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有希はフォル城に来ていた。そして通されたのは、いつか見た最奥の部屋。
しかしあの頃のようなどこか薄ら寒い雰囲気は無く、清潔感がある。
「――オレが行くって言ったのに。待ち遠しくて来ちゃった?」
目の前には、昔イシスが座っていた椅子。そこには昨晩会った、赤銅色の髪の青年――ラッドが座っている。
「やっぱりアナタが一番偉いのね」
そう言うと、ラッドはこれみよがしに肩をすくめてみせる。
「今この城にいる人間の中ではね。――で、ナニ? 本当にオレを迎えに来たの?」
「違う! ……ちょっと提案があって」
ラッドは器用に片眉だけ上げてみせる。
「へぇ。話してごらんよ」
有希は頷いて、口を開く。
「あの、今、このフォルの人たちは。フォルで十日熱に苦しんでいる人たちは、それぞれの家で家族に看病されてます。でも、それって効率の悪い事だと思う。看病する人間が多ければ多いほど、感染する人間も多くなる。それならどこかに一纏めにした方が良いと思うの」
ラッドは有希の言葉をへぇ、そう。と相槌を入れて聞いていた。
「そう、それで?」
「えっと、それで、フォルの患者さんが入るっていう大きさの建物は、このフォル城くらいかなって思って、フォル城を病院みたいにできないかなって。あと、ここにいる人たちに手伝ってもらえないかなぁって……」
おもねるように伺うと、ラッドは顔色を変えずに告げる。
「…………言いたい事はわかった。けど、どうしてオレ達が動かなきゃならないんだ?」
「どうして?」
「あぁ。どうしてかと問いたいね。だってオレ達は騎士だ。医者じゃないんだ。なのにどういう理屈で病人を迎え入れなきゃならないんだ? それに、ここの兵士が感染するかもしれないだろう」
「どうして? どうしてって聞くの!? あなたたちはフォルを守るために居るんでしょ? もし十日熱に感染したならここで看病するわ。治ったら、もう十日熱に怯える事も無くなるじゃない」
「……頭大丈夫? 十日熱は治る可能性のほうが皆無なんだけど」
「――っあたし、医者と一緒なの。彼の薬なら治せるわ。お世話になってる宿屋の家族も、全員完治したわ」
鼻息荒くふんっと鳴らすと、ラッドは困惑したように頬杖をついた。
「大体、フォルに居る兵士達だって何もやる事ないんでしょ? だから色々考えて不安になるのよ。それだったら看病で忙殺されたほうがいくらかマシだと思わない? それに」
言って、その場に居る兵士達に目をやる。中には昨日見た顔もあった。
「少しでもフォルの人たちと接点が合ったほうが、国を! ……フォルを守ろうっていう気にならないかなぁ」
言葉にどんどん覇気がなくなる。持っていた自信が、その場に居る人達の視線で削られていくような気がする。
(だけど、あたしの言ってる事は無茶かもしれないけど間違いじゃないもん)
自分を叱咤激励して、きりりとラッドを見据える。
(それに、セレナとヴィーゴさんは言ってた)
「国からの支援がないんでしょ? それなら、ここで病人の看病して、その家族から渡される食料とか、医療費の代わりにもらえばいいじゃない。あたし達はお金なんていらないから」
挑戦的にラッドを見る。ラッドは首をひねって、そして目を閉じる。
「んー、オレ的にはそれは結構オイシイ条件だなぁ。無償で薬を差し出してくれる医者様。そして労働力の代わりに食料をくれるフォルの民。もしオレ達が十日熱に感染したら、同僚達が看病してくれる……魅力的だなぁ」
「でしょ!」
(やった!)
ガッツポーズをしたい気持ちを押さえて、じゃぁと話を進めようとしたところにラッドが口を挟んだ。
「でもなぁ。フォル城はオレのものじゃないから。オレの上の人が管理を任されてるんだよね。だから、オレの判断じゃなにもできない」
(上の人……)
昨晩ちらと耳にした。夢の国に居るだのなんだの言った人だろうか。
「でも、ここに居る人の中で一番偉いのはあなたでしょ?」
「だけどオレにはどうする権限もない」
「――権限? そんなものこの場に居ない人に、この辛さを知らない人に与えたって無駄以外の何者でもないじゃない。もしあなたの上の人が、この場に居たらどうすると思う?」
「んー、恐ろしく仕事の出来る人だからなぁ。彼女の意見を飲むかもしれない」
「それなら、アンタが偉い人に代わって指示しなさいよ! もし上の人が出てきて、やっぱりダメだって言ったらあたしが直談判するわ!」
目の前で優雅に座っているラッドにも、ふつふつと怒りが込み上げる。
「大体なによ! 自分は一番偉いわけじゃないって言ってるくせに、そんな所に座っちゃって。――それに、ココに住んでいるのって兵士だけでしょ? 迷路みたいに広くてややこしいんだから、病室に使ったって困る事何も無いじゃない」
ぷりぷりと怒って見せると、一瞬きょとんとしたラッドは、次いで声を上げて笑った。
「あっはっは。豪胆だねぇ。――アンタ、イイ女になる」
有希は眦を吊り上げる。
「だからって、三年後に迎えはいらないからね」
「それは残念だ。――さて、謁見はそろそろいいかい? オレ達もこう見えて暇じゃないんだ」
「――なっ! そんな言い方っ」
「これから、この城は十日熱患者を受け入れる体勢を作らなきゃならないからね。――さて、それで医者様はいつ頃この城に来てくれるって?」
「え」
(それって)
驚いて見上げた先には、悪戯に笑っている青年の姿。
嬉しくてにやけてしまう。
「このままじゃフォルは何も変わらない。変わらなければ終わってしまう。少なくとも、オレとここに居る奴らの目を覚ましてくれてありがとう――礼を言わせて言うよ。未来のオレの花嫁さん」
「――っだから! 嫁になるつもりはないから!」
そう言っても、聞き入れてくれた嬉しさでちっとも怖くない顔で笑ってしまう。
ラッドも満足気に笑って、わざとらしく肩をすくめた。
「つれないなぁ。折角ルカ様の代わりをやる事になったんだから、褒美くらいくれたって良いじゃないか」
「――――え?」
その言葉を聞いた瞬間、有希の笑顔が凍りついた。