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カラーコンタクトレンズの存在のおかげで、有希は今まで人から目をそらすということをあまりしなかった。
どれだけ奇異の目で見られても、父親譲りのあの瞳を恥じたことは一度もなかった。
通された城の中を、案内役の兵に連れられてどんどん奥まで進んだ。
そして開かれた扉の奥に、イシスは居た。
ひょろりと長い背丈に、とても細い体躯。一重の瞳は開いているのかわからないほど細く、軍服なのに兜ではなく大きな帽子を被っているのがとても不釣合いだった。
(狐みたい)
頭から被ったマントの裾から盗み見る。目を合わせてはいけないと思い、目を伏せる。
イシスの足元に、小さな影がある。
有希と同じ程度の身長の少女が、そこには立っていた。
裾のゆったりと長い赤いワンピースを着た少女は、怯えるようにイシスの手を握っていた。
「やぁ――お待ちしておりました」
「ご丁寧なご招待、ありがとうございます」
有希の耳に心地良い中低音の声がする。
(あ、猫かぶりモードだ)
勝手に決めつけた有希は、少女を見やる。
腰まであるだろうか。真っ黒な長い髪の毛はとても綺麗で、瞳は綺麗なグリーンだ。怯える少女と目があうと、有希はにっこりと微笑んだ。
一瞬、泣きそうに歪んだ少女の顔が、イシスに頭に手を置かれたことでこわばる。
「まさか、アドルンドの騎士王子に、少女趣味がおありになるとは思いませんでした」
つながれた手がぴくりと動く。少女趣味というのは、有希をそういう対象で見ているということだろうか。
(ちょっ! 何言ってるのよ!)
日本のアイドルも真っ青になるほどの美貌のルカが有希を――ましてや十歳ばかりの少女にしか見えない小娘に、そんな情を抱くことなんてありえないだろう。
必死に頭で否定するも、羞恥で顔に朱が走る。
「――ほぉ、なかなか可愛らしい反応をしますねぇ」
ねっとりとした口調で喋るイシスに、有希は繋いだ手と反対の手でマントを顎元まで引っ張った。
「この子もねぇ、最初の頃はよく手を焼かされたのですが、最近とんと大人しくなりましてねぇ、それはそれで愛らしいのですが」
ふふふ、と、甲高い気味悪い笑い声が響く。
「――商談の件なのですが」
ルカがやわらかく言う。笑顔も物腰も柔らかだが、どこか威圧的な雰囲気をはらんでいる。
「おゃ。商談だなんて堅苦しい。僕個人としては、あなたとは良いお友達になれそうだと思うのですが」
同じ趣味を持つ者として。と、ねっとりと話す。有希はその声音が気持ち悪くて、眉間にシワをよせる。
「それに、そんな話を今するのは無粋というものです――せっかくお客人がいらしたのです。宴でも開きましょう」
ルカが何か口を開くが、それよりも早くイシスが部下に指示を出す。
あれよあれよという間にイシスに事を運ばれ「準備ができますまで、部屋を用意いたしましたのでおくつろぎ下さい」と、にっこりと言われてしまった。
通された部屋は、とても少女趣味な場所だった。
どこもかしこもピンクのひらひらであしらわれていて、部屋の奥に異常なほど大きい天蓋つきのベッドが威圧的なほどの存在感を醸し出している。
ルカも有希も奥のベッドには近寄らず、手前のテーブルに着いて紅茶を飲んでいた。
ぐったりと疲れ、椅子にもたれている有希は紅茶をすすりながらちらとルカを盗み見る。ルカは角砂糖を紅茶に五つ目を入れていた。
(甘党……なのかな。それとも、考え事してて気づいてないとか……?)
沈黙が流れつづけている。有希は何か話そうと何度か試みてみたが、何を話したら良いのか、そもそも話のきっかけが見つけられない。
更に黙っていると、ルカが紅茶に口をつけた。壮絶なほどに甘いと思われるが、ルカは相変わらずの鉄面皮で紅茶を飲んでいた。
ぼんやりと何も考えずにいると、自分のことばかり目がいってしまう。
(あたし……なんでこんなところにいるんだろう)
突然泉に落ちたと思ったら、よくわからないうちに目の前の金髪王子に「主人」とされて。そして、何故か軍事交渉の場に居る。奇抜な格好をさせられて。
「そうだ」
ルカが視線だけを有希に送る。
「ねぇ、この後どうするの?」
捕虜の奪還をしたいという事は聞いている。だが、その具体的な内容を何も聞いていない。もしかしたら、自分にも手伝えることはないだろうかと思った。
「さぁ――相手の出方を見てから決めようと思っていたが。中々に面倒くさい相手だ」
嫌なものを見るような、蔑むような顔で目を細める。
(あぁ、あの変態に同属だと思われてたもんね……)
「だが、ああいう相手は正義感あふれている訳ではないだろうから、こちらが美味い条件を出せば飲むだろう」
はぁ。とため息を一つこぼした。
(美味い条件……)
有希にはイマイチ想像ができなかった。どういうことが美味くて、どういうものが不味いのだろうか。
「いざとなれば、囮などを立てて牢を開けてしまえばいい」
「……それって結構、大変なことじゃないの?」
開けてしまえば即刻そこから戦闘だろうな。とルカは淡々と言う。
(……この人って。実は何も考えていないようなフリをして実は考えてますーっていうフリをして、実は何も考えてないんじゃないのかな)
目の前でぼうっとどこかを見ているルカをみて、有希は少し不安になった。
ふと、扉の外で話し声が聞こえたかと思うと、ノックもなしに扉が開いた。慌てて有希はマントを被る。
「失礼。大変お待たせいたしました。宴の準備が整いましたので、お迎えにあがりました」
中から無骨な兵士が現れる。ぶすっとした顔が普通の顔なのだろうか。雄雄しい顔が、厳つく見える。
「いえ、随分お早いですね。さぁ、ユーキ、行こうか」
やわらかく微笑んだルカに、無骨な兵士が言う。
「宴にご招待するのは、ルカート様のみでございます」
「え」
「お連れ様には、こちらで寛いでいていただきます。食事もこちらへ運びます故」
マントの隙間から、縋るように見ると、笑みをたたえた笑顔がこちらを向く。
「なら、ユーキにはここで僕の帰りを待っていてもらおうかな」
兵士に背を向けたルカは、真顔で有希を見やる。その目が『ここに居ろ』と言っていたので、頷いた。
「じゃぁユーキ、行ってくるよ。すぐに帰ってくるから、出歩いたりしないように」
そういって有希の頭を撫で、ルカは出て行ってしまった。
「……やることがないわ」
ルカが出て行って数分。有希は天蓋付きのベッドにダイブして転がっていた。
兵士が言ったとおり食事が有希の元へ届けられたが、食欲が湧かず、そのままテーブルに置いてある。
「あの人、ホントどうするのかな」
もしかして、一人敵地に乗り込んで、惨殺されてしまったりということはないのだろうか。
「いや、だってそんなことしたら外の人たち黙ってないだろうし……」
それに彼は王子様だ。そんなことしたら戦争はもっと悪化してしまう。
「でもそれが狙いだったりして……ていうか、そもそもどうしてあたしも招待したのに、食事は別々であたしはここに閉じ込められているのよ」
おかしくない? と、誰に問うでもなく呟く。
「……待ってよ。もしかしてあの「ここに居ろ」は、実は「お前に頼む」だったのかな」
考えれば考えるほどに不安になってくる。
もしかしたらそうじゃないか。と思えば思う程「そうに違いない」という風に、思考がどんどん摩り替わっていってしまう。
「……さながら、敵地に乗り込むヒーロー。――いや、せめてジュリエットに会いに行くロミオぐらいの気分ね」
ふふっと笑って、ベッドから降りる。
扉の前で、扉に耳を当てる。――なにも音が聞こえない。
おそるおそる開いてみる。
「ありゃ」
てっきり誰かいるのだろうと思ったのに、誰も居なかった。
「これはアレかな。神さまが行きなさいっていう思し召しかな」
そろそろと扉を出て、音を立てないように閉めて、マントを改めて被りなおした有希は、真っ暗な廊下を闇に紛れてさまよい始めた。




