顔をしかめた。
『へぇ? ルカ様のファンなんだ?』
『違う! ルカとあたしは……っ』
『恋人同士だとでも言うんだ? ……名前まで呼び捨てて、いいご身分だねぇ』
そう言うと、ラッドは侮蔑を露にした顔で吐き捨てた。
『オレは彼女を気に入ったから教えてあげるよ。――たった一夜ルカ様に付き合ってもらったからって、付け上がるのは身の程知らずだよ。彼女みたいな女は吐いて捨てるほど居るんだ』
『~~っだから違……』
『もういい? これ以上オレを不快にさせる前に、消えてくれる?』
そしてラッドは去り際に言った。
『もしもアンタが、ルカ様の為にここへ来て、そしてルカ様に会うためにこういうことをしているのだったら、心底軽蔑するよ』
(違う)
耳鳴りが激しくなる。
「ちがう、ちがうっちがう!」
ひぐっと喉が鳴る。横隔膜が変に動いて、呼吸が出来なくなる。空気を吸いたいのに、吐きたいのに、体がうまく動かない。
「ちがう……」
そう言いたいのに、動いたのは口だけで言葉にならない。
目を開くと、涙でにじんだ視界が霞みがかる。
だんだんと白んでゆく視界のなか、脳裏に浮かぶのは、心底有希を軽蔑したように見たラッドの姿。
(そんなんじゃない)
そのまま有希は、意識を手放した。