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コロナによると、騎士達は皆、戦争に備えてフォル城に逗留しているということだった。
十日熱が蔓延し、いざマルキーが襲ってきたとしても、それに耐えうるだけの力は、解放されたばかりのフォルには無かった。
以前のフォルを見ていた有希も、それが正しい選択だと思っていた。
(だけど、これはないよ)
酒場にはいつから飲み始めたのだろう。顔を真っ赤に染めた人が数名居る。
有希は全員をまんべんなく睨みつけて、怒りにぶるぶると震える身体を突っぱねる。
「信じられない」
何度目かのその言葉を吐き出す。先ほどまでの楽しそうだった空気が、外の静寂と同じように静まっている。
「なんで、お酒なんて飲んでいられるのよ……」
有希の言葉がぽつりと落ちる。その言葉が響き渡るほど、静かだ。
「フォルの人たちが苦しんでるのに、辛い思いしてるのに……っ」
ぎろりと睨むと、目をそらす人、俯く人、頭を掻く人、黙ったまま飲みつづける人。さまざまなリアクションだ。
「なんで助けようとしないの? 十日熱対策とか、援助とか、あるんでしょ!? なんで……っ」
そこまで言うが、続きが言葉にならない。両手で口を塞いで首を振る。騎士の顔を見たくなかった。これ以上何怒りに任せて喋ると、とても酷い事を言ってしまいそうだった。
突然、グラスが割れる音が聞こえた。突然耳に入ったその大きな音に、有希はびくっと身体を飛び上がらせる。足元に破片が散らばっている。
「知ったような事言ってくれるじゃんよ」
顔を上げると、酒なのか激昂しているのか。顔を真っ赤にさせた男が有希を睨みつけていた。どうやらその男がグラスを叩きつけたようで、足元から波状にグラスの残骸が飛んでいた。
「ビクビクびびって家の中に閉じこもってる事しか出来ないヤツらがよ。閉じこもってるだけじゃ飽きて御高説かよ」
(ご高説?)
その言葉に声を尖らせる。
「違う! そうじゃなくて!」
「何が違うんだよ!」
(そうじゃなくて…………)
続きの言葉が思いつかない。
(何なんだろう)
やけにあたりがしんとしている。そこが酒場だということを忘れてしまうくらいに。
(なんか、おかしい)
この騎士たちの醸し出す空気は何だろうかと戸惑ってしまう。いっそ思いっきり開き直ってもらえば、こちらも思う存分いえるのに。
「お前達は何も知らないだろ! 何も、なにもっ」
男が叫ぶ。騎士にはとても似つかわしくない、悲痛な叫び声を。
「その位でやめとけ」
「――ッ」
酷く甘い声が聞こえた。それと共に、顔を染めていた男が口惜しそうに黙る。さらりと長い赤銅色の髪の青年が、穏やかに有希を見つめている。
「そこの彼女も。それ以上言わないでやってくれ」
「……貴方が一番偉い人?」
年の頃は二十台中頃に見えるその青年は、おどけたように肩をすくめる。
「一番偉い? とんでもない。一番偉い人は今頃お城のベッドの中で夢の国に旅立ってるさ」
ひどく軽薄に言ってみせる。その姿に嫌悪感が募る。
「冗談言わないで」
「冗談じゃないさ。――ここの統括者はずーっと眠りっぱなしさ。騎士に見立ててはいるが、フォルには寄せ集めの兵士しかいない」
何処かで虫が鳴き始めていた。リリリリと、控えめな音が酷く耳に障る。
「どういうことかわかるかい? フォルに十日熱が蔓延している。いつまたマルキーに攻め込まれるかもわからない。そんな場所に徴兵しかいない」
青年の視線が射るように有希を見る。見るというよりも、睨むように。
「フォルは見捨てられてるんだよ。フォルだけじゃない。オレ達もだ」
有希は絶句する。
(だって、だって)
ヴィーゴは言っていた。国が援助するだろうって。
「長い長い戦争続きで国庫もない。どんどん加熱していく十日熱で人手もない。だが兵士は必要。加えてフォルは先だってルカート様が取り返した場所だ。不安定でまた取り返されないとも限らない。おちおちと手放すわけにもいかないだろう? だから兵力があると見せようと、民兵を騎士のように扱ってるのさ。しかし、オレ達にも救援は無い」
「救援が無いって」
「言っただろ、フォルは見捨てられてるって」
この世界は戦争中で、みんなが苦しみや悲しみの中、必死にもがきながら生きている。
国が少しでもよくなるように、自分達の生活が少しでもよくなるようにと戦っている。
(国の為に戦ってるのに、見捨てるってどういうこと……)
てっきり有希は、騎士達がフォルを虐げているとばかり思っていた。援助を受けている騎士達は、マルキーが攻め込まないのをいいことにのうのうと過ごしていると。楽しく酒を飲んでいると。
(そうだ……)
違和感の理由がわかってしまった。
(ここのみんなも、苦しいんだ)
「なぁ、アンタは想像できるか? ただの農民や商人が、兵士として扱われる。持った事も無い剣や槍を突然持たされて、ハイ人を殺せって言われるんだ。おまけにソイツらがいつ攻め込んでくるか分からない。そもそも、自分達の居るところは病原地だ。攻め込まれないにしても、自分が病に掛かって死ぬかもしれない。家族や恋人を家に置いてきたヤツ等が、そういう見えないものに毎日怯えているんだ」
青年のさらりと長い、赤銅色の髪が光る。とても深刻な事を言っているのに、表情はずっと軽薄に笑っている。だからこそ、事実なのだと濃密に語る。
「そんな明日にも死ぬかもしれない、狂うかもしれない。そんな恐怖を酒で誤魔化すのを責めるのかい? しかもそれは毎日じゃない。週代わりで数人ずつ。見回りも怠らないようにしている。それでも、責めるか?」
有希はうな垂れて、ゆるく頭を振った。
(そんな事、言えるはずない)
先ほど見た騎士達の笑顔。それは、先の見えない恐怖をひと時でも忘れられるからという安堵の笑顔だったのだろうか。
怒りに滾っていた有希の頭では、もう思い出すことができない。
「……見回りと言っても、何もできてやしない。魔女の時間に人が出歩くのを処罰すると脅して禁じても感染者は減らないし、何もかもなくなっていくだけだ」
自嘲するような声が聞こえ、有希はもう一度かぶりを振った。
(台無しにしちゃった)
明日、自分が死ぬかもしれない。
その恐怖を、有希は塔で痛いほどかみしめた。
幾度となく現実から逃げようと思った。それなのに、この酒場に居る人たちには駄目だと叱り飛ばした。
(最悪だ、あたし)
自己嫌悪で吐き気がした。勝手に一人で腹を立てて、何も知らないのに偉そうな事ばかり言ってしまった。
「……ごめんなさい」
「かまわないさ、知らない人間が見れば誤解くらいはするだろうし、町の人間が苦しんでいる中、飲んだくれているのも事実だ」
それでも、有希は頭を振る。消えてしまいたいほどに恥ずかしい。どうして怒っていたのだろうと、少し前の自分を憎んでやりたいと思った。
「あたし、この場を台無しにした……」
「気にしなくて良いさ」
明るい声が飛んでくる。このしんみりした場所には場違いなほどにあっけらかんとした明るい声。
「あーでも、どうしてもって言うなら――」
有希がおもむろに顔を上げると、青年は悪戯な目をして笑った。
「未来の美女が、オレ達に酌をして少しだけ付き合ってくれたなら、むっさいヤロー共の気が紛れて、さっきの事も忘れそうなんだけどな」
その言葉に、男がどっと笑った。床にグラスを投げ捨てた男も、笑っていた。
「彼女が心配する程、オレ達はダメじゃないんだ。なんてったって、時折こうやって酒を飲んでるからなぁ」
どっと笑い声が起きた。誰かが青年をはやしたてる。そしてまた笑い声が起きる。
「――というのも冗談で、彼女みたいに、ダラダラしてるオレ達に食ってかかって来る人間が居て安心したよ。まだフォルは終わってないって」
青年は手に持っていたグラスを置くと、立ち上がる。
「夜も遅い。未来の美女が魔女の祝福に遭わないように、家まで送ろう」
男の一人が「ラッド様」と呼び止めた。代わりに自分が行くと、男達が次々に言い出す。
「なぁに言ってんだよ。酒を飲んでるお前等には行かせられないって。それに――」
ラッドがちらりと有希を見る。
「美人と歩くのは、色男の特権だろ?」
そう言うや否や、ラッドは有希の腰に手を回して有希を引き寄せた。
「~~~~っ」
驚いて言葉を失っていると、耳元で酷く甘い声が囁いた。
「キミも。こんな所に男を漁りに来なくていいよ。――オレが三年後、迎えに行くから安心してオウチで待ってな」
「――――なっ!」
途端、どっと酒場が賑わった。




