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ルカは、通された部屋に入って愕然としていた。
何故か連れてこられた部屋は地下にあって、そして、その部屋には沢山の少女がいた。
「いらっしゃいませルカート様。どうです?この楽園は」
きらびやかなドレスを身に纏った少女達が、人形のように鎮座していた。
イシスは部屋の奥の椅子に、先ほど見かけた黒髪翠眼の少女を膝に乗せて座っていた。
「――この城は、先だってイシス殿が占有したと伺ったが?」
その言葉を聞いて、イシスが可笑しそうに笑う。ルカはその笑い声に嫌悪感を募らせる。
「そんなの、表向きですよ。この城を手に入れて、もう一月になりますよ。その間に、この町の少女達は私が貰い、後の女は売り払い、男は捕らえ、反抗するものは殺しました」
見てください。と、大仰に手を振るってみせる。
「この子達の絶望に縁取られた瞳を。――ゾクゾクするじゃないですか。ルカート様。あなたもそう、思いませんか?」
少女達はルカに目も触れず、壊れてしまったように座っている。
(……可哀想に)
「さて、ここで話の続きでも致しましょうか――そう、あなたの言う、商談を」
薄気味悪く笑うイシスの、その不敵な笑みにルカは眉をひそめる。
「あなたの国の捕虜なんですけどねぇ。あぁ、一応殺さず食事も与えてますよ――彼ら、本来なら本国に送りつけたり、私が好きに使って良かったりするんですけど、アドルンドの人間なんて何をするかわかったもんじゃないですからね。邪魔なんですよねぇ」
「……何をご所望で?」
やはり金か。と、軽い絶望を感じながらルカはイシスを見やる。イシスは何が面白いのか、大声をあげて笑った。
「あなたはわかっていますね! 身のこなしを! いやぁ、実に小気味良い。小賢しい駆け引きなんてすることが無駄だということをよくわかっていらっしゃる!」
ため息をつきたい気分になる。
(もう、少し――)
笑うことに飽きたのか、疲れたのか、イシスが息を一つついて、話を続ける。
「――ふぅ。ではそこで、面白い話を一ついたしましょうか」
意味深に笑うイシスに、興味ありげな視線を投げかける。くだらない話でも、時間を引き伸ばす手立てにはなる。
「ほぉ。――あなたがアドルンドを裏切ったお話ですか?」
目の前で、狐のように目を細めて笑う男はかつて、アドルンドの将軍だった。しかもそれなりの地位のあった。
だが彼はある日突然狂ったように幾人もの味方を惨殺し、アドルンドの情報を持ってマルキーへと逃げた。
ルカ自身、幼少の頃は彼と剣を交わしたこともあった。そして、彼は今でも尚、かつてのようにルカを「ルカート様」と呼ぶ。
「いえ、そんなつまらない話ではないですよ。あれはなるべくしてなったのですから。そうですね――ルカート様の戯れ話でもいたしましょうか?」
ルカの眉がぴくりと動く。
「あの少女は、――拾ってきたそうですねぇ」
「……さてな」
耳の長い奴だ。と、内心毒づく。
「そして、彼女はリビドムの喪い子だと聞いたのですが、はてさて事実なのでしょうかねぇ」
その言葉に耳を疑う。彼女がルカの元に来て、一週間ほどしか経っていない。なのに、どうして敵国の将校にここまで知れているのだろうか。
「いやぁ、血がうずきますねぇ。リビドムの子といえば、不思議な力を持っていると聞きます。調教して私のものにしてしまえば、とてもとても利益になるとは思いませんか?」
「……さて、どうだかな」
(まだか……)
気味の悪い部屋に、一秒たりとも居たくなかった。そして紫の瞳の少女――有希のことが気に掛かる。
何故イシスは有希の正体を知っているのだ。
(くそっ)
一人にするべきではなかった。危険なのはルカ一人で十分だと思っていたが、むしろ危険なのは有希の方だ。
あの部屋に戻らなければ。そう気持ちは逸るが、あせっている姿を晒すわけにもいかない。
「――その話をした後で、何を要求するんだ?」
「相変わらずルカート様は聡い子ですねぇ――――彼女を、譲っていただけませんか? それが、捕虜との交換条件です」
有希の話をけしかけてきたときからそうだろうとは思っていた。
(下衆が)
有希の重要性をわかっているのかいないのか、イシスを睨む。
イシスは飄々として、膝の上の少女の頬をなでた。
「その代わりと言ってはナンですが、ここに居る少女の一人を、差し上げましょう。誰でもいいですよ。私が自信を持って調教しましたから――それとも。ルカート様御自ら、捕虜の代わりに牢に入りますか?」
「いずれも、断る」
「おや、しかしルカート様に拒否権はないですよ? 彼女に出した食事には薬を盛ってありますからね。今ごろ兵が捕獲してるんじゃないでしょうか」
「!」
「愛すべき主人を差し出すか、主人のために自らを敵国に売るか。よく考えてくださいね」
膝から少女を降ろしたイシスが、すっと立ち上がる。
「ルカート様にはしばらくここで考えていて頂きましょう。私は、喪い子でもここに連れてきましょうかね」
高笑いをしながら、少女を連れて部屋から出てゆく。扉の外には屈強そうな兵士が数人、立っていた。ルカが逃げないようにとの配慮だろう。
「……っくそ」
(もう少しだというのに)
捕虜の件はきっともう片付いているだろう。だが、有希は大丈夫だろうか。そればかりが心配でならない。
(どうか上手くやってくれ……)
有希はあの少女趣味の部屋を抜け出してすぐ、兵士とすれ違った。
灯りを持った兵士が向側から来て、慌てて有希はマントと共に壁にへばりついた。
広い廊下が幸いしたのか、兵士は気づかずに有希の横を抜け、有希の部屋の前に立った。
(見張り兵、やっぱりいたんだ……)
自らの強運に感謝しつつ、そのままするすると遠ざかる。
(捕虜っていうことは牢屋だよね……牢屋って事は、地下かなぁ)
廊下の突き当たりに、上下に行く階段がある。逡巡して、降りる階段を歩く。
幾重にも曲がる階段を降りて行くと、ひんやりとした場所に出た。左右に分かれ道がある。
どこからか、水のしたたる音が聞こえてきた。
(水……そういえば、牢の壁を伝う水で飢えを凌いだ人がいるって聞いたことある)
日本でだけど。と、内心で突っ込みを入れる。
ふぅと深呼吸を一つして、目を閉じる。どちらから音が聞こえるだろうと耳をすます。
「……こっちだ」
有希は左側の通路を音を立てないように小走りで駆けた。
アインは太陽を睨んでいた。もう大分傾いて、陽光がとてもとても赤い。
後ろで束ねた藍色の長い髪が、紫のような夕闇の色にそまっている。東の空と同じ色だ。
「もう……いいですよねぇ」
ぽそりと呟いた声は、誰の耳に入るでもなく、風に乗って流れる。
「アイン様……多少早くったってルカ様なら大丈夫だって。早く入りましょうよ」
「うん……そうなんだけど、ユーキがいるからなぁ」
アインは少数の兵達と、フォル城の橋の下にいた。裏口のすぐ手前で、見張り番を倒して裏口の様子を見ていた。
「あんな娘っ子一人のために、ルカ様を危険に晒すことぁ出来ねぇじゃねぇか!」
「……あんた、さっきと言ってること矛盾してるよ」
押し黙った兵を見て、アインはため息をついた。
(あーあ、ナゼットが居れば、もっと上手くできるのになぁ)
「とにかく、もう少しだけ待ってください。これは、一応僕が指示を任されているんですから」
任せるときのルカの態度がとてもとても適当で、それはそれで不安が沢山残るのだが、あえてそれを言わずに虚勢を張る。
それは、ルカが唯一アインに教えたことだった。
(ルカ様……無事で居てくださいよね)
ルカが人形のような少女達の居る地下部屋でぼんやりと座っていると、慌しく扉が開いた。開いた扉を見やると、イシスが血相を変えて飛び込んできた。
「彼女をどこにやったのですか!」
「はぁ?」
見張り番の兵に扉を開けていないか何度も確認した上で、ルカにつっかかってきた。
「食事に盛った薬が効きはじめる頃だと思い部屋へ向かうと、もぬけのカラだったんですよ。――ルカート様。彼女に何を吹き込んだのですか?」
「あいつが……いない?」
確かに有希に『ここに居ろ』と伝えた。そして有希も頷いたではなかったか。
「……ご冗談を。そうやって俺を揺さぶろうとでもしているのか?」
鼻で笑って見せると激昂したイシスが叫ぶ。
「彼女はどこへ行った!!」
荒く何度も呼吸を繰り返して、周りの兵士達に宥められて呼吸を整える。
「――まぁ、いいでしょう。捕虜と共にルカート様にも牢に入っていただきましょう」
「!? それでは話が違う」
「何が違いましょうか。貴方が捕虜になれば、他の捕虜なんてどうでもいいことでしょうに」
さぁ。とイシスが言うと、見張り番をしていた兵がルカの身体を拘束する。反抗しようかとも思ったが、得策ではないと諦めた。
二人の兵に両腕をがっちりと固定されたルカは、そのまま部屋を引き摺るように連れ出された。
(アインっアイツは何をやってるんだ――)
アインがすでに有希を保護しているだろうか。そんな一縷の望みを持ちながら、暗闇へと歩みを進めた。