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目が覚めると、昨夜もしかしたら腫れたまんまなんじゃなかろうかと心配した通り、上下の瞼がぷっくりと腫れていた。
洗面所で鏡を見ながら、あははと乾いた笑いを零した。
とてもすっきりとした朝だった。
(状況は何も変わってないのに)
それでもとても、気が軽い。
(色々悩むのは、ルカに会ってから)
人はそれを逃避と呼ぶのかもしれないが、考えても埒の明かないことを考えつづけるのも健康に悪い。
ルカの事を思うと、今までずっと焦ることしかできなかった。
早く助けに行かないと、早く会って謝りたい。早く早く早く。
ルカの事だから大丈夫だろう、王子様だから無体な扱いは受けないだろう。そうやって何度も自分を慰めていた。そうして沢山焦って、そうしてそこは腫れ物のようになり、触る事がなくなっていった。
けれど、アドルンドが目の前に来たということで、現金にも早くルカに会いたいという気持ちでうずうずした。ずっと彼なら大丈夫だと自分に言い聞かせてきたが、そろそろそれも限界だ。早く姿を見て安心したい。
「だから、もう泣いてばっかりいられないよ」
(戦争も争いも何もかも嫌だ。だけど嫌だ嫌だと駄々を捏ねるだけじゃ子供と変わんない)
「だから、あたしはあたしにできることをやる」
鏡の前の自分に告げる。きりっと顔をりりしくしてみせるが、腫れた瞼では格好つかなくて笑った。
部屋やベッドを綺麗にし、荷物をまとめて玄関に行くと、準備を終えていたヴィーゴとセレナ、そして見送りに立っているトウタと数人の男が立っていた。
「ご、ごめんなさい」
「気にしなくていいわよー」
そう言ってニッコリと笑ったセレナは、有希の目を見てぎょっとした。
「ちょっと! ユーキちゃん」
「あはは。腫れちゃった」
荷物を床に置いて、有希はトウタ達に頭を下げた。
「昨日は酷い事言って、ごめんなさい」
頭を上げると、皆の視線が集まる。有希は困ったように頭を掻いた。
「リビドムの人たちがされた仕打ちを知らなくて……って、言い訳だね。――やっぱり戦いにはなってほしくないけど、でも、それはあたしの勝手なワガママで、しょうがないのもわかってる」
そう言って、その場に居る全員を見回す。
「でも、やっぱりあたしと関わってくれた人たちが傷ついたり悲しんだりするのは見たくない。だから……」
そこまで言って、言葉が止まる。
「だから、みんな気をつけて下さい。怪我とか……しないでくださいね」
そう言って、もう一度頭を下げた。
顔を上げると、なぜか真正面にセレナが両手を広げて立っていて、その豊満な胸に激突した。
挨拶を終えて外へ出ると、気だるそうなヴィーゴが顎を一撫でして声を出す。
「あー、これから行く先なんだが」
「どっちから回るの? 南下? それとも南下は前線に近いから西側から行く?」
張り切って荷物を背負い、地図を広げた有希に、ヴィーゴは苦笑した。
「いや、王都へ向かう」
早いとこあちこちを回って、できるだけ早く王都につけるように頑張ろうと張り切っていたので、ヴィーゴの言った事に言葉を失う。
「……なんで?」
「お前さんが王都に行きたがってたのは知っている。リビドムを回っている間は悪かったな」
「え、でも」
今までどおりアドルンドを回って十日熱を治療して行くのではないのか。思っても見なかったことを言われてしまった有希は挙動不審になる。
(そりゃ、できることなら一番最初に王都に行きたいけど……)
顔を上げて二人を見遣る。伺うように見ていることに気付いたのか、セレナが小首を傾げる。
(ヴィーゴさんもセレナも、みんなの十日熱を治したいんじゃないのかな)
それなのに自分の我儘で王都に行かせてしまって良いのだろうか。
(それだったら、あたし一人で王都に向かってもいいし――そうだよ。あたしはまっすぐ王都に行って、セレナ達は廻って……)
そうしようと決めて、顔を上げると呆れ顔のヴィーゴに一蹴された。
「自分ひとりだけ王都に向かおうだなんて馬鹿な事考えるなよ。言っただろう。アドルンドは危険だと」
あまりにも図星だったためにびっくりしていると、そんな有希にセレナが驚いていた。
「やだユーキちゃん、そんな事考えてたの?」
「え、いや、だって。これ以上迷惑掛けられないし……」
ごにょごにょと語尾を誤魔化していると、ヴィーゴが有希の頭を二度、軽く叩いた。
「お前さんに事情があって王都に行くように、俺達にも事情っていうものがあるんだ」
言外に優しい仕草で、きょとんと顔を上げる。
「事情?」
「あぁそうだ。何もお前さんへの善意だけで王都に行くんじゃないさ」
「……ホントに?」
「嘘を言っても仕方ないだろう」
疑っていることに呆れているヴィーゴに、ありがたいやら申し訳ない気持ちが湧く。
「ありがとう」
「ここからなら比較的王都は近い。急いで向かうぞ。――セレナ、ユーキが追いつけなかったらお前の所に乗せてやれ」
「はぁい」
そう言うと、二人は颯爽と荷物を馬に繋いでいた。
荷物が大きな麻袋一つしかない有希は、そんな二人を見つめて頬を緩めた。
(本当に、甘やかされているなぁ)
両親と同年代の大人だからだろうか。有希は赤の他人なのにとてもとても甘やかされているような気がする。
それが嬉しいような、くすぐったいような気分だ。
いつでも有希を大切にしてくれて、優しくて、甘やかしてくれて。
(――パパとママみたい)
どのくらい前の出来事だったろう。
優しくて、暖かくて。いつでも有希のことを考えてくれていた二人。
今、元気だろうか。そんな事を思うと少しだけ、胸が痛んだ。